映画の公開に併せて、岡山市奉還町商店街の「CAFE GALLERY がじまる」にて
高嶺監督の絵画展も開催。
上映の問い合わせ 上映実行委員会 大西まで
080-3056-6905
または mail boken@mx1.tiki.ne.jp
一本の映画「リトアニアへの旅の追憶」(監督ジョナス・メカス=J・M)と出会った若き画学生高嶺剛は、映画監督となった。 20数年後、故郷沖縄でメカスに遭遇した高嶺は久し振りに、自らカメラを回しはじめる。あらかじめシナリオを作るのではなく、その場その場で触発されるものにカメラを向けるという方法で(シュールリアリズムへの親近)。 それから10年、幾度も完成を予告されながら延引され続けたその映画「私的撮夢幻琉球 J・M 1996〜」はついに完成をみた。 ドキュメンタリーであると同時にドラマ。 現実であると同時に夢。つまり、両義的かつ重層的。鮮烈な色彩。今は亡き嘉手苅林昌の真剣かつひょうひょうとしたレコード録音姿は、この映画唯一の固定カメラで撮られており、自ずと深い喪失感がにじみ、襟を正した追悼の思いに誘われる。亡き人、なきものによってもたらされる深い喪失感は高嶺映画の基層に存するものであるが、この映画において、それからの再生の足場は、真に愛しい人やその記憶・沖縄のアイデンティティにすえられている。 今回、上野耕路とその仲間たちを迎える、映画と音楽のコラポレーションは、交響する魂の、そのときかぎりの、スリリングな、奇跡の結晶を生むであろう。 出演 ジョナス・メカス 嘉手苅林昌 大城美佐子 カッチャン バイロン・ジョーンズ カラー・白黒 / 沖縄語 日本語 リトアニア語 英語 60分 監督・編集 高嶺剛 音楽 上野耕路 Geckko 製作 高嶺プロダクション |
高嶺剛はつねづね、自分は画家だと言っている。むろん我々は、1972年の8ミリフィルム「サシングワー」以来、高嶺の作品群が特異な風土、緊張をはらむ歴史を背景に持つとびきりユニークな映画であることを知っているのだが、そのうえで、高嶺の先の言葉にうなづくことができる。 「サシングアー」では、親族の昔の写真が着色された像として現われ、消える深い
オーヴァーラップに島唄とフォーレのレクイエムが重なる(上映によってはバッハの フーガの技法)。この作品のフッテージは、最新作『私的琉球 J・M
1996〜』にいたるまでの高嶺作品に繰り返し現われることになる。レクイエムはまるでこの8ミリの ために作曲された音楽のように、深く観客を引き込む。『私的琉球 J・M
1996〜』の上野耕路のインプロヴィゼイションに匹敵する強度だ。 それは豊かな(苦さも含めた)ユーモアの感覚に裏打ちされている。 『私的琉球 J・M 1996〜』には,ジョナス・メカスという素晴らしいパフォーマー の身体のありよう、彼が朗読する詩集「セメニシュケイの牧歌」の言葉が持つ色彩の素晴らしさが記録されている。メカスは、動く姿として、また高嶺の絵筆によって彩色されたコラージュの一部の写真として、そしてそれを撮ったビデオの映像を映し出すモニターの中のイメージとして、千変万化して現われる。 同じように、かって高嶺が35ミリフィルムで撮った「オキナワン・ハーダリー」(未完)の「琉球原人」カッチャンや、夜の浜辺で巨大な画面のイメージと重なるようにして唄う大城美佐子や、『夢幻琉球・つるヘンリー』の台湾女優チンシアチーや、たくさんの人々のさまざまな時間の中 のイメージがあらたな絵として、高嶺の描くデッサンと共に変転してゆく図を形づくっ てゆく。 この『私的琉球 J・M 1996〜』は,死を含み込むことで生が生たりえることを、もっとも豊かな色彩によって描いた映画といえる。映画はあらゆるものを描き込むことが できる。映画は何をやってもいいのだという原理を体験しているのが高嶺の作品なのだ。 映画評論家 大久保 賢一 |
ヨーロッパの辺境に生まれたひとりの男が、ヒトラーとスターリンに蹂躙された祖国を離れ、新大陸へ逃亡を試みる。だが船を乗り間違えたのか、ニューヨークに到着してしまう。母国語では詩人としてすべに経歴を積んでいたこの人物は、外国語で詩作をすることを諦め、そのかわりにムーヴィカメラを手に入れる。これが映画作家ジョナス・メカスの誕生である。 石垣島で生まれ、那覇に育ったひとりの男が、「留学」先の京都でこのメカスのフィルムを観て、大きな感動に包まれる。彼は美術を志していたが、メカスに勇気づけられてムーヴィカメラを手に、故郷の島に戻る。これが映画作家高嶺剛の誕生である。 では、もしメカスが高嶺に出会ったとしたら? 世界の別々の領域に拠点を置いて、記憶と喪失感に促されるままにカメラを回し続けてきた二人が、はからずも沖縄で邂逅し、胸襟を分かちあって対話し、歌い、カメラを回したとしたら? われわれに届けられたのは、この奇跡のような出会いの記録である。 ひとつの声が天高く響きわたり、その場を仕切ってしまうことで映画が製作されてきた時代は、もうすぐ終ろうとしている。声という声、言語という言語が混じりあい、重なりあい、いたるところでいっせい響きあうことから、新しいものが生まれる。映像も同じことだ。家族の写真から公的な肖像画まで、使われずに終ったラッシュフィルムから他人の手になる映像断片まで、あらゆる位階を越えて集められた映像が混じりあい、重なりあい、響きあうことで、自由が映像として提示されることになる。実現できたもの。実現できなくて終ったもの。いつかは実現を待っているもの。この3つが対等に並べられ、すべてを極彩色に染め上げてしまう高嶺の分光器にかけられたとき、世界にもたらされるのは事物の転覆であり、時空の体系的な混乱である。馬の背がすり切れるほどの米、牛の背がすり切れるほどの米だと、メカスを前にした高嶺はある沖縄民謡を説明する。われわれが目の当たりにしているのは、馬の背がすり切れるほどの映像、牛の背がすり切れるほどの声にほかならない。 明治学院大学教授映画史・比較文化 四方田犬彦 |