「………え………。」
石橋の合図でアイマスクを外したとき、神波は自分の右手に握られているものが一瞬信じられなかった。
「まずは一人。カンちゃんだね。」
そういう声も耳を突き抜けていく。
「それじゃあ、カンちゃんはあっちに行ってて。もう一人決めるから。」
指示された通りに移動する。
しかし、手の中のものとは逆に、神波の頭の中は真っ白だった。
「えぇぇええぇぇぇぇっ!」
不意に他のメンバーの上げた声に、神波の視線は正面に戻る。
自分と同じ、運命の赤い玉を握っていたのはテルリンこと平山だった。
「「っはあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」」
舞台袖に引っ込んで、神波と平山は同時に大きなため息をついた。
「引いちゃいましたね。」
「ああ、引いてしまったよ。」
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事の発端は、6枚目のシングルが発売される前だった。
「今度のシングルは、オリコン1位を目指す!」
そこまではよかった。
「ただし、同じ日にUちゃんのシングルも発売される。それを抜いて1位を目指す。」
「もし1位じゃなかったら?」
何気なく問い返した木梨。その言葉に石橋はとんでもない発言を返した。
「2〜5位だったら1人、6〜10位だったら2人。野猿から抜けてもらいます。」
収録中だというのに騒然となるメンバー。当たり前である。もしかしたら自分がやめなければいけないのだから。
「公正を期すために、くじ引きで決めます。赤い玉を引いたら、その人には野猿をやめてもらいます。」
そして、運命の女神は神波と平山。野猿のメインボーカルを選んだ。
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「番組内であれだけいっちゃったんですから、今更無効にする……なんてことはできないでしょうね。」
「テレビの前のみんなが証人だしな。簡単に取り下げることは無理だろ。」
楽屋に戻る2人に、走ってきたADがインタビューの撮影があることを告げる。野猿脱退が決まった2人の心境を聞きたいからだという。
神波が『わかった』とうなずくと、そのままADは走り去ってしまった。
「なぁ、カンはこのあとどうするんだ?」
去っていったADを見ていた神波は、平山の声に振り返った。
「くじできまっちゃったんですからあきらめますよ。そりゃ、野猿は楽しかったっすけどね。ただの1スタッフに戻って、影から応援します。」
「俺もやめたくはないんだがなぁ。もうやり直しはきかないだろうし……。卒業が少し早くなったってあきらめるしかないか……。」
そして、もう一度、2人はため息をついた。
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そして、放送の日。
テレビの前で何万人のファンが叫んだだろう。メインボーカル脱退という事実は予想もしていなかったことである。あまりのことに呆然とするもの、すぐさま電話に走るもの、泣き叫ぶもの。
放映時、神波と平山はそれぞれ作業の手を止めてテレビに釘付けになっていた。
「「あ〜あ、これで俺の野猿人生も終わりか……。」」
場所は違えど、2人の思いはひとつだった。
しかし彼らはまだ知らなかった。番組を見ていたファンによる電話やFAX、フジテレビのHPに抗議文が殺到していたことを……。
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そして数日後。
「今日の収録分で、野猿の新メンバーを発表するからね。」
ディレクターの言葉に、神波と平山、そして他のメンバー達は元に戻れないことを痛感した。
「飯塚ちゃん、おまえ新しいメンバーが誰か聞いてる?」
平山はすぐそばにいた男に話しかける。
「いや、聞いてないですよ。……また石橋さんと関口さんで決めたんじゃないんですか?」
「相方の俺にも教えてくれないんだからなぁ……。」
木梨がため息を付く。
「タカさん、俺達が驚くのを見て楽しんでるんじゃないですか?」
星野の言葉に思わずうなずく全員。
「はよーっす!」
他の10人から遅れること5分。石橋がスタジオ入りする。
「タカさん、新しいメンバーについて教えてもらえないんですか?」
「どーして?カンちゃんに教える必要はないじゃない?」
衣装係のスタッフに細部を直してもらいながら、石橋はキョトンとしたように答えた。
「今日発表する新メンバーは、カンちゃんと平山ちゃんの代わりに入るんだよ。君らにはもう野猿とは関係なくなるんだから。」
ズキッ……
わかってはいたことだが、やはり面と向かって言われると悲しくなってくる。神波はこぼれそうになる悔し涙をこらえるのに精一杯だった。
「タカさん、ちょっと言い過ぎですよ。」
押し黙った神波の横に立ったのは、成井だった。
「カンちゃんだって、平山さんだって、まだ野猿の一員なんですよ?」
「いくら今年一杯になってしまったって、結成当時からの大切な仲間なんです。そう突き放すように言わないでくださいよ。」
半田が賛同するように言う。
「決まってしまったことには文句はいうつもりはないんですが、番組の進行上知っておいた方がいいと思うんですけど。」
平山の言葉に『そのとおりだ』と石橋と神波以外のメンバーがうなずく。
「それもそうだねぇ。でも、な・い・しょ♪」
軽くウインクして、石橋は答えをはぐらかした。
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「じょーだんじゃねーよなぁ。」
番組収録後、フジテレビの近くにある行き付けの屋台。
ダンッ!と音を立てて、コップを叩き付けるように置いたのは高久。
「確かにそうだよな。荒井ちゃんはいいとしても、許せないのは関口さんだよ。メンバー脱退の件を出したのもあの人だろ?」
ちびちびやっている網野。彼は酔うと自分がどうなるか知っているのでゆっくりと飲んでいるのである。
「あれってさ、関口さんが野猿に入りたいがためにやったって思われてるよな、絶対。」
そう言った大原は『あ、その大根ちょーだい』とおじさんに注文する。
「半田ちゃんの言う通り、俺達は結成当時から11人でやってきたんだぜ。楽しいことも悲しいことも、うれしいことも辛いことも皆11等分して来たのにさ。今更、それを壊したくはないよなぁ……。」
網野の言葉に、高久と大原がうなずいた。
「……そういえばさ、俺こんな話聞いたんだけど……。」
ボショボショボショ……
「いい、その案乗った!」
「今更他のメンバーの野猿なんて考えられっかよ。絶対、平山ちゃんと神波ちゃんを復帰させてやろう!!」
「よし、俺これから皆に電話する。皆だってあの決定には怒ってたしな。……場所は、いつものカラオケBOXでいいか?」
「野猿緊急会議だ!」
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緊急招集にもかかわらず、指定した時間に遅れることなく全員が集まった。
「何だよ……、俺明日は早いんだぜ……。」
大あくびしながら言う木梨。
「……右に同じ。」
同じく大あくびの石橋。当たり前といえば当たり前。既に時計は午前1時を指そうとしている。
「眠いのはわかってますけど、少し付き合ってくださいよ。……これから野猿会議を始めたいんです。」
「会議ぃ?しょーもない議題で呼び出したんなら殴られても文句は言わないよな。」
「……半田さん、目が据わってますよ……。」
指をバキバキ鳴らす半田に対して、成井の額に汗が浮かぶ。
「今回呼び出したのが、平山・神波の野猿脱退に関してもですか?」
その言葉に、小さく反応する平山と神波。
「もう会議しても遅いんじゃないか?新メンバーを紹介するのは来週の放送だろ。」
『もう無駄だよ』と飯塚が言う。
「……それじゃあ聞くけど。今日の収録で完全に納得した奴いるか?」
大原の言葉に、一同は押し黙ってしまう。新メンバーを決めた石橋でさえも挙手しなかった。
「少なくとも、俺と高久、網野の3人は納得が行かない。シングルがオリコン1位じゃなきゃメンバー脱退なんておかしいじゃないですか。」
「そうですよ。そりゃ、1位を目指すのは当然でしょうけど、でもそれが達成できなかったから野猿を壊すんですか?」
「たとえ6位であったとしても、買ってくれたファンの人たちは野猿が好きなんです。それでいいじゃないですか。」
高久と網野も言葉を続ける。
その訴えに対して何も答えない7人。
通路からは騒々しい音楽が鳴り響いているが、それに反して部屋の中は静かだった。
「俺、関口さんが野猿に来るのは反対だな……。」
ぼそりと言ったのは星野である。
「ホッシー、いきなり何を……。」
「だってそうじゃないっすか。あの人はタカさんのマネージャーとして、野猿の大変さをよく知ってるはずです。それが『自分しかできないこと』だなんて。それだけならともかく『何なら年末から入りましょうか?』と来たもんだ。……それが受け狙いじゃないことは、後ろから見ていたんだからよくわかります。」
「……どちらかといえば俺も反対っす。」
星野につられたように、飯塚が口を開いた。
「タカさんのマネージャーを悪くは言いたくはないっすけど。今回のを見ていると、関口さん、自分が野猿に入りたいがために提案したことだってことがありありと出てますから。」
その言葉に、石橋・神波・平山以外が一斉にうなずく。
「タカ、抜けた代わりに入るってことはボーカルパートだよな?荒井ちゃんの声は今日聞かせてもらったけど、お前、関口の歌は聞いたことあんの?」
「……いや。」
木梨の言葉に首を振る石橋。
「今度出す新曲については決まってるんでしたよね?えーっと、確か……今回の曲は1月開始のドラマのタイアップ曲。CDS発売が2月でも、今からだとギリギリになりますよね、練習やプロモ撮影のスケジュール。」
高久の言葉に、ニッと笑う網野。
「そこで提案なんですが、関口さんが俺たちの練習について行けるかどうか試してみませんか?」
『試す?』
ハモった声に彼はうなずいた。
「俺たち野猿のメンバーは、みんな他に仕事を持っているじゃないですか。ですから、11人全員揃って練習できる時間ってのは限られてくるわけでしょ?」
「……まぁ、そういえばそうだよな。」
「ですが、今回は全員で練習する時間を極力多くとるんです。デモテープを聞いてた限りでは、今回の曲は荒井ちゃんが、C.A.がメインみたいじゃないですか。」
「ドラマの内容が内容だから、どうしてもそうなるかな。」
木梨が言う。
「そうなると、タカさんやノリさんもダンスチームに混ざるでしょう。その練習についていけるかどうか……。」
「試してみるってのか。」
どこか視点が定まらない石橋。
「ま、俺たちは傍で見ているよりも数十倍疲れることを知っているし。関口さんもやってみりゃあわかるかもしれませんね。」
楽しそうに成井が言う。
「すぐに音を上げるんじゃないの?」
同じく笑いながら半田が言った。
「そうなったら、堂々と平山ちゃんと神波ちゃんを戻せるよな。事実、2人を止めさせるなって抗議文も来てるんだろ?」
「そう。これで新メンバー発表の放送結果は、どうなるか分かるな。」
他のメンバーも楽しそう。
「…………俺、いいわ。」
ポツリと発せられた言葉に、皆がその言葉の主に注目する。
「俺、もう諦めたからいいわ。野猿から抜ける。」
「平山さん、それでいいの?」
信じられないといったように声を上げる大原。
「いいも何も、代わりまで決まってるんじゃ余計俺達のいる場所なんて無いじゃん。な、カンちゃんもそう思うだろ?」
「今回の件については、自分たちの運が悪かったとして諦めようってやっと覚悟がついたところなんすよね。……そりゃ、もっと野猿を続けていきたかったけどしょーがないっすよね?神波憲人、潔くやめさせていただきますっ!」
いつもの笑顔で勢いよく言った神波だが、その頬に生まれる流れ。
「……あれ、俺なんで水流してんでしょーね?雨もりかな?」
泣き笑いの顔で天井を見上げる神波。が、当然のことながら雨もりなどしているはずがない。
「……テルリン……カン……。」
「やめるって言っても、約束通り年内の仕事はしますよ。関口さんにポジションを明け渡すなんてことは絶対にしません。……ただし、時計の針が12時を回ったときには魔法は解けて、俺たち2人はスタッフに戻ります。」
泣きじゃくる神波の肩を抱いてやりながら、平山は悲しそうな笑顔で言った。
「……行くんじゃねぇーよ。」
それまで黙ったままだった彼からの言葉。
「おまえらが抜けたら、野猿は野猿でなくなっちまうからな。」
「タカっ!!今更お前が何言ってやがるっ!」
石橋に飛びかかった木梨。狭い室内は乱闘場と化す。
「そもそもっ!お前と!関口が!言いはじめたことだろうがっ!しかもっ!俺たちには!何の相談もなしにっ!」
彼の拳を甘んじて受ける石橋。が、木梨は星野と半田によって引きはがされた。
「……新メンバーのことだって、2人だけで決めちまってよぉ……。……タカ……そんなに俺たちは頼りにならねぇか……?」
半泣きで訴える木梨の言葉に、石橋は黙して語らない。
「俺も抜ける。」
「ナルちゃん?」
ギョッとしたように成井を見る大原。
「平山さんと神波ちゃんのいない野猿なんて、俺には考えられないんですよね。もし仮に、このまま続けてたとしても、関口さんとうまくやっていく自信なんてないんです。それに……今のこんな状態のままじゃ、ファンの人を満足させられるダンスなんかできっこない。それならいっそのこと、俺も脱退させてもらいますよ。」
「俺もそうさせてもらおうかな。」
木梨から手を離して、眼鏡を拭きながら半田が言う。
「さっきホッシーも言ってたけどさぁ、自分が中に入りたいからってそれまで頑張ってきた人をやめさせちゃうってのは気にいらないんだよね。俺なんかが言うのは変かもしんないけど、正々堂々、実力でうばったんなら何も言わないよ?それが、今回は不可能に近い賭をさせてまで、平山ちゃんたちをやめさせようとしてるわけじゃない。すっげー納得いかない。だからやめる。」
「成井さんも半田さんもやめてくださいよ!俺達のためにやめることなんて無いじゃないですか!」
神波は驚いて声を上げた。
「いーんだよ。平山、神波の抜けた野猿なんて野猿じゃない。新しいメンバーを入れて心機新たにっていうのもわかるけどな、俺はおまえ達と一緒にやりたいんだ。」
成井はじっと神波の目を見据えながら笑った。
その言葉をきいていた他のメンバーは黙ったまま、時間は流れた。
―――このままでは野猿が危ない。―――
11人全員がそう思った。
ペナルティによるメインボーカル2人の脱退決定。それによる新メンバーが気にくわない残留組。そして、他のものまでやめると言い出した。
結成して2年足らずの活動で、野猿は早くも分解しかけていた。
そんなとき。
「俺が関口を説得する。」
そう言い出したのは他の誰でもない、石橋だった。
「もとは俺と関口とが勝手に決めたことだしな。確かに新メンバーを入れるってのには俺も賛同した。でも、わざわざ今の野猿を崩してまですることじゃなかったんだよな。……みんな、すまんっ!!」
いきなり土下座した石橋に慌てふためく10人。
「タ、タカさんやめてくださいよぉっ!」
高久が伸ばした手を振り払い、なおも平山・神波に向かって頭を下げる石橋。
「俺が言い出せた義理じゃないのはわかってる。でも、野猿にはお前たちが必要なんだ。いざとなったら俺が抜ける。だから平山ちゃんと神波ちゃんは抜けなくていい!」
「……石橋さん……。」
神波がそう呟いた後、とんねるずの両マネージャーからの携帯が鳴るまで誰も動かなかった。
****************************
「よっ!」
「おひさしぶりです。」
野猿会議から約1週間後、神波は星野に呼び出された。
「……ま、確かにひさしぶりかな。」
「ええ、そうです。『みなさんのおかげでした』の収録も、他の歌番組の収録もなかったですし。他のみなさんとは会ってるんでしょ?」
「平山ちゃん入れて?入れないで?」
「平山さん抜きで。……もう新曲の練習始まったんじゃないですか?」
神波は少し寂しそうな笑顔を見せながら言った。
「始まったけど……、皆、関口さんに失望してるよ。」
「そんなに?」
星野は無言のままうなずくと手にしていた煙草に火を付けた。そして、ぷかりと一息吐き出した後。
「想像以上だった。……こんなことを言っちゃあ気の毒なのかもしんないけどさ。はっきり言って、才能ないよ。そりゃ、自分に才能があるなんて思ってないけどな。一応今まで野猿としてやってこられただけはあるんだと思ってる。……でもな、関口さんの場合は自分で立候補するぐらいだから自信あるのかと思ったら……。」
「駄目……なんですか?」
「協調性がない……って言ったらいいのかな? とにかく目立とうとする場面が目に付くし、ダンスシーンも揃わないんだ。もともと関口さんが入ったことをよく思ってない俺達と、1人目立とうとする関口さんがあう訳がない。ちっとも進まないのが現状さ。」
「そうですか……。」
「なぁ……、野猿に戻ってくる気はないのか?」
「戻りたくても戻れないっす。もう、俺達の代わりまではいってますし。」
寂しそうに笑う神波。
「関口さんが止めるって言ってもか?」
「え?」
「……どうやら、タカさんがはっきり言ったらしくってね。」
「どういうふうに?」
「『おまえとはできない』ってさ。だから、大手を振って帰ってこいよ。」
他のスタッフが神波を呼びに来た。神波は星野に頭を下げて走り去ろうとする。
「絶対帰ってこいよ!」
その言葉が仕事中、神波の頭から離れなかった。
****************************
同じ頃。
「ちょっといいか?」
背後からかかった声に、平山は作業の手を止めた。
「……石橋さん……。」
「展望台で缶コーヒーでもどうだ? こんなむさいオッさんが相手じゃ役不足かもしれないけどな。」
「ほら。」
片隅の自販機で買ったコーヒーを平山に渡すと、石橋も自分の分を買う。
「……すみません。わざわざオゴッてもらっちゃって……。」
「呼び出したのは俺なんだから。早く飲まないと冷めちまうぞ?」
「え……は、はいっ!」
ぱしゅっ!
一口啜ると、体の中がじんわりと温かくなっていくのがわかる。思っていたよりも冷え切っていたのか、と平山はそんなことを思った。
「あまり時間ないから単刀直入に言うよ。……平山ちゃん、野猿に復帰してほしいんだ。」
「ですが……。」
「もちろん、カンちゃんも一緒にだ。みんなもそれを望んでるんだよ。……今のままじゃ、せっかく今まで作ってきたものが全部無駄になるかも知れないんだ。」
いつもとは違う、真摯な表情の石橋に、平山は何も言い返す言葉が見つからない。
「……やめろって言った本人が戻ってきてくれなんて言うんじゃ、平山ちゃんもうろたえるわな。しかし、今の状態じゃ駄目なんだ。心機一転して再スタートを切るつもりが、いきなり泥沼にはまってしまってる。そこから引っ張りあげられるのは、野猿を助け出すことができるのは平山ちゃんと神波ちゃんの2人だけなんだ。頼む、戻ってきてくれ!」
「……石橋さん……。」
返答に困った平山の表情を見て。
「急に言われてもどう答えていいのか困るよな。……3日後、青山のダンススタジオで紅白の練習があるだろ。そん時に、最終的にどうしたいのか聞かせてくれ。」
立ち上がった石橋。がたん、と座っていたベンチが音を立てて揺れる。
『次の仕事があるから』そう言って石橋が去ってしまった後も、しばらく平山は動かなかった。手にしていた缶から徐々に温もりがきえていくのも構わなかった。
「……野猿にもどりたい……よな……、やっぱり。」
小さく呟いた言葉を聞きとがめたものはその場にはいない。
****************************
初めての『Be cool―紅白ヴァーション―』の練習日。久しぶりに野猿11人が勢揃いした。
「やっぱり、このメンバーの方が野猿って感じがするんだよなぁ。」
と心底うれしそうに言ったのは、飯塚。口には出さないが、他のメンバーも同じなのは表情を見ていればわかる。誰の顔にも笑顔が絶えない。
この日は平山と神波も堂々と参加していた。
平凡なスタッフから1人の役者、歌手へと切り変わる。そんな瞬間が、神波はたまらなく好きだった。自らが望んで入った裏方の仕事だが、それでも表舞台に立つことは、スポットライトを浴びるのはたまらない快感であった。
「練習を始める前に、ちょっと集まってくれるか?」
松村が声を上げた。
野猿の紅白出場を誰よりも喜んでいたのは、実はこの人かも知れなかった。自分のプロデュースしている番組から生まれたユニットが、ここまで人気が出るとは最初は想像していなかっただろうから。
「なんですか?」
思い思いに散らばっていたメンバーは集まる。
「君達は本当によく頑張ってくれた。まさか、紅白出場権まで手にするとは思わなかったよ。それで、来年からのことなんだけどね……。」
全員の顔に緊張が走る。
「私は、このままのメンバーで続けていってもらいたい。荒井くんの加入は賛成だ。そして、関口くんは……君らに謝りたいんだそうだ。」
「謝る?」
どっ!
「みんな、すみませんでしたっ!」
いきなり土下座する関口。
「僕のわがままからこんな大事に発展してしまって。……野猿は今のままがいい、壊すべきじゃないって気が付きました!……ですから、僕の野猿加入は白紙に戻してくださいっ、平山さんと神波さんを戻してあげてくださいっ!!」
突然のことに、11人全員がポカンと口を開けていたりする。顔を上げた関口は、頬を掻きながら言葉を続けた。
「どうやら僕はあまり歓迎されてないようですし……それに……正直言って、ついていけないんですよね。……なんて言うかな……えっと……野猿の全体の空気?どうもそれに馴染めないみたいなんで……。僕は今までどおり観客の方に戻ります。」
もう一度、関口は頭を下げた。
「……ということなら、決まりだな!」
石橋がうれしそうに平山の背中を叩く。
「こーなる予感はしてたんだよなぁ!」
木梨が神波の背後から飛びついた。
「「やっりぃ!」」
パンッ!と手を打ちあわせる星野と半田。
「「「「「やった、やった、やった、やった!!」」」」」
と手を繋いで小躍りしているのは、大原、高久、飯塚、網野、成井。
「俺達、本当に戻って来ていいんですか?」
こわごわと問いかけた平山に、『当たり前だろっ!』と大原が飛びついた。
「……俺、俺ぇ……。」
「あ〜あ、また神波が泣いた。」
笑いながら言う半田。
「泣く奴があるかよ。」
苦笑しながら、星野がタオルを投げる。
どった、どった、どった……
「……おまえら……何やってんだ……?」
「喜びの……おどり……ですよっ……。」
木梨の呆れたような言葉に、何故かコサックダンスを踊っている高久が答えた。その横に、飯塚と成井も踊っている。
「はいはいはい、早く練習始めないと紅白に間に合わなくなるぞ!」
石橋の声に、ようやく笑顔が戻った。
****************************
「戻れてよかったっすね。」
フジテレビの球体展望室にて。
神波は満面の笑顔で、隣の平山を見た。
「一時期は、本気で脱退覚悟してたからなぁ……。」
「俺もしてました。……でも、戻ることができてうれしいんでしょ?」
くすくす笑いながら平山の顔をのぞき込む神波。
「平山さん、表情に出すの苦手じゃないっすか?」
「そんなわけないだろうが。」
平山の手が神波の首に回る。
「こっ……のくらいうれしいよっ!」
「うわわわわぁ、ロープロープっ!」
ヘッドロックする平山に、じたばたもがく神波。
そしてその声はいつしか笑い声に変わった。