PC誕生秘話 2002年3月10 日



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バベージの階差機関

バベージの階差機関
 我々にとって今や必需品となったPC(パーソナル・コンピュータ)が最初に開発されたのが1971年ですから、かれこれ30年とちょっとになります。正確にはマイクロプロセッサと呼ばれたチップが世に誕生したのです。俗に言うCPU(Central Processing Unit 中央処理装置)の誕生です。

 ここまでお話すると
”ちょっと待て!コンピュータが誕生したのはもっと前だろう?”
と言われる方が居られると思います。
"そうです、あなた!良いところに気づいてくれましたね?"
そのとおりで、いわゆる電子汎用計算機コンピュータと呼ばれるものがこの世に誕生したのは、それから遡ること20年余の1946年のことです(奇しくも私の誕生した歳ですが(^_^;)汗・・・)

 それまでの計算機は歯車などの動きを応用しバベージの階差機関のように機械的に計算をしていたのですが、内部に全く稼動部分をもたず、約1万8千本の真空管を用いたENIAC(Electoronic Numerical Integrator and Calculator)、エニアックと呼ばれている汎用コンピュータが誕生したのです。ペンシルバニア大学で誕生し、主に大砲などの弾道計算や気象予報の計算などに利用されていました。


 そのエニアックがやがてどんどん進化をとげ一般的に汎用機と呼ばれる大型コンピュータが各方面で利用され始めるのです。

 世界的にはIBMが有名ですが、日本でもNEC、FUJITSU、HITACHI、TOSHIBAなど大型汎用機を世に送り出していますね?そして官公庁をはじめ、JR、銀行、大企業などで非常に重要な役割を果たすようになり、今やメインコンピュータがダウンでもすれば生活が出来ないと言っても過言ではありません。

 コンピュータを更に各方面で利用するため、小型化が進み大型機の入力端末や各オフィースで稼動するオフィースコンピュータ(略してオフコンなどと呼ばれていましたが・・)のようなものが出現しました。そしてついに我々にも利用できるマイクロコンピュータ(マイコン)あるいはパーソーナルコンピュータ(PC)が出現してきます。

 と書き進みますと、すっかり大型コンピュータをダウンサイジングしたものがPCであるような感じになり、その方がすっきりしますね?ところがとんでもない話で、PCは実は電卓がスケールアップしたものなんです!!
   しかもPCの根幹をなす、最初のマイクロチップの開発は日本の弱小電卓メーカーが、いまをときめくインテル社に設計を頼んだことに端を発するのです。

 その頃の電卓は大量のデータ−を高速で処理するために、ビット数が8ビットおろか32ビット、果ては64ビット以上とビット数の拡大に拍車がかかっていました。そして一つの目的のために一つのチップを設計して生産し、それを電卓に組み込んで発売していました。そのため新しい電卓を発売するごとに新しいチップを開発しなければなりませんでした。もっとも、それを商売にしていたチップの会社は結構繁盛していたようです。

   しかし、それでは目的が変るたびに無限にチップを設計開発しなければなりませんね?そこで、日本のビジコン社と言う電卓メーカーが画期的なアイデアを出したのです。つまり、できるだけ多目的に働くチップを設計し、接続を変えるだけで色んなことをしてしまうようなチップの開発です!! それで、このアイデアでアメリカのインテル社にチップの設計を依頼しました。
 インテル社はビジコン社の技師と一緒にその画期的なチップの開発に心血を注ぎました。しかし、やはりオールマイティなものを作るとなると、膨大な計算をさせなければならず、ビット数は 無限に増えて行ってしまいます。そしてコストも消費電力も莫大なものに成らざるを得ませんでした。

 そのとき、今度はインテル社の若い研究者から、またまた画期的なアイデアが出されたのです。計算の時間を多少犠牲にしても、繰り返し計算を行なえば、少ないビット数でも大量のデータ処理が可能で結果として少ない経費で処理が可能になると言うものでした。

 このアイデアのもとに必要最小限の4ビットで繰り返し計算を行うことで莫大な計算も実行でき、接続によってかなりのことを処理してしまうマイクロチップを完成させました。これが世に言う”4004”の誕生です。
 そして、インテル社は意気揚揚とこのチップを持ってビジコン社に納品に行ったのです。しかし、ビジコン社はこれを気に入らず返品し、多少当初の目的には達しなくても別の製品を選択したのです。
 さて、インテル社の方は手元に残ったチップの処理に困りました。しかし、よくよく考えてみればこのチップは使い方次第ではかなり有用なのではないかと気づくのです。そしてビット数を8ビットに増やして改良し、”8008”を完成します。これこそが、

現在普及しているPCの根幹をなすマイクロチップ誕生の瞬間でした!!

このチップを利用してプログラムが組める計算機を開発し世に送り出しています。私が最初にこのチップに出会ったのは、精工舎が作っていたSEIKO-S301と言う機械でした。
手回し計算機  1972年当時でしたが、その頃職場ではタイガー社製の手回し計算機が主流で、2台程しかない機械の取り合いでした。後は手計算と計算尺で処理するしかなかったのです。その計算機も単純な掛け算と割り算が出来ただけなのですが、それでもすごく便利でした。
手回し計算機

 しかし!!そこにS−301が登場したのです。単回帰分析でも、手計算なら2日、タイガー計算機では半日くらいかかり、しかも間違えたりしてたものが、たったの1分ほどで、正確に実行されるのを見た時この世のものではないと思いましたよ!!実際には結構複雑なプログラムを組む必要があり、数値の入力も必要でしたが、そんなものは問題に入らないと言っても過言ではありませんでした。プログラムは一度組んで保存しておけば何回でも使用できました。そしてプログラム次第で本当になんでも計算してくれるのです!!

 この記事をまとめるに際し、機械を探したのですが見当たらず、写真をお見せできないのが残念です。たぶんどこかに保存していると思うのですが・・・・。台数はあまり出てないと思うのでオークションにでも出せばレア物だと思いますがね。その当時、本体が80万円、カード穿孔機が20万円、付属品を加えると120万円くらいの価格で、車のサニーが約40万円の時代ですから、いかに高価だったか想像できるでしょう?ちなみに私の初任給、大卒で2万6千888円でした(^_^;汗・・・。何年働いたら買えたのかな・・



PC8001MKU

 プログラムはPLANE言語と言ってほとんど機械語でした。その後マイクロチップもザイログ社で開発したZ80インテル社8080などを搭載した機械が世界中で発売され、前後してソフト的にはマイクロソフト社からBASIC言語などが発表されてPCの第1次のピークを迎えます。日本では左の写真に示したNEC社製PC8001が有名で一世を風靡しましたね(写真は8001MKU)。

それから後はご存知のとおりで、チップもビット数が拡大し、ソフトも大変革を遂げて今に至ります。



最新式のサーバー機(本体は右下の箱)

 いかがでしたか?何気なく毎日PCに触っておられると思いますが、このような誕生秘話があったことに改めて驚かれるのではないでしょうか?だから大型汎用機とPCは似ていますが全くの他人であることにも驚かされるでしょう?

 それにしても、ビジコン社は本当に勿体ないことをしたと思うのですが・・・もし、その権利を持っていたら・・どんな会社になっていたでしょうね?

寺林様からメールで以下のような連絡を受けました。こんな記事を見てくださる人が居るのだととても嬉しく思いました。さっそく、連絡してここにメールを掲載させていただく許可を得ましたのでご紹介させていただきます。

捜し物をしておりましたら S−301のマニュアルがあり
ちょっと検索してみました。
SEIKO-301 若い頃3年程良く使いました。
ソフトもかなり作り 紙リーダに穴を開けよく使っておりました。
懐かしくなりメールしました。
当時S-301は、売れなっかたと記事を見ましたが
私の周りでは10台ほど見ました、自作ソフトの交換をした覚えがあります。
私の感覚とは異なりメジャーでは無かったのですね。
 
寺林

高価でもあり、あまり売れなかったと思いますが、非常に有効で関係の公共施設でも保有している機関は珍しかったのです。だから我がオンボロ研究所よりも立派な研究所から、プログラムとデータを持って計算に来てましたよ。その当時ちょっと自慢でした・・・ふふふ・・でも、今から考えるとほんとに良く買ってくれたものだと思いますねぇ・・(^_^;汗〜〜
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