水泳部韓国旅行

 

 水泳部の思い出として一番印象に残っているのが、1989年2月に実施した韓国旅行です。水泳部の活動も軌道に乗り、幹部の慰労も兼ねて計画されました。
 この旅行は一人当たりの予算1万7000円程度で、これぞまさに貧乏旅行の決定版でした。

行程

  徳山から山陽本線の各駅停車で下関まで行き、学割を利用して関釜フェリーで下関から釜山まで片道6000円程度だったと思います。夕方の6時に港を出て、部員から一人1000円集めてフェリーの個室を借りました。これは飲んで大声を出して他の客に迷惑をかけないで飲みたいとの考えからそうしたのです。

フェリーの中


 フェリーは対馬海流の影響で少し揺れていましたが、夜中の10時頃には釜山港に到着し、税関が開く翌朝の8時まで停舶しているだけで、実際は動いていないので船酔いもなく快適でした。韓国の安い(日本と比較して当時で350mlあたり130円ほど安かった)ビールを浴びるほど飲んで、レストランでビビンバを夜食に食べ、再び飲んで、ほとんど寝る間もなく朝をむかえました。

税関にて


 翌朝、税関を簡単な荷物チェックで通過したのですが、なぜか、N君だけ捕まり、長い時間がかかり、やっと通過したと思えば、ボディチェックの際に忘れ物をしたとかで、せっかく通過した税関を逆流する経験をしました。再度、通過して銀行の前でなけなしの小遣い1万円をウォンに両替しました。そこで5万ウォンを手にして随分リッチになった気分を味わいうことができました。

釜山・慶州観光

 古墳や寺院を見て回ったのですが、どこに行っても復元されたものばかりで加藤清正が焼いたという話を何度繰り返し聞いたことか。日韓併合の悲しい歴史だけでなく、豊臣秀吉の蛮行がいまだに韓国全土に爪痕を確実に残していることにショックを受けました。

ホテル

 ソウルオリンピックが終わったばかりでどのホテルも整備されており、魅力的でしたが、予算のない我々はコンドミニアムに宿泊しました。一人当たり3000円で部屋も4部屋。全室床暖房。当然キッチンもついていて快適でした。ホテルの下にコンビニがついていて早速買い出しにでました。立派なキッチンがついていても、簡単に食べられるのは、やはりインスタント食品。安いラーメンとハングルで書かれたパッケージを珍しがって、ロッテのお菓子を買い込みました。部屋に戻ってお湯を沸かし、インスタントラーメンへ。どこも同じの3分待って、ふたを開けるとそこには赤いスープが。一口食べるとひたすら辛い。腹が立つほど辛いラーメンをすすりました。数種類購入したのですが、すべて辛いことにはびっくりです。日本人にはやっぱりカップヌードルだと実感した瞬間でした。後はロッテのお菓子を肴に安い酒をたらふく飲んで寝ることにしました。寒い2月でも床暖房に感謝感謝。

買い物

 次の日は国際市場での買い物。部員全員がバイク乗りだったので目標はやはり革ジャンとなりました。活躍したのはN君で36万ウォン(当時日本円で6万2000円)と店員が教えてくれた黒い皮のつなぎが彼の値段交渉の結果、12万ウォン(2万4000円)になってしまいました。店員が泣きそうになっているのを目の当たりにして本当に気の毒。あとは偽ブランドを買い込み、ダンヒルのキーホルダーを1個100円で30個程度後輩達に買い込んで当時はよい買い物ができたと満足したものです。

焼き肉

 韓国でうまいものと言えば焼き肉。カルビ。この程度の知識は持っていたので、金をかけないで安く食べるには、観光客がいない地元の人が利用する店を探しました。ガイドブックに載っている店は日本語のメニューがあったりで、利用しやすいのですが、その分値段が割り増しです。地元の店は一人2000円程度で腹一杯食べることが出来ました。正直、あまり口には合いませんでした。Y君は貧乏な学生生活の習慣で出されたものは残さず食べる律儀な男でした。その性質は韓国においても如何なく発揮。焼き肉屋でも韓国の食卓になくてはならないキムチが出たのですが、韓国の中でも南にある釜山はキムチの酸化が進みやすく、それを防ぐために辛いことで有名です。彼はキムチの辛いことを怒りながらそれでも皿のキムチを食べ尽くしました。しかし、その20秒後には新しい皿で同じ量のキムチがテーブルに並ぶのです。その作業は3回程度繰り返されました。とうとう彼は諦め、キムチを残し、店を後にしました。帰り際にガイドブックで知ったことですが、韓国では食べきれないほど食べさせたことが相手をもてなした証で、全部食べてしまうとまだ足りてないと思い、新たに持ってきてくれるらしいのです。「もういらないのなら少し残さなければならない」。大いに勉強になりました。

感想

 同じ目標を持ち、一緒に頑張った連中との旅は貧乏ではあったけれど楽しいものでした。今では彼らも結婚し、子供もでき、それぞれの人生を歩んでいます。そんな今でもふと、苦しかったのに楽しかった学生時代とその友人達を思い出します。あの頃に戻りたいという強い願望を抑え、今はもう一度同じメンバーで同じ場所を旅したいという夢を持っています。それが実現できる日を生きる糧として日々の生活を送ろうと思います。それぞれの空の下で遠く離れて生活はしていても。

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