池  田    宏  1933.01.01生(申年)    妻     伸子  1939.04.13生(卯年)

◆わがノスタルジャー◆

1933.1.1 兵庫の伊丹の呉竹町にて誕生し、昆陽池あたりの野原を駆け回り、宮祭りの山車の暴走、夜店のガス灯、夏にはお宮のもりで蝉を追っかけた。小6の春、音楽の実技テストで和音とやらで「はい、ロッキード。」「違います今のはボーイング。」これを最後に父親は満州へ、後の家族は岡山の城下町高梁へ。伊丹小学校では、宇杉の肉屋の男の子、新伊丹の寺島という大邸宅の坊ちゃんと同級生で仲良くしてもらった思い出がある。大昔の同窓会でもあれば呼んで欲しい。年を重ねるごとに湯水のごとくいろんなことが思い出される。
備中高梁で、旧制中1年の夏、確か夏休み中も開墾作業等があってその合間にちょっとだけ勉強し、あす漢文の試験(先生のあだなは「ぎょろ」)という日に陛下の玉音を聞いた。すぐに友だちとナイフを用意した記憶ある。そのころの我が弁当は、麦飯のなかへ米をそっと入れて炊いたのをアルミの箱に詰めてくれた。自給自足のため現在地の川上町へ移り住み(父の故郷)5里道を自転車で通学したが再生ゴムのタイヤが1週間でパア、空気を入れないタイヤをつかって、わがあだなが「ノーパンの池」、でも悪友もでき、結構楽しかった。ラブレターの代筆やら友人の尻拭いやら、これまた、勉学のさまたげの道をつき進んでいた。今年の正月、思いがけないことがあった。このHPの上記の宇杉さんのご子息が検索されEメールをいただき、その後本人さんからも随筆集をいただきなつかしく読ませていただきました。 人気者の愛称キーちゃんが駅の掃除を手伝って塚口まで電車にのせてもらっていたのを思い出します。