浄光寺の由来 |
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『和気郡史』によると、現在の伊里中の裏山深く に真言宗鳴瀧山観音寺が存在していたが、中世 の戦乱でお堂も廃退して運慶の正作・聖観音像 (現存)のみ残って草庵を結んでご安置してい た。 そのお寺は元亀四年六月十七日(一五七三年 ・ 安土桃山時代)に山を下り浄土真宗に改宗し 「浄光寺」となった。 慶長十九年に僧教順が播磨 國姫路福中町善教寺より来住し本堂再建し開基と なったと伝えられる。 本堂には赤松円心公の守り 本尊・一尺丈の阿弥陀如来木像がご安置されていた。 その木仏は現在も阿弥陀如来本尊像の胎内仏 として現存する。 現在の本堂は昭和五十八年五月に再建落慶された。 なお、浄光寺の由来には諸説があり、浄光寺に残 されている「浄光寺縁起」は和気郡史と異なる。 |
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浄光寺歴代住職 |
浄光寺宝物 |
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◇浄光寺縁起による歴代住職◇ 開基 教 順 明応五年(1496) |
●運慶正作聖観音像 ●赤松円心公由来阿弥陀如来木像 ●赤穂浪士勝田新左右衛門所蔵お椀 |