ま  ん  ぷ

 

美作町稲穂にまんぷと呼ばれる農業用水がある。これは稲穂に「新池」・「古池」・「蓮池」と3つある溜池のうち1番大きい新池に水を入れる用水路である。池から下に7ヘクタールの水田の水を新池を中心にまかなっているが貯水量が少ないため周りの山の反対斜面に降る雨もこの池に入れようと地主のみんなと相談して溝を掘った。深さ20センチ・幅30センチの溝が延長15キロメートルもある。

明治の中頃元湯郷村の村長もした安藤茂生(もしょう)が中心となり稲穂・則平の耕作者が農閑期に3年の年月をかけて行った。昔の田舎のことゆえ現在のような道具はあろうはずも無く水路の勾配を出すにも住民が夜ちょうちんを持ち山に入りそれを下の田んぼから見て位置を決めたとも言われているが、夕立か大雨のときにしか流れることは無かったと思われる。しかしこの工事で最も苦労したのが池の手前の山で、溝を掘ることができなかったためトンネル(茶色の部分)にした。このトンネルは『まんぷ』と呼ばれ長さ46メートル・高さ1メートルで人がやっと通れるくらいの素掘りのトンネルである。掘り方は山の両方から掘り進み中ほどで少し食い違っているが46メートルを手で掘り、出た石もすべて人力で運んだと思われる。

 

まんぷの入り口周辺

まんぷの中

 現在はポンプ等の機械が発達しこの『まんぷ』が当時のまま使われることは無いが、新池の水が少なくなると山の反対の長内川からポンプアップしてこの中を通している。このときは『まんぷ』の中を水が流れています。 

まんぷのいわれ
手でトンネルを掘り延べ1万人歩かかったから「万歩」(まんぷ)。
鉱山などの坑道を「まぶ」といいこれがなまってまんぷ。
の二つの説があるが定かではない。

 

現在の新池

後述

この「まんぷ」は現代においても大変立派なものであり、当時の稲穂地区だけでなく美作地方の農家の稲作に対する思い入れがうかがわれます。今となっては先人達の残した尊い財産(まんぷ)も書き記した書類等は全く残っておらず言い伝えと現物しかないが、我々が保存し後世に伝えていかねばならないものの1つであろうと思われます。このため毎年美作第一小学校の4年生の児童が授業の一環として見学に来られます。

なおこの「まんぷ」を作成するにあたり稲穂の安藤俊介氏にはひとかたならぬご協力を頂きました。本当にありがとうございました。