■明日へはばたく栄養士一現場からの提言一■
自分らしさを実現したい
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「どうして栄養士になったの?」と、よく人に尋ねられる。私は決まって「自分を表現できて、自分を向上できるのが栄養士の仕事なんです」と答える。 私は高校生時代、「ただのサラリーマンじゃ、おもしろくないなあ」とぼんやり考えていた。当時の私は栄養士という職業は女性特有と思い込んでいたので、「男の僕がすると少し違ったものが出来るかもしれない」と思ったものである。 学生時代クラスは56名で、男はなぜか私一人だった。講義や実験中にわれに返り、「今、この中で男は僕一人か」と思うことも少なくなかった。その気を紛らわすためか、バスケット部と軽音楽部に属し、学友会会長や学園祭実行委員長もした。長期の休みにはバイクで日本国中を走り回り、各地の風土と人に触れ、必ず名物のおいしい物を食べ歩くといった具合だった。そんな中、1年間の病院実習における経験が、栄養士の仕事を一生しようと決意させてくれた。自分の興味のあることを一生懸命することで、人を喜ばせることが出来る。笑顔のためなら自分のすべてを尽くしたいと感じるようになった。学生時代に栄養士としての知識や訓練だけでなく、さらに栄養士という職業の魅力を諸先生方から習った気がする。 卒業後、委託会社の研修生として上京した。そこでは公衆栄養部門を軸として、経営面や合理的な集団調理を学んだ。その後、老人病院を半年、第1回の管理栄養士国家試験合格後、故郷に戻り1,200床の総合病院で6年3ヵ月を送った。24歳の時には、栄養士のための米国見学ツアーにも参加し、カルチャーショックを受けた。その頃から、私の中で気になり始めたことがあった。(1)生活習慣病の人が増加している。何とか予防できないか、(2)最初は軽度でも時の経過と共に悪化していく人が多い、(3)高齢社会に伴い、何らかの病気を持ったまま長生きする、の3点である。 そこで、(1)元気な人を病気にさせない、(2)病気を持つ人を改善する、(3)健やかに長生きし、人生を楽しんでもらう。これらの思いが今の私の原動力である。 現在は、19床の有床診療所と99床の老人保健施設、スポーツ施設のある併設の無床診療所における栄養部門を担当し、入院・外来・訪問・集団指導に加え、THP(Total Health Promotion Plan)等、幅広く担当して対象者に合わせた異なる職種でチームを組んでケアしている。また、地域の方々を対象に毎月行っている教室は、栄養と運動をセットで行い、時には地域のコミュニティセンターで調理実習や試食会を行っている。和やかな中で、意識の改革にとどまらず、自分のために行動を改善し始めている方も少なくない。 また、老人保健施設と初めて出会った私はショックを受けた。最初は何をしていいのか分からなかった。しかし、高齢者と接しているうちに取り組むべきテーマも少しずつ発見し、今では他職種とチームを作って研究会等を行っている。さらに、年に1〜2回は、県内の老人保健施設の栄養士の方々と情報交換する場も持っている。今後も前向きに、多少無理もしながら、頑張っていきたい。 |
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1986年 |
川崎医療短期大学栄養科卒業 日本給食指導協会給食実務研修所 武蔵野台病院 |
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1988年 |
(財)倉敷中央病院栄養治療部入職 管理栄養士登録 栄養士のための米国研修ツアー参加(財)倉敷中央病院栄養治療部副室長 |
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1995年 |
(医)青木内科小児科医院 産業栄養指導者登録 ヘルパー養成講座講師 |
| 1998年 | 介護支援専門員登録 |
| 1999年 | 岡山県老人保健施設協議会 栄養支部会代表 岡山県栄養士会インターネット委員 山陽放送 Voice21に出演 |
| 2000年 | 岡山県栄養士会 福祉協議会副会長 ヤングアダルトのための ヘルシークッキング開始 |
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白黒写真ですみません。 この写真は月刊釣り情報広島・山口・山陰版 98年6月号に掲載された時のものです。 |