北海道・札幌国際スキーマラソン出場記   難波三千代
・ 2月12日のこと
 夕方から雪。岡山県北部には大雪警報も出て、明日の朝はどうなるか心配な天気。朝6時にわたしの住んでいる久世から岡山空港経由で岡山市に行くバスがあることがわかり、それで行くことに決めました。
・ 2月13日 予定通り早朝6時のバスで岡山空港へ。
 まるで自分のために用意されたバスといった感じでした。(実際、岡山空港で降りたのは一人だけでした。)運転手さんに、「このスキーは軽いけど、クロカンのスキーですか?」と聞かれ、「はい、これから札幌スキーマラソンに行くんです。」と言うと、「がんばってきてください。」と励まされました。 空港で、倉敷から参加する高島さんと森山さん(同じ岡山原人クラブのメンバーで今回25kmに参加)に会いました。札幌まで、同じ飛行機です。

・ 受付会場(札幌市民会館)で
 50キロメートル女子の参加者数は65人程度ということが受付の番号表示をみてわかりました。「えっ、もしかしてこれだけ?」という感じで、50キロに申し込んだことをちょっと後悔したのでした。でも、湧別原野の85キロはクリアーしていたので、何とかなるだろうという気もしていました。(このときはまだ札幌のコースの厳しさはまったく知らなかったのです。)
  そのあとニッセンスポーツにいき、手袋やサングラス、ウェアーなどを購入しました。ホテルに行き、朝食が7時からでは朝の真駒内で忙しくなるのでホテルの近くのローソンで朝食代わりのパンなどを買って次の日に備えたのでした。 ホテルで寝過ごしてはいけないと思い、モーニングコールと目覚まし時計をセットしておやすみなさい。でも、緊張のあまり?夜中に何回も目が覚めてしまいました。

・ そしていよいよ14日……。
 セットしていた6時より10分ほど早く目が覚めました。軽い朝ご飯をすませて、いざ、真駒内へ。地下鉄を降りてバスに乗るところで、ばったり倉敷から来た高島さんと森山さんに出会いました。前日、もうたぶん会えないだろうと話して別れたのですが。
 羊が丘展望台について、更衣室(プレハブの建物)で着替え、たいした物は入っていないからと荷物はそのまま置いておくことにしました。またパンをぱくついていると、隣に座っていた人が、「バナナがあるけど、食べますか?」とか、「50キロに参加するんですか。すごいですねえ。」と話しかけてくれました。このときもまだ、「岡山から来て25キロでやめて帰るのはもったいないかなあと思って。」などとのんきなことを言っていました。  スタートまであと15分というところで、スタート地点に並びに行きました。「中級者」という立て札の元のあたりに並びました。そこで外国から来た人にいきなりカメラをわたされてしまいました。家族でこられていたみんなを写したのですが、うまく写ってなかったらごめんなさい。このたくさんの人の中に、メーリングリストに書いている人もいるのかなあなんて思ったりして。

・スタート!! そしてゴールまで。
 最初はスタート合図があっても止まっているようなものです。ぞろぞろと動き始め、しばらくはスケーテイング禁止なのでレールの上を進みます。ワックスはあっているんだかどうなんだか?  登りがあると止まってしまいます。休めてちょうどいいんだけど、4時間で30キロの関門がクリアーできるかどうかが気になります。
 しばらく行くと、すぐに25キロの人たちがやってきます。「ガンバでーす!」といわれて横をみると、更衣室で隣にいた人でした。速い!
 下りの手前でも止まってしまいます。2列で並んで止まっていると、間を人のスキーをバタバタと踏んでいく荒っぽい人もいたりして、「それはいけんで。」と声をかけている人もいました。
 なかなか10キロにたどりつけません。湧別ではだいたい1時間で10キロという計算をしていたので、1時間たった頃にまわりを見ても、10キロの表示なんてどこにもない(たぶん7キロくらいしか進んでなかったのでは?)。まだかまだかと思って1つめの給食所にやっとたどりついたときにはすでに1時間30分(?)が過ぎようとしていました。
 このままでは関門がクリアーできないのではと心配になるし、周りを見てもピンクのゼッケン(25キロ)がほとんどで、白のゼッケンはちらほらとしか見えないのでますます不安になってきたのでした。
 あとはあまり覚えていませんが(惰性で足をうごかしていたということ)途中25キロのコースと別れてからの下りではじめて、ほんとにいい天気だとおもったのでした。人影もまばらで、気持ちよくは滑れるのですが、やはり問題は関門がクリアーできるかどうかということでした。
 しばらくいくと、「自分は79歳で、この大会で最高齢だ。」というおじいさんといっしょになりました。「関門がクリアーできるでしょうか。」というと、「まあ、だいじょうぶでしょう。」といってくれました。「そうかなあ。」と思いながらもひたすら前へ、前へ(という気持ちだけ。)。いつかメーリングリストにどなたかが書かれていたとおり、本当に変化に富んだなかなかのコースだなあと思いつつ。途中、前にも後ろにも人が見えないところもあって、それはそれで楽しかったのです。
 やっとのことでたどり着いた30キロ地点。係の人が、「30キロでやめる人はこっちのコース、50キロの人はこっちのコースにいってください。」と指示をしてくれます。「ここまできたんだから行かなくては。」と思って50キロのほうに進みました。そこで「難波さん、がんばって。」と声をかけられました。「はーい!」と返事をかえしたものの、ゼイゼイ。全く知らない人でしたが、ゼッケンを見ればすぐにわかるのでしょう、声援はうれしくて、気持ちは張り切るけど、足の方は……。 給食所で軽くパンやバナナをいただきました。時間がたってもう堅くなっているバターロールがとてもおいしく感じられました。バナナもあと残りわずか。
 時計を見ると12時半を過ぎていたように思います。「これからがきついですよ。」といわれて、ちょっとだけ、「もう、やめようか。」と思いましたが、また気を取り直してがんばることにしました。そこの給食所でいっしょに休んでいた人が8人ぐらいいたからです。でも、30キロ地点をスタートしてからの登りはきつかった!休憩したあとの登りは足にきます。
 またしばらくいくと、そばを滑っていたおじさんが、「がんばってますねー。はじめてですか。」とか話してくるので、「なんか、すごいコースですねー。こんなの、初めてです。」というと、「これは選手用のコースだからなあ。自分も、年を考えたらクラシカルに変えた方がいいんだけど。でも、ゴールしたら病みつきになりますよ。」などと話してくれました。「オリンピックとかの選手の人が走った後を行っているのか。」などと思いながら行っているうちにまた給食所にたどりつきました。そこでは、「自分は19回目の挑戦だ。」というおじいさんがいらっしゃって、給食所の人が、「本間さんですか?」と言っていました。すごい!有名な方なんですね。
  ここの給食所のすぐのところの下りもすごい!短いけれど、上から見ると、「えーっ、こんなところをすべるん?」という感じです。何とかクリアーして、また、だらだらと。  途中、「ここを登り切ったら後は平坦になりますから、がんばってください。」と言われて、また、だらだらと。 本当に平坦にはなりました、たぶん。ここまでくると、ますます人影はまばらになります。下りはまた元気を取り戻してそれなりに快調でした。このままだと、なんとか7時間以内にはゴールできるかなあと言う感じでした。最後の給食所ではもう、ゴールが見えています。「あと少し。」と思ったのですが、また、「最後の2キロはきついですよ。」といわれて、「えーっ。」と思ったものの、もう、行くしかない。カメラを構えている人がいたので、「ここは板をすべらせなくっちゃ。」と、いきなり自己顕示欲がでてくるのでした。
 ゴールを目前にしながらのだらだらの下り。下りなのにあんまり滑らないような気がしました。それからまただらだらの登り。よたよたのスケーテイングもどきで登り切ると、また下り。そしてまた最後の登り。何語かわからないけれど、「がんばれー。」というような声をかけてもらったので、「はーい!」と返事をしてやっと登り切りました。ゴールが登りというのはとっても大変です。最後くらい(自分では)かっこよく滑りたいと思うものの、もう、ほんとによれよれ。タイムもたぶん6時間24分ぐらいだっただろうというぐらいにしか覚えていません。
 制限時間内にゴールできたことはできたんだろうと思うのですが、時間や距離については、覚えるのがあまり得意じゃないので。途中の経過もあんまり正確ではないかも。 ゴールしてパンやホットカルピスをいただいてほっと一息。普段はカルピスを飲むことなんてめったにないのに、とてもおいしかったです。
  更衣室に行くと、ロッカー代わりのスチール棚はもうほとんど片づけられていました。残っていた荷物はあと4〜5人分だったでしょうか、急いで片づけて真駒内行きのバス乗り場に行きました。

・ 終わってから思うこと
 終わってみると、おもしろかったです。またいつか、今度はもっと楽しく気持ちに余裕を持って参加してみたいです。途中であったおじさんが、「病みつきになりますよ。」といったのがよくわかります。  今回、やった!と思ったのは、1度も転ばなかったこと・給食所以外では渋滞しているところをのぞいて、立ち止まらなかったこと(周りの人からは止まっているように見えたかもしれませんが)かな。とにかく、スキーをはじめて20年以上たつとはいえ、大会参加を含めて年間に4〜5日ぐらいしか雪の上に立てない者が、あのきついコースを無事に完走できたことはうれしいことだと思うのです。
 何よりも天気が良かったことは救いでした。 そして、準備(飛行機の手配からワックスまで)万端ととのえてくれたtakashiにも感謝しないといけないですね。それから、niftyの会議室やクロカンのメーリングリストでいろいろな情報をくださった方にも、お礼を言いたいと思います。
 ありがとうございました。  また、機会があれば、というより、ぜひ、機会を作って行ってみたいと思っています。  結果は6時間24分58秒。女子では34位だそうです。
                                                                                     おわり

  右が私michiyo、左takashi(湧別原野85kmコース)
                                      写真提供:丸瀬布町 千葉 憲男 さん


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