ラーメンが与えてくれる幸せ
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1.はじめに

 ラーメンの論文を投稿するにあたって、自分はいつからラーメンが好きになったか、 何でラーメンが好きになったか、そんな事を思い出すと同時に、まず伝えてみたいと 思い考えてみた。でも思い出せない、いや正確に言うと思い出せるはずがない。本当 に好きな物に理由なんて無い。何時からか何処からかなんて理屈じゃないんだ。自分 がお勧めのラーメン店が、たとえ他人にどう言われても好きなように、私の中での ラーメンと言う存在には言葉では言い表せない部分がとても多い。
 ただ、学生の時から何かと私はカップラーメンが好きだった。その時は今みたいに ラーメン店にコツコツ足を運ぼうにも足も無ければ金も無い。それがいつしか、アル バイトをするようになり社会人になり..それと同時に人付き合いも増え、ラーメン店 の噂や話をすると同時に雑誌やインターネットで情報を仕入れるようになり今の私が あるように思える。私が成長していく度に知らず知らずの間にラーメンはいつの間に か私の身近な存在になっていた。

2.学生時代のラーメン

 今思えばラーメンは、一杯が500円前後が主流であり(あくまで個人的推測)社会 人になった今の私から言えば気軽に食べれるものであったが、学生時代はご馳走だっ たのだ。
思い起こせば友達と自転車をこぎ、小遣いを財布に入れラーメン屋で真剣にその一杯 を口にする、その時の店は今もある、玉野市の「くるまや」さんだ。友達が「味噌 ラーメンが美味いんじゃ」と当時、サッポロ一番の味噌以外はラーメンは醤油が主流 だった私に味噌の味を教えてくれた。

そして次にラーメンが今みたいに時間をかけてまで食べたいとまで思わせてくれたの が専門学校時代の「天神そば」である。岡山の事情なんてその時は何も知らずラーメ ン屋なんて分かるはずが無い。
たまたま路面電車で岡山駅に向かう時、一緒に帰途に着いた専門の同級生だった一人 の男の人の存在が、今の私のラーメンの価値観や考え方を変えたと言っても過言では 無いだろう「小腹が空いた」という私に「美味いラーメン屋があるけど行く?」と案 内してくれたのが、この店だ。
その当時、食べ歩きなどもしておらずラーメンの判断の絶対的なハードルが低かった 私にとって、あの当時のあの店の一杯は強烈だった。とにかくここが食べ歩きの原点 になったであろう「他にも、もっと美味しい店があるかなぁ?」と言う好奇心と共に

3.醍醐味

これを読んで頂ける皆さんは、きっとラーメンが好きなはずだ。でも美味しい一杯と めぐり合えた事に付け加え、その喜びを増幅させてくれることがある。
私のラーメンの醍醐味と勝手に思い込んでる物だか2つある。
それは「自分好みの一杯」と「作り手とのコミュニケーション」だ
常連になった時に店主や店員が自分の好みを覚えてくれる事。これを体験した人は、 かなりの優越感に浸れたのではないだろうか?勿論、何度も食べに行かねばならない し、店員とのコミュニケーションも大切である。
が、麺のゆで方からスープの濃さ、しいてはトッピング等と幅広いが、その店に通う からには、やはり好みというものがあるからではないだうか?それがピンポイントで 合っていれば食べる方として喜びこの上ないと私は思う。
さらには、常連独特のおまけなんかも優越感に浸れる。麺が多いとかチャーシュウが 多いなどの事だ。

そんな事があるから、私は失礼な言い方かもしれないが美味い店は店主や店員に声を かけるようにしている。「美味い」と言われて不機嫌になる店主や店員なんて居な い。むしろ美味い店で無愛想と言うのも中々見つからない。「美味い」と言うと店員 も喜んで会話が弾む。
人が作り出すものである以上その人柄も含めて、その店としての味になっているので はないか?私はそう思う。だからこそ作り手とも信頼関係を結びたいのだ。その店の ラーメンの味を信頼してお客が足を運ぶのと同じように。

4.新しい味との出会い

つい最近の出来事だが、笠岡ラーメンが私に衝撃を与えた。ラーメンのチャーシュウ の代替品で鶏肉がのっている。笠岡では主流であり特別珍しい事ではないが、豚肉だ けがチャーシュウと思っていた、いや思い込んでいた私には新しい風が吹いた気がし た。それを知るといてもたっても居られなくなり車を一路笠岡へ。「みやま」と「坂 本」この二店は対極的だが、とにかく美味い。
鶏がらを一切使わず魚系だけのダシの前者は油が甘く、平打ちの麺によく絡む。スー プと麺の相性もとても良い。ガラを使わずこれだけの味を出した店主を褒めると店主 いわく「いやーお客さんを騙しとるだけなんよ」との謙遜の声。人柄もよく店主の心 意気が伺える。それに、こんな騙し方なら大歓迎である。何故ならばこの騙しには妥 協や手抜きが感じられないからだ。

対する後者だが純正の鶏ガラというだけあって、スープがスッキリしていて美味い。 煮鳥も食感がコリコリしていて程よい噛み応え。若輩者の私が言うのも何だが、何か 懐かしい味がする気がした。
店主は頑固おやじみたいな老店主だが、こちらもテーブルに丁寧に案内してくれ挨拶 もきちんとしている「当たり前の事がきちんと当たり前に出来ている」店だ。
そんな二店を筆頭に「おっつあん」「一久」等と、笠岡独特の店もあれば「とんぺ い」のように笠岡での独自路線を行く店もあり、これからが楽しみな限りであり期待 している。。

5.最後に

人に出会いと別れがあるようにラーメンにもそれと同じ事が言える。美味しい店が出 来ればそちらに行き、今まで通っていた所にも行かなくなることもある。今月も何処 かでまた新しいラーメン店がオープンしその陰で消えていくラーメン屋ももる。
ラーメンは音楽の様な物。麺とスープがボーカルとミュージックなら、その2つを盛 り上げるトッピングが演奏者(バックバンド)であり、それを束ねるのが指揮者たる 一杯を完成させる店主なのかもしれない。例えは悪いかもしれないが、一番主張した い事はどれが欠けても、どれを手を抜いても決して良い物は出来ない。
でもそれが見事にマッチした時に、美味い一杯が出来上がるのだ。そんな一杯に出会 えた時を思い出してみてください。満足して店の暖簾をくぐって外に出た時。ラーメ ンがあなたに幸せを与えたのではないでしょうか?