結婚式とラーメン
ブーちゃん 

 もう10年も前になるでしょうか。同僚と1ヶ月をかけて東北地方六県史跡巡りと食べ歩きの旅をしました。当時、外資系企業に勤めていたので、そうした夏期休暇が取れました。何でも手に入れてくるのが自慢な総務部の私は、系列のボルボから社有車(新車)を無償で借り受け、更に系列各社から期限切れ間近の宿泊券を無償で得るなど恵まれた旅行でした。
 その土地の味覚を満喫し、温泉に浸かり、祖先が残した城跡や古戦場を巡りました。そこで感じた事の中に、東京の味覚って東北なのではと言う事でした。札幌オリンピックで味噌ラーメン店が進出するまで、東京もラーメンと言えば醤油ラーメンでした。ただ当時から荻窪は独自の醤油味のラーメンを既に確立していました。江戸時代から長野、山梨県出身者の方が多く住まわれた地域だったからだと言われています。スープは、蕎麦屋系統の魚類系と、中華店の豚肉・豚骨系の2種類でした。共通なのは、共に澄み切っている事です。

 ところで、高校受験の頃に知り合った岡山県人の気質というか、優しさに触れ、いつかは訪れたいと思っていました。それから15年間、その岡山県人との友情は続き、いつの間にか恋愛に発展。結婚の承諾を得るため、生まれて初めて岡山の地を訪れる機会に恵まれました。小雪の舞い散る夜、家内のご両親に岡山駅まで見送られる際に、体が冷えてはと誘って頂いたのが、奉還町の浅月でした。
 細長い店内、お世事にも綺麗とは言えませんでした。小雪が舞っているとは言え全く客も居らず、大丈夫なのだろうかと思いました。ただ、腰の低い店主らしき方の注文の取り方に、緊張続きだった心が休まる思いがしました。「ラーメンが出来るまで、おでんでもつつきましょうか」と義父さんに誘われたものの、ラーメン屋におでんが置かれている事に理解が出来ませんでした。最初に食べたそのおでんの味は醤油味。東京でおでんと言えば塩味なので面食らっているところにラーメンが運ばれてきました。
 最初に含んだその味は、今でも忘れられません。東京の味に比べて、やや甘くまろやかな味わい。彼女の下宿先を訪れる度に味わう味付けと、どこか共通しているところに、私なりの満足感を感じました。

 さて結婚式ですが、その後、武家風の質素な結婚式を主張する当家と、彼女の実家の主張する結婚式のやり方が衝突。折り合うまで、それから何年も、十数回も岡山を訪れる事になろうとは、未だその時は知る筈もありませんでした。義父と衝突した時に行くのはラーメン屋。家内の弟や妹もラーメン好きであったので、両家の対立を他所に、家内の兄弟たちとはラーメンが共通の話題となって大の仲良しとなりました。結局、結婚式は彼女の実家に押し切られ、私の好きな岡山で挙げる事になりました。その間、唯一理解を示していただいた彼女の御婆ちゃんが亡くなり、私も日本の企業に転職するなどの変転がありました。

 今こうして東京で、岡山のラーメン(大統領)を口にして思いに耽るのは、こういう事があったからです。