昭和63年に書いた論文で、「日本女性の開放度は?」がテーマである。これは産経新聞が募集したもので、入選2人、佳作2人の中には入らなかったが、最終審査に残った応募者として新聞に名前が載った論文である。
これは今なお議論されているテーマであり、今後も続くテーマである。今や書かれているデータは古いが、思想としては私の中にあり古くない。

女性個人には束縛はない、だが組織の習慣が邪魔をする

現代の日本において、人としての権利や義務に男性と女性との間に開き等などないことは承知の事実である。 しかし、「女だてらに」という女性に対する見方や「女だから」という女性としての規範等、社会一般の習慣は今でも根強く残っている。 日本女性の開放度を考える時、国際比較もあろうが、国内だけで見る限りあくまで昔と今との比較と男性との比較であろう。 また、女性がより解放されていないのは男性からの解放ではなく女性に対する見方や女性としての規範等の社会一般の「習慣からの解放」であり、今ではそれは特定の分野に限られているといえよう。

「女だてらに」の見方と、「女だから」という規範は、今の女性の個人生活や日常の家庭生活にはあまり見受けられないが、働き場所としての職場や、居住地など地域や政治の社会では、遺憾ながらまだ生き続けていることは事実である。 だが、そこにも近年大きな変化が現れていることは確かである。

女性の個人生活を覗いてみる時同じ年齢で昔の女性と二十年前ぐらいを考えるとして、今の女性では比較出来ないほど大きな変化と進歩がある。 昔はことごとく男性と女性の間に開きがあったが今はあまりない。 たとえば、今は読む本、聴く音楽、見るビデオ等その種類を取り出しても「女だてらに」の見方も「女だから」の規範もない。 こんな場面で、今の男性と女性との間に開きを見付け出す作業は誰でも苦労する筈である。

日常の家庭生活でも、いわゆる昔風の父親がいて、子供に対して厳しく躾をし、言い付けている家庭がどれほどあるだろうか。 「女だてらに」なにするな、かにするなと教育しているだろうか。「女だから」ああしろ、こうしろと指導しているだろうか。 あるとしても娘に対して「女だから」あまり夜遅くまで、外で遊んでいてはなりませんぞといった程度の注意であろう。 この言い付けが娘たちに守られていない事実は深夜の酒場りを見れば誰でもすぐに納得がいく。夜の十時十一時、もっと遅くまで、華やかで身軽な着に膝上高いミニスカートをはき、一人あるいはグループでネオン街をかっぽしてる娘達のなんと多いことか。 このように個人の生活態度からして現在の女性がそれ程、束縛されているとは思えない。

ところが、職場となると少々様子が異なってくる。その原因は職場の仕組みが男性中心だからだ。 「女性だてらに」という言い方と「女性だから」という見えず語ずのこれまでの習慣がある職場において、女性が要職のポストを取ることはなかなか困難なことである。 だが事実、総務省による就業構造の調査結果では全国の民間企業の女性役員は、今から六年前の昭和五十七年には四十八万人であったが、六十二年には六十二万人に達しており、年々の女性の活躍の実態が報告されている。 このように、女性が職場の中で要職に就ける可能性は決して閉ざされている訳ではない。 だが、職場内の現実となると未婚の女性に対しては、いずれ結婚して止めていくだろうという何らかの想定がある。 そして、同年代の男性に教えても、その未婚女性に教えない事柄もあり、知らず知らずのうちに指導方法にも開きが出るのも事実であろう。

政治の世界に目を向けて見ても、確かに議員の数は女性が少ない。たとえとして、衆参の議員数を引き合いに出すと、八年前の昭和五十五年六月の選挙の結果では衆院議席数五百十一内の女性は九人であった。 参院では議員数二百五十一に対して内女性は十七人。 昭和六十一年七月の選挙結果では衆院五百十二人の内女性七人。参院の議席数は二百五十一人の内女性二十二人である。 だがしかし、これらの結果は今、少ないのであって当然のことだが少なく決められている訳ではない。

職場、特に社会組織の中では要職のポストに就かせろと運動するもの一つの方法であろう。しかし、なんといっても社会は一口にいえば利益を追及してるのだから、「女性だてらに」とか「女性だから」等と考えていないので、女性だけが集まって組織化し会社をつくれば要職に着けるポストはその分だけ用意出来ることになる。 近年女性だけで組織た会社があちこちに生まれマスコミに登場していることからも、これは十分可能性ある。

一方、会社などの組織では男性も女性も女性に対する意識の改革を行うべきである。行動力あるトップなら自分自身の意識改革一つでいとも簡単に組織全体を変えられる。 それに、結婚しない女性や結婚しても子供をもうけない女性が増えている社会傾向のある今日、今後ますます意識改革を迫られる機会が増加するでだろう。

また市町村の議員、県会議員や国会議員これからの議員に女性を増やすことも出来る。その方法は選挙の際、敵数の女性の候補者を立てて女性が全員、女性の候補者に投票すれば十分可能となる。 五、六割の投票率しかない昨今の選挙では、女性だけがもっと投票すれば女性議員数の方が男性選議員数を上回ることだって実現可能である。

組織内での意識改革の方法は各個人が自分より少し下の人の意見や行動を参考にするのも一つの方法だと思う。少し若い人例えば五歳下の人になら考えを合わせられるだろうし、より若い人ほど男性と女性との間の拘りは少ない。 こうして、順繰りに若返ることにより女性解放度はさらに上昇する。こういう方向へ進むことによって女性の見方にも規範にも進歩が期待出来る。

もし、女性が解放されてない分野があるならば、その分野の解放方法として、まず「女だてらに」という女性に対する見方や「女だから」という女性としての規範を全て捨て去ることである。 次に、どんな場面に遭遇しても決して妥協しないで「男性と女性もない」という判断基準で物事を考え、その決定に従って行動し、結果を評価することである。 そうする努力を重ねることにより、近い将来女性の解放度なる言葉をも、死語にしてしまうことが出来よう。


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