これは平成6年に書いた作文で「津山地域の発展を目指して!」がテーマである。岡山県津山地方振興局が作文募集したもので、優秀作品5人の中に入った。 今なお議論されているテーマであり、今後も続くテーマである。 今や、書かれているデータは古いが、思想としては私の中にあり古くない。

「進めよう! 六つの道づくり」

津山地域は平成五年四月に国の地方拠点都市地域に指定された。この基本計画に盛り込まれている津山駅周辺、津山市中心市街地、津山市北の街等々の開発の他に、高度教育研究機関の整備、ファーマーズマーケット整備構想等に代表される様々な計画は、どちらかと言えば、これまでに解決処理されていなければならなかった部類の課題であり、決して目新しいとは言えない。 夏休みの終わり近くに子どもたちの宿題がたまって急ピッチでこなす光景に似た二十世紀末の宿題の処理と受け止められる。 この処理はこれで意義のあるところであり、ほって置いてよい代物ではない。

津山地域の産業の場合は、工業と商業・サービス業が地域の発展を支えていると言える。だが、これらはこれまでの産業であり、今後の地域を引っ張って行くだけの産業とはいえず、他に力強い新しい産業の育成が望まれる。目指すところは、米国が本腰を入れ、わが国もその気になってきたマルチメディア産業であろう。
情報という視点で見れば、送る側と受け取る側があり、単に受ける側は消費するだけで生産しないので、送る側に回ったとき初めて産業として成立する。

情報を集めマルチメディアに乗せる作業をする人(企業)、送信・受信用の機械を作る人(企業)、送信・受信の機械を操る技術を教える人(企業)など 発信側に回らなければ事業化はできない。マルチメディア産業は流行の産業でそのうち下火になるだろうと傍観していては、将来を見失い、リーダーシップは取れまい。 のんびりしていると津山地域は次の時代もまた二番手、三番手の地域に甘んじなければならないだろう。今世紀の宿題を片付けながら、次代の予習もやらなければならない。やるべき予習の内容はマルチメディア産業への対応策と具体的行動である。

それでは、具体的にどう展開するのか。

<ステップ1>
津山地域をベースに、もう一回り視野を拡大して東は作東町、西は勝山町までの一市五郡見渡し、これを同一エリアと考える。すると、このエリアは現実の日常生活や日々の商売上でも、商品にもよるが、何の不便も感じない同一の経済圏であることがわかる。 津山からなら作東町も勝山町もクルマで約1時間の距離である。中国自動車道も通じている。この間に、インターチェンジも作東町の計画中も含めて五ヵ所もあり、恵まれた地域である。

<ステップ2>
ゾーンづくりにかかる。津山市は田熊周辺に広大な土地を見る程度で、すでに商業・工業・学校・病院等々集積しており、今後はより高度な都市化へと進むべき都市である。 津山から東へは、工業化の盛んな勝央町を経由して美作町へ向かう道路沿いに小規模ではあるが民間レベルでの開発が盛んである。津山から西へ向かっては、中国横断自動車道の開通も平成八年度に控え、久世町・落合町では大型の開発が相次いでいる。
こう見てくると、ほとんど変化の目立たないのは久米町であり、そこに目を向ける。 このほかの町村は、グリーンゾーンとして大規模な開発は最小限に止め、「農」や「自然」を事業化したゾーンとし、新しい産業を創造して行く。

<ステップ3−1>
では、久米町はどうするか。久米町には次代の産業の拠点を創る。マルチメディア産業(第五次産業としておこう)を母体とするものである。 そうすることにより作東町から勝山町までを産業のベルトで一体化させ「ニュー美作シティ」という市を作る。 新しいシティは言葉やアクセントは当然ながら、岡山や倉敷では育たないコシヒカリの出来る地域でもあり、気候も同じ。人口が増加し、数量データでものを考える今日では、以前より増してもっと注目を集めることになる。
市の名前も「ニュー美作シティ」とする。これなら響き上からも国際舞台に出てひけをとらない。(ちなみに現在のところ、カタカナやひらがなの市町村名は北海道・ニセコ町、北海道・えりも町、青森県・市むつ市、福島県・いわき市、茨城県・つくば市、山口県・むつみ村くらいのものである)

<ステップ3−2>
グリーンゾーンは一つにはベッドタウンというか居住地区の働きを狙う。もう一つは「農」や「自然」を生かした新しい産業創りである。第一次産業の発展としてとらえると中途半端なものになってしまうので第四次産業とでも言っておこう。
「農」や「自然」を生かした事業の具体例は、農水省が力を入れている農業体験をベースにしたグリーンツーリズムの推進や市民農園(クラインガルテン)の開発などがある。 いづれにしろ、日帰り旅行だけでは効果が出ないので、滞在型の事業の導入が重要となる。
市場としては、中国自動車道、山陽自動車道をアクセス道路とした京阪神や岡山・倉敷へ目をやるべきだろう。 京阪神といっても具体的なターゲットは、大阪市、吹田市、茨木市、豊中市(以上大阪府)、神戸市、尼崎市、西宮市、明石市、加古川市、姫路市(以上兵庫県)など都市化が進み、自然回帰の必要性を本能的に感じているこれらの大都市住民である。 マルチメディア産業を活用して大都市住民に情報を提供していくことになろう。 もちろん米作り、野菜作り、果物作りには、これまで以上に精を出さなければならないのは言うまでもない。

<ステップ3−3>
新産業が軌道に乗り、グリーンゾーンが活き活きとして来れば、センスのある行き届いたサービスを提供しさえすれば、商業・サービス業の発展には無駄な努力を必要としないだろう。 また、狭い地域で小さい市場をターゲットとにしてしのぎを削るのを止めて、全国レベルで販売出来る方法の一つとしてマルチメディア産業を活用して発展して行くことになろう。

<ステップ4>
マルチメディア産業とドッキングする研究課題は、文化、福祉、高齢化社会など様々な分野がろう。たとえば、高齢化社会の対応を考える時、東京や大阪の人々が感じているよ十年以上も高齢化が進んでいる津山地域内に住んでいる人々の方が、はるかに身近なところでデータも取れ、個別のモデルケースの選択にもこと欠かさない優れた研究が出来るだろう。 組織は、初期の段階では国、県、市町村など行政、工業、農業、商業・サービス業、学校など教育機関、文化人などで構成する。

<ステップ5>
次に、この研究成果を事業化して行き、津山地域の新しい産業に成長させる。四人から五人でも、100人以上の規模でもよい。ビジネス化出来るまで商品開発が進んだら、その部分を分社して独立企業に仕立てて行く。商品内容も活動エリアも全国レベルであり、マルチメディア産業の市場は大きい。

以上の五つのステップを達成するためには、次の六つの道づくりが伴わなければならない。

一、クルマの走る道路を造る。
・岡山・津山間の道路の充実もさることながら、市内各所の計画中の道路を早急に整備する。また、市内を通過するだけの車のためにバイパスを付ける。 ・岡山と鳥取との交流不足は津山の道路事情が防波堤になっていないかを考えてみる必要もある。

一、外で学び技術を磨いたら、津山地域に戻す登用の道を作る。
・中央官公庁、都庁・府庁などで実績を積んだ人々を市役所や町村役場へ登用する。そして、中央との人的つながりや技術面で腕を振るってもらう。
・市役所、町村役場では、まちづくりのスペシャリストを育てて行かなければならない。
・高校教育も有名大学へ進学させる予備校化した学校で終わらせないで、大学で勉強し外で身に付けた技術を持ち帰り郷土で活躍するように教育者も学生を指導すべきである。

一、新産業の拠点づくりの具体的な道を作る。
・次代産業創造(マルチメディア産業)研究会設立準備会をまずつくり、研究会を段階的に発展させて行く。

一、技術のある人々が交流する道を作る。
・評論家や学者を招いて話を聞くほかに、地道に具体的な行動する人々を評価し、長期に招くべきである。

一、全国各地の情報の行き来きする光ファイバー網の道を作る。
・他の地方都市に先駆けて光ファイバー網の整備をはかる。
 津山地域が早々と名乗りを上げ、光ファイバー網の全世帯への整備を推進すべきである。

一、蓄積されたノウハウの活用を図る道を作る。
・マルチメディア産業の事業化以外にもそのノウハウを出版、放送、講演会等を通して全国地方都市へ指導してまわり、津山地域の力を示す。

この六つの道を進むことに地域住民の合意を得て、マルチメディア産業を事業化して行く新しいシステムを生み出し、そして全国に通用する高いレベルのマルチメディアの様々な事業を創り出していけば、津山地域は生まれ変わり、小粒ではあるがわが国でも他に引けを取らない「輝ける都市」になろう。
このように、地方都市の発展の在り方を実際の行動を持って示し、全国に点在する地方都市のリーダーとなりうる具体的な行動を起こせば、津山地域の未来は今よりも、もっと明るい素晴らしい地域になるでろう。


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