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大泉サロンについて


このレポートははじめ fj.rec.comics に投稿し、lalaさんに情報の追加を戴いたものを、新たに書き直したものです。新知見を与えてくださり、ページでの公開を了承してくださったlalaさん、たいへんありがとうございました。
記載の誤りや他にこんなんあるよ〜と言うのがありましたらquelmal@mx1.tiki.ne.jp坂本までメールください。
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大泉時代とは
位置・構造
活動
訪れていた人々
考察1:各人はいつから大泉を訪れだしたのか?
考察2:大泉サロン解体について
参考文献

[top]
1970年代はじめ、少女漫画は質的に飛躍する。その中核をなしたのが、萩尾望都、竹宮惠子が同居していた「大泉サロン」に集っていた人々である。マンガを成立させたトキワ荘にくらべて、この「大泉サロン」にはまとまった記述が少ない。そこで、既存の文献から互いに整合する内容をまとめ、あるいは比較的穏当な推論を行ってみようと思う。推論を行う場合はその論拠を示す。

大泉時代とは[top]
もともと萩尾望都と増山のりえが文通していた。竹宮惠子が修羅場(アストロ・ツインなかよし70年4〜6月号)の手伝いに萩尾望都を指名、出版社を通して知り合う。萩尾望都を介して3人が知り合う。1970年、二人の上京(竹宮(1950年2月13日生)70/5上京、半年して同居。萩尾(1949年5月12日生)70年10月上京、同居とのこと)を期に増山が“実家の斜め向かいの2軒続きのながやみたいなの”を二人に紹介。同居開始。1972年、2年余り後、下井草の、お互い歩いて5分か10分ぐらいのアパートに移る。

注:成立は70年10月だが、解体のはっきりした日付はわからない。72年までと書かれることが多い。だだし、資料27では73年までと書かれている。

位置・構造[top]
位置

東京都練馬区大泉

遠景の写真は資料10にある

間取り

竹宮 :下が四畳半で…。
ささや:タンスとね、テレビがあったの。
竹宮 :で、お風呂と台所しかなかったの。
ささや:2階が3畳と6畳。
竹宮 :そこに私のベット入れてね、1台。

資料25より。内部の写真も資料25にある

活動[top]
比較的まとまった活動としては…

1972年に大泉サロンでまわされた「魔法使い」という肉筆回覧誌に参加したのは増山法恵、竹宮惠子、萩尾望都、池田いくみ、高見典子、高崎良子、足立都志子、居垣節代、城章子、佐藤ちよ子(佐藤史生)。山田ミネコも原作として参加していたらしい。

72年。萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子、増山のりえ、はじめての欧州旅行。40日間。帰ってきたのは晩秋とのこと。

訪れていた人々[top]
*坂田靖子(1953年2月25日生)(1975年デビュー):竹宮惠子にファンレターを書く。大泉に遊びにおいでと招かれる。高校生の時だから〜71年3月?。

*たらさわみち(1954年4月13日生)(1975年デビュー):高2の頃、「11月のギムナジウム」(別冊少女コミック71年11月号掲載)を読んで、萩尾望都に履歴書入りのファンレターを書く。71年11月23日付の返事で大泉に遊びにおいでと招かれる。72年のお正月にはじめて大泉訪問。春にもう一度訪問。名前は知っていたが、大泉時代はすれ違いで、伊東愛子にはじめて会ったのは、それ以降とのこと。

*佐藤史生(19XX年12月6日生)(1977年デビュー):萩尾望都にファンレターを書く。萩尾望都の作品でいうと「11月のギムナジウム」(別冊少女コミック71年11月号掲載)の後に大泉に遊びにおいでと招かれる。

*イケダイクミ(19XX年月日生)(萩尾作品「ハワードさんの新聞広告」原作):萩尾望都にファンレターを書く。大泉に遊びにおいでと招かれる。さやななえ「おまえとおれ」(りぼん72年4月特大号掲載)を手伝っているのでそれ以前からいるのは確か。ささやななえの初訪問時にいたそうだから、72年の正月よりも前でしょう。

*ささやななえ(1950年1月31日生)(1970年デビュー):17、8歳の時から漫画家の田中雅紀と文通、その縁で田中さんの近所に住んでいた坂田靖子とも文通(坂田さんがはじめに手紙をだした)。坂田靖子が、萩尾望都とささやななえにお互いの電話番号を教える。71年、萩尾望都が北海道の友人宅を訪れたときに、ささやななえを訪問、知り合う。十日ほどささや宅に滞在。この間、萩尾作「あそび玉」(別冊少女コミック72年1月号掲載)の続編の構想を聞いたとのこと。72年ささや22の時に大泉に(少し遊びに行ってくると言って)半年いて、2月実家に帰って、また半年いたらしい。

*山田ミネコ(1949年7月11日生)(貸本では1969か1970年に、いわゆる雑誌には1971年デビュー):はじめて大泉を訪れたのは萩尾望都が「すきとおった銀の髪」(別冊少女コミック72年3月号掲載)を描いていた頃(というと71年末か?)。もともとささやななえと文通していたので、ささやななえが大泉に泊まり「ダートムーアの少年」(りぼん72年5月号掲載)を描いていたときに手伝いにかりだされ、以降大泉に出入りするようになる。

*伊東愛子(1952年4月27日生)(1973年春デビュー):竹宮惠子にファンレターを書く。アシスタントに呼ばれる。はじめはメシスタント。大泉に行ったのは賞(セブンティーンで入選)をとってデビュー作をかきあげる1年半ほどの間とのこと。

*花郁悠紀子(1954年9月21日生)(1976年デビュー):72年、高2冬(71年という記述もある?夏という記述も??)、坂田靖子にひっぱられて上京、大泉に。

*城章子(19年月日生)(本名かつマンガ家としてのペンネーム)=今里孝子(文筆家としてのペンネーム萩尾作品「マリーン」原作)(1974年デビュー)現萩尾望都マネージャー:もともと熱狂的な石ノ森章太郎氏のファンで、上京して、石森氏の家に泊まり込んでいたこともあるようである。その後、石ノ森氏に竹宮惠子の存在を知らされ、大泉を訪れる。1972年に大泉を訪れ、73年春には萩尾望都メシスタント

*山岸凉子(1947年9月24日生)(1969年デビュー):いつ頃から来ていたかは不明。はじめは竹宮惠子に用があったが、その後は萩尾望都を訪ねて通っていた。萩尾、竹宮、増山と72年初渡欧。
*大和田夏希(19年月日生):15歳、中学生の時、まだデビュー前の竹宮さんのCOMへの応募作品「ここのつの友情」を見て、手紙を出す。竹宮さんの住所は週刊マーガレットに載っていたらしい。以来文通していた。
*BELNE(1955年12月3日生)(1976年デビュー):徳島時代から竹宮さんと文通していた。
*桜多吾作:昔の男の子としてはグレンダイザー等を思い浮かべるが、少女漫画読み的には萩尾望都にプロポーズした人として有名。永井プロ。

考察1:各人はいつから大泉を訪れだしたのか?[top]
1) ささやななえさんのケース

萩尾さんが、ささやななえ宅を訪れたとき「暖冬」であったと語っていること、ささやななえがその時「あそび玉」(発売日は71年12月13日)を既に読んでいるところを見ると、これは71年の歳末であると思われる。萩尾さんが、原稿を持って歩いていたと考えるとそれより一月ぐらい遡れるか?大泉訪問は72年と書かれているが、山田ミネコさんを紹介し、山田ミネコさんが大泉を訪れているのがほぼ正月だと考えると、ささやさんの初訪問も72年正月ぐらいであろうと思われる。なお、ささやさんが大泉をはじめに訪れたときに、イケダイクミと佐藤史生がいたそうである。72年はほとんど大泉に常駐していたらしい。萩尾望都、竹宮惠子発渡欧時は、山田ミネコ宅に居候。その時「あほんだら」(1972年12月号掲載)のネームを作っていたそうである。73年には上京して下井草に仕事場を持っている。

以下にこの論拠を示す

資料 6より

−年に二回行ったとか聞きましたが。
ささや 年に二回行って半年ずついました(笑)。うちへはお盆とお正月に帰って(笑)

資料26より

うん。出入りも何も居候を決め込んでいたから。半年いて、2カ月実家に帰って、また半年…。

資料 9より

「あそび玉」には続編がある。と描いた本人から聞かされたのは、北海道の片田舎、芦別市発頼城行、一抗館前下車予定のバスの中であった。 あのあそび玉のLASTシーンをみると、何やら続きがありそうな感じがするから、「ああ、やっぱりあるのね」というと「第三部まである」とまた描いた本人が言った。

 北海道の友人のところにホントに遊びに来ていた彼女に、この電話の一件で、一日だけ寄る予定だった私の家に十日間居てもらい、そこでどういうふうなことを話したかというと、それは最初の文の方に、もどっていただきたい。

資料24より

萩尾 私、九州育ちだから、山のように積もった雪って見たことがなかったの。それで札幌の友人に誘われて遊びに行ったのね。ところが、暖冬で雨が降ってた(笑)。


2) 花郁悠紀子さんのケース

以下に3つの資料をあげるが、お互いの記述が矛盾していると思われるものもある。1つめは、竹宮惠子と初対面の時の話で、特に大泉初訪問時とはされていないが、大泉に初訪問の時、竹宮惠子がバス停まで迎えに来てくれたらしいから、同じ時であると考える。3つめの資料は御本人による記述ではないし、明らかにその記述自体が矛盾しているので、資料的価値をやや低くみる。ささやななえさんが大泉から実家に帰る途中で坂田靖子さん宅によって。花郁悠紀子さんや、当時小学生だった波津彬子さんにあっているのは確か。つまり72年の冬が一番考えやすい。坂田靖子高3、花郁悠紀子高1の時に坂田靖子に同人活動に引き込まれているので、それ以降ならいつでも不思議ではないが…。

資料 8より

もうかれこれ7年前の冬、初対面の時。私は緊張に緊張を重ねていたので、その他のことはほとんど記憶にありません。

資料10より

大泉の二人のところに行ったのはたまたま、手紙を出したら来てもいいと言ってくださったからです(笑)それが高二くらい、ささや先生とも会えた頃です。金沢にいらしたことがあって(私は当時金沢にいた)一晩中、皆とおしゃべりして、あの頃はホントによくしゃべる事があったな、ノドをつぶしました(笑)。


資料13より

高校3年の夏、親友の坂田靖子に引っ張られて上京する。萩尾望都に会いたかった。この年、昭和46年、萩尾望都は実に19本の作品を発表する。
(この記述はおかしい。なぜならば高3の夏であるとすると、昭和47年だから)

以上をまとめて、初回訪問が考えられる時期を幅をとって矢印で示す。この期間に滞在していたという意味ではないので誤解のなきように。まとめてみると、後ほど大泉の情景として描かれるものが、ほぼ72年当時のものであることに気がつく。

初回訪問時期推定図

推測図

考察2:大泉サロン解体について[top]
大泉サロン解体についてはへたな憶測を産みそうだから、考察とは名ばかりであるが、各自元資料を参照していただきたい。
資料11において、山田ミネコさんは、その頃(結婚して)移っていたから知らない、資料29において、山岸凉子さんは、その頃離れていたから詳しく知らないとの内容の発言を行っている。同じく資料29において城章子さんは、竹宮さんと増山さんが、少女漫画を変革するという目的に見通しが立ったからと言っていたと伝聞調で述べている。
資料16の竹宮惠子さんの自筆年表に「スランプのため大泉サロン解体に至ってしまう」との一文がやや毛色の変わったものであろうか…

しかし、73年に至っても二人の下井草での居住地は徒歩でいける程度で、大泉の仲間も変わりなく両方の仕事場に顔を出している。また、大泉のことを描いたと言われる作品の多くが73年に作られたものであることを申し添えておきたい。

参考文献[top]
資料 1:1972年 週刊少女コミック2号 まんが家サロン 萩尾望都(小学館)(「毛糸玉にじゃれないで」掲載号)
資料 2:1972年 りぼん4月特大号 ささやななえ「おまえとおれ」(集英社)
資料 3:1972年 りぼん5月号 ささやななえ「ダートムーアの少年」(集英社)
資料 4:1976年 ペーパームーン冬号通巻4号「魔法使い」というおかしな雑誌(新書館)
資料 5:1977年 別冊少女コミック5月号 まんが家対談 先輩にアタック! 萩尾望都 VS 城章子(小学館)
資料 6:1978年 ペーパームーン 少女漫画妖精国の住人たち(新書館)
資料 7:イラストアルバム●アニメージュ5「竹宮恵子の世界」 徳間書店 昭和53年5月30日発行
資料 8:1979年4月20日発行 竹宮惠子著 パセ・コンポゼ(駸々堂書店)
資料 9:1980年 少年/少女SFマンガ競作大全集 PART5 4月1日発行 (東京三世社) あそび玉復刻時の特集である。
資料10:1980年 少年/少女SFマンガ競作大全集 PART6 7月1日発行 花の24年組―その限りない飛翔(東京三世社)
資料11:1980年 ぱふ10月号 通巻56号 特集山田ミネコの世界(清彗社)
資料12:1981年SF COMICS リュウ 11月号 VOL.14 SF個人史 VOL.11 佐藤史生の巻(徳間書店)
資料13:1982年 SF COMICS リュウ 1月号 VOL.15 SF個人史 VOL.12 花郁悠紀子の巻(徳間書店)
資料14:1982年5月15日発行 花郁悠紀子著 花宵闇(新書館)
資料15:1982年 ぱふ 2月号 通巻62号 特集坂田靖子(雑草社)
資料16:1982年 ぱふ 特別号8・9 通巻68号 特集竹宮恵子Part2(雑草社)
資料17:1983年 ぱふ 6月号 通巻77号 特集ささやななえ(雑草社)
資料18:1984年4月30日発行 竹宮惠子著 マンションネコの興味シンシン(角川書店)
資料19:1984年10月5日発行 竹宮惠子著 続マンションネコの興味シンシン(角川書店)
資料20:1984年 ぱふ 8月号 通巻91号 マンガ家リレー・インタビュー たらさわみち(雑草社)
資料21:1991年9月25日発行 アリス・ブックI 作者・作品紹介(増山のりえ)(新潮社)
資料22:1991年9月25日発行 アリス・ブックII たんたんたかゆき(伊東愛子)(新潮社)
資料23:1996年12月27日発行 『70年代マンガ大百科』 
別冊宝島288 キャベツ畑の革命的少女マンガ家たち(増山のりえ+佐野恵)(宝島社)
資料24:1997年5月13日発行 ささやななえ著 ささやななえ自選集1 ささやななえ今昔物語 第1回 萩尾望都編(講談社)
資料25:1997年6月13日発行 ささやななえ著 ささやななえ自選集2 ささやななえ今昔物語 第2回 竹宮惠子編(講談社)
資料26:1997年8月7日発行 ささやななえ著 ささやななえ自選集4 ささやななえ今昔物語 第4回 坂田靖子編(講談社)
資料27:1997年 PUTAO7月号 コミック作家ロングインタビュー 竹宮惠子(白泉社)
資料28:1997年10月22日発行 ささやななえ著 ささやななえ作品集1(集英社)
資料29:1998年2月25日発売 萩尾望都作品集 『SANCTUS』初回限定版 特典ディスク『記録された萩尾望都 CD-ROM VERSION』 大泉サロン 1970―1972(バンダイビジュアル株式会社)

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