3 ルシャナ


投稿者 坂本 日時 1998 年 8 月 27 日 23:53:37:

回答先: ヴェーダと「ワン・ゼロ」 投稿者 坂本 日時 1998 年 8 月 27 日 23:43:44:

ビローチャナvirochanaについては、「ワン・ゼロ」の中でよく説明して
あり、目弱氏の紹介する、インドラとビローチャナのエピソードは
チャーンドギヤ・ウパニシャッドの八章七節〜十二節に全くそのままの
形で存在する。ちなみにウパニシャッドは「奥義」のことであり、特
に、このエピソードにおけるビローチャナの発言は、ウパニシャッドに
まんま存在する。この時のvirochanaは魔族の王子であり、プラジャー・
パティがアートマンを理解していると聞き知った、神々と、魔族がそれ
ぞれの代表を選出して、そのもとにおくる、その一方の雄である。私が
読んだのは、「辻直四郎編 筑摩書房世界古典文学全集3 ヴェーダ 
アヴェスター」である。辻直四郎氏は言語学者であるが、宗教学者が英
訳したもの
もインターネットで見つけたが大きく差異があるものではな
い。

個人的には、「ワン・ゼロ」においてこのエピソードは全く大きな意味
をしめると思う。ビローチャナが皮相的な答えで満足したというエピ
ソードを、そう信じるが故にそれを信望する、と佐藤先生は逆転する。
ルシャナは出現シーンから「我が姿形こそ我が本性という真理」2巻P88
とインドラに言いはなち、それが最後まで一貫している。ルシャナの考
えるアートマン(個人我)、ルシャナのウパニシャッドは、「レギオ
ン」が、人間に自意識の炎をともそうとするところを髣髴とさせられ
る。

変容するするイメージ

これは、ヴェーダの範疇をこえてしまうが、ウパニシャッドに現れるビ
ローチャナは魔王である。信人物往来社の「密教の世界」中「変容する
ホトケたち」によると、一世紀以降、大乗仏教がブッダを人間から人間
以上の存在に高め、全宇宙にあまねき真理の主宰者としてのブッダのイ
メージが拡大していき、いわば宇宙的な意味合いをもった仏格が待望さ
れた結果出現したのが「華厳経」の教主、毘盧遮那如来であったらし
い。古代東アジア世界の専制王権が確立された社会では、盧遮那如来の
全宇宙の主宰者的イメージは、権力者側にも受け入れやすかった。
八世紀に大乗仏教も理論に終わってしまうと危惧する人々によって、実
践をモットーとする密教が現れる。中心仏格もまた変容し「大日経」
「金剛頂経」では、盧遮那如来に偉大を意味する摩訶(マハー)が引っ
付いて、摩訶盧遮那如来となる。意味を取れば、「大いなる光の仏」大
日如来になる。「華厳経」の教主、毘盧遮那如来は一切説法を行わない
沈黙の教主であるが、大日如来は密教らしく、救いを求める衆生のため
には菩薩の形で慈悲心を発揮し、悪辣なものには明王という憤怒の形相
で現れ、森羅万象の全ては自己顕現というダイナミックな仏である。


何故蛇体なのか?

蛇頭1P155
ビローチャナが蛇体であったかどうかは私の知識ではわからない。ただ
viroは光を意味する語感らしい。ミノルが蛇頭じゃないかと候補にあげ
るアヒ(1P155)は蛇そのものの意味で、リグ・ヴェーダ讃歌ではアヒ=
ヴリトラ=蛇族の初生児、魔族の王で、インドラにヴァジュラ(電撃)
で殺され、インドラの讃歌にはだいたい、このヴリトラを殺したことを
褒め称えているものが多い。そのへんから、ルシャナを蛇体にしたので
は?


遍照鬼(ビローチャナ)2P86
こういう言葉があるのかどうかは知らない。ビローチャナ自体が遍ねき
光という意味があり、遍照金剛と訳される場合もある。
ルシャナ2P109

毘盧遮那3P179
ビローチャナの音写。

盧遮那仏3P179
毘盧遮那の毘を略して盧遮那仏とするのは日本だけだそうである。この
辺と、ルシャナがビローチャナと呼ばれるのを嫌がるのと何か関係があ
るのだろうか?



コメント: