直球と変化球

1998/04/03 01:12


  ある高さの声を出そうとしたとき、まるでピアノの鍵盤をたたくように、
 「ポ〜ン」とその音程が出せるかどうか。そこには、実力と度胸と妥協との微
 妙な兼ね合いが存在する。

  歌が上手い、といわれる人なら、音程くらい正確で当り前。それはそうだが、
 当り前といってもそれが当り前じゃない、そういう高いレベルを考えてみたと
 き、本当に正確な音程で歌える人というのは、プロの歌い手さんでもそう多く
 はない。
  大体、人間の声というのは、楽器としてみたときあまりにもアナログに出来
 ており、頭で「この音!」と思っても、そう簡単に同じ音を発声してはくれな
 いものだ。才能を持った一部の人を除いては。
  だから、人は(プロアマ限らず、)ある音を出そうとしたとき、いきなりそ
 の音を出そうとせず、ちょっとずらした音から入り、そこから瞬間的に目的の
 音に持っていく、というテクニックを使うことを覚える。その方が、音がとり
 やすいからだ。
  ただし、そういう意図的な音の変化のさせ方は、歌唱の表現力の一つでもあ
 る。ただ棒のように音程をとるだけでは電子音の演奏のように味気ない歌になっ
 てしまうのは当然だからだ。そう、だからごまかしが利くのだ。音のとりやす
 さを表現方法の一つと見せてカバーする。まあ、フレーズの中にはどうしても
 「ここの音は出しづらい」というポイントもあるので、カラオケでもなんでも、
 破綻せずきっちり歌い上げようと思うなら、半ば無意識的に使われる基本的な
 テクニックではある。

  岩男潤子は、間違いなく、そういうごまかしのないところでも十分勝負でき
 る歌手である。音を「とる」という意図的な行為を微塵も感じさせない、自然
 で凛とした歌声は彼女の歌の最大の魅力だと私は思う。
  今では、音のデジタル処理により、録音した歌声を後から操作して音程を調
 整することもできるので、CDなどではあまり音程の上手下手を論じるのも心
 苦しいところではある。実際にそういう操作をされたCDが、この世にどれく
 らい存在するのかは知らないが、ただ、本当に正確な音程の歌声というのは、
 やはり違う。どう違うかというと、聞いてて背筋がふるえる。1stアルバム「
 はじめまして」を最初になにげなく聞いたときは、少なからず衝撃を受けたも
 のだ。
  先に、人間の声はアナログ的だ、と書いたが、「肉声」である以上、どうし
 てもそこにはゆらぎがある。電子的な合成音のような正確さは望むべくもない。
 人為的な操作で調整した音程にとって、そのゆらぎは不安定要素以外の何物で
 もない。だが、真なる意味で正確な音程の歌声というものでは、そのゆらぎも、
 正しい音程の範囲内でのバランスのとれたゆらぎに他ならない。科学的な裏付
 けをとったわけではないが、私はそう考えている。

  そんな、魅力的な歌声を持つ彼女にとって、無理に音を曲げたりするテクニッ
 クはあまり必要ではなかったはずだ。今まで歌ってきた曲がその証拠である。
  しかし、ここにきて、今までとは違う、どうみても意図的なアプローチの歌
 い方を彼女は打ち出してきた。私にとっては驚きであり、そして興味深いとこ
 ろでもある。なぜ、ここにきて?。

  山本はるきちという優れた音楽活動上のパートナーを得た影響か。しかし、
 コンサートで言ってた通り、基本的に目指す音楽性が大変近かったらしい二人
 であるのだから、それが歌唱法を変える理由にはならないとしたものだろう。
 普通に考えれば。
  あと、谷山浩子のライブでの歌い方に多少近い雰囲気があるようにも思う。
 これについては、あまり具体的な判断材料を持っていないが、そうだとしたら
 生で歌うときのための歌唱表現という可能性もある。
  単に、「新鮮味を出す」ためというのもまあ一興だが。

  まだ、このなんというか色のある歌い方で歌った曲は一部に限られているの
 で、今後のコンサートは注目であろう。って俺だけか...。


                     そういえばここ数ヵ月、潤ちゃん
                     のCDを聞いていないような
                            ROBBY