国際フォーラム1998/8月号インターネット版

主な記事を紹介します。

1.世界と語ろうin倉見

2.世界と語ろうin倉見一般参加者の声



世界と語ろうin倉見 1998.8.22-23

 

朝から夏の太陽が照りつける。立秋を過ぎても今年は西日本では十分に夏が続いている。そんな中、わが会最大のイベント「世界と語ろう」はスタートしたのだった。

今年は、会場問題で揺れに揺れこうして晴れた日を迎えることができたのは奇跡とさえ言えるかもしれない。

 

8月22日午前10時半、昨日の深夜に及ぶ準備作業で寝不足気味のスタッフも倉見に集まってくる。天気は晴れ、これは重要なポイントだ。

一般参加者の来る午後2時迄にやっておかねばならない仕事は多い。誰も特段の指示は与えない。しかし着々と準備は進む。スタッフひとりひとりのそれぞれの思いが体を動かさせるのだ。

ともあれ、万全とはいかないまでも一通りの準備を整えて参加者を迎えることができた。予想に反し60名を超えるたくさんの参加者が得られたことは何よりの喜びである。

オリエンテーションの後は、本日のメーンイベントクイズラリーである。恒例になりつつあるプログラムで毎回好評である。しかし、今年は場所が山間部であったため幾ばくかの体力を消耗するコースと相成った。スタッフの間からも、「クイズラリー」ではなく「サバイバルラリー」だとの冗談ともつかぬ言葉も飛び出した。しかしながら参加者のうちの多くが完走(歩)したのはよかった。途中5班中の1班が、道を間違えてリタイヤせざるを得ない状況にはなったが、結果から言うと怪我もなく無事終了したのでよしとしておこう。

こうして運動した後の夕食は格別である。といきたいが、すべて自分たちでしなければならない。スタッフ・参加者共に食事の準備をする者、風呂を沸かす者など別れて働く。ちなみに風呂はいわゆる五右衛門風呂。これが悲劇の始まりになろうとは誰も気づいていないのであった。労働の後の食事はおいしい。お決まりのバーベキューに始まり、焼きそばなど。おにぎりがあっという間に売り切れたのは、「サバイバルラリー」のおかげか、準備作業のおかげか。最後はすいか割り。これをしないと夏が来ないと言っていたのは某TV番組だが、ここには電気もなくカラオケもない。しかし皆が楽しい夜を過ごした・・と信じている。

風呂に入るのがあんなに大変だとは。食事前に沸かした風呂は熱湯風呂だった。火は全部落としているのにぜんぜんさめるということがなく、水で倍以上に薄めてやっと浴びれる状態。昔はみな五右衛門風呂だったのに、もはやその感触を忘れているのだ。

 

あけて23日、天気もなんとか晴れ、予想ほど気温も下がらなかった。よく眠れた人もそうでない人も朝食。これはきれいだった。(謎)

メインの討論会。各班毎に別れて意見の交換。毎年この時間が短いという感想があるので、今年はたっぷり3時間。少し話しただけでも今まで知らなかった「世界」が見えてくる。

そして昼食、その前に片づけの掃除を各班参加者にもお願いしました。みなよくやってくださいました。昼食のメインディッシュはマレーシアカレーです。これもみなきれいに食べてしまいました。

いつも名残惜しい閉会式。また会いましょうと言ってみても、外国からの参加者にまた会うことがあるでしょうか?でもわれわれは同じ地球市民として、いつまでも仲間でありたいと思うのです。

 

一般参加者の帰った後、心地よい満足感に浸るまもなくスタッフには後片付けが。2時間ほどもかかり疲労も重なりましたが、その何倍もの満足感がスタッフにはありました。反省すべき点も至らない点もまだまだあります。しかしそれを補って余りある2日間となりました、と思っています。

最後に、参加者の方々にも今回はいろいろとお手伝い願いましたが、ほんとに積極的に手伝っていただいたことを感謝したいと思います。来年は、どこでどんな形での開催になるかわかりませんが、また参加者に喜んでいただける企画を立てたいと思います。みなさまありがとうございました。スタッフの皆様お疲れ様でした。

 

Love1 記


「世界と語ろうin倉見」に参加して

「世界と語ろう」この、気分がとても大きくなる名前の会に参加したいと長年思いながら毎年あれこれの事債でかなわず、今年ようやく私にも「世界と語れる」日がやってきた。

何らかの興味関心を持って日本に来ている諸国の人々と、「世界と語ろう」という名前に引き寄せられてきた日本入の集まりには、はじめから何かしら打ち解けた雰囲気が感じられた。いろいろな言語が飛び交うのを聞いているとわくわく。 私が一香楽しかったのは、やはり、このプログラムのメインであデる2日めのディスカッションだった。私たちのグループは、中国人1名、マレーシア人2名、ブラジル人1名、アメリカ人1名、エジプト人1名、日本人4名の計10名で、前半はジェンダーの問題、後半は環境問題というテーマに取り組んだ。

まず前半。大きい傾向として、どの国も若い世代ほどジェンダーに縛られない生き方をしているという共通点が見つかった。話し合ううち、男女平等が最もすすんでいるのはブラジル、最も遅れているのは、どうやら日本という結論に達した。また、一見解放されていると思えるアメリカでも、時々報道されるように、職場における女性には巧妙に仕組まれたガラスの天井が実際にあるとのこと。日本には分厚いコンクリートの天井があるのよ、と茶茶。とりあえず、日本の男性は家族と過ごす時間をもっとふやすべきだと、各国の人にアドバイスをいただいた。日本の男性の皆様、どうぞよろしく。 次に環境問題。もとより解決策がすぐ出てくるような問題ではない。しかし、今や地球の病気は深刻だ。グループの中には、テレビも車もクーラーも、扇風機すら持たない生活をしているという日本人がいて、私たちの生活を見直すきっかけを与えてくれた。東南アジアやブラジルの森林破壌と日本人の生活との関係も、目の前に当事国の人がいるだけに、より切実な問題として考えることができた。

この会を終えて反省点が2つある。 1つめは、閉会時のアンケートに、「企画がアパウトで、みんなでいろいろ言いながらやってい〈ところがよかった。」という意味のことを書いてしまったことである。私が書きたかったのは、1つは、参加者が周りを見ながら自分にできることを考えてやっていく態勢になっていて、お客さんにならなかったということ。もう1つは、例えば、イスラム教の人がウォークラリーやディスカッションの時お祈りの時間にかかったら気兼ねなくすっと抜けられる、といったような融通性があったということ。これは何気ないことのようでありながら、実はとても重要な含みがあると思う。様々な文化や考え方への理解と尊重、そして柔軟な対応。それこそ今までの日本人社会が苦手としてきたことであり、「国際化」を叫ぶ今日、最も学んでいかなければならないことではないか。それなくして人類の共存はないだろう。頭の中にはそういう思いがいろいろめぐっていたのだが、疲れていたのか、ついつい「アバウト」という非常に粗雑な言葉ですませてしまった。

反省の2点めは英語カである。(悔やしいけれど、「世界と語る」には英語が一番有用だと改めて痛感した。)ディスカッションの時、成り行きで司会をすることになったが、私の英語力の不足のために、日本語のわからないロバートさんとイハブさんにはディスカッションを十分楽しんでもらえなかったのではないかと、申し訳ない気持ちで一杯である。言葉が通じなくても心はある意味で本当だけれど、笑顔と身振りだけでは限界がある。参加者の中には、自国語以外に数ケ国語を操れる人も多くいて、それも刺激になった。

最後になったが、何度も.準備会や下見を重ね、こまごまとした手配をしてくださったスタッフの方々にとても感謝している。とりわけ今回は直前になって場所の変更があり、電気も電話もない山奥、さぞかし大変だったと思う。託児ボランティアの方にもお世話になり、親子共々、楽しい2日間を過ごさせていただいた。娘はエジプトやトルコの女性がかぶっていたスカーフが印象に残ったらしく、パスタオルやタオルケットを引っ張り出してきてはファッションショーをしているし、息子はまたあの川で魚釣りをしたいと言う。私は、傷んだグレープフルーツを丸ごと捨てようとした私を見とがめて傷んだところだけ上手に三角に切り落とし、「あとは食べられますよ」とほほえんだメフメットさんの顔を思い出しながら、もう少しものを大切にする生活を心がけようと思っている。

by 参加者Eさん



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