5、何故、長島曙教会は「らい」を「ツァラアト」に変えるように要請したか
                                  記述、長島曙教会牧師 大嶋 得雄

五年前から、新改訳聖書中のらい病、らい病人の「らい」と言う言葉をヘブル語原語の「ツァラアト」に改訂してほしいと要請していた。新改訳聖書刊行会編集委員の方々が慎重な研究、熟慮、同聖書を主に使っている教会への意見聴取をされて、このたび、「ツァラアト」に改訂することになったことを心から喜び、主に感謝をささげている。

さて、国立ハンセン病療養所内にある長島曙教会と牧師の私は何故、「らい」を「ツァラアト」に変えるように要請したかについて皆様に、是非とも知っていただきたい。

一、旧約聖書の原語・「ツァラアト」には「らい」と言う意味はない。

権威ある洋書のヘブル語辞典によると、「ツァラアト」は恐怖、スズメバチ・クマバチ・怒りぽい人、論争の意味があると言われたりするが、語源学では結論として不確かだとされている。八月三日付のクリスチャン新聞の特集四、五面でも、改訳編集委員会もよく研究された結果、「ツァラアト」とはいったい何なのか分らないと言っている。

ところが、多くのキリスト者は原語・「ツァラアト」の意味を「らい」と理解しているのではないかと思われる。聖文舎発行の名尾耕作著・旧約聖書ヘブル語大辞典(教文館近刊改訂第三版)に「ツァラアト」はただ、「らい」と訳されていることも問題である。

二、レビ記一三、一四章をはじめ聖書に描写されている「ツァラアト」は「らい(ハンセン病)」ではない。

「ツァラアト」は人間の皮膚、衣服、動物の皮、家の壁にも生じ、表面が損なわれた状態を指す。「ツァラアト」は主に祭儀的なものであって、神の前にけがれたものだとされている。人間は隔離され、衣服、動物の皮は焼かれ、壁は外に捨てられる。人間の皮膚に出来る「ツァラアト」は、レビ記13章には、「祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはらい病の患部である」と五回も繰り返されている。長年、ハンセン病の専門医であられるクリスチャンの犀川一夫氏は、「らい」患者の患部の毛は白くならない、「らい」の最大の特徴は末梢神経障害だから、「ツァラアト」が「らい」であるならば、麻痺のことが書かれているはずであると言われている。犀川氏と「らい(ハンセン病)」に取り組まれたクリスチャン医師のSG・ブラウン氏(元、国際らい学会事務局長)も同意見である。お二人とも、聖書に訳されている「らい」と医学上の「らい(ハンセン病)」は異なると言っている。(犀川一夫著・「聖書のらい」、S・G・ブラウン著・「聖書の中のらい」を参照)。なお、新約聖書では共観福音書でギリシャ語「レプラ」が出てくるが主イエスはきよめた者に「自分を祭司に見せなさい」とレビ記の祭儀を守られていること、ルカ四章では「シリヤ人ナアマンだけがきよめられました」と言われ、イスラエルに「レプラ」が多くいたことを話されている。これによって「レプラ」は「ツァラアト」のことであることが分る。「レプラ」は初期から「らい病」をあらわすようになったため、「ツァラアト」にするのが適切である。

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三、「らい」を罪の象徴やそのきよめの説明のために使ってはならない。

 私は、二〇年前、教会員から、何故、聖会や修養会、ラジオ説教や教材で「らい」を罪の象徴やきよめの説明のために使うのかと言う声を聞いた。具体的に事例を示せば、彼らが嘆くのが明確に分っていただけるであろう。ある教団が発行した夏期学校教案特集号(小学科教案)で、その第一課の目標は、「ナアマンのらい病を通して罪のおそろしさを知る」とあり、ハートの絵が書かれて、周囲に、やさしさ、わがまま、しょうじき、いじわる、うそ、かんしゃ、ねたみ、よくばり、おだやか、そのほか色々の言葉が多く書いてあり、らい病の心をあらわす言葉をハートの中にいれましょうとある。ある療養所教会の信徒代表は「・・・この種の誤謬が幼い人たちの心奥に植えつけられること」を嘆かれた。

 先の八月三日付のクリスチャン新聞によると、訳語検討のためのアンケートの回答の中に、「らい病」と言う答えが多かったことについて、「そこに付せられている意見は、それぞれに非常によく考えられている」と言う、コメントがされている。おそらく、「ツァラアト」を「らい」と思っているがゆえに、伝統的に浸透している「らい」を通して、罪やきよめを説いた方が効率的だと思っているのであろう。レビ記一三,一四章では「ツァラアト」は罪の結果とは記されていない。きよめの儀式についても、けがれからのきよめであって罪のためではない。衣服、皮、家の壁の「ツァラアト」がどうして罪とかかわりがあるといえるであろうか。今まで述べたことから、「らい」と言う言葉から罪やきよめを引き出そうとする試みは、誤りであることが分っていただけると思う。ちなみに記しておくが、医学的な「らい」は、差別・偏見是正のために、らい菌を発見したハンセン博士の名前から「ハンセン病」と言われていることを心に留めていただきたい。差別・偏見の点から言っても、「らい」と言う言葉は使えない。

四、新共同訳聖書は「ツァラアト」を「重い皮膚病」と「かび」に暫定的に訳したが適訳ではない。

 このたびのアンケートでは「重い皮膚病」が良いと言う意見が「ツァラアト」にちかい数ほどあったことを知った。一九九六年七月、ハンセン病療養所邑久光明園家族教会が所属する日本キリスト教団東中国教区から日本聖書協会と日本聖書刊行会へ「らい病」の改訂が申し込まれた。一九九七年二月二四日に倉敷市で日本キリスト教団東中国教区主催の「ハンセン病についての理解を深める」と言うシンポジウムがあった。「らい病」の改訂に関するものであった。私は四人の発題者の内の一人になった。シンポジウムが終わった後、発題者の一人である日本聖書協会・総主事の佐藤邦弘氏は新共同訳聖書、口語訳聖書、文語訳聖書も次回の発行から、良い訳が見つかるまで暫定的に「重い皮膚病」にさせていただきますと言われた。佐藤邦弘氏は三月七日に教文館で正式にこれを発表した。暫定的だと知っていない人が同アンケートで「重い皮膚病」を選んだのではないかと思う。「ツァラアト」は原語の意味が厳密にわからないのに、人間の皮膚の「ツァラアト」を「重い皮膚病」とし、衣服、動物の皮、家の壁の「ツァラアト」を「かび」と二つに分けて訳したのは適訳ではない。先述の犀川、ブラウン氏も各国語に置き換えることは難かしいとそれぞれの書物に書かれている。「重い皮膚病」は被害者を多く起こす。アトピー、アレルギー性皮膚炎、皮膚癌などの皮膚病患者のなかには重い皮膚病だと感じている人がある。ハンセン病は今や、なおる、予防法の廃止された皮膚病である。しかし、このことを知らない人々は、聖書で重い皮膚病と読むとき、以前、重い皮膚病であった「らい」を連想させるのではないだろうか。

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五、「ツァラアト」を「らい」と訳し続けた聖書が、らい病人への差別を助長したのではないかと考える。

世界失明防止協会副会長のW・G・ホームズ博士は「レプロシーは恐ろしい病気で、遠ざけねばならないと言う欧米社会の偏見は、実は、バイブルとキリスト教会が二千年にわたって、人の心に植え付けたものだ」(フォーラム ハンセン病の歴史を考える・晧星社ブックレット2)と言っている。レビ記一三:四五、四六には、「 患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている。』と叫ばなければならない。 彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない」とある。「ツァラアト」を「らい」と訳したから、聖書がらい病患者=ハンセン病患者を汚れた者としてきたのである。

六、各国の聖書もその国の「らい」の言葉で訳している。各種の英語聖書は改訂されつつあるが適訳ではない。

各国語の聖書を見ると、「ツァラアト」を各国の言葉で「らい(ハンセン病)」と訳している。現代ヘブル語聖書は、「ツァラアト」であるが、残念なことに現代ヘブル語「ツァラアト」は、「らい(ハンセン病)」を指しているので、是正が必要である。英語訳聖書の中には、多くはレプロシーのままであるが、脚注で必ずしもレプロシーはハンセン病でないとあるものも多くあるが、ハンセン病でないと明言しているものもある。また、感染性皮膚病、有害性皮膚病,恐ろしい皮膚病、悪性の皮膚病と訳したものもある。

アメリカのある神学校で教授、職員、神学生にアンケートをとったが、「らい」を罪の象徴として理解している人、「聖書の中のらい」と「ハンセン病」が同じであると理解している人が相当数あった。同ルイジアナ州のカービル療養所の司祭、ハワイ・モロカイ島のカラウパパ療養所のビデオ、東南アジアの国々を訪問した人、そこから来た人たちから差別、偏見があることを聞いている。ハンセン病者の偏見、差別、不公平,隔離をなくすことが目的の国際機関「IDEA」のパンフレットにも,各国のこれらの実情が記されている。日本には元ハンセン病患者は5千人以下になっているが、世界に千万人以上のハンセン病患者がおり、この差別・偏見問題は今後も啓発していかなければならない。

七、第三版の新改訳聖書には、脚注とあとがきに説明と理由を適切に書いて頂くよう要望している。

聖書各巻の初出箇所には正しい脚注と、あとがきには、何故、「らい」が「ツァラアト」に改訂されたかを適切に書いて、「ツァラアト」が「らい」の置き換えだと、誤解されないようにお願いしたい。

                             2003年7月30日記。
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