金光臨として最後の活躍をするクハ481-126先頭の京キトA09編成
Data:Canon EOS-3+EF28-70mmf/2.8LUSM RDP3 2001.10.4 山陽線 瀬戸−上道
このA09編成に組み込まれていたクハ481-126は、金沢総合車両所(金サワ)で廃車寸前だった1996年頃に京都総合運転所(京キト)の485系先頭車不足を解消するため奇跡的に復活した車両で、ボンネット車クハ481-100番台のラストナンバーでもある。
当時、京キトにいたボンネット車は、1992年の七尾線電化まで運転されていた、ゆうトピア和倉(気動車)併結のため、先頭部の密連化とスカート切り欠きが行われており、オリジナルの姿ではなくなっていた。当時、クハ481-126は金サワに所属しており、金サワのボンネット車はスカート改造が行われていなかった。京キトに転属した時は、ゆうトピア和倉などの気動車併結運用は消滅しており、改造する必要はなかった。その結果、京キトで唯一の「原形車」となり、一躍スターとなった。近年は相次ぐヘッドマーク盗難対策でヘッドマークの内バメ化とスカートの「A09」の編成表記がなされている。
それ以外に特に動きがなかった京キトの485系だったが、2001年3月のダイヤ改正で「白鳥」が消滅。681系のマイナーチェンジ車の683系が485系スーパー雷鳥を置き換えたことで、動きが激しくなる。まず、改正前まで新潟「雷鳥」を受け持っていたJR東日本の上沼垂運転所485系が新潟「雷鳥」廃止に伴い運用を京キトに移管。そのために、金サワより原形ボンネットの先頭車クハ481-115を含む485系7両が転属、京キトの増結用485系ユニット(モハ485−148+モハ484-250)を組み込み、A10編成となった。
7月になると、スーパー雷鳥の余剰車転用で京キトのボンネット先頭車の置き換えが始まった。第1弾となったのはA01編成で、編成自体の検査入場の際、ボンネット車クハ481-119と123が、1985年くろしお用として中間車から先頭車改造されてクハ480になり、MG等の容量UPで形式が変わった簡易貫通扉車の珍車クハ481-801とクハ489-604に置き換えられた。
とうとう、ボンネット車置き換えの動きが出てきた中、次に吹田工場に検査入場するのはA09編成でした。2001年9月中旬頃、1週間だけ同じ京キトのA06編成(こちらは、両先頭車は非貫通のクハ489-303と貫通のクハ481-223)と編成をシャッフルする出来事があり、入場の為の距離数合わせとなりました。
A06(奥)+A09(クハ481-106)編成の雷鳥。
クハ481-126先頭のA09+A06編成もあり、走行距離合わせの関係で混成が発生した。これは約1週間ほど存在しました。
Data:EOS-5+EF28-135mmf/3.5-5.6IS USM PN400 2001.9.4大阪にて。
金光臨に初登場のA09編成。大雨の中を走る。2001.9.30 庭瀬-中庄間
Data:Canon EOS-3+EF70-200mmf/2.8L USM RMS(+1)
9月下旬に定期の雷鳥からの運用を離脱し、もう吹田工場入場だけかと思われた2001年9月30日、大阪からの金光教信者の参拝列車、いわゆる「金光臨」に抜擢されました。2001年9月4日にクハ481-126を撮影したのが最後になると思っていただけに驚きました。しかし、この日の岡山県南部は大雨になり、流し撮りするしかありませんでした。
もうこれで終わりと思っていた10月1日に、「10月4日にもA09編成が金光臨の運用に入る」という情報が入りました。9月30日の写真では満足いかなかった僕は、すぐに店長へ10月4日の休みを申請し、中古で買ったばかりのキャノンEF28-70mmf/2.8L USMのシェイクダウンを兼ねて撮影に行くことになりました。この日は485系A09編成、大ミハ117系、京キト583系10両、京キト583系10両という順番で下ってくるスジでA09編成が10時台に下ってくることになっていました。そこで、前日に鉄道ファンにも写真がよく載っていて、うちの店のあるお客さんに聞いてみると「その時間だったら、瀬戸-上道間が順光である」と教えてもらいました。
2001年10月4日木曜日、天気は晴れのち曇。午前中の降水確率0%
この日は朝早く起きて準備を整えた。普通だったら国道2号線BPを使っていくのだが、ラッシュ時と重なってしまう為到着が遅れてしまうので、早島ICから山陽道で経由で行くことにした。撮影ポイントから最寄のICまでの距離が近いためである。
現地に到着するとすでに1人の方が到着していました。その方は115系転属回送の時にもおられたH氏だったので、一緒に撮影することにしました。まず、スリックの三脚(グランドマスタースポーツBK)を設営、その雲台にはマルチアーム2(いわゆる、鉄ちゃんバーと呼ばれる三脚に2台のカメラを取り付けることができる部品。)を装着。さらにもう1台三脚を設置してSONY TRV20でビデオ録画することにした。フイルムはEOS-3にはRDP3(ポジ)をEOS-5にはリアラ(ネガ)を使った。最近リアラは使っていなかったが、天気も快晴なので大丈夫と判断した。レンズはEOS-3には導入したばかりのキャノンEF28-70mmf/2.8L USMを、EOS-5にはEF70-200mmf/2.8LUSMを装着した。置きピンをして、単体露出計(セコニックL-608)で露出を測る。シャッター・絞り値はEOS-3の方が1/1600 F3.5、EOS−5は1/1500 F4.5だ。EF66牽引のコンテナ列車、キハ181系いなば(この日はキハ181を1両大阪側に増結した4両だった。)、115系電車を撮影してシャッターを切る感覚をつかむ。iモードで掲示板「485系の広場」にアクセス。予定通りA09は下ってきていた。しかし、近畿地方はあまり天気がよくないらしい。
いよいよ通過する時間がやってきた。結局僕とH氏を含めてこのあたりは6人の人がA09編成の通過を待つ。瀬戸駅で運転停車していたクハ481-126先頭のA09編成が下ってきた。思ったよりもゆっくりやってきた。EOS-3とEOS-5のレリーズを押し込む、いずれも高速連写だ。ファインダーで露出計を確認する。1/3程オーバーのように思えたが構図はバッチリだった。その後やってきた117系(福知山色C1編成)、583系10両2本を撮影し、一度自宅に戻る。
自宅に戻って昼食を摂った後、またしても山陽道経由で里庄駅へ向かう。A09編成は金光駅で参拝客をおろした後、里庄駅で折り返しまでの間停車しているのだ。国道2号線BPでも十分にいける距離だが、玉島あたりの渋滞を嫌った結果だ。
里庄駅に着くと、2番線にA09編成が折り返しの準備を整えていた。天気は曇ってきた。まず、大阪側の先頭車クハ481-106を撮影。そこから、ビデオ撮影を開始し、中間車のクーラーなどを撮影する。(模型用の資料)そして、クハ481-126を撮影する。露出を微妙に変えて撮影していった。そして36枚撮りのRDP3を使い切った。
里庄で発車20分前まで撮影し、またも山陽道経由で瀬戸-上道間の上りのポイントへ向かう。現地に着くと曇ってきた。撮影をしたのだが、やっぱり失敗した。これ以降、クハ481-126を撮影することはなかった。
画像左:里庄駅で停車中のA09編成。こちら側はクハ481-106で密連化改造とスカートの切り欠きがなされ、運転室屋根上のランプカバーがない。
Data:Canon EOS-3+EF28-70mmf/2.8L USM RDP3
画像右:こちらはクハ481-126である。細かいところをよく見ると、塗り屋根化されていた。
Data:Canon EOS-3+EF28-70mmf/2.8L USM RDP3
いずれも 2001.10.4 里庄
10月の3連休に臨時雷鳥として最後の運用に運用についた後、僕がF1日本グランプリ観戦の為、鈴鹿に向かう10月11日の早朝、A09編成は検査入場の為、吹田工場へ向けて回送された。やはり、入場時にクハ481-126とクハ481-106の両ボンネット車は金サワで余ったクハ481-205とクハ481-701に差し替えられてしまった。
10月24日には3月ダイヤ改正で金サワから転属した、原形ボンネット車クハ481-115を含むA10編成が運用を離脱してしまい、京キトにいた原形ボンネット車は全滅し、スカート切り欠きボンネット車がA04・05・07・08編成の8両のみとなった。
2002年10月現在は、とうとう両ボンネット車編成が消滅してしまったが、A05
A06 A07 A08編成の4両のみとなる。2003年6月1日から、しらさぎの683系2000番台置き換えで余剰となったクロ481-2000番台などが京キトに転属し、組み換えが始まった関係で編成の方向転換が行われ、大阪側に1両(A08)、金沢側に3両(A05・06・07)となりました。しかし、2003年10月頃までには全車置き換えになりそうで、この中で1番に脱落しそうなのはA08と思われます。