115系写真館


 ここでは、岡山電車区に現在在籍、もしくは岡山電車区から転出・改造された115系電車を特集しています。

現在、岡山電車区に在籍している115系電車の編成は4種類あります。

A編成(4両編成)9編成在籍。

画像上:原色A編成1000番台同士の山陽線1303M。2004年3月ダイヤ改正でA+D編成となり、8両編成の原色編成も見ることができない。ただし、A13とD編成原色の組み合わせの確率はかなり低い。2004.2.18 瀬戸-上道間にて。画像下:リニューアル前のA03編成。2001.10.4 瀬戸-上道間にて。

 
 以前は、A05編成に原形ヘッドライト車のクハ115-142がいたりしたが、2004年2月現在は30Nリニューアル工事が進行し、原型原色のA08・11・13編成とA編成初のリニューアル車だったA02編成と40Nと30Nの混在編成であるA10編成以外は外観的に目立つ編成はいない。
 A編成のリニューアル車第2弾となったA10編成の下関側のクハ115-219は当時、変形リニューアル車(下記参照)としてクハ115-622と共に異彩を放っていたが、伯備線ワンマン車改造(現在のG編成)関連でいずれも下関車両管理室(広セキ)へ転属した。その後釜として従来車のクハ115-1206を組み込んだ為、岡山電車区唯一の混色編成となった。当時のA10編成は103系などの代走編成のイメージが強く、2001年9月11日以降、クモハ123-5・6の代わりに連日茶屋町−宇野間を走行した。

 2002.4.18に後藤総合車両所から3本目のA編成リニューアル車となったA01編成が出場した。この編成から従来のリニューアル車よりも工事を簡略化している点です。主な点は雨どいの未改造(張り上げ屋根風ではなくなった)、窓サッシと乗降扉の未交換のままなのが最大の特徴。(このタイプは30Nリニューアル工事と呼ばれている)京キトでも2002.3に同じような外観で登場しているので、今後はこのような形になるようです。

 その後、A編成が続々とN30リニューアル工事が進められ、昨年11月にはA05編成が大阪側のクハ115を下関車両管理室のクハ115に差し替えた上で、後藤総合車両所に入場。モハ115の先頭車化改造と、おそらくN30リニューアル工事が実施されているものと思われます。110km/h対応車だったA09編成もA05編成同様に入場している。そして、2004年3月22日、A11編成も下関へ回送されてしまった。その為、原色A編成の1000番台車はA08のみとなり、300番台車のA13編成とを合わせて2本のみとなった。
 最後の全車原型原色の1000番台だった、A08編成が2004年4月18日の朝の運用を最後に運用から外れ、4月22日に下関へ回送。大阪側クハ115をセキC24編成のクハ115-109に振り替えた上で、5月1日に岡山電車区へ戻り5月6日に後藤総合車両所へ入場した。
 もう1本110km/h対応車だったA12編成も30Nリニューアル工事の際にブレーキ系統を従来車と同じにしてブレーキ改造前のナンバーに戻った。

 30Nリニューアル車第1弾となったA01編成。サッシ・雨どいは原型のまま。スカートがグレーになっているのもポイントである。2002.5.1 瀬戸-上道間にて

 

岡山電車区唯一の30N+40Nリニューアル混成編成であるA10編成。2006.1.1 備中箕島-早島間にて


D編成(3両編成)31編成在籍。

画像上:ベンチレーター撤去前の「しあわせさん こんぴらさん」色のD27編成。2004.3.11 備中箕島-早島間にて。画像中:ぞくぞくと増殖中のN30リニューアル車。D08編成が第1弾のグループになる。2002.9.23 大富-邑久間にて。 画像左下:N40リニューアル車の2パンタのモハ114-1000を組み込んだD01編成。画像右下:原色である当時のD28編成(現D20)であったが、2005年6月に吹田工場へ入場し、30Nリニューアル改造された。2001.6.28 庭瀬-中庄間にて。


 岡山電車区の主軸編成である3両編成のD編成。クモハ115は300番台、5800番台車の編成以外はすべて国鉄時代に先頭車化改造を受けた1500番代である。冬季の伯備線・山陰線の運用も考慮して、モハ114-1000に霜取対策でパンタグラフを増設したのも岡山電車区が最初である。D編成のリニューアル車は1999年2月に当時のD13編成(1パンタ車)が最初で、夏にD01編成、2000年3月にD06編成が登場したが、これがD編成最後の40Nリニューアル車となった。

 2002年にD08編成が後藤総合車両所で、D02編成が下関車両センターでそれぞれ、30Nリニューアル改造工事がされているが、前面スカートの色がD02編成が黒、D08編成がグレーに塗られている。その後は主に後藤総合車両所で、一部が吹田工場でリニューアル改造が実施されておりますが、、すべてグレースカートとなっていてD02編成は異色の存在です。

 なお、伯備線ワンマン車(G編成)の種車として、2パンタ車のモハ114-1000が組み込まれた編成が優先的に選ばれたため、原形・湘南色2パンタのモハ114-1000は存在しない。原色の1000番台D編成は2004年3月時点で11本であったが、30Nリニューアル工事が進んでおり、2005年8月1日現在で6本に激減しており貴重なものとなってきた。

 2006年の8月に後藤総合車両所に入場したD05編成はリニューアルされずスカートをグレーに塗って出場。2007年3月2日に入場したD10編成が30Nリニューアルされてからは唯一の1000番台未更新のD編成となっている。

 300・5800番代は国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月改正で三鷹電車区から転属してきたもので、当時は横須賀色であったため、異色の存在だった。JRになってもしばらくそのままで運用されたが、1987年中に湘南色になった。5800番代は1992年ごろに網干電車区へ転属し、しばらくして110km/h運転対策のブレーキ改造がされたため、McとM’は原番号+5500、Tcは原番号+5000となった。岡山電車区に里帰りした際はサハ111-7000(元はサハ111-2000)を115系に編入したサハ115-7001・7002を組み込んでA編成として運用されたが、しばらくして3両化された。その結果、サハ115-7001・7002は保留車となり、結局、2000年10月までに廃車された。

 2003年10月にはD27編成が「しあわせさん こんぴらさん」色になり、当初は213系の普通運用に組み込まれ、岡山-琴平間以外に、宇野線と赤穂線でも見ることができたが、2004年3月13日改正より前の3月9日頃から岡山-琴平間の限定運用(朝は岡山-児島間)であったが、2005年3月1日ダイヤ改正で琴平限定運用が解除され3日周期で琴平に入るようになっている。ヘッドマークもこの改正から使用していない。

 2004年1月にはD25編成が原色ながらもベンチレーターを撤去されて出場した。岡山電車区の300番台車は95年から97年ごろまでに延命工事を受けているものの、N40・30リニューアル車はおらず原型そのものだったが、今回のD25編成出場でその他の300番台の動向が注目されていましたが、3月末に網干総合車両所を
出場したD26編成、5月末に網干総合車両所を出場したD24編成もD25編成と同形態となりました。

 2004年8月には5800番台のD22編成が出場しましたが、ベンチレーター撤去工事は実施されず、原形・原色を保ちました。8月17日より網干総合車両所に入場していたD27編成が9月8日に出場。9月11日より運用に復帰した。こちらはベンチレーター撤去工事を受けています。「こんぴら」色になってから2通りの姿が存在したことになります。

 2004年1月に網干総合車両所から出場したD25編成。湘南色のベンチレーター撤去車は2000年3月に登場したクハ115-622以来となる。(現在は下関車両管理室に在籍) 2004.2.16 万富-瀬戸間にて。

 水曜日の山陽線部分運休日に登場する115系サンライナー。初めて撮影できた日は運良く湘南色のD24編成でした。2004.6.9 庭瀬-中庄間にて。 Cyber-shotF828で撮影。


 またまた、変形顔登場。D28編成 

 マスカット球場観客輸送で活躍するD28編成。この日以後しばらくの間運用に入っていなかった。2004.5.9 岡山にて Cyber-shotF707で撮影。

 昨年11月から後藤総合車両所に入場していたA05編成がモハ115を先頭車化改造を受け、3両編成となって2004年4月20日に出場しました。基本的には伯備線用のクモハ114-1000に貫通扉をつけた構造となっているが、低運転台に従来の115系のようにヘッドライト・テールライトの配置となった為、独特の顔になった。番号は原番号+600となりクモハ115-1659となった。また、前面にワンマン表示器が取り付けられ、相方のクハ115-1405も表示器の他に山側の運転台直後の窓1つが埋められて機器箱が設置されています。
 出場当時ははまだ1本のみの存在の為、GW期に限定運用で営業運転に付き、5月9日にマスカット球場の観客輸送で運用に入ったのみで、2004年6月1日現在全く運用についていませんでしたが、D29編成が出場後からは他の編成の検査入場が相次いでいることからDもしくはG編成の代走運用に入っています。

 9月下旬にD30編成、11月にはD31編成が出場している。
2005.1.23の岡山地区のダイヤ改正以後は、D28〜31編成は他のD編成2本含めた6つの運用に限定運用されている。


115系の異端児?103系顔の伯備線ワンマン車、G編成。

 画面左上:G編成2両の姿。画面右上:8編成あるうちで唯一1パンタ車であるクモハ114-1196。画面左下:クモハ115(左)とクモハ114(右)の併結シーン。数本のみ見られるシーンである。画面右下:G01編成と木野山駅の桜のとの組合せ。


 2001年に現れた、最新グループ。昨年11月の編成番号変更までは種車のD編成番号であった。最大の特徴はクモハ114-1000で、予想外の播但線103系のすそ絞り顔で現れた。舞鶴線用のクモハ114-6000・6600番代から始まった、種車の車体を最大限利用して工期短縮とコスト削減を行なう工法を採用している。トイレはクモハ115-1500のクモハ114側の海側に搭載され、真空式を採用。水タンクはトイレの隣(つまり車内に)搭載している。舞鶴線のクモハ115-6500とは微妙に窓配置が異なる。
 2001年の1月からD15編成などを皮切りに改造が開始され、クモハ114-1000番台の運転台機器は初期型のクハ115から転用することになり、第1弾の5編成は後藤車両所・吹田工場改造分は岡山電車区で一度編成を組替えてから、入場。下関車両センター改造分(旧D08編成)は現地でクハ115-651と組み替えて入場している。最初に登場した後藤車両所改造の旧D03・15編成は側面ナンバーが国鉄書体なのが特徴。(従来の岡山電車区リニューアル車も同じ)その他はJRW書体である。現在は、A02・10・D01・06・13も含めてJRW書体に統一された。
 
 第2弾の3編成は6月に相次いで組み替えが行なわれた。D17・18編成に関してはクハ115-1000をクハ115-622・219の変形リニューアル車に組み替えた。今までのパターンでは「廃車」なのだが、2両とも更新はされていることから、広セキへ転属。そこで再度クハ115-609と134に組替えた上で、後藤車両所に入場している。旧D34編成は旧D8編成と同じ方式を採用し、クハ115-653と組替えて入場している。下関へは旧D34+旧D17編成、数日後に旧D18編成が回送されている。後期改造車は運転台側面に窓が追加されている。
ここ最近は前期改造車も後藤車両所に臨時入場して、窓の追加工事が実施されている。この中の1番の珍車は、G07編成のクモハ114-1196で8編成あるうちの唯一の1パンタ車である。


中間車は元117系のK編成(4両編成MM’ユニット3500番台)7編成在籍。

K02編成。中央の2両が3500番台である。2004.11.6 備中箕島-早島間にて。

 1992年、快速「サンライナー」用として岡山電車区に117系4両編成5本(E編成)が配置された。117系はもともと、6両編成だったため、4両化された際に余剰となったモハ117+モハ116のユニットを115系仕様に改造したものが3500番台。奈良線用117系も一部4両化されたため、最初の年に11ユニットが改造された。
 岡山電車区に7ユニット、下関運転所(当時)に4ユニット配置され、岡山電車区の場合は115系1000番代M+M’ユニットを置き換え、下関運転所は115系3000番代で中間車が115系0番代のM+M’ユニットの編成を置き換えた。岡山電車区の置き換えられたM+M’ユニットは一部のA編成とD編成と一緒に網干電車区へ転属。下関運転所の置き換えられたM+M’ユニットは同所の115系非冷房M+M’ユニットの置き換えに使用された。
 室内は一部にロングシートが付き、セミクロス化されている他は特に117系時代とあまり変わっていない。台車も117系時代の空気バネ台車DT32のまま(115系はコイルばねのDT21・TR201)であるため、115系の中では1番乗りごごちがいいとされている。また、外観上はモハ115-3500にパンタグラフが付いているが、これは115系では唯一の例である(普通はモハ114)

 G編成改造に伴う先頭車の組み換え以後は大きな変化が見られなかったが、K05編成のクハ115-300のベンチレーター撤去が検査入場時に実施され、2004年11月下旬に網干総合車両所から出場している。
 2005年5月には後藤総合車両所に入場していたK03編成がN30リニューアル改造されて出場。下関車両管理室のセキN-19編成に続いてモハ114・115-3500番台のリニューアルとなった。


最近まで岡山電車区にいた珍車。

クハ115-219・622(変形リニューアル車)

 

左:転属前の組み替え作業中のクハ115-219。右:転属後に瀬戸内色へ塗色変更された、クハ115-622。

 2000年の3月と11月に現れた変形リニューアル車。先に改造されたのは当時K03編成のクハ115-622で当時は湘南色で出場。クハ115-219は当時のA10編成がリニューアル改造された際に一緒に改造されたもの。大きな特徴は屋根上はリニューアル車と全く同じ工事内容(ベンチレーター撤去・貼り上げ屋根風のステンレス雨どい化)でサッシやドア交換・Hゴム廃止・転換クロスシート化がされていないのが特徴。(室内の化粧板のみは交換)種車が初期型だったのでこのような形になった。
 岡山電車区の中でも1番目立った珍車群だったが、2001年の6月に伯備線ワンマン車(現G編成)のクモハ114に下関車両管理室のクハ115-134と653の運転台機器が流用されることになり、そろって下関車両管理室に転属。クハ115-219はセキC08編成へ、クハ115-622は転属時、セキC38編成へ組み込まれ、混色状態だったが、冬までに瀬戸内色に塗色変更された。現在、クハ115-622は、さらに組み換えが行われてG02編成に組み込まれている。珍車のクハ115が多数配置されている下関車両管理室の中でも異彩を放っている。

クハ115-620・621(クハ111からの編入車)

クハ115-142(原形ヘッドライト、岡山電車区初のアコモ改造車)

旧D34編成(福知山+湘南色)混色編成。