「池上彰のやさしい経済学」まとめ 第3回

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「池上彰のやさしい経済学」 - 第3回 アダム・スミス 〜 「見えざる手」が経済を動かす 〜

アダム・スミスとは

 
近代経済学の父。スコットランドの人。28歳でグラスゴー大学の教授に就任。
でも、教えていたのは経済学ではなく、道徳哲学でした。
(1723生−1790没)

『道徳感情論』と同感

道徳哲学を教えながら、1759年にその講義をまとめた『道徳感情論』を発表。その中で「同感(シンパシー)」という概念を論じる。

同感の概念>
商売をする時、人は自分が儲ける事しか考えない。なのになぜ、世の中の秩序は保たれているのか。
自分の事しか考えないのだから、自分の利益の為に強盗や殺人をするということが頻発してもおかしくないのに、なぜ世の中は無秩序に陥らないのか。
それは人が他人から「同感」を得る事を望むから。
商売のやり方の中で「うまいことやってるよな」と嫉妬をかいつつも、「まあそれくらいはやるだろう」と他人からある程度「同感」が得られれば、その商売は続けられる。 でも、「そこまでやるか、人として最低だ」と他人から「同感」を得られなくなるとその商売はやがて成り立たなくなる。
だから人は他人から「同感」を得られるギリギリのラインを意識しながら行動するようになる。
そして人がその「同感」を意識しながら行動することによって、「結果的に世の中の秩序は保たれている」という考え。

『国富論』の富

『道徳感情論』の考えを経済学の理論へと発展させ、1776年に発表したのが「国富論(こくふろん)」。 *「諸国民の富」という訳もある。
そこでアダム・スミスは「富」について定義している。

<富とは何か>
富とは「消費財」。
「消費財」とは「必需品」と「便益品(べんえきひん)」。
「必需品」とは生活出需品のこと。普段の生活で必要な物ですから、これが無いと困りますね。
「便益品」とはぜいたく品のこと。便利なものとか楽しむものとか、ほどほどにいりますね。
これら2つを「消費財」といい、その消費財が「富」なんだと言っています。

富 = 消費財(必需品・便益品)

アダム・スミス、「重商主義」を批判する

 
<重商主義とは>
重商主義での「富」とは「貴金属」のこと。
物を作って輸出すれば、お金が入ってくる。金・銀・銅といった貴金属が入ってくる。それらの「貴金属」を集めたものが「富」である。
輸出をすれば貴金属が手に入るが、輸入をすれば支払いのために貴金属は出て行ってしまう。それでは国は豊かにならない。という考え。

重商主義 = 貴金属が入ってくる輸出はOK。貴金属が出ていく輸入はダメ。とにかく輸出をして貴金属をためることが良いことであり「富」である。
「重商主義」的な考えは現代でも、よく言われていますね。でもアダム・スミスはこれを批判しました。約250年前のことです。

<アダム・スミスの重商主義批判>
輸出で儲けた貴金属で素晴らしい品物(消費財)を輸入すれば、人々の暮らしはより豊かになり、国の経済は発展していく。それこそが富である。
それに対して、輸出をして貴金属をためることのみが富だという重商主義は間違っている。

アダム・スミス、「輸出奨励金制度」を批判する

輸出奨励金制度とは、輸出する企業に補助金を出し、支援する制度。

<どこが良くないか>
補助金を出さないと利益が得られないような産業を奨励することは資源の無駄使いにつながる。
さらに、国の補助金目当てで参入する他の企業も出てくる。結果、生産性の低い産業に企業が集まり、補助金の支払い額が増え、国は衰退していく。

<市場(マーケット)が大事>
国が介入せず市場にまかせて自由にやらせておけば、必要な産業は生き残り、的確な物の値段が決まる。
結果的に、資源が最適に配分され経済が豊かになっていく。

分業

アダム・スミスは、生産性を高める手法として分業の具体例をあげています。

<ピンの製造を分業する具体例>
鉄の塊を針金のように伸ばし → ピンの大きさに切り → 穴をあけ → 先をとがらせる。
そんな過程を1人でやれば1日に1本作るのがやっと。
それを10人で役割分担して分業すれば、1日で1人当たり4800本のピンを作る事が出来る。

<池上彰があげたパンの製造を分業する具体例>

小麦を植え → 収穫し → 小麦粉にし → パンを焼いて → 甘い味付けをつけたりして売り出す。
これを1人でやると1年かかる。
実際には、小麦を作る人や小麦粉を製造する人などそれぞれ専門の人がいる。 パン職人は専門業者から小麦粉を購入してパンを作ればいいので1年もかける必要がない。
役割を分担することで、物を大量に生産できる=生産力が高まる。

社会的分業は利己心で成立する

ピン製造など1つの企業内での分業とは別に、
<社会全体としての分業(社会的分業)は利他心ではなく利己心によって成り立つ>
これは、「私が欲しい物を下さい、そのかわりあなたが欲しいお金を上げましょう」というお互いの利己心で社会的分業は成立するということ。

小麦を作る人は、相手の利益(利他心)になるから小麦を作るのだろうか。
そうではない。小麦を作れば自分が儲かるから(利己心)小麦粉を作っているに過ぎない。

小麦粉を製造するの人も、安く材料を仕入れて高く売ることが出来るから作っているに過ぎない。

肉屋さん・魚屋さん・パン屋さんはみんなのためを思って博愛心(利他心)で肉・魚・パンを作ってるのだろうか。
そうではない。それらを売って儲けよう(利己心)とするために作っているのだ。

でも、自分の利益のために肉・魚・パンを作り売る人がいるおかげで、私たちはそれらを買い食べることが出来る。
利己心から成る社会的分業のおかげで、世の中は回り経済は発展していく。

見えざる手に導かれ

でました、超有名フレーズ<見えざる手>
人は自分の利益のために働いているのに、社会的分業は成り立ち、市場はうまく機能している。
その事をアダム・スミスは「見えざる手」に導かれて世の中はうまく回っていると表現しました。


<“神”の見えざる手>とは言ってないんです。
良く聞くのが「神の見えざる手」という表現。 「見えざる手」によって経済がうまく誘導されているということは神様がやっているようなものだと勝手に解釈した人々が 使うようになり広まった。
国富論でアダム・スミスは「神の見えざる手」とは一言も言ってません。 なので「アダム・スミスの神の見えざる手」という表現を見かけたらそれは間違い。

自由放任?

アダム・スミスは、政府が市場に口出しすることを批判する一方で、政府がすべき役割についても言及しています。
世の中を「見えざる手」に任せて全て自由放任がいいと言っていたわけではありません。

<政府の役割>
国防・司法行政・公共施設(道路や河川の整備など)。
これらは国がすべき仕事だよと。

物の値段は利己心で決まる

<物の値段を決めるのは難しい>
キャベツ100個を売る場合

●青果店 A店
開店時:150円×80個=12000円 + 売れ残りを閉店間際に特売:100円×20個=2000円
合計14000円
●スーパー B店
安売りしたのですぐ売り切れた:130円×100個=13000円
合計13000円
最終的にA店はB店より大幅に安売りをしたのに総売上は高くなった。これも売る手法の一つですね、奥が深そうです。

<値下げをする理由>
では、A店は客のために特売をしたのでしょうか。そうではない、売り切ってしまう方が利益が上がるから安くした、最終的に利益が保てるから安くした、ととれます。
値段を下げて「お客様サービス!」として売っていても、それは客のためを思っているのではなく、値段を下げて売れた方が自分の利益になるから行っているに過ぎないと考えることができます。

<悪徳商法の対処法>
人は自分の利益のために商売をしていると考えると、悪徳商法の誘い文句「いい儲け口があるんですよ〜」は理屈に合わなくなります。
この人が私の儲けのために商売をしているはずがない、いい儲け口があるなら人に言わないで自分でやってるはず、ということになります。
あなたのためと言ってても実際はお金を出せばその人が儲かるようになっているのです。

競争による資源の最適配分

<規制を緩和して携帯電話が爆発的に売れた>
大型・高額で誰も買わないだろうと、販売が規制されレンタルのみだった携帯電話。
1994年、売り切り制になったとたん爆発的に売れ出し、大量生産で値段も下がりどんどん進化し小型化された。
使う部品も減った結果、経済学的に言うと限られた資源を有効に利用できるようになった。
携帯電話普及の経緯は、規制緩和による市場活性化の代表的な好例となった。

市場の失敗1「独占の弊害」

自由な市場が大事であるということは確かなわけですが、全てが良いわけでもないという事も出てきます。
ここからはアダム・スミスの理論ではありません。アダム・スミスの自由放任の課題点、その例を取り上げます。

<独占>
自由市場では、激しい競争によって経営体力の無い会社はつぶれていきます。 逆に経営体力の強い会社はどんどん勢力を伸ばしていきます。
吸収合併をしさらに大きくなった会社は、やがてその市場を独占してしまいます。 独占の弊害が生まれます。

<独占の弊害>
町に大型店が進出。もの凄く安い値段で販売を始める。
皆、その安い大型店で買い物をするようになり、周辺の店は次々とつぶれていく。
周辺の店が全部つぶれて大型店のみになった途端、その大型店が物の値段を大幅に上げる。
他店は全てつぶれてしまったので、皆はその値上げした大型店で買わざるをえなくなる。

実際にアメリカで航空事業を自由市場にした結果、激しい価格競争の末に、ある路線で1つしか航空会社が残らない状態になった。
途端にその航空会社は運賃を値上げした。乗客は高くてもその航空会社を利用せざるを得なくなった。

独占禁止法

独占企業が出来ると市場が失敗してしまう。それを防ぐためにあるのが「独占禁止法」。

大企業が市場を独占することを禁止。
ある産業で2つの企業しか存在しない中、その2つの企業が合併するのを禁止。
人気のあるゲームソフトを、人気のないゲームソフトとセットでしか販売しない、という抱き合わせ販売の禁止(ゲームソフトは例です)。
大型スーパーが近くの豆腐屋をつぶすためにとてつもなく安い値段で豆腐を販売したりする不当廉売の禁止(豆腐は例です)。

独占禁止法は、企業が強い立場を利用して弱い側を不当に扱う事を防ぐ法律。 担当は公正取引委員会。

市場の失敗2「外部性」

企業は、化学廃棄物などの汚染物質をそのまま川に流したりした方がコストがかからなくてすむ。
市場に任せれば、余計な物や邪魔な物は外に出してしまおうという行為(外部性)が行われる。 それが外部性(がいぶせい)による市場の失敗例の一つ。

<公害>
1960年代の中心とした高度成長期に日本でもさまざまな外部性による公害が発生します。

<熊本水俣病>
 
1956年、熊本県水俣市でチッソ株式会社水俣工場からの排水により不知火の海が汚染、水俣病が引き起こされます。
水俣市は税収入の40%をチッソに依存するなど、チッソによって発展した経緯があります。
昭和28年に原因不明の奇病が発生しチッソとの因果関係が指摘されながらも、チッソはその立場を利用し撤退をちらつかせながら、 水俣病がチッソの工場排水に起因しても一切の保障はしないという条文を含む契約書を調印させます。
水俣病とチッソとの因果関係の立証には時間がかかり、対策は遅れ、被害は拡大しました。

<四日市ぜんそく>
 
1960年代、三重県四日市市で集団ぜんそくが発生。
石油コンビナートの煙突から大量に吐き出される亜硫酸ガスなどの有害物質が原因でした。

企業に自由に経済活動をさせると、コスト削減のためにこのような公害が起きる場合があります。
大気汚染防止法、水質汚濁防止法などの法律によって規制が必要となってくる。これが市場の失敗と言われます。

市場の失敗3「情報の非対称性」

新車と比べて中古車は、その状態にバラつきがあります。
故障だらけのポンコツを外側だけ綺麗に直した物なのか、前の所有者が丁寧に乗った状態が良い物なのか、
素人である買う側にはそれが判断できません。でも売る側は分かっています。
買う側と売る側が持ってる情報が同等・対称ではない。これが「情報の非対称性」です。

<一時期良くあったアメリカ中古車販売での問題>
アメリカでは「情報の非対称性」を悪用したぼったくり中古車販売が横行してたようです(まあアメリカに限った事ではないでしょうが)。
そして欠陥品を売りつけられる可能性、一番注意が必要なのが留学生の車です。 留学生が本国に帰る時、それまで乗ってた車を売りに出すために新聞広告を出したりします。 購入後、もしその車が不良品であることが分かっても、その頃には売った人は国外に出て行ってるのでどうしようもない。

<欠陥品を買わされないために>
欠陥品を売ってればその店の評判は落ち、つぶれてしまいます。昔から続いている店はある程度信頼がおける店ということになります。
さらに、店自体の建物など初期投資をしているお店などもすぐつぶれては困るのでそれなりに健全な販売をしていると推測できます。 逆に、すぐにでも撤退できるような店構えは要注意です。
一概には言えませんがこれらの事は購入する際の知識としてある程度の指針になります。

<レモン>
英語でレモンとは欠陥品、欠陥自動車の事。
見た目がきれいでも中身が腐ってたりすることがあるために、そういう意味合いになった。
日本で「あなたはレモンのようだ」と言うと(そんな使い方したこと無いが)、なんか清々しい褒め言葉のイメージだったりするが、 英語圏では最大の侮辱になってしまうので要注意。

<消費者行政>
情報の非対称性などから消費者を守るために、日本では消費者庁や地方自治体の消費者センターがあります。
消費者庁は、2009年9月に消費者を不良品や食品偽装などの「情報の非対称性」から守るため発足されました。

まとめ〜経済学の変遷

アダム・スミスは、行政の規制を批判し市場に任せれば良いとの理論を打ち出した。
その理論により、市場は適正な価格になり資源の無駄使いが防げた。
しかし市場の失敗という問題点が出てきた。行政は問題点をカバーするために様々な規制をした。

経済学は、それぞれの時代の処方箋みたいなもの。
課題を克服するために、新しい理論が生み出され、そこからまた課題が出てきて、その課題を克服する理論が生まれ、、。
アダム・スミス → カール・マルクス → ジョン・メイナード・ケインズ → ミルトン・フリードマン といった経済学者達の試行錯誤の結果、経済学は発展してきた。

経済学は物理学や化学とは違う。物理学では正しい物理の法則が見つかれば、その法則に基づいてロケットを打ち上げる事も出来る。
しかし、経済学は生身の人間が相手。合理的な経済人を想定して理論を考えても必ずしもうまくいくとは限らない。
新しい経済学が生まれては埋もれていく。その繰り返しが経済学の歴史と言える。

質疑応答

学生の質問はやや長めになってましたが、一生懸命考えながら質問してるのが伝わってきて好感が持てました。
池上彰氏もやさしくうなずきながら質問の意図を熱心に汲みとろうとしていて、流石だなと思わせてくれました。

Q.
シャッター通りなど地方が直面している問題について、考えをお聞きしたい。

 

A.
店々が閉鎖してシャッターを閉じてしまった商店街をシャッター通りと呼ぶようになった。
昔は商店街で多くの店が開いていたので「そこに行けば何かあるだろう」と人が集まってきた。これを「集積の経済」「規模の経済」と言う。

<集積の経済>
なぜ、秋葉原には同じような電気製品のお店がいっぱいあるのか。 なぜビックカメラやヤマダ電機など一つの大型量販店が出来ると、すぐその横にライバル店が進出してくるのか。 そんなに集まったらやっていけなくなるはずなのに、なぜそんなにいっぱいお店が集まるのか。
それは秋葉原に行けば、いっぱいある電気店の中に必ず自分が探している物が見つかるだろうと全国から客が集まってくるから。 大型量販店が立ち並ぶ所に行けば、自分が欲しい物が安く手に入るだろうと周辺から客が集まってくるから。
かつての商店街にもそんな効果があった。そこへ商店街の店々を一つにまとめたような大型店が進出してきた。 商店街の個々の店は打撃を受け、大型店の進出を規制する法律「大規模小売店舗法」が1974年に施行された。

〜 <規模の経済>
例えば、男性と女性が別々に一人暮らしをしている場合、それぞれの家に冷蔵庫や洗濯機、電子レンジなどがある。 一緒に暮らせばそれらは一つづつあればすむ。
人が集まって生活の単位が大きくなる、規模が大きくなると 共同の物はみんなで分担することができ、個々の負担が減っていく。このようなことを規模の経済と言う。
【参考】NHKオイコノミア「賃貸暮らしもいいけれど・・!?(後編)2012/11/13」 〜

<大規模小売店舗法>
大規模=大型店。小売=スーパーなど。駅前への大型店の進出を阻止して、地元の商店街を守るための法律。
しかし、大型店は駅前への出店ができないならと郊外へ大きな駐車場を完備した出店を行った。 結果、客は自動車で郊外の大型店へ行くようになり、駅前の商店街に客が来なくなった。 法律の規制によりかえってさびれていく商店街が出てきた。
その一方で、東京の吉祥寺などは古くからの商店街が大型店の出店を受け入れた。 すると、客は大型店で買い物をするついでに商店街でも買い物をするようになり、コバンザメ商法と言われるような現象が起きた。
  ←吉祥寺

<コバンザメ商法>
大型スーパーの前に小さな八百屋さんを作る。 スーパーに買い物に来た客は、スーパーのパッケージされた商品より新鮮に映る八百屋の野菜を買うようになる。
結局、規制は逆効果だったという結果と、アメリカからの圧力もあって、「大規模小売店舗法」は2000年6月に廃止。同月に「大規模小売店舗立地法」が施行された。

<大規模小売店舗立地法>
 
定休日、営業時間、店舗面積の制限を無くす法律。
これにより、年中無休で24時間営業をするスーパーや、巨大なアウトレットモール、超大型のショッピングモールが全国各地に次々と建設された。
小規模の小売店は経営がさらに圧迫されることになり、ますますシャッター通りが増えていった。

<実は悠々自適?な店の持ち主>
大型店進出のあおりでシャッター通りが増えていったのは確かだとしても、実は単に高齢が理由で店を閉めた人たちも多い。 苦労して商売を続ける必要もない、そんなお店の所有者は郊外で悠々自適の生活を送ってたりする。
大事なのはそんな空き店舗をやる気のある若い世代に貸し出したりする仕組みを作っていくこと。
行政によって規制が必要な場合もある。しかし規制によって事態がより深刻になる場合もある。 町を活性化させるアイデアを新しい発想で常に考えていくことが重要であり、これからの世代の課題でもある。

<感想>
   ←吉祥寺
吉祥寺の例をみると、古い商店街も大型店との共存・共栄が可能なんだと認識させられます。 さらに商店街の中でも古い店と新しい店が混在する独特の空間を作り出しています。 古い物の良さが再発見でき、新しい物への斬新さを感じることができる街づくり、オシャレです。
でも、いくら若者の進出を奨励すると言ったって、閉店した店舗跡地に詐欺まがいの「あおり販売(キャンペーンで無料で商品を配りますと 高齢者を呼び寄せ、最終的に高額な商品を売りつける)」をするような人の道に反する若者が入ってきては害になるだけだし。
地元岡山の駅前商店街などを思い起こしてみても、パチンコ店が軒を連ねてたり、安くもおいしくもない焼肉屋が多かったり、 ただ開けてるだけで売る気はなさそうなディスプレイの店だらけ(もちろん全部がそうではないですよ)。
単に昔からその場所で商売してるだけという店主が集まった商店街には、いくらその内の何件かががんばっても人は集まってきません。
街を活性化させるという「志」を店側も客側も持つこと。基本だけど大事な要素なんだなとあらためて思いました。

疑問

Q.
貿易赤字は悪いという印象があるが、アダム・スミスの理論だと悪くないということなのか?

A.
ずっと貿易赤字が続くというのは望ましくないが、数か月単位で貿易赤字が出たからといってそれほど問題ではない。
アダム・スミスの重商主義批判は、貿易でお金を蓄えることを良しとした重商主義では国民の生活が豊かになるとは言いきれず、 それよりは貿易で消費財を輸入した方が国民の生活が豊かになるという理論。
だから貿易赤字でも消費財を仕入れれば国が豊かになるため、短期的な赤字を問題にする必要はないのではないか。


「池上彰のやさしい経済学」 - 第3回 アダム・スミス 〜 「見えざる手」が経済を動かす 〜  おわり