「笑師くんの素顔」


 笑師は某国立大学医学部を早大で卒業した、とっても頭のいい友達だ。

 今は世の為人の為、せっせとその道のお仕事に励んでいる。

 そしてその笑師、実は自叙伝でも出したらかなり評判になるのではないかと思うほど、不可思議な過去を持っている。

 世間的にはあまり良い目では見られないグループのリーダーをしていたとか、阪神淡路大震災の時、何故か死んだことになってて学校に行ったらユーレイ扱いされたとか。

 他にもいろいろ。

 とりあえず、頭のいい人のイメージと、その日常、性格が必ずしも一致するものではないということを、このお話の中で分かって貰えればとても嬉しい。

 

*             *

  

 と、ある飲み会の日の夜のこと。

 飲み会はいつものように蛮と銀次の暮らしているマンションで行なわれていた。

 盛り上がるだけ盛り上がって、そろそろ寝ようかと思っていた時のことである。

 銀次がふと自分のベッドを見ると、そこには笑師が気持ちよさそうに熟睡していた。

 自分のベッドをとられた銀次は寝る場所がない。

「仕方ないから、こっちで寝よー」

 飲み会の後片付けをして、銀次は自分のベッドの隣のカーペットの上に本来は笑師が寝る筈だった布団を敷いて、そこに潜り込んだ。

 他のメンバーも他の部屋の各々の寝床に潜り込み、大騒ぎした疲れのせいか皆すぐに寝入ってしまった。

 そんな時、銀次の耳にミシっという音が聞こえた。

 ……んー?

 何だろうと思って、寝呆けた目をその方向に向けてみる。

 笑師がベッドから落ちかけていた。

 体の半分はすでに宙に浮いている……が、銀次はさほど気にしなかった。

 ……ま、かってに這い上がるよね。

 ほっといて、また目を閉じて眠ってしまう。

 人間、寝ている時でもベッドから落ちそうになればその浮遊感のせいで目が覚めるものだ。

 だが、笑師は違った。

 暫らくして、銀次の体に二発ほどドスン、ドスン、という衝撃が走った。

「ぐわっ!!」

 さすがにびっくりして、目を覚ます。

 すると、銀次の胸の辺りに笑師の腕が、太ももの辺りに足がのっかっていた。

「………え?」

 とりあえず、笑師の手足から抜け出してじっと、彼の方を見つめる。

 笑師は相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。

 そう、最初に寝ていたベッドの上ではなく、銀次が寝ていた布団の上で。

 ……もしかして、落ちてた?

 もしかしなくても、落ちていた。

 もし銀次が、ベッド寄りに寝ていたらどうなっていたことか。

 考えただけでもゾッとする。

 間違いなく銀次は笑師の下敷きになって、夜中に悲鳴をあげたいたことだろう。

 落下の直撃を免れたのは不幸中の幸いだったと言える。

「笑師ー、起きてるー?………わけないか……」

 寝ている笑師に声をかけてみるが、当たり前のように返事はない。

 銀次の攻撃を加えた時のまま、手足を投げ出して大の字になった状態ですやすやと眠っている笑師。

 酷い目にはあったが、本人に自覚がないのなら仕返しをすることも出来ない。

「ハア……」

 銀次は笑師を見下ろして、ため息をついた。

 一晩のうちに、二度も寝床を奪われてしまった。

 しかも、同じ人物に。

「ベッドで寝よ……」

 どう見ても起きそうにない笑師を放っておいて、銀次は本来の自分の寝床であるベッドへと潜り込んだのだった。

 翌朝。

 銀次はにっこり笑って、皆にこう言った。

「オレ、昨夜、笑師に酷い目にあわされたんだ」

 事情を説明すると、隣の部屋で寝ていた花月と士度は苦笑いした。

「どうりで、昨日寝た時と今起きた時とで、お二人の位置が変わってると思ったんですよ……」

「夜中にドスンって音してたな……そう言えば」

 笑師のボケは日常茶飯事なので、二人とも「またやったか……」というふうに笑師を見つめている。

 一方笑師は、ベッドから落ちたことも、そもそも自分が銀次のベッドで寝ていたことすらも覚えていなかった。

「ワイ、いつもは寝相ええねんでーっ、ホンマやでーっ!!」

 笑師は必死に叫んでいたが、誰も彼の言葉を信用している者はいない。

 ちなみに、笑師の寝相が皆に知れ渡ったのはこの日が初めてだったが、実はその前にもいろいろと事件は起きていたことが、のちの士度の言葉によって発覚する。

「前の飲み会の時に、オレ、笑師と一緒の部屋で寝てたんだよなー。そしたら……。ふと夜中に目が覚めて上を見たら、掛け布団が宙を舞ってたんだ。で、何気に隣を見たら、笑師の片足が直角に天井に向かって上がってたんだよなー」

 その話を聞いて、皆は大笑いした。

 ようするに士度は、笑師が布団を蹴り上げた瞬間に目を覚ましたことになる。

 まさに、決定的瞬間だったに違いない。

 片足だけで布団を宙に蹴り上げることができる笑師の脚力にも、また驚いた。

 そんなマンガみたいなことが実際に起こるものなのか……?

 いや、この話はすべて実際にあったことである。

 脚色すらしていない。

「それによー。笑師のヤツ、夜中に突然立ち上がって徘徊すんだよな。で、突然前触れもなくバタッと倒れこんでまたぐーすか眠りこけるから、こっちも逃げるのに必死よ」

 それを聞いて、また皆で笑う。

 士度は実はとってもとっても酷い目にあっていたのだ。

 可哀相とは思ったが、笑師の寝相を回避出来るのは士度しかいない、という理由で、彼は毎回此処に泊りに来ると笑師と同じ部屋に押し込められることになる。

 

 そして、これは一番最近あった飲み会の話。

 その日一番に潰れたのは花月だった。

 まあ、花月が一番に潰れるのは珍しいことではない。

 だが、一番に潰れても、翌朝にはすがすがしい顔で早起きし、一人で迎え酒をしているようなヤツである。

 先に潰れた花月は銀次の部屋に転がしといて、二番目に潰れたのは笑師だった。

「眠い」と言いながら、自力で他の部屋の寝床へと潜り込んだ。

 そして残った他のメンバーが、後片付けをしている時のこと。

 銀次は、ある声を聞いた。

「ぶつぶつぶつ…………」

 先に眠った筈の笑師の声だ。

「ぶつぶつぶつぶつ………」

 布団に潜っている為、何を言っているのかまでは分からなかったが、かなり長いこと喋っている。

 銀次は慌ててその事実を蛮と士度に伝えた。

「笑師が寝言言ってるよ! しかもなんか、ずーっと喋ってんのっ!」

 蛮と士度が様子を見にいった。

 二人とも困ったような、不思議そうな顔をしていた。

 それからしばらくして、片付けも終わろうかという頃、笑師の声はまだ聞こえていた。

 さすがにここまで長いと何だか恐ろしくなってくる。

 蛮が笑師の声に耳を済ました。

「もしかして、電話してんのか?」

「へ?」

 たしかに、よく聞いてみれば誰かと喋っているようなカンジである。

「寝言じゃなかったか」

 士度はどこかホッとしたようだった。

 どうやらその声が笑師の耳にも入ったらしく、布団の中から笑師の張り上げた声が響いた。

「寝言ちゃうでー! 電話やで!」

 まったく、人騒がせなヤツである。

 銀次はホンキで笑師がおかしくなった! と思っていたのでちょっとホッとした。

 とりあえず、その日は無事皆床についた。

 夜中、何があったのかは、もちろん笑師と一緒に寝た士度しか知らない。

「笑師ー、昨夜は何もしなかったのー?」

 翌朝、銀次はあっけらかんと笑師に尋ねてみた。

「何事もなかった筈やでー」

 と、笑師の返事。

 だが、その言葉はすぐに士度によって打ち消される。

「オレ、昨日笑師にエルボー二発食らったぜ」

「えーっ、ホンマかいなーっ、士度くんごめんさいーっ!!」

 この日、笑師は数年間に一回訪れるという酷い二日酔いで苦しんでいた。

 だからいつもより多少元気がない。

 二人のやりとりを見ていた蛮はゲラゲラ笑っていた。

「アハハハ、やっぱり何かあると思ったぜっ」

 蛮はこういう話が楽しくて仕方ないらしい。

 笑師のボケ話にいつも一番ウケルのは蛮である。

「それによお、実は十兵衛のヤツにオレの掛け布団とられてよーっ」

「な、なに? 本当か? それはすまぬ。オレはいつも隣に寝ている人間の布団を奪うクセがあるのだ」

 まったく迷惑なクセである。

 ちなみに、昨夜は部屋の奥から順に、笑師、士度、十兵衛の三人が同じ部屋で寝ていた。

 ようするに真ん中で寝ていた士度は、いつもの倍の被害にあったことになる。

「ああ、でも、笑師の方から布団が飛んできたからちょうどよかったんだけどな」

 ウソのようなホントの話。

 信じるか信じないかは、人それぞれ。

 気になる人は、一度この飲み会に参加してみることをお薦めしたい。

 

 

 ここからは、蛮と銀次のお話です。

 蛮と銀次はある日の夜、二人で映画を見に出掛けた。

 今日が上映のラストの日と知って、慌てて「ロードオブザリング」を見にいったのである。

 映画を見おわって感動に酔い痴れた後、二人は飲み屋で夕食をとることにした。

 一応、少しだけだが映画の感想なども二人で話したと思う。

「ぷはーっ、おいしーっvvv」

「オメエはオヤジか?」

 生ビールを一気に胃に流し込んで、幸せに浸っていた銀次に、蛮がすかさずツッコミを入れる。

 根っからの大阪人である蛮にとって、ボケもツッコミも日常になくてはならないものらしい。

「最近皆、酒弱くなってるからなー。気をつけろよ」

「大丈夫だよー。オレ、ピーポーピーポー事件以来学んだし」

「そう言えば、そんなこともあったな」

 酒好きばかりが集まる、いつもの飲み会だが、どんどんメンバー達は弱くなっているような気がするのは気のせいではないはずだった。

 昔は酒ビン、酒カン、全部あわせて三十本くらい一晩で空けていたのだが、最近はもう十本にもみたない。

 まあ、自作のカクテルを主流に飲むようになったことも理由の一つなのだろうが、それを除いても、誰もが昔ほど飲まなくなっていた。

「絃巻きのヤツがなー。すぐ潰れるんだよなー」

「そうだね。でも翌朝一人で迎え酒してるじゃん」

「そう、それがまた不思議なんだよな。絶対翌朝まで持ち越さねえんだもんな。猿マワシと笑師はそっち系統の仕事してるからなー。自分の体のことは分かってるだろうが……」

「オレは?」

「オメーは一回、ピーポーピーポーやったからな。ちったあ分かるだろ?」

「まあねー」

 どんどん運ばれてくる料理を口にしながら、蛮は心配そうに顔を顰めた。

 彼の心配の種は花月のようだ。

「この前の時も、アレ、ヤバかったんじゃねえかと思うんだよなー。本人覚えてねえみたいだったけど」

「あー、それはオレも思った」

 この前の飲み会時、一番に潰れた花月だったが、実はただ早くに眠ってしまったというだけでなく、実はけっこうヤバイ状態だったということを蛮も銀次も知っていた。

 いや、おそらく、あの飲み会のメンバーは皆知っているだろう。

 だが翌朝の本人の言動からすると、当の本人は覚えていないようだった。

「まあ、とりあえず、カヅっちゃんには気をつけるということで」

「そうだな」

 そう、そんなことより、問題は笑師の寝相の方である。

「笑師を、オメエの部屋に寝かせればいいと思うんだよな。とりあえず先に潰れるだろう絃巻きは何とか他の部屋に転がしてだな」

「そうだねー。いくらなんでも士度が可哀相だしね」

 銀次の部屋は通常、銀次ともう一人しか寝れないくらいの広さしかない。

 というか、家具が邪魔で布団を敷けるスペースがもう一人分しかないのである。

 銀次は自分のベッドで寝る。

 もう一人はベッドの横のカーペットに布団を敷いて寝る。

 要はそこに笑師を寝かせようという発想だ。

 いくらなんでも、段差があるところで被害が大きくなることはないだろう。

「うーん、いくら笑師でもベッドに這い上がってくることはないだろうしねー」

 冗談混じりで笑いながら、またビールを飲み干す。

 そこで、プっと蛮が吹き出した。

 自分で何かを想像して、可笑しかったらしい。

「なあ、お前、壁と這い上がってきた笑師に挟まれて潰されそうになった時に目が覚めるのと、笑師が這い上がってるまさにその瞬間に目が覚めるのと、どっちが恐い?」

 銀次は蛮の質問に想像を巡らしてみた。

「這い上がってくる瞬間の方が恐いよーっ!!!」

 まさに、リングの貞子並みの恐さだと思った。

 一番始めに目に入るのが手や足ならまだしも、顔だったりしたら、ホンキで恐い。

「アハハハハ、そうだよなーっ」

 蛮は楽しいことが大好きだ。

 笑える時にはとことん笑う。

「でも、いくらなんでもそんなことはないよねー」

 銀次も笑いながら、蛮に尋ねてみた。

「いや、でもよ。徘徊するらしーじゃねーか。立ち上がって徘徊して、突然ベッドの上に倒れこんできたら?」

 言いながら蛮は、ケラケラ笑っている。

「オレ、潰されちゃうねーっ、アハハハ」

 笑い事ではないのだが、想像すると笑わずにはいられない。

 銀次と笑師の体格差からしても、そうなった場合銀次の方がかなりのダメージを受けることは予想がつく。

「オレ、オメエとの部屋の境の襖、閉めて寝るわ。まあ頑張れよ」

 銀次と蛮の部屋は襖一つで繋がっている。

 蛮にそこを締め切られると、銀次は一人で笑師と格闘するしかない。

「ええっ! 蛮ちゃん、オレが笑師に押し潰されて苦しんでても、助けてくれないの?!」

「心配しなくても何か物音がすれば、優しい絃巻きか猿マワシが助けてくれるだろうよ。ハハハ」

 そんな話をして、過去の笑師のボケ話を思い出して、二人は大笑いしながらとても楽しい一時を過ごした。

 笑師一人のネタでそこまで盛り上がれるのも、それはそれで凄いと思うのだが。

 そして、その帰り道。

 夜の道を二人で歩きながら、蛮がふと口を開いた。

「それにしても、ロードオブザリングなんて感動物の映画を見にいった帰りに、笑師の話であんだけ大笑いするとはなー」

「ホントホント、でも、笑師って思い出しただけで………くくっ」

 そこで銀次はまだ吹き出してしまった。

「そうだよなーっ、思い出しただけで笑えるよなーっ アハハっ」

「ハハハハっ……くるしーっ」

「アハハっ……おっかしいよなーっ」

 深夜の大道沿いに、二人の笑い声が響き渡った。

 

 とってもすごい頭脳を持ちながら、いつでもどこでも笑いを振り撒いてくれる笑師くん。

 彼は二人にとって、とっても大事な友達である。

 

 おしまい

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