「本日同人の日…悟浄の場合…」


 微かな物音で目が覚めた。
 元より、眠りは浅い方ではあるのだが、昨日一昨日と続けて騒いだ為に多少ハイになっている事も影響しているのだろう。
 手探りで、眠りに落ちる前に枕元においた携帯を取り上げる。
 薄暗い中に、ボウッと浮かび上がる小さなディスプレイ上のデジタル文字は早朝…AM6:27を表示していた。ほぼ通常通りの起床時間である。ただ、自身の横になった布団と並んで引かれた左右の布団…左側はベットだが…からも隣室からも、規則正しい寝息が複数聞こえて他の連中はまだ眠っているようだった。

 小さく欠伸をもらし、再び携帯を枕元に置く。せめて後三十分はおとなしくしているか…と内心で呟いて悟浄は目を閉じた。
 眠れるかどうかは、わからなかったが…。

……一月七日、PM八時前。……
 市内某所。バスターミナル近くのショッピングセンターの一階。
「どれが良い?」
 傍らに立つゴージャスな美人に問いかけられ、悟浄は幾分芒洋としていた意識を、現実へと引き戻した。
 もれかけた欠伸を噛み殺し、目前のショーケースを見下ろす。色鮮やかな果実や、クリーム、チョコレートなどで飾られたケーキが幾種類も並んでいる。甘いモノは、決して嫌いではない。寧ろ、幼い頃は滅多に口にする事の無かったそれらが、至上のモノのようにも思えたのだけれど。
「ソレ…かな」
 ざっと眺め、比較的サッパリしてそうなカシスのケーキを選ぶ。
「あっ、それじゃそれね。カシスと、後はどうしようか。適当に選ぶ?」
「あぁ。それで良いんじゃね…」
 問いかけて来る彼女…観世音菩薩の言葉に、曖昧に頷く。前日の寝不足が効いているのか、それとも久しぶりの友人と会って騒いだ昼の疲れの為か。やけに眠くて…。気を抜くと立ったまま眠ってしまいそうだ。だが、これからまた三蔵達の家に行って飲むのだ。その為のワインも数本仕入れてある。
「チェリーパイと、クリームブリュレと…」
 積極的とは言い難い悟浄の返答を気にした風もなく、菩薩は着々と今夜の飲み会参加者…と言うか、お泊まりメンバー及び家主の分のケーキを選んで行く。
「…になります」
 営業スマイルで言う店員を相手に会計を済まし、半透明の袋に入れられた箱を
菩薩が受け取ろうとするのを、一向に止まらない欠伸を噛み殺しつつ横から手を出して受け取った。ケーキの箱…と言うのはそう重くはないが、結構にかさ張って持ち運びの面倒なものであるし。元々持参していた鞄…中にはギッシリと本が詰まっていて結構な重量がある…を肩からかけ、ワインが二本入った袋を下げた悟浄に対して、菩薩は小さなリュックを一つ背負っているだけなのだが…。彼女には、あまり物を持たせてはイケナイ気がするから不思議だ。
「それから、こちらで福引がご利用頂けます」
 そう言って、レシートが差し出された。

 問題の福引所は、そのショッピングセンター中央の広場らしき場所に設けられていた。
 レシートを手に、三蔵がそこへ向かう。彼には、以前にもジャンケンで夕食代を無料にした…と言う実績があった為である。他の面々は、その様子を一歩下がった位置から見ていた。一行の総勢は7名。内訳は、三蔵、八戒、悟浄、悟空の飲み会常連メンバーと紅孩児、観世音菩薩、ジープである。
 一行が見守る中、先客が終わり…随分とたくさん挑戦したようだがそれが全て外れであったらしく、やや自棄糞気味に残念賞のお菓子を袋に詰めている。三蔵は係の女性にレシートを渡すと福引のガラガラに手を伸ばした。 グルリ…一回回す。が、玉は出て来ない。
 再び、回す。
 と、
 転がり出たのは先客の真っ白な残念賞とは明かに異なる、真っ赤な玉。
 係の女性が鐘を取り上げるより早く、様子を伺っていた一行の間から笑いが湧き起こった。
 唐突なソレに、係の女性は戸惑ったように一瞬固まる。無理もない、歓喜の声があがるならまだしも、『笑い』だったのだから…。因みに、当たった商品は半年有効なそのショッピングセンターの商品券だった。

 そして、その晩の宿となる三蔵と八戒の住む家へと向かうバスの中。隣りに座った菩薩の話を聞いていた悟浄は、フッと何げなく手元…膝の上に置いたケーキの箱を見やって軽く目を細めた。
 バスの中は余り明るくなく、加えて視力もあまり良くない。余裕で0.0以下…なのだが、眼鏡を嫌って裸眼で歩く為、知人はおろか身内と遭遇しても気づかない事がままある。けれど、根っからの活字中毒である為か、目に入った活字は取り敢えず読んでしまうのである。ソレが何であるのかは、その際あまり関係がない。
 読み取った文字を、もう一度良く見直す。
 間違いない。苦笑を零して、次いで一人で見てるのもどうかと傍らの菩薩を促した。
「コレ見てみ…生きものやってよ」
 ケーキの箱の上部。持ち手の下の、蓋の重ね合った部分に張られた小さなシールを指し示す。
 そこにはハッキリと『生きものですので本日中にお召し上がりください』と書かれていた。
 これが『生物』であったなら、何の問題もない。ごく当たり前の記述だ。しかし、『生きもの』である。モノの字が平仮名であったのはともかくとして、生に『き』と送り仮名がついている以上ソレは『イキモノ』としか読めない。明かな誤植であった。

「…って言うててん…」

 三蔵と八戒の家に辿り着き、暫しの休息を挟んで三蔵を除く6名が飲み始め、早々に白ワインと中国酒とドイツビールが一瓶空いた頃。次の一本と一緒にケーキを食べようかと言う事になり、悟浄はバスの中での発見について他のメンバーに報告した。特に取り立ててどうという事でもないのだが、皆それぞれ現物を覗き込み、『ホンマや…』等など口々に呟く。折角なので綺麗に剥がし、スキャナで取り込んで残しとくか?等と軽口も零れた。
 次いで、適当に購入されたケーキをそれぞれ選ぶ。購入時に菩薩の側にいた悟浄はその時点で選んでいたカシスのケーキをさっさと取り、次に家主である三蔵が甘く無さそうなチェリーパイを、同じく家主の…こちらは甘いモノが大層好きな八戒は雪だるまのカップに入ったプリンアラモードを選ぶ。続いて悟空は栗がこれでもか…と言わんばかりにたっぷり乗ったケーキを選択し、紅孩児がチョコでコーティングされたケーキを取った。 菩薩とジープもそれぞれ選んだケーキを取り、今は食べないと言う三蔵の分だけが箱に残される。それをキッチンに持って行き、ついでに悟浄は流し台の引き出しからスプーンを数本取って戻った。
 正しく勝手知ったる他人の家。もうかれこれ2〜3年(?)余りの間、数カ月に一度飲みに来ている為、食器類の収納場所は大体把握している。
「ほい、スプーン。いるやろ」
 上品ぶるつもりはないが、プリンやクリームブリュレを手づかみで食べる訳にはいかないだろうし。適当に取って来たスプーンを差し出し、ふと、横を見やれば…。
「って…かぶりつくか?」 悟空は早々にケーキの周りの透明のシートを外し、大口を開けてかぶりついていた。まあ、大変彼らしいとも言える。その食いっぷりはいっそ清々しい程。飲むのも好きだが、食べるのはもっと好きだと公言するだけの事はある…と、呆れを通り越して感嘆さえ覚える。悟浄自身が、飲み始めるとほとんど食べないから余計そう思うのだろう。と言うより、下手に飲むときに食べると悪酔いしてしまう。つい先日…一月前の忘年会でもそれで醜態を晒してしまったばかりだ。疲労が溜まっていた上に、寝不足と風邪気味が重なった最悪のコンディションで、その癖いつものペースで飲み、常になく食べもしたせいだろう…駅のトイレに駆け込むはめに…。その日は、珍しく悟空も不調で、二次会のカラオケで見事に二人揃って寝コケてしまったと言うオマケ付き。
 なまじそれなりに強い方な上に、酔っても顔に出ないのみならず言動もさほど変化がないのが一因だろう。止める者がいない…まあ止められておとなしくヤメるか…と言われれば即答はしかねるが。
 そんな事をツラツラと考えていたら、隣りで新たなワインを開けようとしていた菩薩が小さく声を上げた。
 何事かと振り返れば、コルクが途中でポッキリと折れている。どうやら抜くのに失敗したらしい。
「貸してみ…」
 手を伸ばし、残ってるコルクにコルク抜きを刺して再チャレンジを試みるが…空滑るばかりで抜けそうにはない。
「やっぱり、二千円くらいのワインのコルクじゃあねぇ…」
 呟かれた言葉に、思わず頭を抱えたくなった。
 確かに上等のワインなら使われてるコルクも良いのかも知れないが…、毎回安くて旨い酒を見つける事を課題とし、一千円以上の場合取り敢えず悩んでしまう身としては…。まぁ、彼女の気前の良さと言うか、金銭感覚のズレから生じる御利益を享受しているだけに大きな事は言えないが。
「落とすか…」
 幾度となく飲み会を重ねてくれば、些細な失敗は既に経験済み。コルクを抜けなくなったのもこれが初めてではない。抜けないのなら落としてしまえば良いのだ。以前にも一度やっている。コルクを落とし、その破片を灰汁取り網で漉して飲んだ記憶がある。
 誰かが取って来た箸を受け取って、その頭でコルクを押し込もうとしてみた。すると…
「…っと」
 コルクは落ちず、代わりに箸一本分の穴が空いた。
「ま、大丈夫やろ…」 
 すかさず用意されていた網で漉しつつ、ワインを待ち構えていた八戒のグラスに注ぐ。が…箸一本分の穴では出が悪く、また網の目が粗い為か、漉し切れていない。淡い金色の液体に、コルクの小さな破片が浮いているのが明かに見える。

「そうだ、ちょうど珈琲用のフィルターがあります。それで漉してみましょうか?」
 美味しく飲みたい執念か、八戒がそう言い出して。それは直ぐさま実行に移された。まずは悟浄のグラスにフィルターをセットして、漉せなかった八戒のグラスの酒を再度漉す。
「あっ、OKOK良い感じ」
 多少時間が掛かるのと、フィルターを持っていなければならないのが玉に傷だが、漉されて出て来た液体は無事コルクの破片を含んでいなかった。
 成功に喜び、各々が次々自身のグラスにフィルターをセットワインを注ぐ中、ジープが八戒のグラスを持って(銜えて?)席を立つ。どうやらコルクの破片の残るソレを洗いに行ったらしかった。
「けど、コレ持ってなきゃなんないのが辛いよなぁ」
 珈琲用のフィルターがグラスの形に合う筈は無論なく、少しづつ抽出される様はまるで某化粧品のよう…。何より、テーブルを囲んだ面々が皆、フィルターを摘まんで持ってる様子はかなり間抜けだ。
 と、いつのまにか戻って来たジープが、自身のグラスにセットしたフィルターを折ってグラスの縁に引っかけた。グラスの円周よりフィルターのソレの方が大きい為、そうすればフィルターはあっさりと固定される。
「ジープ、エラい!!」
 一瞬呆気に取られ、次いで各自一斉にソレに習った。ただ、紅孩児だけはグラスが小さすぎて高さが足りない為出来なかったが…。
「あま…」
 コルク騒ぎが一段落つき。そう言えばと思い出して悟浄はケーキを口に運んだ。次の一瞬、思いっきりメゲそうになる。甘いなんて言葉では生温い気がする程…ソレは激甘だった。見た目からてっきりムース系だろうと思っていたのに、カシス風味のクリームでスポンジが取り囲まれていて、それがまたシャレにならない程甘いのである。サッパリそうな外観の印象とは大違いだった。
「甘かった?」
 小さな呻きに気づいたらしい、菩薩が問いかけてくるのに頷く。
 だが、他の面々は至って普通に食べている。ので、単に悟浄自身が甘いモノに弱くなっただけの話か。最も、八戒と悟空はかなり甘いモノ好きだから基準にならない、とも言える。
「甘いよ、コレも。全部チョコ、外も中も!」
 それを肯定するように、ケーキの山…実際そのケーキの名前は『〜マウンテン』だった…を切り崩していた紅孩児が言ったので悟浄は少し安堵した。
「あ…」
 と、その時耳に入った呟き。顔を上げれば、向かいに座した八戒が自身の手元を見下ろしていた。
「落としてしまいましたね」
 どうやら、食べかけのプリンを零してしまったらしい。続けてもらされた言葉に、悟浄の隣りで悟空がピクリと反応を示す。
「…落とす…。落ちる…」
「どうした?サル…」
 怪訝に思って問いかければ。
「今度国家一種受けるんだ…」
 国家一種と言えば、所謂『キャリア』である。内実はどうか知らないがエリートだ。試験も大層難しいと聞く。悟空は、実はメンバー中一番賢い…おそらくは。同じように学生である紅孩児や菩薩、ジープと比べてどうなのかは…学校も学部も違う訳だし…分からないが。現役を退いて久しい常連メンバーの中では間違いなく。それ故に常から『一番頭良い筈だから、ケーキをキチンと5等分しろ…』などと面倒な事を押し付けられていたりもする。…押し付けてるのは悟浄なのだが、他の面々も黙って見て…どころか同調してるので同罪(笑)。それでも、不安なのかも知れない。だから『落ちる』と言う単語に過敏に反応したのだろう。
 そうこうしている内に、次のボトルを開ける事になった。一本空けるのが全く瞬く間と言うのも、かなり凄い話だが。6人がかりな分まだましか…と悟浄はこっそり胸の内で一人言ちた。つい昨日も、イベント前日だと言うのに悟浄、悟空、八戒の3名は飲んでいて…それでも、流石に前日と言う事で一本で止めたのだが…。それ…500 のリキュール系中国酒一本が空くまでに要した時間は十五分に満たなかった。勿論(?)ロックで飲んで…だ。
「そろそろ冷えてるやろし、ついでにチーズも切るか?」 言いながら、さっさと腰を上げてキッチンに向かう。冷蔵庫から、ワインと一緒に買い込んだ生ハムを巻き込んだチーズを取り出し、適度にスライスし皿に盛って部屋に戻る。
 それを見た紅孩児が一言、呟いた。
「ナルト…」
 瞬間、居合わせたモノの間から笑いがもれたのは言うまでもないだろう。
「珍しいですねぇ。紅孩児がそんなオカシな事言うなんて…」
「サルならともかくな…」
 ソレを言ったのが常からネタ提供の第一人者である悟空であったなら、不思議でもないのだが。勿論、キューちゃん及び枝豆同様ネタになる事は間違いないだろうけど。
 よりによって紅孩児である。確かに、生ハムを巻き込んだそのチーズの切断面は綺麗な渦巻き模様を描いていてナルトに似ていなくもなかった。
「あっ、美味しい」
「ホントだ」
 まぁ良いかと、紅孩児への追及をホドホドに止めた面々は早速チーズに手を伸ばした。ただ、チーズが苦手なジープだけはおとなしくその様子を見ている。他にもエビセンの小さいのやら、海苔やら何やかやとツマミはあるのだけれど、皆が美味しそうに食べてると気になるらしい。
「食べてみる?」
 そう言ったのが誰だったか…。ただその頃には殆ど食べ尽くされてたのだが、皿の上に残ってた極僅かなカケラをジープが口に運ぶ。そして…
「やっぱりダメだった」
 速攻でグラスに手を伸ばすジープに、菩薩がさもありなんと呟く。
「色んな種類のチーズ食べさせてみたけど、全部ダメだったもんね」
 よしよし…と今にも頭を撫でてやりそうな様子で続ける。それでも、試してみたいと思うのだから、余程気になるのだろう。まあ、他人が食べているものは美味しそうに見えるのは、お約束とも言えるが。最も、悟浄自身は自分がダメな食材は、他人がどれほど美味しそうに食べていても手を出そうとは思わない。そこらへんは性格の違いだろう。どっちが良いとか悪いとか言うことではない。
 三本目のワインはその頃にはほとんど空いていた。
「ヤバ…」
 そうして、4本目のその日唯一の辛口ワインが半分程に減った頃。悟浄は微かな寒気を覚えて呟いた。
 通常、アルコールが入ると人間の体温は上昇するのが一般的なのだが、彼の場合は低下するのである。度が過ぎると、歯の根が合わなくなる事さえもある。付け加えるならそれは、眠気が襲って来る前兆でもあった。
 とは言え、それは毎回とまではいかないモノの良くある事なので最初の頃は驚き、心配もしてくれていた他の面々も近頃では全く気にしなくなっていた。実際、急速に眠気が襲ってその場で撃沈しても、翌日にはケロッとしているのだから、それも極自然な事かも知れない。ようは慣れたのだろう。
「コレ着るか?」
 それでも隣室で一人本を読んでいた三蔵が、聞き付けて自身の半纏を差し出すから、有り難く拝借した。
「なぁ、みんな食わないのか?」
 パリパリと言う、なんとも小気味良い音の合間に告げられた悟空の台詞にふと意識をそちらに向ければ…。彼は両手に海苔を持ってご機嫌だった。ソレは、紅孩児がお土産にと持って来た焼き海苔。大凡二十p四方程のサイズで、それ自体にはさほど味はついてない。それでも中々に美味しかったのも事実。そうして、最初に開けた時点で、一同それぞれ少しずつツマミに食べてはいたが。二つ折りにされたそれが何枚か…2.3枚ではない事は確かだが…入った袋が二つ、缶の箱に入っていた筈だ、確か…。正確に、何枚入りであったかは不明だが、その一袋目がそろそろ無くなろうとしており、ソレが彼の胃袋に収まったらしい事はその様子から明かだった。


……一月八日、早朝。AM7:00…… 
 微かな気配で、目が覚めた。いつのまにかウトウトしていたものらしい。
 うっそりと目を開け、気配のした方を伺えば、隣室のベットで眠っていた八戒がパジャマの上から何か羽織り、起き出そうとしているのが見えた。
 珍しいな…と思う。普段…と言うか飲み会の翌朝に彼が起き出して来る事は殆どない。翌日がイベントだったりする時は別だが、大概は他の者が起きていても昼まで寝ているのだが…。
 そのまま、キッチンの方に向かうのを見送り、自身も一つ欠伸をもらすと悟浄はゆっくりと起き上がりその後を追った。
「どうぞ…」
 キッチンを通り過ぎて洗面で洗顔を済ませてくると、スッと珈琲のカップが差し出される。勿論、淹れてくれたのは八戒。
「サンキュ…」
 何も言わなくても欲しいモノが出て来るのは、とても嬉しいと思いながら受け取って、キッチンのテーブルの椅子をひいて腰を下ろした。
 傍らに、同じようにカップを手にした八戒が座る。ただ、何げなく見やれば彼のカップの中身はお茶のようだった。
「寒いですね…」
「あぁ」
 他の者達がまだ眠っている為か、押さえた声音で言うのに短く頷く。実際キッチンはひんやりとした空気が満ちていた。だからこそ、熱い珈琲がとても有り難い。冷えきって、少し感覚がおかしい気もする指を暖める為にも両手でカップを持ってゆっくり口に運ぶ。珈琲の熱さと苦さがジンワリと染み渡り、半ば眠っていた意識を少しずつ覚醒に導いて行く。
 こういう、静かな時間もたまには良いな、と片隅で考える。大勢でワイワイ騒ぐのも嫌いではないが。
「そういえば、紅孩児起こさなくて良いんですか?」
「あぁ、まだ良いだろ…その内起きて来るだろうし…」
 ふっと思い出したように問うて来るのに、曖昧に答える。この春から、進路の都合で大阪に出て来る紅孩児の部屋探しの為、今日悟浄は彼を不動産業に就いている知人と引き合わす事になっていた。その待ち合わせが、此処から凡そ一時間程の距離にある某駅の待合室に十時。時間と場所の約束だけとりつけて、後は勝手に行って来い…と言っても良かったのだが。相手は悟浄と同い年の娘が居るものの、実際より随分と若く見える美人なので。美人に会える機会を敢えて自ら放棄する必要もないだろうと思って同行する事にしたのである。
「八時五十分にでりゃ間に合う」
 この家から、最寄りの地下鉄の駅まで十五分から二十分。九時十分台に目的地に向かう電車が来る事を昨夜の内に確認してあった。乗ってしまえばそれほど時間はかからない。余裕で着けるだろう。
「そうですか」
 その後は、特に何を話すでもなく。時々、思い出したように、『寒いですね』と呟くくらいで。ゆっくりと時間をかけて各々のカップを空にする事だけに専念していた。
「…悪い、風呂借りるわ」
 とはいえ、それが永遠に続く筈はなく。名残惜しげに最後の一口分を飲み干すと、悟浄は立ち上がり言った。昨夜は風呂に入る気力など何処にもなくそのまま寝てしまったから、出掛ける前にサッパリしておきたかった。
「どうぞ…僕も後で入ります」
 カップをテーブルに置き、八戒がタオルを取りに立つ。
 風呂から上がる頃には、きっと紅孩児も起きて来るだろう。そうして、彼を送って帰って来る頃には、他の面々も。
 八戒と二人の時間が、心地よかっただけに、一瞬それは少し勿体ないような気もした。

end?

 

なんか、すっげぇ浄×八くさくなってしまった(苦笑)。なんでだ…。

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