「くだらないハゲの話」


 朔羅はとある、小さな不動産事務所で事務員として働いている。

 その事務所をとりしきっているのは、すでに七十近いワンマン社長。

 その日、社長のご機嫌はとてもよかった。

 それは、朔羅が切り出した一言のせいだ。

「社長、この間はカニをありがとうございましたv みんなとっても喜んでましたよv」

「そうか、そうか」

 頭のほとんどがテカテカと光っている社長は、嬉しそうに笑った。

 朔羅のうちでは数か月に一度、友人たちを集めて盛大な飲み会が開かれている。

 先日の飲み会のメニューは鍋で、社長にそれを告げると「鍋にはカニがいるやろう!」とでっかいタバラガニを買ってくれたのだった。

 そこで朔羅とその友人たちは、この気前のいいハゲ社長にとってもとっても感謝しているのである。

「喜んでくれたんか、そりゃあよかった!」

 社長は若い女の子達に感謝されたことが、とっても嬉しかったらしい。

 きっと、朔羅の友人たちの間で自分のカブが上がったと思っているのだろう。

「みんなにワシがハゲやって言ったらあかんで、イメージダウンやからな!」

 社長は釘を刺すように朔羅に言ったが、彼女は「はあ」と曖昧に答えただけだった。

 なんせすでに、みんなには「ハゲ社長」とおおっぴらに言ってある。

 時、すでに遅し、なのだ。

「ワハハハっ、そうかそうか、女の子たちが喜んでくれたんか」

 機嫌のいいハゲ社長の笑い声は、暫らく止まることを知らなかった。

 

 そしてまた別の日。

 朔羅は本来、思ったことを口に出さなくては気が済まない性格である。

 彼女はその日見た光景に、どうしてもどうしても、一言言いたかった。

 言ってはいけないと分かっていたのだが、言わずにはいられなかった。

 社長が自分の頭の上で、チョキチョキとはさみを動かしていた。

 まるで、伸びた前髪を自分でカットしているかのように。

 朔羅はじーっとその様子を見つめていた。

 どう見たって、はさみは空を切っているようにしか見えない。

 それが、どうしようもないくらいに気になった。

 そして、ついに言ってしまったのである。

「……社長、そこ、髪の毛ないですよ」

 チョキチョキとはさみを動かしていた社長の手が、ピタっと止まった。

 朔羅は「しまった!」とも思わなかった。

 どっちかと言うと、我慢していた言葉をやっと吐きだせて満足していた。

「よう見てみいっ!! ちゃんと細い毛があるやろうがっ!!!」

「そうですかー?」

 社長の怒った声を気にすることもなく、朔羅は呑気に社長の頭の方へ顔を近付ける。

「あ、ホントだ」

 確かによく見ると、何もないと思っていたその頭には、細い産毛が少しだけ生えていた。

「ほら、あるやろうが。勝手に人をハゲ呼ばわりするなや」

「そうですね」

 ほんのちょっと産毛があったって、ハゲには変わりないと思うのだが、朔羅はとりあえず同意しておくことにした。

 これ以上彼の機嫌を損ねるようなことを言うのは得策ではないと判断したからである。

 言いたいことは言うが、一応ギリギリのラインはわきまえていると、朔羅自身は思っているのだった。

「さて、じゃあワシはそろそろ物件を見に行ってくるわ。留守番頼んだで」

「はい」

 仕事の為に外に出ていこうと、ハゲ社長は立ち上がり、きょろきょろと事務所の中を見渡す。

「ワシのハゲ隠し知らんか?」

「ああ、ここですよ。はい、社長のハゲ隠し」

 朔羅はそう言って、近くにあった社長のハゲ隠しイコール帽子を手渡した。

「じゃあ、行ってくるわ」

「はーい。いってらっしゃーい」

 こうして、今日も元気にハゲ社長はハゲ隠しを被って出掛けていき、それを見送った朔羅は暫しの間一人の時間を満喫するのだった。

 ……上司をチクチク苛めるのって、楽しいよねえ……などと思いながら。

 おしまい

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