「8月24、25日〜インテックス大阪〜」
8月24日、土曜日、朝。 本当なら銀次はこの日は仕事で、イベントどころではないのだが、最近ハマったある ジャンルの本を買いに行きたいが為に、無理矢理仕事を休んだ。 同人の為に仕事をそっちのけにしたことは今までなかた……とは言えないかもしれな いが……ので、この日は銀次にとってとても重大な日になるハズだった。 が、どんなに楽しみにしていても、朝の目覚めが悪い日常が、突然変わるハズもない。 銀次はまだ寝ている蛮を起こさないように、大慌てで支度をすませ、朝食をたいらげ、 マンションを飛び出す。 この日、銀次は自分のSPを持っていない。 ゲーム系でとっているマクベスのとこの売り子をするという約束で、彼から参加証を 分けてもらっていた。 しかし、マクベスが新刊を落としたせいで、銀次が売り子をするはずだったSPの発 行物はゼロ。 よって、銀次が売り子をする必要もなくなった。 マクベスは「すみません、すみません」と仕切りに謝っていたが、銀次はそれを笑っ て流した。 どちみち、売り子などまともにやる気はなかったのだ。 銀次にとって、この日の目的はマクベスのSPの手伝いではない。 同人誌をゲットすることである。 マクベスの空のSPは銀次の休憩場所となることに決定していた。 「うわーっ、多いなー」 朝イチで入れるように来たハズなのだが、イベント会場につくと、すでに一般の列が いくつもできていた。 まだ一般が入れる時間には二時間もある。 この炎天下で、長時間待たされるのはかなりツライのではなかろうか。 とりあえず会場内に入り、マクベスのSPを探した。 ……もう、マクベスってば参加証だけ送ってきて配置図くれないんだもんなあ。 先にパンフを買えば配置も分かるのだが、今の銀次にそれほどのアタマはない。 カンを頼りにSPを捜し出し、銀次はとりあえずそこ に落ち着いた。 大量に配られている印刷会社のマニュアルやら、イベントのチラシやらは一応片付け ておく。 隣のサークルさんはすでに販売の準備を行なっていたが、銀次には準備を行なおうに も本がないので、何も出来ない。 キレイに片付いた机を眺めながらボーっとしていると、不意に場内放送が流れだした。 『本日、エントラスホールにて、GetBackers−奪還屋−の原画展を行なっております… …………』 銀次は思わず、ガタっと椅子を響かせて立ち上がった。 隣のサークルさんが、びくっとしてこちらを見たが、気にしない。 銀次は猛スピードでエントラスホールへと駆けていった。 ……うわあっ、すっごい! すっごい! こんなに大々的にやってるなんて思わなか ったよおっ!!! どっかの企業ブースでちょこっとだけ展示しているのかと思っていたら、エントラス ホールでかなりのSPをとっての原画の展示。 銀次はその場で小躍りしそうなほどに、舞い上がっていた。 デカデカと貼られたカラーポスターの前に突っ立っつこと、ゆうに五分。 ……すっごいやあっ! でもなんでよりにもよって13巻の表紙の絵なんだろう。や っぱり狙ってるのかなあ。 GB13巻の表紙。 それは、銀次が本屋のお姉さんにホ マンガと間違えられた、パっと見、同人姉ちゃ ん達が勘違いしそうなイラストである。 まだサークル入場時間から間がなく、人も疎らだった為、銀次はゆっくりと原画展を 楽しんだ。 飾られていたのはあの無限城編のラスト。 見応えばっちりだったが、やたらと修正の跡が目に付くのが気になった。 ……まあ、原画だしねえ。 一通り見終えて、銀次はパンフを買ってからSPに戻った。 原画展の余韻に浸りながらパンフの表紙を捲ると、中表紙にデカデカとGB原画展の紹介がしてあった。 なんだかとても嬉しくなった。 ……これでGB人気でるかな? 10月からはアニメも始まるし、サークルさん増え るといいなあ。 幸せに浸りながらまだ家に居るハズの蛮に、携帯でメールをうつ。 蛮もそろそろ家を出て、こちらに向かうつもりらしい。 そうこうしていると、そこにヒョコっとマクベスが現われた。 「おはようございます、銀次さん」 「おはよう、ひさしぶりーv」 マクベスと会うのは久しぶりだった。 3月のHARUコミ以来だろうか。 「今日は本当にすみませんでした。あ、片付けありがとうございます」 「いいっていいって、オレ、エルフ本買いたいだけだから」 「……でしょうね」 マクベスは苦笑いしながら、ふうっとため息をつく。 「ところで、GBの原画展はもう見ました?」 「さっき見たよ」 「もう一回行きません? 僕、一人であーいうの見に行くの恥ずかしくって」 「いいよ。もう一回Gちゃんを見にいこー!」 「Bちゃんを見るんですよ!」 同じジャンルにハマっていても、二人の好みは一致しない。 よって、この二人の間にはたまにしょうもない言い争いが生じたりする。 Gちゃんのよさと、Bちゃんのよさを、二人が延々に捲し立てるのだ。 再びエントラスホールに趣き、大きなポスターの前で銀次はキラキラと瞳を輝かせる。 「あ、グッズも売ってるんですね。サイン入りのコミックスもあるみたいですよ」 ポスターの横に貼ってあったグッズ販売の案内を見て、マクベスが言ったが、銀次が ポスターから目を離すことはない。 「いらない」 GBファンにあるまじき、さらりとした言葉だった。 グッズなんて持ってても役に立たないし、コミックスも全巻持ってるから、今更サイ ン入りのを買う気もないというのが、銀次の主張である。 断っておくが、これでも一応GBファンだ。 「それよりさー、マクベス、こんなにおっきなポスター貼ってると、抱きつきたくなる よねv」 銀次は例の13巻の表紙のイラストの前で、大きく手を広げてみせた。 「僕に同意を求めないでください。それに、銀次さんが抱きつきたいのは、そのうちの 一人だけでしょう?!」 「まあ、そうなんだけどね」 ちなみに、この原画展の周りには警備員が何人も配置されていて、触れることは出来 ないようになっている。 抱きつくなんて、もっての他だ。 いつまでもポスターの前に突っ立っていても仕方ないので、(銀次はそれでもよかっ たのだが)二人で原画を見て回った。 それはもう、一枚目からじっくりと。 それから数枚目の原画の前に立ち止まったところで、マクベスが感心したように呟い た。 「原画っておっきいんですねえ」 「……え?!」 銀次には一瞬、マクベスが何を言っているのか分からなかった。 今彼らが見ているのは、一つのコマを大きく使った見開きのページ。 ……まさか、マクベス、勘違いしてる? 「あのさー、マクベス、コレ、見開きだよ? 二枚あるんだよ? 分かってるよね?」 「……あ! そっか! あはは……そっかー、二枚かあ」 どうやら分かってなかったらしい。 だいたい今までちゃんと一ページものの原画も見てきたのに、何故そんな勘違いがで きるのか、銀次はとても不思議だった。 マクベスという人物、しっかりしているように見えて、実は意外に天然である。 気を取り直して、二人は次の原画へと足を進める。 「細かいですねえ」 「トーンがすごいよね」 二人とも小説書きなので絵のことに関してあまり知識はない方なのだが、そんな二人 が見ても、この原画は素晴らしかった。 原画展を開催するには、もってこいの作品である。 銀次はGBを知らない人でも、この原画展を見てGBに興味を持ってくれることを、 心から期待していた。 そして、原画も終盤になり、ある一枚に見開きのページに差し掛ったところで、二人 はまた長らく足を止めた。 それは、この作品のクライマックスのシーン。 「銀次さん、僕、このGちゃんの背中に天使の翼が見えますよ」 「うん、見える見える」 二人とも、かなり夢見ている。 幻覚と妄想の中に浸り、うっとりとその原画を見つめる二人組。 こんな場所じゃなかったら、怪しい人物かもしれない。 それから最後までマンガの原画を見終わり、最後に先程見たでっかいポスターのカラ ー原画をじっくり見て、二人の観賞は終わった。 しかし、夢見た気分はまだ終わってはいなかった。 「マクベス、グッズ販売の方見に行こうよ」 「いらないんじゃなかったんですか?」 「見るだけだって」 グッズ販売のコーナーに行くと、すでにそこには人だかりが出来ていた。 しかも、GBのコーナーの前ばかりにだ。 ……すっごい! GBってこんなに人気あったのかな? サークルはすっごく少ない のに、これも原画展の影響なの?! 「コミックス、全巻置いてますよ」 「ホントだ。こんなとこでコミックス買う人居るのかな? 皆同人誌を目的で来てるん だろーに」 サイン入りの最新刊だけを狙う人なら居るかもしれないが、はたして全巻買っていく 人が居るのだろうか? 二人が居た時に目の当たりにすることはなかったが、あとから友人に聞いた話による と、全巻買い漁っていった人はけっこう居たらしかった。 しかも、全巻購入のおまけについてくる缶バッジ目当てに。 ……缶バッジなんて、どうするんだろう? 銀次には、その人たちの心境は理解出来なかった。 「タレGのポストカードありますよ」 「ホントだ! かわいいーv」 マクベスが手に取ったソレを、銀次は思わず奪い取っていた。 「買わないんじゃなかったんですか?」 「うっ………」 この期に及んで言葉を詰まらせるあたり、銀次の意志は弱い。 「これだけ買う……」 結局銀次は、そのポストカードだけ、買ってしまった。 使い道がないことは分かっていたのだが……誘惑には勝てなかった。 ちなみにそのポストカードは、イベント終了後、銀次が買ってきた写真立てにきっち り納まっている。 蛮には「わざわざコレを飾る為に、新しい写真立てを買ってくるとはな」とかなり呆 れられたが、銀次は自分が幸せだったのでそれでよかった。 実は銀次もグッズやコミックスを買い揃えていた人達と、たいして変わらなかったの である。 原画展もグッズ販売も見おわり、銀次はただの休憩場所と化しているSPに戻った。 マクベスはこの日、もう1SP違うジャンルでとっており、そっちに行ってしまった。 行きたいジャンルをチェックし、思ってたよりサークルさんが多いことに、また銀次 の心は小躍りしだす。 まったくもって、今日は幸せな日だ。 一般入場がはじまってからしばらくして、銀次もいざ買物へと、席を立つ。 目的の館へと足を進めている途中、蛮からのメールが入った。 どうやら今、こっちに着いたらしい。 『どこで落ち合えるか?』と聞いていたので、とりあえず銀次は『原画展の前で待って る』と返した。 分かりやすい上に、銀次にとっては一番の幸せに浸れる場所、ついでに言うと暇つぶ しになる場所だったからだ。 だが、いくら待っても蛮はなかなか現われなかった。 まだ一般入場に時間がかかっているらしい。 しばらく待っていると蛮から『まだ時間がかかるから買物しててくれ』とメールが入 った。 銀次は当初の予定通り、買物する為に目的の館へと再び足を進めた。 買いたい本がたくさんあって、銀次の持っていた大きなバッグはすぐに重たくなった。 だが、すべては愛の重み。 銀次は嬉しくて仕方がなかった。 こんなに本が買えるジャンルにハマったのは初めてである。 嬉々として歩き回っていると、ポンっと後から誰かに肩を叩かれた。 振り返ると、そこには蛮が居た。 「あ、蛮ちゃん、ちょっと待って、この本買うから」 買物途中だった銀次は手に持っていた本の代金をサークルさんに渡し、蛮の方へと歩 み寄った。 「よくここが分かったねえ」 「分かるに決まってるだろ。とりあえずこのジャンルのとこに来れば居ると思ったんだ よ」 「あはは、そうだね。それより、一般入場そんなに時間かかったの?」 「ああ、もうこの時間ならすんなり入れるかと思ったんだがな。甘かった。やっぱ夏は 人が多いな」 たしかに、これだけ盛り上がっている大阪のイベントを見るのは久しぶりである。 大阪のイベントはすでに衰退の道を辿っているのかと、最近のイベントの傾向を見て いると思ったものだが、どうやらそういうわけでもないらしい。 「この分だと、明日も多そうだね」 「だろーな、日曜日だし」 「GBサークルさん、多いかな?」 「いや、それはありえねーだろうな」 あんまりきっぱり否定されても淋しいが、おそらくGBサークルは本当に少ないだろ う。 「原画展見た?」 「いいや、まっすぐ此処へ来たから」 「見に行く?」 「明日の朝イチにゆっくり見るよ、今日はいい」 銀次の持っているバッグはとっても重くて、そろそろ彼にも限界が訪れようとしてい た。 しかし、体力の限界はあっても、愛の限界はない。 財布の中身も、まだまだいける。 「重いからSPに戻りたいんだけど………」 「かなり買ったな……」 蛮が呆れながら銀次のパンパンになったバッグを見つめる。 「でもやっぱり、もう一回りしてくる! あ、そう言えばまだ大手SPも見てないし!」 「はいはい……」 こうして、銀次はまたエルフ本を求めて彷徨い歩き、蛮は暫しの間それにつき合わさ れるのだった。 二人は一通り買物を終え、何も販売していないSPに戻った。 しかし、時刻はまだ一時前である。 イベントが終了するには、まだまだ時間がある。 とは言っても、二人が此処に居る用事はもうない。 「まだ買物するかー?」 携帯で時刻を確認しながら、蛮が銀次に尋ねる。 「ううん、もういい」 「一時半から明日のパンフ販売やるみたいだから、ソレ買ったら帰るか?」 「うん、そうする」 明日のパンフが欲しいのは銀次だけだったのだが、蛮はちゃんとつきあってくれるら しい。 だが、そのパンフ販売にもまだ時間がある。 「……蛮ちゃん」 「ん?」 暫らく大人しくSPに座っていた銀次だったが、たまらなくなって蛮に言った。 「オレ、やっぱり、もう一回買物してくる!」 「ああ、勝手に行ってきてくれ……」 銀次は重たい荷物をSPに置いたまま、財布だけ持って、またもやエルフ本を探しに 去っていった。 だが、買うものはまったくなかった。 なんせはじめてのジャンルなので、どこのサークルさんの本を買ったらいいのかも、 よく分からない。 とりあえず手辺り次第は手に入れたと思うのだが……。 見落としがあるかもしれない、と思ってもう一度探しに来たのだったが、それすらも なかった。 一つだけ気になるサークルさんはあったが、人が居て見れなかったので「まあいいや」 と諦めてしまった。 結局買うものもなく、SPに戻るついでに、銀次はまた原画展を見にいった。 先程、蛮と一緒に通り掛かった時にはすごい列が出来ていて、とてもじゃないが見れ る状態ではなかった。 こんなマイナーなジャンルでも、こんなにたくさんの人が列まで作って見るもんなん だー、とやたらと感心した。 でも今は、先程よりも人は少なかったので、銀次は 「今日の見納め」とばかりに、 また一人で見て回った。 ちなみに、あくまで「今日の見納め」なのであって、明日またじっくりと見るつもり である。 「買うものなかったよ」 「そうか、じゃ、パンフ買いに行くか?」 「うん、でも何処で販売してるのかよく分からないんだけど」 「3号館前の広場って言ってたから、たぶん向こうだろ」 銀次はよく分からなかったので、おとなしく蛮に着いていくことにした。 そこはいつも一般の列が一般待機場所である1号館だけで納まらない時、一般収容S Pとして使われている広場だ。 もう何年も一般の列に並んだ覚えのない銀次には、記憶に薄い場所だった。 パンフを買う前に、3号館に居た友達のSPに挨拶に行った。 そこは芸能SPなので、やはりそういう格好のお姉さん方が多い。 一通り話をして、彼女に別れを告げ、二人は3号館前の広場に向かった。 そこにはすでに明日のパンフを買い求める人たちの、長蛇の列が出来ていた。 まさにこの場こそ、本日の最大手ではなかろうかと思うほどの列である。 「すっごい人だねえ」 「でも、流れは早いみたいだぜ」 確かにパンフ販売を行なっているスタッフの客さばきは見事だった。 二人は列の最後尾に並んだが、順番が回ってくるまでにそう時間はかからなかった。 パンフを買いおわると、二人はさっさとニュートラムに乗り、住之江公園の駅近くの 店で食事をしてうちに戻った。 それはまだ早い時間だったので、普通会社等は普通に営業している。 家に帰るまでの間にどうしても職場の前を通らなければならない銀次は、びくびくし ながら蛮の影に隠れる。 「ちゃんと休みもらってきたんだろーが」 「だってー。うちの事務所、あんまりそーいうの関係ないんだよ。休んでたって、呼び に来るんだから、蛮ちゃんも知ってるでしょ? うちの社長」 「そう言えば、そうだったな」 とりあえず二人は慎重に銀次の事務所の前を通り過ぎた。 途中に社長の車があるかどうかまで、念入りにチェックした。 その日の夜は花月と士度が泊りにくるハズだったが、二人はかなり遅い時間まで訪れ なかった。 蛮などはすでに風呂に入ってパジャマに着替え、寝る準備も万端であるにもかかわら ず、だ。 「遅いねえ」 士度が今日イベントに来ていたことは知っている。 会うことはなかったが、彼の友人のSPの手伝いをしていると聞いた。 それから一度家に戻ってから来るということだったが、なかなかやって来ない。 花月はとある芸能人のコンサートに行っているハズだった。 二人で待ちくたびれていると、ようやく士度がやってきた。 何やら大荷物を抱えて。 「花月のヤツに、荷物を押しつけられてよお」 「あれ? カヅっちゃん、今日イベント来てたの?」 「それなら、オレ達に荷物を預ければいいだろーに、何でわざわざサル回しに………」 彼らの疑問は、花月の到着によってすぐに解けることになる。 「え? お二人とも、今日イベント来てたんですか?」 「そーだけど、オレ、言ってなかったっけ?」 「聞いてませんよ………」 どうやら花月は、今日蛮と銀次がイベントに行ってることすら知らなかったらしい。 で、イベントで士度に荷物を押しつけて、その足でコンサートに向かったのだそうだ。 結局、ちゃんと情報交換出来ていなかったことにより、一番大変な目にあったのは、 士度だった。 まあ、たいてい、このメンバーでいる時、最大の不運はいつも士度に降り掛かるのだ が。 何時でも何処でも、ツイてない人間である。 そこで、話題はいつも居るはずのもう一人のメンバーのことへと移っていく。 「ところで、誰かドリフヤローがどうしてるか、知らねえ?」 「さあ、結局頼んでおいたゲスト原稿も貰えませんでしたし……」 「6月頃に一回メール入ったっきりだな……」 「えーとね、7月の始め頃に電話かかってきてるよ」 各々で携帯の着信履歴をチェックしながら、言葉を紡ぐ。 だが、誰の情報を元にしても、最終的に連絡があったのは7月のはじめ。 それっきり、音信が途絶えている。 「生きてんのかー?」 「やっぱ、腐乱死体説有望?」 「明日は来るんですかね?」 「さあなー」 笑師はいつだって仕事が忙しい。 連絡がとれないと思っていたら、入院していたという過去の実話もある。 「次の飲み会、9月の始めに予定してるんだけどなー」 彼が次の飲み会に参加する可能性は極めて低い。 誰もが、そう思っていた。 とりあえずその日は、風呂に入り、士度の持ってきた白ワインを四人で一本空け、明 日に備えて眠った。
8月25日日曜日、イベント二日目。 その日は前日の夜にお酒を飲んだにもかかわらず、全員すがすがしく早起きだった。 まあ、よっぽど飲みすぎない限り、酒が次の日まで残るということはありえないのだ が。 四人で一本なんて、飲んだうちには入っていない。 銀次は朝っぱらから、ビラビラのワンピを着て、上機嫌だった。 ついでに蛮にキレイに髪を結ってもらい、さらにご機嫌だった。 こんなにのんびりしているイベントの朝も珍しい。 時間があるということは素晴らしいことで、みんないつもよりメイクも服装も凝って いる。 しかし、のんびりしていられるのも今のうちだけ。 イベント会場に着いてしまえば、それどころではない。 今日は全員自分のSPを持っている。 準備はもちろん、銀次にはまだ他にも用事があった。 ……10月のイベントの申し込みは昨日済ませたからいいとして、やっぱ自分のSP に行く前に本部に行くべきだよね。 オンリーイベントのチラシ配布なのだが、配布自体はべつにぜんぜん大変ではない。 問題は、本部と自分のジャンルとを行き来することだった。 会場に着くと、とりあえず一番にチラシの見本を本部に持っていった。 そして速効で自分の館に移動し、大量のチラシと在庫が詰まっている荷物を、宅急便 の受け付け場所まで取りにいく。 で、だーっとチラシを配って、今度はエントラスホールにあるチラシ置場まで走った。 チラシの残りをチラシ置場に置いて、とりあえず銀次の仕事はおしまいである。 ちょっと一息ついたところで、足がズキズキ痛むことに気付いた。 新しい靴を履いてきたので、靴ズレしてしまったようである。 ……ツイてないなあ。 そうは思いながらも、せっかくエントラスホールまで来たのだから、と銀次はまたも や原画展に目を向けた。 すでに、何回目の観賞になるのか、本人にもよく分かっていない。 そして幾度目かの観賞を終えたあと、銀次は自分のSPに戻った。 机の上はぐちゃぐちゃのハズである。 ……机の上を片付けて、販売の準備をして、めんどくさいなあ。 痛む足をこらえながらSPに戻ると、そこには蛮の姿があった。 「あれ? 蛮ちゃん?」 「よう、どーせ慌ててると思って手伝いに来てやったのに、いねえんだもんな」 「あ、ごめん。チラシ置場に行ってたの。ついでに原画展も見てきた」 机の上は、蛮がキレイに片付けてくれていた。 まったく、有り難いことこの上ない。 販売の準備も手伝ってもらった。 直接搬入していた新刊の入っているダンボールを開けてみて、二人は暫らくその表紙 をマジマジと見つめた。 「……この表紙は……」 「……失敗だったかもな……」 蛮がそっと箔押の上を撫でてみると、その指には金の箔がくっついていた。 「表紙にもいっぱい飛んでるぞ」 「うーん、デコボコの紙に箔押したからねえ。まーいいじゃん、印刷会社から電話があ った時にはもっと酷いのかと思ってたよ。これだけ箔がちゃんとのってれば十分」 本来銀次は、細かいことは気にしない性格である。 他の在庫が入っているダンボールも開けて、本をSPに並べようとするが、そこには 障害物も多かった。 銀次は在庫のダンボールの中に、友達に貸す本やら何やら、あんまり関係のないもの まで詰めてきていたのである。 とりあえずいらないものは椅子の上に置いて、本をSPに並べた。 椅子の上にいろんなものが積み重なってはいるが、一応これで販売準備は終わりであ る。 ついでに、せっかく並べた売り物の本の上も、すぐにパンフやら蛮がくれたヒヤロン やらでぐちゃぐちゃになってしまった。 が、本人たちはそれ以上片付ける気はないらしい。 それから、蛮が原画展を見にいくというので、銀次も着いていった。 「蛮ちゃん、こっちだよ、こっちから見るんだよ」 「オメーはすでに案内までできるのか……」 銀次が蛮を原画のはじめの一ページ目が展示しているとこまで連れていくと、蛮は呆 れたようにため息を一つ。 「で、オメー、これで何回目だよ?」 「さあ、四回……うーん、五回かな……?」 もっと見たような気もするが、銀次の記憶は曖昧だ。 通り掛かる度に見ているのだから、当たり前だろう。 蛮と一緒に原画を見終えると、次は花月のいるSPへと向かった。 花月と蛮は同じジャンルなので、SPも他の友人たちに比べれば近い。 花月のSPに行くと、ちょうど士度も来ていた。 そこで新刊を貰い、蛮のSPがどこかを一応確認し、それからさらにもう一人、同じ 館に居るハズの朔羅のSPを訪ねた。 「えっとねー、このへんなんだよ。蛮ちゃんのSPから一本中に入ったところを、真っ すぐ行ってね………」 「何でそういう覚え方しかしてねーんだよ。SPナンバーは?」 「知らない。聞いたけど忘れた。ほら、蛮ちゃん、そっちの列見てて、このへんのハズ だから」 「あー、あ、居たぞ。あそこ」 「ホントだ!」 朔羅のSPは蛮がほどなく見つけた。 二人で彼女の元を訪れ、彼女からお菓子と新刊を貰った。 蛮はその場でもらったお菓子を開け、さっさと食べてしまった。 「さっき銀次さんのSPに行ったんですけど、居なかったので……」 「ごめんごめん、そう言えばオレ、朔羅に渡す本が……」 「ええ、ありましたね。椅子の上に積み重なって」 「あははは、勝手に取ってくれればよかったのに」 二人で話していると、蛮は「自分のSPに戻る」と行ってしまった。 お菓子をもらえれば、それ以上この場に用はなかったようだ。 「えっと、じゃあ朔羅、オレのSPに来る? 本も渡したいし」 というか、渡さなければ銀次の座る場所がないのである。 「ええ、じゃあ行きます」 そして二人で銀次のSPに行き、朔羅に貸す本をほんの四、五冊ばかり渡した。 だが、またほんの三冊ほど朔羅から本を借りたので、あまり意味がなかった。 二人で暫らく喋っていると、ちょうどそこにマクベスが現われた。 彼は二日目の今日も、また他のジャンルでSPをとっているのだ。 銀次はマクベスに貸していた本を五冊ほど返却された。 結局、持ってきたより本の数は増えてしまった。 「それにしても銀次さん、いったいどこのパーティーに行くつもりなんですか?」 銀次のビラビラ服を見て、マクベスがため息混じりに言う。 「あははは、イベントというパーティーにね」 ……この服、そんなに目立つかな? イベント会場にはもっとすごい服の人いっぱい 居るのに。 「それより、二人ともゲスト有難うございました。銀次さん、此処で渡しちゃっていい ですかね?」 「あ、うん、そうだね」 マクベスと銀次は、朔羅にその本を差し出した。 「お誕生日おめでとうv」 「オレ達からのプレゼントだよv」 それは、朔羅の誕生日祝いに二人で作った本だった。 「ええ?! 有難うございます!」 その本には朔羅自身もゲストとして呼ばれているのだが、本人はこれが自分の誕生日 本だとは知らされていない。 彼女はこの突然のプレゼントを、とっても喜んでくれた。 「銀次さん、花月のとこのゲストもしてたんじゃないですか? ご自分の新刊もこんな に分厚いし……」 「朔羅、甘いよ。マクベスなんか新刊四冊だよ。一冊は落としたらしいけど。しかもオ レのとこのゲストもしてるんだよ」 「な、なんか、皆さんすごいですね………」 朔羅は驚いていたが、まあ何個も原稿を掛け持ちするというのは、よくあることであ る。 それでもマクベスの今回の新刊の数には呆れたが……。 「ところで銀次さん、その花月さんにもこの誕生日本渡したいんですけど。原稿いただ いたし」 「あ、そうだね、じゃ、カヅっちゃんのSPに行こうか」 マクベスと花月は直接の知り合いではない。 銀次が花月のSPまでマクベスと連れていこうとしたが……、彼は先程行ったばかり の花月のSPを覚えてはいなかった。 「朔羅、任せるよv」 「銀次さん、さっき花月のSPに行ったっばかりなんじゃ………」 「蛮ちゃんに連れてってもらったからv」 こうして、朔羅を道案内に、三人は花月のSPへと向かった。 それから、花月に会って、そのへんをフラフラして自分のSPに戻ると、そこには今 日も売り子を手伝ってもらう予定の夏実が、途方にくれたように突っ立っていた。 「ああっ、夏実ちゃんおはようっ! ごめんごめん、すぐ片付けるからっ」 夏実が突っ立っていたのは、銀次が椅子の上に相変わらず本やら荷物やらを乗せたま まだったからだ。 「おはよう、銀ちゃん。すごい服だね」 「そ、そうかな……? たいしたことないと思うけど」 急いで椅子の上の荷物を片付けながら、銀次はひそかに「この服、そんなにすごい?」 と自問していた。 夏実をSPに座らせて、彼女の為に買っておいたパンフを渡し、ほどなくすると一般 入場が始まった。 夏実はまだ念入りにパンフをチェックしている。 「よお、どうしたんだ? 二人して暗い顔して」 何時の間にかやって来ていた士度が、二人の顔を見て尋ねる。 「え? 暗かった? ぜんぜん何もないんだけど」 「私もべつに?」 たぶん光の加減やら何やらでそう見えただけだろう。 現に二人とも、楽しそうにパンフを捲っていたのだから。 「士度こそどうしたの? 此処4号館だよ? この館に用があるの?」 「ああ、幽白って此処だろ?」 「あ、そー言えば、そうだっけ」 士度は古いジャンルのものも今だに別け隔てなく好きなのだ。 他のジャンルにハマると、すぐに今までのジャンルの本は買わなくなる銀次とは大違 いである。 「それに、今オレのSP、友人に座らせてて居場所がねーんだよ」 「あー、そっか」 この日、士度は友人を何人か連れてきていた。 その中の一人が、最近大きな手術をしたばかりということで、無理をさせないように しているのである。 ……ていうか、そんな大変な手術した直後に、よく真夏のイベントに来るよね。 正直、信じられない話だ。 「じゃ、オレ、買物行くから」 「うん、ばいばーい」 士度は行ってしまった。 「夏実ちゃんも買物行く?」 「あ、はい。じゃ、お先に行ってきます」 夏実も行ってしまった。 一人になった銀次は大人しく売り子をした。 新刊を買ってくれる人がいる度に「あー、箔押のとこ触ったら金がついちゃうよーっ」 と思ったが、声には出さなかった。 GBサークルさんは相変わらず少ない。 だが、一般は大分増えているのではないだろうか、と銀次は思っている。 本を売ることの他にも、イベントのチラシを配るという任務(?)も負っているので 立ち止まってくれる人に、必死で配った。 配りすぎて、夏実が戻って来た時にはもう残ってなかった。 ……もうちょっと主催さんにチラシもらっとけばよかったなあ。チラシ置場に置いた 分もちょっとだけだったし。失敗したなあ。 正直、今日これだけの人が集まっているとは想像していなかったのである。 一時間ほどして夏実が帰ってくると、入違いに銀次も買物へ出掛けた。 今日もじっくりと本を買い漁るつもりである。 銀次がはまっているジャンル(ロードオブザリングなのだが)はどうやら、芸能系と 小説系とで配置がわけのわからないことになっているようだった。 おかげで銀次は両日とも本が買えて嬉しかったのだが。 ちなみにこのジャンルの配置は、芸能系が正解らしい。 昨日と同じく嬉々として本を買っていると、携帯に夏実から電話がかかってきた。 「何かあった?」 『あと一冊しかなかった本、見本まで売っちゃったんですけど……』 「え? でもアレはもう売らないように隅に避けといたハズだけど?」 『それが、お客さんが目ざとく見つけちゃて……手にとっちゃったんですよ』 「あ、そう。べつにいいけど、アレ見本だから汚かったんじゃ」 『そう思ったんですけどねえ。銀ちゃんに何回か電話したけど通じなくて、大分お客さ んにも待たせちゃったんで』 「そーなの、いいっていいって。じゃ、オレ今忙しいからあとよろしく」 何が忙しいってそれはもちろん買物に忙しいだけなのだが、銀次はそう言って電話を 切った。 ……見本は汚いから売りたくなかったんだけどなあ。せめて半額くらいにしてあげれ ばよかったかな。まあ、すんだことを気にしても仕方ないか。それより今は買物買物、 エルフエルフ! 細かいことは気にしない性格というのは、こういう時便利なのものである。 切り替わりも早いのだ。 銀次は再び買物へと向かった。 昨日ほどではないが、まずまずの収穫を得た銀次はまたもやエントラスホールに行っ て原画展を見、ついでに蛮のSPに寄った。 だが蛮は居なかった。 蛮のSPは完全に無人で、並べてある本も見れないように布がかけてある。 ……蛮ちゃん、何やってるんだろ……? 誰も居ないSPの前に突っ立っていても仕方ないので、銀次は大人しく自分のSPへ と戻った。 銀次も夏実も買物を終えてしまったので、あとは二人でのんびりと売り子をするしか やることはない。 何人かの接客を終えて、銀次はふと夏実に尋ねた。 「夏実ちゃん、GBの原画展見た?」 「ううん、まだ」 「見ておいでよ。ていうか見ないとダメだよ!」 「あはは、行ってきます」 銀次は強制的に夏実を原画展を見に行かせた。 GBSPに座っている限り、あの原画展は見ないといけないものだと勝手に思ってい た。 夏実は戻ってくると、「携帯のカメラでとってる人いましたよー」と教えてくれた。 そうしたい気分も分かるが、警備員がいる場所でよく堂々とそんなことできたなと、 銀次はヘンに感心した。 「オレ蛮ちゃんのとこ行ってくるね」 「はーい、行ってらっしゃい」 銀次は再び蛮のSPを訪ねていった。 だが、やはりそこは無人SPだった。 ……もう、二人で卑弥呼ちゃんのとこに挨拶に行こうと思ってたのに。 卑弥呼は二人の共通の知り合いだが、なかなか会うことがない。 銀次は一度自分のSPに戻り、仕方なく一人で卑弥呼のSPに行くことにした。 蛮は卑弥呼のSPを知らないハズだから、彼が一人で彼女の元を訪れることは今日は もうないだろう。 「卑弥呼ちゃんひさしぶりーv 蛮ちゃんと一緒に来るつもりだったんだけど、捕まん なくてさー」 「あら、そうなの。それより今日はまたそんな服着ちゃって……、ほら、後向いてみな さい。くるっと回って」 「あ、うん」 銀次は卑弥呼に言われるがままに、彼女の前で回って見せた。 ……何でオレはこんなことしてるんだろう……と思いながら。 「今日は新刊落としちゃってねー。はい、これ、この前出したヤツなんだけど」 「わーいv ありがとーv」 そこで二人はかなり長い間しゃべっていた。 主にはGBのアニメ化についてだったが……。 暫らくしゃべって、自分のSPに戻ると、周りのサークルさんはすでに片付けに入っ ていた。 「みんなにもう切り上げるか、聞いてくるね」 「あ、はい」 銀次は再びその場を夏実に任せ、行ってしまった。 蛮のSPに行く前に朔羅のSPに寄ると、「あ、銀次さん、ちょうどいいところへ、 ちょっと中へ入ってくれませんか?」と言われた。 何だろうと思いながらも、朔羅のSPに入る。 「ちょっとお手洗いに行ってきますんで、あとはよろしくお願いしますねv」 「え?!」 銀次の話も聞かずに、朔羅は行ってしまった。 ……えーっ、オレ、これから蛮ちゃんのSPに行くんだよーっ。それから最後にもう 一回原画展を見たいのに、時間がーっ。 銀次はかなり焦った。 女性用のトイレは列が出来てないためしがない。 朔羅が帰ってくるまで、かなりの時間を要するに決まっている。 仕方ないので大人しく朔羅が戻ってくるのを待つ。 今日もたくさん買物をした。 銀次は満足だったが、GB本は一冊も買わなかった。 ゲットしたGB本は知り合いから貰ったものだけだ。 ……まあ、いいんだけどね。GB本はオンリーで少しは買えるだろうし。 大阪の夏のイベントが終わりかけている今、銀次の思考はすでに十一月のGBオンリ ーへと飛んでいた。 しかしその次の週は指輪オンリーに出る気でいる辺り、彼の本命ジャンルがどっちな のかは今のところまだ分からない。 ぼーっと自分の思考に沈んでいると、朔羅が戻ってきた。 「あ、おかえり、じゃ、オレ、蛮ちゃんのとこに行くから。そんでもう一回原画展見る から!」 銀次は朔羅にそれだけ言うと、猛スピードで駆けていった。 蛮のSPに行くと、今度はちゃんと蛮の姿があった。 ついでに、士度も居た。 「あ、蛮ちゃん、オレ何回も此処に来たのに、蛮ちゃん居ないんだもんっ。オレ一人で 卑弥呼ちゃんに会いに行ってきちゃったよ」 「そうか、ワリイワリイ」 どうやら銀次が来た時に限ってたまたま蛮が居なかったというわけではなく、蛮は本 当にずーっと自分のSPに居なかったらしい。 本当に何をやっていたのか、SP代がもったいないだけだろうに。 「もうみんな片付けてるの?」 「ああ」 「じゃ、オレも片付けてくる。でもその前にもう一回最後に原画展見てくるから!」 「ああ、分かった。それじゃあ全員片付けが終わったら4号館に集合ってことで……」 これからもう一度原画展に行くという銀次の言葉で、おそらく最後まで片付けが終わ らないのは銀次のSPだと思ったのだろう。 蛮は銀次のSPがある4号館に集合と決めると、それを士度にも伝えた。 そしておそらく彼らのどっちかが花月にも知らせるのだろうが、すでに銀次の知った ことではなかった。 銀次は最後にもう一度、あの素晴らしい原画を見る為に駆けていったのである。 最後の見納めとばかりに見に行った原画展は、すでに人が疎らだった。 もう何回見たか分からない。 警備員のおっちゃんにも、いいかげん覚えられたのではないだろうか。 ……うーん、こんなに満足したイベントはひさしぶりかもv 大好きなジャンルの原画を堪能できて、本もいっぱい買えて、売り上げもそれなりに あって、もう言うことは何もなかった。 ……この原画展を見た人がGBに興味を持ってくれるといいなv 銀次はそんな淡い期待を抱きながら、もう一度特大のカラーポスターを目に映し、後 ろ髪引かれる思いでやっとその場をあとにした。 SPに戻ると、朔羅が来ていた。 銀次は朔羅と夏実に手伝ってもらって片付けを終えた。 暫らくすると士度とその友人達、それに蛮もやってきた。 銀次は蛮と一緒に荷物を宅急便の受け付け場所まで運んだ。 「……で、おめー、結局原画展何回見たんだよ?」 「さあ……七回かな。……覚えてる限りで」 「……覚えてる限りで……ね」 蛮のため息は深かった。 「見すぎだ」 「そうかな? オレはもっと見たかったけど。オレよりいっぱい見た人も居るんじゃな いかな?」 「あんまり居ないと思うぞ」 「それより蛮ちゃん、オレ、足痛いんだけど」 「…………」 足が痛いなら大人しくSPに座ってればいいものを、銀次はこの日ちょろちょろと動 き捲って、靴ズレはさらに酷くなってしまっていた。 家に帰って傷口を見て、二人してびっくりしたほどだ。 とりあえず、こうしてこの二日間のイベントは無事終了したのである。
さて、イベントの余韻で暫らく忘れていたが、音信不通の笑師がどうなったのかを最 後に紹介しておく。 彼は実は、皆と連絡が途絶えたあと、実に一ヵ月半の間仕事で海外に行っていたのだ そうだ。 しかもそこで、ここではとても書けないような……いや、絶対に書いてはいけないよ うな、とんでもない目にあっていたらしい。 ホントに、よく生きて帰ってきたというカンジである。 この笑師とやっと連絡がとれたのが、飲み会前日。 もちろん飲み会には出席。 まるで酒の匂いを嗅ぎ当てて帰ってきたような彼に、みんなは笑い、安堵の表情を送 った。 何かと忙しい友人たちにひとこと。 頼むから、失踪する前に連絡ください! おしまい |