-筧家の年末-


 年末。
 朔羅は久しぶりに大阪を離れ、実家の広島へと帰省していた。
 普通故郷というところは、帰れば懐かしいと思うと同時に、どこかホっとするものである。
 しかし、懐かしいとは思うが、ホっとするようなことは、朔羅の場合まったくなかった。
 お盆と年末年始にしか帰らない年ごろの娘。
 家族は朔羅の帰省を楽しみにしている……と普通の人は思うだろう。
 しかし、この家の場合、そうではないのだ。
「…………」
 久しぶりに帰った実家の居間で、朔羅はじっとこたつにあたりながら沈黙していた。
 ……誰か、かまってよ……と思いながら。
 帰ったら帰ったで、朔羅にはかまってられないとばかりに、家の中は何やら大騒ぎだったのである。
「うちの家宝の臼が無くなった! あんな重いもの誰が盗んだんじゃろうかっ!!」
 勝手口の外から聞こえる、おばあちゃんの慌てふためいた声。
 ……臼って、昔っから外に放置してあったあの汚い臼のこと……? あんなもの家宝だったのか……。
 聞こえてくる祖母の声に、朔羅はこの家にあった臼の存在を思い出す。
 いつも庭の隅に放置されていた、こけがはえた汚い石造りの臼。
「洗剤とスポンジとタワシもなくなっとる!」
 そして、キッチンの方では母の叫び声。
 盗まれたものは、家宝の臼と、キッチン用の洗剤とスポンジとタワシらしい。
 祖母と母はそれらの行方を探すのに、必死になってしまっているのだ。
 そして、唯一朔羅と同じように居間でこたつにあたっている父はというと、のんきに煙草をふかしながらテレビを見ている。
 帰省してきたばかりの朔羅にかまってくれるものは、誰もいない。
 と、その時、朔羅の足元で「ニャア」という元気のないネコの鳴き声がした。
「あ、ケンちゃんv」
 我が家の飼猫、シャムネコのケンちゃんである。
 甘えるように朔羅の膝の上にあがってくるケンちゃんの姿に、朔羅は思わず絶叫した。
「な、何?! ケンちゃん大怪我してるよっ!!」
 背中から腹部にかけて大きな傷がぱっくり。
「ちょっ、血も出てるじゃん!」
「あー、そいつケンカして負けたみたいじゃわ」
 慌てる朔羅とは裏腹に、テレビを見ていた父親はあくまでのんびりと言葉を返す。
 まるで、たいしたことではないように。
「ええっ! わっ、食べたもの吐いてるよっ、すぐ病院連れていった方がいいって!!」
 朔羅が座っていた辺りは、いつのまにやらケンちゃんの血と戻したもので汚れてしまっていた。
「そんな金ない」
「金ないって……、それくらいなんとかしてよっ! ケンちゃんは家族の一員なんだよ!」
 しかし、そう叫んでみても父親からの答えは返ってこない。
 そう、ここは、こういう家なのだ。
 ケンちゃんが汚した場所を片付けて、ゆっくり休める場所を整えてやりながら、朔羅はこの家の主義を思い出していた。
 簡単に言えば、そう、放任主義なのである。
 おかげで朔羅も小さい頃から「勉強しなさい」ととやかく言われたことはなかったし、どこで何して遊んでいてもとやかく言われることはなかった。
 しかしその分、病気の時も限界まで気づいてもらえず、結局体調がかなり悪化してから病院へ連れて行かれ、入院するハメになったこともしばしば。
 子供にとっては良いのか悪いのか分からない、放任主義の家庭。
 一度、まだ朔羅がこの家に住んでいた頃、友達と遊んでいて夜中の十二時過ぎに帰宅したことがある。
 親には「遅くなってもちゃんと帰るから」と伝えておいた。
 しかし、朔羅が家に戻ってみると、家中の鍵は閉まっていた。
 普通、娘の帰りが遅いと親は心配して起きて待っていてくれるものではないだろうか?
 そこが、この家のおかしなところなのである。
 仕方なく朔羅は鍵が開いていた裏口から家へ入り(ここから入るのにもけっこうな苦労がいる)、無理矢理寝ている親を起こして自分の部屋へ行く離れの扉を開けさせた。
 朔羅の部屋は離れの方にある建物なのだが、そちらは全部鍵がかかっており中に入れなかったのだ。
 だから仕方なく一度母屋へ入ってから、離れの鍵を親から借りて自分の部屋に入ることにしたのだった。
 朔羅が出ていった今、その部屋は弟の十兵衛が友達との溜り場として使っている。
 そこで彼ら(一応未成年)が毎日のように煙草をすって、ビールを何本も空けていてもうちの親は何も言わない。
 それどころか、「冷やしておいたビールがなくなった!」と怒るのみである。
 そこまで考えて、ふと朔羅の脳裏に何かが浮かんだ。
 盗まれた臼……洗剤、スポンジ、タワシ……。あいつだ………。
「警察に通報したほうがええじゃろうか?!」
 大慌ての祖母が居間に入ってきて、父親に話し掛ける。
 しかし、父は何も応えない。
 代わりに朔羅がぽつりと呟いた。
「十兵衛じゃない……?」
 朔羅の声を聞いて、今まで慌てふためいていた祖母と母が、ピタリと静かになる。
 ついでに煙草を吸うのをやめて、寝転がってテレビを見ていた父の体も、一瞬ピクリと動く。
「あのコか……」
「あいつならやりかねんわ……」
「臼なんか持ち出して、餅つきでもやっとるんじゃろうか」
 祖母、母、父が口々にそう呟く。
 どうやら全員、朔羅の発言に納得したらしい。
「ねえ、おばあちゃん、あの臼って家宝だったの?」
 どう考えてもそんな大層なものには思えなくて、朔羅は厳しい顔で突っ立っている祖母を見上げた。
「あれは先代のひいお爺さんが大きな石を彫って造った、立派な臼じゃ。昔は金に困った時にはこうやってお爺さんが臼を造って売っとったんよ。この辺りで臼を彫れるのはうちのお爺さんだけじゃったから、けっこうな値で買ってもらったもんよ」
「そ……そうなんだ……」
 昔を思い出しながら得意げに話す祖母の話に、朔羅はタラリと冷汗を浮かべてそう呟いた。
 ……どこまでが本当の話なんだろう……。と思いながら。
「って、そんなコトより、ケンちゃん死にそうだよっ!! 出血だけでも止めないとっ!!!」
 その後、十兵衛があの臼で今何をしているのかという話題でもちきりの両親達をよそに、朔羅は一人、ケンちゃんの出血を止める為に四苦八苦し始めるのだった。(その件に関してはMさん、ご迷惑をおかけしました)


 その日の夜、帰ってきた十兵衛の話を聞いて家族で大笑いした後、朔羅は一人、今にも息が絶えそうなケンちゃんの傍で一生懸命看病していた。
 食事も受け付けない。
 傷も酷い。
 ちょっとでもケンちゃんが目を閉じると、死んでしまったのではないかと思って、心配で必死で呼び掛ける。
 そしてその度に目を開けて、大丈夫だよとでも言うように力なく「ニャア」と鳴いて再び目を閉じるケンちゃん。
 人間の命と、ネコの命と、どう差があるのだろう。
 そんなことを考えていると、自分の部屋で遊んでいた筈の十兵衛が居間に入ってきた。
 どうやら、友達が皆帰ってしまったので暇になったらしい。
 ちなみに彼は、家族の予想通り家宝(?)の臼を持ち出して餅つきをやってたらしかった。
 何故か十兵衛はその臼が貴重なものだと知っていたらしく、壊さないように慎重に、臼を軽トラの荷台に乗せ、十人掛かりでその臼が転がらないように手で押さえて近くの港まで運んだらしい。
 十兵衛と同じ年ごろの男の子が十人がかりで、軽トラの荷台で臼を守っていた姿は、想像しただけでも笑えてくる。
 キッチンの洗剤とスポンジとタワシはその臼を掃除するのに、使ったらしかった。
 そして、臼以外のそれらのものはこの家に戻ってはこなかった。
 全部使いきり、ボロボロにしてしまった、ということだ。
「ねえ、あんたたち、お餅のつき方なんて知ってたの?」
 不意に思った疑問を、弟に投げ掛ける。
 今時、臼と杵で餅をつく家など滅多にない。
 朔羅の家でさえ、近所の人たちで集まって機械でついたお餅を皆で丸めてるだけなのだ。
 まだ十代の彼らが、臼と杵を使って、果たしてまともに餅がつけたのか。
「小学生の時、餅つき大会ってあっただろ」
 ……そう言えば……。
 弟の言葉に、朔羅は昔の記憶を巡らせた。
 確かにあった、小学校の行事のいっかんとして、餅つき大会が。
 ちゃんと臼と杵でお餅をついた記憶がある。
 どうやら、幼い頃に習ったこと、というのは意外にいつまで経っても覚えているものみたいだ。
「そうそう、餅ついてる時にそこのモータースのおっちゃんが来てさ、十兵衛くん、何しとるんな? って聞かれた」
「ふーん、で、餅つきしてますって答えたわけ?」
「いいや、俺その時一人で焼き芋焼いてたから、焼き芋してます。って答えた。そしたらおっちゃん、餅つきしてる連中見て、あのコらは何しとるんな? って聞かれたから、餅つきしてるみたいですねえって答えた」
「あんた、一人で焼き芋焼いてたわけ……?」
 何て淋しい弟だろうと思いながら朔羅が尋ねる。
「ああ」
「お餅、美味しかった?」
「食べてない」
「………」
 いつもまわりにたくさん友達がいる弟だが、今日は仲間外れにでもされたのか……と少し心配になる。
 しかし、そんな心配はまったく必要なかった。
「いくら綺麗に洗ったって言っても、あんな汚い臼でついた餅なんか食べたら、食中毒になるだろ」
「………」
「俺は自分の身の安全が、一番大事だから」
「………」
「さっきまで遊びに来てた連中も、皆腹が痛いって帰った」
「………」
「ところで姉キ、土産は?」
「………冷蔵庫の中。生チョコと、たこやき」
「明日のおやつにもらう」
「………うん」
「それと、俺の晩ご飯は?」
「………」
 今日の夕食は確か鍋だった筈。
 その時間、十兵衛は友達と部屋で遊んでいて居なかった。
 鍋の中身は、空っぽ。
「………さあ」
 そう言えば、何でうちの親は十兵衛の分を別にとっておいてやらなかったのだろう。
「何か作って」
「………」
 ……私は一体、何をしにこの家に戻ってきたのだろう……。
 その時、朔羅はそう思わずにはいられなかった。
 今だに理解出来ない、うちの家族の行動。
 全員十分ヘンだとは思うのだが、一番分からないのがこの弟である。
「……お餅、焼いてあげようか?」
「イヤ。餅は暫らく見たくない。何かまともなもん作って」
「………」
 しばしの沈黙。
「ねえ、十兵衛。ケンちゃん病院に連れていった方がよくない?」
 考えた末、朔羅が出した結論は話題の変換。
「明日、俺が連れていく。ケンも家族の一員だからな」
「……十兵衛っ……」
 両親たちに完璧に見捨てられてしまっている我が家の飼いネコを思いやる弟の言葉に、朔羅は感動した。
 この弟は、何を考えているかさっぱり分からない。
 でも、これだけは言える。
 彼は、とっても思いやりのあるいいコであると。
 しかし。
「……?」
 すっと自分の方へ伸ばされた十兵衛の片手に、朔羅はきょとんと首を傾げた。
「カネ」
「………」
 確かに十兵衛は、ケンちゃんを病院へ連れていくとは言った。
 しかし、治療費を出すとは言わなかった。
「………」
 沈黙を続けながら、朔羅は仕方なく自分の財布から一万円札を二枚取り出す。
 本当は十兵衛へのお年玉として、用意しておいたお金だ。
 そしてそれをこたつの上に転がっていたお年玉袋に入れると、 「ケンちゃんへ」と書いて十兵衛に差し出した。
「俺のは?」
「………」
 まだ年も開けてないというのにお年玉をねだる弟に、朔羅は仕方なく小銭を数枚、先程とは別のお年玉袋に入れてやる。
 そしてそれに「十兵衛へ」と書いて、彼に渡した。
「百二十円……?」
 ちょっと怒った十兵衛の声。
「自販機のジュースが一本買えるよ」
「………」
「嫌なら、さっき渡したケンちゃんの分から勝手にとってね。その代わり、ケンちゃんの治療費は私はこれ以上出せないよ。ケンちゃんが大事じゃないんなら、十兵衛のおこづかいにしてもかまわないから」
「………百二十円、もらっとく」
「うん」
 何を考えているがまったく分からない弟ではあるが、おそらく彼がこの家の中で一番優しい心の持ち主だということは、間違いないと思う。
 そしておそらく、イザという時は一番役に立つ。
 しかし。
「それより姉キ、俺の晩ご飯作って」
「………」
 一番甘えん坊なのも、彼なのである。
 もちろんそんなことは、腹を壊した彼の友人たちは知りもしないだろうが。
 十兵衛いわく、「一応、忠告はした」らしい。


 こうして、あくまで自分中心にものごとを考えるうちの家族の一年は終わりを迎える。
 ケンちゃんの入院、というちょっぴり淋しい報告つきで。
 ちなみにケンちゃんの入院費用は家族全員でカンパしあった。
 そして、その金額は十兵衛が獣医の先生に値切り倒して決めたものらしい。
 聞くところによれば、ローンの交渉までしてたとか。
 家宝(?)の臼も無事戻り、ケンちゃんも一命をとりとめ、筧家はまた毎年のように、家族全員(マイナス一匹)で新年を迎えたのでした。

 

おまけ

 大晦日の夜、暇そうにこたつにあたりながらテレビを見ている十兵衛に朔羅は尋ねた。
「今年は、除夜の鐘つきに行かないの?」
 毎年十兵衛とその友達が近くの寺に除夜の鐘をつきに行っていることは、家族は皆知っている。
「んー、去年俺一人で二十回くらい鐘ついて、おしょうさんに怒られたから今年は呼んでもらえなかった」
 テレビから視線を外すことなく、どうでもいいことのように言う弟に、朔羅は呆れながらもその理由を尋ねた。
 普通、一人で二十回も鐘をつく近所の子供なんて、滅多にいないだろう。
 十兵衛がよけいについたぶん、他の子供に順番が回ってこなかった可能性も高い。
「………何で一人でそんなについたの?」
 一応、他人を思いやれる心のあるコだとは思っている。
 だが、やはりこの弟の考えていることは分からない。
「なんとなく。気分がよかったから」
「………」
 きっと、それ以上の理由など本当に存在しないのだろう。
 朔羅はそれ以上何も言わなかった。
 そして、思う。
 この弟がいいコだと思っている自分は、やはりただの姉バカなのかもしれない……と。



戯言………キャスティング、ミスりましたね。弟の性格に一番近いのは蛮ちゃんです(たぶん)。
本当は妹も居るのですが、書くのが面倒だったので省きました。すまん、妹よ。

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