「筧家の盆休み」


 その日、朔羅はまさに正月以来久しぶりに実家へと里帰りをしていた。

 原稿明けで体はボロボロ、新幹線の中では完全に漠睡という状態ではあったが、人間どんなに離れていても帰省本能というものがあるらしく、朔羅はフラフラしながらも無事(新大阪の駅でボーっとしていて改札を間違えるという失態はおかしたが)実家に戻った。

 故郷の地につくと、そこには父親が車で迎えに来てくれていた。

「ただいまー。やっぱどこも暑いねえ」

「大阪よりマシだろうが」

「まあね」

 車の後部座席に重たい荷物を放りこみ、朔羅自身は助手席に乗り込む。

 すると、朔羅のずさんな荷物の置き方を気にした父親が、わざわざ運転席から後部座席の方に身を乗り出し、荷物の置き方を直していた。

「あー、お父さん、大丈夫だって。酒が入ってるのはそのバッグだけだから」

 そう言って、ひとつだけまともに固定させて置いたバッグを指差す。

「そうか、ならええわ」

 父親も朔羅の言葉ですべてを納得して、荷物を直すのをやめた。

 どやらこの父娘、酒さえ無事ならそれでいいらしい。

 父親の運転は相変わらず荒っぽい。

 後部座席で荷物が跳ね上がるが、ある一つのバッグさえ無事ならそれでいいので、父も娘も気にも止めない。

 家に辿り着くと、ちょうど昼食時の時間だった。

「ただいまー」

 玄関のドアを開けて声を出すが、返事はない。

 ……もう、せっかく久しぶりに帰ってきたっていうのに、「おかえり」の一言もないわけ?

「ただいま!」

 朔羅はさっきより大きな声で、もう一度呼び掛けた。

「よう帰ってきたね、お帰り」

 するとやっと、奥の部屋からおばあちゃんが出てきて朔羅を出迎えてくれた。

「おばあちゃん、ただいま」

 大荷物をとりあえず居間へと置き、朔羅はいい匂いのするキッチンの方へと足を進めた。

 そこではちょうど母親が昼食の準備をしているとこだった。

「もう、お母さん、ただいまって言ってるのに!」

「あら、お帰り、朔羅。ちょっと今手が離せなかったのよ。もうお昼だから手を洗って、座りなさい。それから、今日は十兵衛の彼女が来てるからね」

「え? また?」

 確かこの前正月に帰った時も、十兵衛の彼女が居たような気がする。

 ……何で、正月やお盆なんかに泊まり込んでるんだろう……?

 まあそのへんにはいろいろ家庭の事情というものがあるらしいが、朔羅はあえてツッコまなかった。

「それより、ケンちゃんは? 子猫もいるんでしょ?」

「外じゃないかしら。ごはんの時間になったら帰ってくるわよ」

 ケンちゃんとは、我が家で飼っているネコのことである。

 最近さらに一匹子猫が迷いこんで来たらしく、我が家にはまた家族が増えたらしかった。

 暫らくすると、母親の言ったとおり、ケンちゃんはお散歩から帰ってきた。

 ついでにチビ猫も一緒に帰ってきた。

「わあ、可愛いっ、これが新しいネコだね。おいでおいで」

「朔羅、チビ猫は家の中に入れたらダメよ!」

「なんで?」

「そのコはうちの猫じゃないの。勝手に居ついてるだけなんだから」

「ふうん。で、このチビ猫の名前はなんて言うの?」

「デカよ」

「ちっちゃいのに?」

「刑事と書いてデカ。十兵衛がつけたのよ」

 相変わらずうちのネコはまともにネコらしい名前をつけてもらっていないらしい。

 ちなみにケンちゃんの本名は「ケンジロウ」である。

「餌はあげてるんでしょ?」

「それは、おばあちゃんが勝手にあげてるの!」

「名前までつけて、餌もやってるのに、うちのネコじゃないの?」

「…………」

 朔羅のこの質問に、母親は暫らく考えるように小首を傾げた。

「そう言えば、そうねえ………」

 朔羅のこの程度の口車に乗せられるあたり、母親もまだまだ天然である。

「よかったねえ、チビ猫ちゃん、あんたうちの猫だよ」

 玄関口で子猫を抱き上げ、朔羅はその小さな体を抱き上げる。

「朔羅、そのコ、ノミがすごいのよ」

「ギャっ!! そーいうことは早く言ってよ!」

 かくしてチビ猫は、うちの猫であろうとなかろうと、結局は家の外で淋しく食事をとらされるのだった。

 十兵衛の彼女、花月は相変わらず大人しいいいコだった。

 こんな彼女、十兵衛にはもったいない、と朔羅はホンキで思っているくらいだ。

 昼食を取り終えて寛いで、しばらくすると家中に大きな声が響き渡った。

 ……また、煩いのがやってきたな。

 実家に帰ってくると必ず出くわすことになる、まだやんちゃな従兄達である。

 一人でも煩いのに、コレが男の子三人ともなると、その騒めきには拍車がかかる。

「みんな、ひさしぶりー。元気だったー?」

「うん! はい、お姉ちゃん、これお土産」

「ありがとv」

 煩いが、まだ幼い従兄たちは朔羅から見ると、ホントに可愛らしい。

 正月にはこのコ達にお年玉まであげたほどだ。

 この従兄たち、言うまでもないが、朔羅とは随分年が離れている。

 一番離れているので、十九も違うのだ。

 一歩間違えれば「おばさん」呼ばわりされかねない。

「海行くんだよ! 海!」

「そっかー。海かー」

 海、それは朔羅のうちから五分も歩けば辿り着く。

 山育ちの従兄たちは海を喜ぶが、海育ちの朔羅にとってはすでに「海」と聞いて心はときめかない。

 内心……勝手に行ってくれ……の気分である。

 その日の夕食の人数は、とても多かった。

 親戚一同に加えて十兵衛の彼女、それに猫二匹までいるのだから当然である。

 ちなみに猫達はやんちゃな従兄たちに追い回されて、どっかに逃げてしまった。

 夕食時に彼女に気をつかっている十兵衛の姿が、なんとなく微笑ましかった。

 おばちゃんが買ってきてくれたお寿司をとりわけていると、朔羅のテーブルには知らないうちにどんどん飲みかけの中途半端な缶ビールが並べられていた。

 どうもこういう時、朔羅は家族にさっさと食べさせて、自分は周りの皿を気にしながら、料理をとりわけていることが多い。

 もちろん自分でもちゃんと食べてはいるのだが、うまく隙をついて、飲み残りのビールが朔羅の前に並べられるのである。

 しかも、二本や三本どころの騒ぎではない。

「あらあら、朔羅ちゃんの前、ビールでいっぱいね」

 おばちゃんが笑顔で朔羅に、さらにもう一本缶ビールを差し出す。

 朔羅だって、すでに一本か二本、自分の分は飲んでいる。

 十兵衛はなぜか家族の前ではあまり飲まない。

 どうやら彼は泣き上戸らしいのだが、朔羅はいまだにその現場を見たことがない。

「……あのねえ、私はビールの後始末係なわけ?」

「あら、だって朔羅ちゃんが一番強いでしょ?」

 おばちゃんの言葉に、朔羅は「そんなことあるか!」とホンキで思った。

 そして、自分の隣で呑気にお寿司を頬張っている父親をジロっと睨む。

「なんで、お父さんが飲まないわけ?」

「もう二本飲んだ。これから盆踊りだから、飲みすぎはよくないだろーが」

 それは、屁理屈にしか聞こえない。

「そう言えば十兵衛、歌いにきてくれって青年団の兄ちゃんらが言ってたぞ」

 そして父親はうまく話をはぐらかす。

 朔羅は仕方なく、自分の前に置かれた大量のビールに口をつけた。

「行かない。この前ケンカしたから」

 どうやら盆踊りを取り仕切っている青年団のおえらいさんと一悶着あったらしい。

 ……ていうか、行かない方がいいよね。十兵衛って昔っからすごい音痴だし……。

 この地域の盆踊りは、基本的に高校生以上の男性諸君がやぐらの上で歌を歌ったり、拍子をとったり、太鼓を敲いたりすることになっている。

 いつから続いている習わしなのかは知らないが、とりあえず朔羅が覚えている限り、ずーっと昔から続いている伝統のようなものだと思う。

「あ、花月ちゃん、何がいる? ウニ? イクラ?」

 十兵衛の思考が彼女から途切れたのを察して、朔羅はとりあえず高価そうなものを彼女に勧めた。

「イカとかタマゴはやすもんっぽいからやめとけ」

 十兵衛も彼女の皿が空っぽなのにようやく気付き、やはり高価そうなものを食べさせようとする。

 わざわざ姉弟でつまらん見栄をはらなくてもいいとは思うのだが、彼らとしては十分気をつかっているつもりなのだ。

「あ、おばあちゃん。穴子の手巻き寿司あるよ。巻いてあげようか?」

「あ、悪いね」

「お父さんのはネギトロにしよーっと。お母さんはイクラかなー」

「お前、さっきから人のことばっかり気にしてるけど、ちゃんと食べてんのか?」

 父親の問いに、朔羅はフっと鼻先で笑った。

「甘いよ、お父さん……」

 朔羅はそう言って、自分の前に並べられた大量の缶ビールを振ってみせた。

 すでに半分以上は空だった。

 ついでに、朔羅の皿にはちゃっかり自分の好きなものばかりがとりわけてあった。

 他人に気をつかっているように見せて、実は自分が一番得をしている。

 彼女が都会で暮らすようになって、身につけたワザの一つだった。

 結局ビールはすべて、朔羅が飲み干した。

 家族も親戚一同も驚きもしなかった。

 ついでに、朔羅がわざわざ持ち帰ったお酒で、皆が盆踊りに行っている間に、もう一回母親と一緒に晩酌をした。

 この家に帰ってくると、極端にアルコールの摂取量が増えるような気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。

 その証拠に、昼食の時も夕食の時も、常に朔羅と両親の前にはビールが並べてあった。

 そしてそれらが、残るということは有り得なかった。

 次の日、親戚一同も、十兵衛の彼女の花月も帰っていった。

 やっと、家族だけの安らかな休日が訪れたのである。

 ちなみに十兵衛は、昨夜の盆踊りの時、ちゃっかりやぐらの上で歌っていたらしい。

 朝方朔羅が顔を洗う為に洗面所に向かうと、そこには小さな扇風機がとりつけてあった。

 ……なんで、こんなとこにこんなもの……。

 不思議に思って、客間を片付けていた母親に尋ねてみる。

「朝、顔を洗う時、暑いでしょ?」

 返ってきたのは、そっけない返事。

「ホントにそういう理由なの? 十兵衛がいつもあそこで髪を洗うから、それを乾かすためにあるんじゃないの?」

「まあ、たいていはそういうふうに使われてるんだけどね」

 ついで、朔羅はこの客間を見回した。

 昨夜親戚が使っていた部屋である……が、そこにはなぜか十兵衛の服が大量に置いてあった。

 ハンガーラックまでこんなとこに置いてある。

 さすがに昨夜は移動させていたらしいが、いつもはこの部屋にあるものらしい。

「何で、十兵衛の服が客間にあるの?」

「十兵衛はいつもここで着替えるのよ」

「この部屋って、十兵衛の衣裳部屋なわけ?」

「まあ、そうとも言うわね」

 母親は十兵衛の衣類を片付けながら、ゆっくりと息を吐いてこう言った。

「あのね、朔羅」

「なに?」

 どこか真剣味を帯びた母親の表情に、朔羅も自然に強ばる。

 なにか、とんでもない話なのだろうか?

「この家はね、十兵衛を中心に回ってるのよ」

「………あ、そう」

 突然真面目な顔で何を言うのかと思えば、そんなことだったのか、と朔羅は思う。

 この家が十兵衛を中心に回っているなんて、今にはじまったことではない。

 彼が小さいころから、はっきり言ってそうだった。

 可愛がられるのはいつも十兵衛ばかりで、誰かが「朔羅と十兵衛に」とお菓子をくれると、そのお菓子は「コレ僕のだよ!」という彼の一言で、十兵衛のものになった。

 朔羅も何だかんだ言って、弟が可愛かったので否定もしなかったし、それでいいと思っていた。

 ようするに、家族して十兵衛を甘やかしすぎたのである。

「お母さん、十兵衛の為なら、なんだって買ってあげるわv」

 そして、最大限に十兵衛を甘やかしたのは、この目の前に居る母親だということは、言うまでもなかった。

 その日は本当にゆっくりと過ごした。

 母親と一緒に海まで行って、水遊びもした。(水着を持っていなかったので、あくまで水遊びなのである)

 昼も夜も心行くまでビールを飲み、まったく幸せな一日だった。

 で、その日の夜。

「朔羅、あなたの買ってきた赤福、賞味期限今日までよ。急いで食べないと!」

「あ、そうなの? 夜に甘いものはどうかと思うんだけど……まあいっか。お父さんとおばあちゃんも呼んでくるね。十兵衛は?」

「居ないわよ」

 赤福は十兵衛が買ってこいと言ったから、買って帰ったお土産である。

 でもまあ、居ないのなら仕方がない。

 なんせ、賞味期限は今日までだ。

 十兵衛を除いた家族四人で居間に集まり、「あら、この赤福美味しそうねえ」「赤福って大阪が本場なわけ?なんか間違ってない?」などとしゃべっていると、窓の外から見知った声が響いてきた。

 十兵衛である。

「オレの分も残しといてくれよーっ!!」

 そう言うなり、ブーンとバイクを走らせて彼は行ってしまった。

 彼の夜遊びはいつものことである。

「あら、十兵衛ったらどこで聞いてたのかしら」

「こういう時だけ地獄耳だね」

 とりあえず、母親が綺麗に人数分とりわけ、皆で夜中のお茶となった。

 ちなみに、十兵衛の分は、やはり他の人達の分より多めに残されていた。

「赤福なんて、十兵衛が買ってこいって言わなかったら、買ってこなかったよ、微妙に重いし」

 朔羅はお土産というと、神戸の生チョコやチョコレートケーキなどの菓子類しか買って帰らない。

 理由は簡単、軽いからである。

「お前、酒ビン二本も持って帰ってたじゃないか。それに比べればこっちの方が軽いだろ」

「それとこれとはベツなの」

 酒に関しては労力を惜しまないらしい。

 しかもそれを納得してしまうこの家族も、いいかげんどうかと思う。

 さらに次の日。

 朔羅は両親と買物に出掛けた。

 本当はこの日、友達と会う約束になっていたのだが母親が「今日はお母さんに付き合いなさい!」と煩く言うので予定を変更した。

 父親はデパートに入るなり姿を消した。

 朔羅は本屋で吟味していた。

 今ハマっている映画の海外モノの方の本を見つけて、それがとっても欲しかったのだが、全部英語で何が書いてあるのか分からなかった。

 でも写真はたくさん載っていたので、どうしても欲しかった。

 朔羅がソレを買うかどうか悩んでいると、母親がひょっこり現われて言った。

「朔羅、その本買うの? やめときなさい。読めないでしょ。絵(写真)だけ見るんじゃ、十兵衛と同レベルよ」

「………」

 朔羅に言い返す言葉はない。

 自分の語学力をバカにされたことよりも、十兵衛と同レベルに扱われたことの方がショックだった。

 ……確かに十兵衛は小さい頃から字を読むのが嫌いで、本を読むと言ったらもっぱら絵ばかりを眺めてたけど。

 でも、それはあくまで小さい頃の話である。

 もしかして十兵衛は、今でもそのような本の読み方をしているのだろうか?

 母親の言い方から察して、その確率は高い。

 ……十兵衛、あのコ、やっぱりアホなのね……。

 分かってはいたが、朔羅は改めてそれを実感した。

 結局その本は買った。

 写真だけでも見る価値はあるし、よく見れば英語もそんなに難しいものではないので、なんとなくなら意味を捉えることもできるだろうと判断したからだ。

「もうっ、買うの? 貸しなさい、お母さんが買ってあげるから」

「いいよ……。自分で買うから……」

 もう子供でもないのに、何でたかだが本一冊、親に買ってもらわなければならないのか。

 朔羅は母親の申し出を却下して、自分でその本をレジまで持っていった。

 それから父親と合流して昼食をとり、デパートの中をぐるっと回った。

 やってきたのはペット用品売場。

「ケンちゃんと、チビ猫ちゃんの新しい首輪買ってあげるv」

「チビ猫のはいらないわよ。うちのコじゃないんだから」

 せっかく朔羅が奮発して可愛いネコ達の為にお金を出してやろうと言うのに、父親も母親もあまり乗り気ではない。

 だが朔羅はそんな両親に構わず、勝手に首輪を選び出した。

「ねえ、お母さん。やっぱりお揃いがいいよね? どっちがケンちゃんで、どっちがチビ猫ちゃんがいいと思う?」

 ふたつの首輪を母親に見せ、朔羅はにっこりと笑う。

「そうねえ。ケンちゃんは男の子だからこっちね。チビ猫は女の子だからこっち」

「じゃあそうするv」

 チビ猫の分はいらないと言いつつ、しっかり朔羅の口車に乗せられている母親である。

「あ、あとノミとり液もいるね。チビ猫ちゃんだっこできないし」

 結局朔羅はノミとり液と首輪をふたつ手にもち、勝手にレジへと向かった。

 買物からの帰り道。

「来年帰ってくるときは、また首輪買ってあげるねvきっと何匹か増えてるだろうしv」

「何で増えるのよ?」

「だって、ケンちゃんは男の子でチビ猫ちゃんは女の子じゃない。あの二匹、仲良しなんでしょ?」

 朔羅の言葉に、母親はハっと息を飲んだ。

「そ、そうよ、そうだったわ! 子供が産まれるじゃないの!」

 どうやらその事実に、やっと気がついたらしい。

 やはり間の抜けた母親である。

 それから家へ戻り、早速買ってきた首輪を二匹の猫につけたやった。

 しかし、つけたのは朔羅ではなく、父親だ。

 朔羅がそうするように仕向けたのである。

 遊びに行っていた十兵衛が帰ってきて、二匹の猫を見るなり早速文句がとんできた。

「なんでデカまで首輪してんだよ。コイツはうちの猫じゃないだろ」

 チビ猫のことをまともに「デカ」と名前で呼んでいるのは名付親たる十兵衛だけだ。

「私が買ってあげたの。でも、買ったのは私だけど、チビ猫につけたのはお父さんだから。お父さんがチビ猫に首輪をつけたってことは、うちの一家の電信柱(大黒柱とは言ってやらない)が、チビ猫ちゃんを家族の一員と認めたってことよ」

「わざとそういうふうに仕向けたんだろ? 親父のヤツアネキには甘いからな」

「まあねー」

「ついでに言うと、電信柱じゃなくて、茶柱で十分だ」

「幸せなんか呼んで来そうにないけど?」

「まあ、そうだけどな……」

 かくして、チビ猫は朔羅の奇策により、無事皆から家族の一員と認められたのだった。

 それからその日の夕方は、家族でお墓参りに行った。

 こちらの地ではお墓参りは基本的に送り盆になる。

 十六日の夕方に参るのが習わしだ。

 十兵衛はまたどこかに遊びに行ってしまった。

 本人いわく「この前、花月と一緒に行ったから」ということである。

 ……彼女と一緒にお墓参りに行くとは、やはり花月ちゃんはうちの墓に入るつもりなのかな……。

 朔羅は二人の関係がかなり深いところまでいっていることを実感した。

 この地域には二ヶ所墓地がある。

 一ヶ所目の墓地でうちのおじいちゃんの墓と、親戚の墓をだいたい周り終え、皆は二ヶ所目の墓地へと向かった。

 なぜかお墓の前にお団子を供える風習があるので、朔羅はもっぱら団子を供えて回っている。

 二ヶ所目の墓でもその予定だった。

 そこで、親戚のおばあさんに出くわした。

 おばあさんが行きたい墓はかなり上の方にあり、年寄の足ではかなりキツイと言う。

「朔羅ちゃん、ちょっと行ってきてくれない?」

「いいですよー。ちょっとばかり頑張ってきます!」

 朔羅はそう言うと急な階段を自分の団子と親戚のおばさんの団子が入った容器をもって駆け上がった。

 朔羅自身はまだ若い気でいるので、これくらいの階段はなんともない。

 親戚のおばあさんの分まですべてをお参りし終わって、朔羅はようやく気がついた。

 この階段が、ひどく滑りやすいことに。

 ……なるほど、これは年寄りには危ないな。上りはなんとか行けても、下りで足を滑らせそう。

 朔羅が気をつけながら階段を降りてくると、その瞬間、バサっと何羽ものカラスがはためいた。

 この墓地は山陰にあり、木々の中に多くの鳥達が潜んでいるのである。

「ええっ?! お団子があっ!!!」

「うわあ、やられたなあ」

「カラスもえらいわ」

 朔羅が先程頑張って供えてきたお団子のほとんどは、一瞬にしてカラスに荒らされてしまった。

 カラス達はお団子が供え終わり、朔羅が完全に階段を下り切るのを待っていたのだ。

「そんなあ……」

「まあ、それが自然の摂理ってもんよ」

 一人でしょげている朔羅とは裏腹に、年寄り連中はサバサバしたものである。

『自然の摂理』そう言われればそうなのだろうが、せめて朔羅達が墓地から去ったあとで、やってほしかったような気がする。

「もうっ、あのカラス達ったら、今にバチがあたるんだから!」

「うちの先祖に、団子を捕られたくらいでカラスを追い回すほど暇人は居ないよ。いいのいいの、朔羅ちゃんありがとね」

 墓参りの一番の天敵は朔羅は今までずっと「蚊」だと思ってきた。

 夕方に山陰にある墓地に行って、蚊に咬まれない者などほとんどいない。

 だが朔羅はこの時、学習した。

 墓参りのもう一つの天敵。

 それは、「カラス」だ、と。

 さらに次の日。

 朔羅はやっと、友達に会うことができた。

 久しぶりに会った古くからの友人、雨流はともすればヤンママにも見えるような格好で朔羅の前に現われた。

「すっかり所帯持ちってカンジね」

「よくそう見られる。しかしだ、オレはまだ独身だ。人を外見だけで判断してもらっては困る」

「分かってるけど」

「とりあえず、カラオケにでも行くか。オレの美声を聞かせてやる」

「はいはい………」

 雨流は決して歌がうまいという部類には入らないと思うのだが、彼はやたらとカラオケが好きである。

 彼と会うと、必ず最低二時間はカラオケにつきあわされる。

 二人でカラオケに行き、昼食代わりにピザとからあげをつまみながら、朔羅は一人、延々と酒を飲んでいた。

 一方雨流は、もっぱらウーロン茶である。

 二人で盛り上がるだけ盛り上がって、朔羅は何気に自分の携帯に目をやった。

 父親から電話が入っていたのだが、気がつかなかったらしい。

「あ、電話かかってたみたい。ちょっとかけ直してくるね」

 そう言うと朔羅は、気持ちよさそうに熱唱する雨流を一人部屋の残し、廊下へと出た。

「あー、もしもし、電話した?」

「おう、広陵勝ったぞ」

「え? ホント?!」

 何の話かと思えば、高校野球の結果である。

 朔羅が高校野球が好きなのは、家族も故郷に残っている友人たちにも有名な話なのだ。

「えっと、これでベスト8だよね?!」

「そういうことよ!」

 朔羅はその場で飛び上がった。

 通り掛かった店員からちょっと白い目で見られはしたが。

「キャーっ!! 雨流っ、広陵勝ったって!! ベスト8進出よっ!!」

「ホントか?! すごいじゃないか!!」

 二人は大はしゃぎで手を取り合って感激した。

 分からない人の為に付け加えておけば、広陵高校とは、広島県代表の学校である。

 詳しく触れたことはなかったかもしれないが、朔羅はもともと広島の人間だ。

 大阪代表は一回戦で負けてしまったので、朔羅は自分の故郷である広島県勢を応援していたのだった。

「なんかすっごく気分よくなってきた!! 歌うわよ!」

「おうっ! 今日は歌い捲るぜ!」

 こうして最高潮に機嫌がよくなった二人は、時間ギリギリまで延々とハイテンションのまま歌い続けた。

 ちなみに広陵は次の試合でさっさと負けた。

 まあ、しょせん、そんなもんだろう。

 それから、熱き興奮も納まらぬまま、二人はカラオケボックスを出て買物に向かった。

 朔羅が新しい服を新調するためだ。

 デパートにつくと、ちょうど24時間テレビの募金活動が行なわれていた。

 朔羅も雨流も一円も募金しなかった。

 ボランティア精神のないヤツらである。

「オレ、あの黄色いシャツ着て、募金活動のバイトしようかと思ったんだけどさー、なんかアレってボランティアらしくって、バイト代出ないみたいだから、やめた」

「ふーん、それはやめて当然だね。この炎天下でタダ働きなんて冗談じゃないよ」

 本当にボランティア精神の一欠けらもない。

 デパートの洋服売場を歩きながら、朔羅はふと一枚の服に目を止めた。

「ね、雨流、コレどう?!」

 朔羅が手にしたのは、ビラビラのワンピース。

 一見パーティー用のドレスにでも通用しそうな服だ。

「お前の趣味はよく分からん……」

「えー、いいじゃん。試着してくる!」

 言うが早いか、朔羅は試着室の中に駆け込んだ。

 着替えるのもとても早い。

「どう?」

 着替えて朔羅が出てくると、雨流は苦笑いしながら 「いーんじゃないか?」とポツリと答えた。

「どこ着て行くんだよ、そんな服?」

「んー、遊びに行く時とか」

 ホントはおもいっきり「イベント用」なのだが、そんなことはカタギの友人である雨流の前で言える筈もない。

「まあ、いいじゃん。とりあえずコレ買ってくる」

「ちょっと待て! コレも買え! こっちの方が絶対普通に着れるから!」

 そう言って雨流が朔羅に手渡したのは、確かに普段普通に着れそうな、カッターシャツだった。

 センスも悪くはない。

 が、朔羅の趣味ではない。

「分かったv コレも買うv」

 せっかくの雨流の勧めを断るのも悪いような気がしたので、朔羅はその服を受け取り、さっさとレジへと向かった。

 夕方、帰りは雨流の車で送ってもらった。

 だが、彼の運転はかなり危なかった。

 Uターンしてはいけない場所で車の向きを変えたり、無理矢理他の車の間に割り込んだり。

「いつもは100キロくらい出してるんだけどな」

「お願いだからやめて。私まだ死にたくない」

「分かってるって」

 朔羅から見れば、ドキドキするような運転だったのだが、雨流にしてはいつもより安全運転だったらしい。

「じゃーね。送ってくれてありがとv 次に会えるのは正月かな?」

「だろーな。またこっちに帰ったら連絡しろよ」

「うん、必ず」

 不思議なことに、朔羅は雨流以外の友達と会うことはなかった。

 べつに会う約束をしていなくても、その辺をフラフラしていれば誰かに出くわしそうなものなのだが。

 雨流も同じことを言っていた。

 最近、誰も見かけないと。

 二人の間で深まった疑問。

 ……みんな、何処で何してるわけ?

 次の日、朔羅はせっせと帰り支度に励んでいた。

 そう、あと数時間でこの家ともまた暫らくお別れである。

「アネキ、何してんの?」

 十兵衛が花月と一緒に朔羅の使っていた部屋にやってきた。

 ……花月ちゃん、また来てたのね。この前家に帰ったばっかりじゃなかったかしら。

 おとなしそうに見えて、意外にちゃっかりした彼女である。

「帰る支度。もう大阪に帰るの」

「え? もう?」

「もうって、明日から仕事だもの。当然でしょ」

 とりあえず荷物だけまとめて、朔羅は化粧ポーチを持って母親の部屋へと移動する。

 鏡台を物色する為だ。

 朔羅が呑気に化粧をしていると、再び十兵衛が現われた。

「おねえちゃんv」

 しかも、すっごい猫なで声。

 ……恐いよ、十兵衛。

「なに?」

「お小遣いちょうだいv」

 ……そんなとこだろうと思った。しかし、その言葉遣いやめてって。

「いいけど。いくら?」

「じゃあ、千円」

 ……そんなんでいいのか。

 正直、もう少しふっかけてくると思ったのだが。

「いいよ。はい、千円。よかったね、これでお菓子が買えるね」

「わーいっ、やったーっ!」

 子供のように喜ぶ十兵衛を見て、朔羅はため息をひとつ。

 たった千円で喜ぶなら、まだ可愛いものである。

 だが、いつもと言葉遣いが違うのは恐い。

 傍に居た花月が「姉弟っていいねえ」とえらく感嘆していた。

 そう言えば彼女は一人っ子だった。

 ……花月ちゃん、あんたたった千円のお小遣いで喜ぶような情けない彼氏でいいわけ? ていうか、あの猫なで声恐くないの?

「やったー! オカン、見てみて、アネキにお小遣いもらったー!」

「あら、よかったわねえ」

 わざわざ千円札を母親に見せびらかしに行っている。

 ホントに、精神年齢は小さな子供と変わらない……と思っていたが、次に聞こえてきた弟の言葉で朔羅はガクっと項垂れた。

「やっぱり、この家で一番金持ちなのはアネキのようだな。今度ねだる時はもっとふっかけることにしよう」

 やはりこいつは、こういうヤツだった。

 子供のように喜んでみせたのは、ただの演技。

 すべては姉に自分の可愛らしさをアピールする為と(実際は恐かっただけだが)姉のふところ具合を探る為だったに違いない。

 朔羅はしみじみと、母親の言葉を思い出していた。

『この家は、十兵衛を中心に回ってるのよ』と。

 おしまい

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