秀ライブ 2
めでたく引っ越しした紅孩児。 前のアパートの大家と最後の話を済ませ、卒業式も終え、一時帰省も終了。 これから新生活である。 大荷物を抱えてホームで電車を待つ紅孩児の隣には、ちゃっかり焔がいた。翌 日3月25日が待ちに待ったライブなのだった。今回は二人とも紅孩児の新居に泊 まれるのでのんびりしたものだ。 が、胸躍らせる二人に、トラブルは突然やってきた。 焔が自動販売機に飲み物を買いに席を離れた時である。 ガクン! いきなり大きく横揺れした。一瞬、電車がホームに接触でもしたかと思ったが、 それにしては揺れが数十秒続く。 「地震だと!?」 反射的に紅孩児は足場と荷物を確保しつつ、屋根や周囲に目を走らせる。最初 に比べれば小さな揺れが持続的にあるが、避難しなければならないほどではない。 下手に動きさえしなければ怪我もしないだろう。 そう判断してから焔のほうを見やれば、自動販売機の影からひょこっと顔を覗 かせる焔と目があった。揺れが止まる。 アイコンタクトで会話する二人。 「…今のってもしかして地震なのか?」 「もしかしなくても地震だ。立派に」 「あ、やっぱり?」 地震だと気付くのが遅い焔は、以前に起きた地震時も周囲が外に逃げる中で一 人黙々と仕事を続けていた、ある意味すごい大物だったりする。 逆に紅孩児は、咄嗟に脱出口等の把握と金銭類の確認に気を巡らす、あくまで 冷静な妙な客観思考の持ち主だったりする。 …結構良いコンビかもしれない。 「それより、これでダイヤが間違いなく乱れるぞ。今日中に向こうに着けないか もしれん」 「げっ!」 慌てて焔は荷物の元へ走って戻る。 既に二人は駅のホームにいるのである。切符を購入しているわけであるし、紅 孩児なんぞはアパートを引き払ったところだ。もし本日中に新居に行けなければ、 何処か宿をとらなければならない。引越直後、しかもこれからライブだという のに、余計な出費ができるだけの金なんぞは残っていない。 何より、ライブに間に合わない。それが一番の問題だ。 そこに構内放送がかかる。 『只今の地震により、安全が確認されるまで電車の運行はストップさせていただ きます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』 …やっぱり。 おそらく先程の震度は3はあった。これでは最低でも1時間は足止めだろう。 しかも震源地によっては1日中回復しない可能性もある。 「よりによって、何でこんな時にタイミング良く地震が起こるんだー!!」 「あああああ、秀が遠ざかる〜」 相手が自然災害では、何処に怒りと悲しみと落胆を向ければ良いのか。二人は 完全にパニクっていた。 「今度は何の呪いだ!? 紅孩児!ナス…じゃない、あの人形は何処だ?」 「新居の本棚の上にデュオと仲良く並べて座らせているから、問題はないはずだ」 呪いなんて非科学的なことを真剣に考えてどうする、というツッコミがどこか らか来たが、これには理由があった。 そう、それは前回の夏コミのことである。 紅孩児のスペースが取れたため、二人は夜行バスコミケツアーを使用してお台 場を目指していた。前夜に地元を出発し、一日目の朝に会場に直接着いていると いうありがたいツアーである。乗客は全員お仲間なので気楽なもんだ。 「見ろ、焔」 紅孩児が不意に焔の前に差し出したのは、ガンダムWのヒイロとデュオのミニ ぬいぐるみ人形だった。以前オンリーイベントに参加した時にビンゴゲームの景 品で当てたものだが、市販品である。 「わははは、似てねー」 焔が笑ったのはヒイロだった。キャラの顔を知っている人にはわかるだろうが、 ヒイロは目つきの悪いボサボサ髪の少年である。それが人形になるとデフォル メされていて、しかも簡易フェルト人形なので、とんでもない別人になっていた。 「これ、ナスだな。ナス! 情けねーなー」 背面から見ると、髪がナスの蔕に酷似していた。しかもそれがヒイロであると ころがまた笑える。ガンダムの主人公がこんなんで良いのか!? デュオはまだ可 愛いのに…。 「そう言われると…。って、おいおい怒るぞヒイロが」 無口無表情無愛想キャラを思い浮かべ、苦笑する紅孩児に、焔は笑いを必死に 抑えて言い募る。 「いや、でもそうは思わないか?」 「思う」 キッパリ返す紅孩児も紅孩児だった。仮にも自分が活動しているジャンルのメ インキャラに失礼だぞ、おまえら。愛しているからこそいじめるというパターン かもしれないが。 ナスーナスーと言いまくり、気が済んだ焔が人形を返した。そこで紅孩児は会 話しながら、頭についているチェーンを指に引っ掛けてクルクル回す。 と。 「あ」 慣性の法則に従い、指から外れた人形はその勢いのままに飛んでいった。 「飛んだぞオイ」 「自爆しても死なん奴だから平気だろ」 紅孩児のほうが余程ひどいんじゃないかという呟きは、焔の口先で消える。 少し離れた席の足元に飛んだ人形を拾い、前席背面に設置されたネットに引っ 掛け、二人は睡眠をとった。 翌日、コミケ開場一時間前。まだバスは関東地方にすら入っていなかった。高 速道路がひどい渋滞でなかなか進めない。 携帯で紫鴛に連絡したところ、なんと自動車五台による玉突き事故があったと ニュースで報道中らしい。 「マジかっ!!」 「何でこういう時にそんなっ!」 一日目に参加しているので、このまま会場に行けなければ死活問題だ。慌てふ ためく二人の視界に、あの人形が入った。 「…まさか…こいつの呪いか…?」 「昨夜、ナスナスと言いまくって苛めたのが悪かったか…?」 呪われる覚えがありすぎるところが哀しい。 途端、二人そろって人形に向かって頭を下げていた。 「すまん、もう二度とナスなどとは言わない!」 「ちゃんとデュオと並べて丁寧に扱うから、許してくれ〜!」 両手を合わせて平謝りする。 が、結局その程度では気難しいヒイロの機嫌はおさまらなかったらしく、バス がビッグサイトに到着したのは一般入場開始時間だった。 販売準備に二人が大変だったのは考えるまでもない。 今回はあの人形の呪いではない。断じて。 じゃ、何の呪いだ? 考えてみるが。 「「………」」 沈痛な面でしばらく考え込み、二人はそろって同時にがっくりと肩を落とした。 心当たりが多すぎてわからない。つーか、これじゃある意味仕方ない。それで も日頃の行いを改善しようとは思わないあたり、救いはないかもしれない。 焦ってもどうにもならないので、缶ジュースを開けながら談笑している(二人 とも開き直るのは早かった)と、数時間後やっと運行が再開された。 待っている間に、ホームにいた人間の三分の一程度は諦めて帰宅したため、二 人は悠々とボックス席に座れた。十分くらいしてやっと発車。 しかし、シャレにならないほどトロイ速度。 「…乗れたはいいが…こんな速度ではいつ向こうに着けるんだ?」 どちらからとも無しに窓の外を眺めていると。 どう見ても仕事帰りであろう、疲れ切った様子のサラリーマンのおっさんが駆 る自転車が横を過ぎていき、電車を抜かしていった。 「「…………」」 声が出ない。 絶対に、歩くよりもほんの少しは速いだろうというくらいのヨロヨロの自転車 に抜かれたということは、この電車はどれだけの速度なのか。 「…今日中に辿り着けたら、ある意味凄いかもしれん…」 「今のうちに兵庫辺りの友人に連絡取って宿泊先確保の手を打つか?」 二人の目はもはや景色を通り越して、はるか遠くにあるであろう海を見ていた。 信じる者は救われる。 何を信じたかはこの際不問として。 「…何とか、辿り着けたな…」 「(道のりが)長かった…」 夜10時過ぎ。二人は紅孩児のマンションにいた。本来なら3時間程で着くはず だった道程に8時間程もかかり、周囲の店も閉っているが、何とか日付が変わら ないうちに無事に到着していた。 「よかった〜」 思わずへたり込み、遅い夕食をファミレスで済ませ、風呂に入って翌日のため にさっさと寝る。 疲れのおかげで二人の寝付きはめちゃくちゃ良かった。 今回のライブの会場は、かの有名な心斎橋にあった。 これはもうついでに観光せねば!と二人にも気合いが入り、ミュールであまり 歩きたくないなと思いつつも、ライブ前に道頓堀へ。 思ったよりわかりにくい所だった。辿り着ければ問題ないが、それまでが少し 不安になる。それでも道に迷ったり間違えたりしていないところがさすが凄い。 地図も無しに適当に行ったわりには。 「これがあのカニ●楽の巨大蟹看板か」 ナンパ橋と有名な戒橋を渡った所にその店はあった。なるほど、確かにでかい。 ぎこちなく動くカニがマヌケである。 「●い倒れ人形発見! カメラ持ってくればよかったなー」 そのほぼ向かいに怪しげな格好で笑いながら太鼓を叩く等身大人形。 これまたアホっぽい。 おまえら何しに来たんだと怒られそうなほど、二人はケチをつけまくっていた。 幸いにも観光客の多さに紛れ込んでいたため地元民の怒りは買わずにすんだが。 たこ焼きと明石焼きで腹ごなしして時間つぶしした後、ライブ会場へ向かった。 ミニライブでの人数からして、今回はどれくらいの客数なのだろうと軽く見て いた二人だったが、実際は予想を上まった。 「うわっ! これ全員そうなのか?」 エレベーターを出た途端の人の多さに驚く。よく見れば行列になっていた。 「これだけファンがいるというのは嬉しいが、これでは良い席の確保は無理だな…」 荷物をロッカーに置き、会場に入ると、案の定良い場所は既に人で埋まり、座 る所も無かった。ライブまではまだ30分以上あるというのに…。 ぼーっと床の上に座り込んでいて時間を潰す二人。何故か無言だった。 「なぁ、あの集団は何だ?秀のファンクラブにはあんなのは無いはずだが…」 焔の指が示す方向に目をやると、ステージのすぐ左前に、全員が同じTシャツ を着たグループの姿があった。白いTシャツに、後ろの襟元に小さく黄色のロゴ が入っている。薄暗いため文字は読めない。 こういうライブにおいて、ファンがグッズに身を固めたりコスプレをしたりす るのはよくあることだが、彼女たちの格好は秀ファンにしては合わない。単に結 束を固めるための統一か? 「…何か嫌な予感が…」 紅孩児は妙な悪寒に襲われていた。気のせいであればよいが、当たったらとん でもない。せっかくのライブが一気に不快になってしまう。 「まさか、あのKちゃんファンのバカどもか…?」 考えたくない予感を焔は口にする。前回は、周囲の迷惑を考えない礼儀知らず ののおかげでせっかくの楽しいライブがフイにされたのだ。今回もそうだったら、 冗談ではない。 秀一人ではライブは成り立たないから、バックバンドとしてKは必ずいるはず。 Kファンの人が来ていてもおかしくはないのだが。 「…少なくともあの時の奴らではないな」 後ろ姿を確認して紅孩児は溜め息を吐いた。奴らでなければ良い。もしKファ ンだとしても、他の人はきっといい人だろう。そう期待する。 「なぁ、一人?」 床に座り込んでいる焔が唐突に声をかけられた。 「いや連れがいるが…」 「あ、本当?」 隣にいた紅孩児は、そいつの目に入ってなかったらしい。人物は是音と名乗っ た。 「オレ、一人なんだけどさー。一緒していい?」 「実は徳山秀典って奴のこと、あんま知らなくてさ。ここで行われるライブ自体 にちょこちょこ来てるんで、今回来てみたんだ」 秀が目当てではなく、単にライブというものでストレス発散したいだけで来場 しているらしい。おそらく客のなかには是音のようなタイプは幾らかいるのだろ う。 「そんでオレとしては…」 是音が一人で話しまくっているのを二人は半分聞き流しながら耳を傾けていた。 そうして時間はすぎていった。 照明が落ち、室内が暗くなる。 「始まるか!」 二人は立ち上がり、ステージの前に走った。 わくわくしながら手を握り締める焔。 ふと、先程の集団の姿が紅孩児の目に入った。紅孩児の顔色がサッと変わる。 「おい、焔。移動するぞ」 「? どうした?」 そっと耳打ちする紅孩児に、焔は首を傾げて振り向いた。そこには紅孩児の真 剣な顔が。 「あの時の奴が一人いる。TシャツにKの名が書かれているぞ」 「何っ!?」 焔は目を見開いて集団に目をやる。確かにKの名前がローマ字で書かれていた。 先程までいなかった少女が一人増えており、その容貌には確かに見覚えあり。 慌てて移動しようとするが、もう人がステージ前に集まってきていて、動ける ような状態ではない。 ((マジかー!?)) 心の中で悲鳴を上げつつ、とりあえずこれ以上は奴らが近寄ってこないように 二人は願った。彼女たちは二人の左斜め前にいる。今の状態ならば一応被害はな いのだ。 「「「「キャー!!!!!vv」」」」 薄いブルーのTシャツとジーパン姿の秀が登場。 ライブ会場が薄暗いためによく顔が見えない。ひしめくファンを前に歌が始ま る。 【気づけよ】 1曲終わったところで、秀の挨拶がはじまった。 『地震があったけど、みんな大丈夫だった?』 ああ、とんでもない目にあったよ…と二人は心の中で渇いた笑いと溜め息をこ ぼす。 『オレはちょうど新幹線がひっかりそうになってー』 秀は笑い話になったが、ファンの中には本当に被害に遭った人もいたらしい。 自分たちはまだマシなほうかもしれない…と汗を流す紅孩児と焔だった。 その後再び曲へ。今回は全部で15曲あった。 【FOR REAL】→【Close To Me】→【Ha-Ha】→【That's a Fact】→【Sleeple ss Night】→【Lover's Kitchen】→【No,Say Good-Bye】→【PURE】→【Love Letter】→【Happy Birthday】→【卒業】→【STILL TIME】→【Touch Me】→【 Drive】→【Throw Away】 間奏で秀がTシャツの袖を肩まで捲り、思わず皆の視線がそこに集中したり( 特に焔が凝視していたのは考えるに容易い)、秀がバックバンドの4人を『愉快 な仲間達』と命名したり(皆そろって「秀と愉快な仲間たち」)、なかなか盛り上 がるライブであった。 気になった点は、【Sleepless Night】のイントロが流れてきて妙な間があっ たことか。秀は後ろを向いたまま唄い出さなかった。…まさかとは思うが、歌詞 忘れてたわけでは…ないよな? 本当なら「僕の思い 投げ出した季節を〜♪」 と唄うはずなのに、結局「季節を 胸に抱いて〜♪」だった。まさか…なぁ…。 秀に対してファンからは色々な声が飛び交っていたのだが、それに秀が返した セリフは。 『今ね、皆が嬉しい言葉・・・「格好イイ」でしょ、「セクシー」(笑)でしょ。 そう言ってくれて、すごい嬉しい!』 うんうんと大きく頷く焔の脳裏には。 (おまえはセクシー大魔王だ) などという意味不明の言葉が発されていた。 飛び散る汗、薄着の下に見える腹筋。焔は悩殺状態だった。 秀たちが去った後は案の定、拍手が響く。アンコールは終わらない。 数分して、ステージに照明がつき、秀が出てくる。彼は白いTシャツに着替え ていた。 【Spinning Wheel】→【BLUE】→【いつもそばに】 3曲も歌ってくれた。 【いつもそばに】を唄う直前である。 『この歌は好きな人を思い浮かべながら聞いてください』 このセリフにひそかにダメージをくらったのは焔。 (ナヌッ?! この言い方からすると秀には好きな人がいるのか!?) 以前の学祭ライブの時の『やっぱ愛だろ、愛!!』という秀のセリフがよぎった。 焔がそんなことを考えているとは露知らず、紅孩児はいつの間にか隣に来て飛 び跳ねているKファンクラブの女にうっとうしさを感じている。 こういう時は何故か意志の疎通がない二人。これはこれで良いのだろう。 再び秀は去った。拍手がまた起こるが、今度はさすがにもう現れない。 帰り出す周囲に合わせ、焔たちも出る。入り口で売られているグッズを見、チ ケットと共に配られていたアンケートを記入する。 「あ、オレもう帰らなきゃならないもんで、ここでさよならだな」 そういやこいつがいたか…。是音の存在をすっかり忘れていた。 「最後に良い情報教えてやるよ。アーティストが出てくる所知ってるんだ。上手 くいけば秀が帰るところが見れるぜ」 「何!?」 「何処だ!!」 詰め寄る二人にさしもの是音も後ずさる。何度も念入りに説明してくれた後、 彼は帰っていった。 「善い奴と知り合えてラッキーだったなー」 「本当にな。感謝するぞ是音とやら」 早速ビルを出て、教えられた地点に二人は向かった。 「…本当にここなのか…?」 「ビルを出て右に曲がって…確かにここだと聴いたが…」 むっちゃ裏口って感じの薄暗い細道。バンが停まっているが、その横を他の自 動車が通れるようなスペースはない。 見回すが、他に該当するような場所はなかった。 「ここ…のようだな」 とりあえず待ってみるが、秀が通る気配はまったく無い。 「…是音もこれは数年前の話と言ってたな、確か」 「腹も減ったし、諦めるか」 疲労と空腹に負けた二人は遅めの夕食にありつくために、店を探すことにした。 今回の秀ライブはこうして幕を閉じた。 次回?あるのか? こうご期待!