前々から、気に入らない奴だとは思っていたのだ。
彼は何から何まで自分に似通っていたから。
「トロワって格好良いよなあ……………」
ほうっと溜息を吐きながら呟かれたデュオの台詞を、耳聡いヒイロはしっかりと聞き付けた。
読んでいたハードカバーの本を破らぬようにヒイロが苦心したのは、言うまでもない。
「……………………………そうか?」
内心の動揺を抑えつつ、殊更何でも無いように言う。
それで漸くデュオは周りに人が居た事を思い出したのか、ヒイロを振り返って赤くなった。
「な、何だよ、ヒイロ。人の独り言に突っ込むなよな!」
人の部屋に居座ってその言い草はないだろうと思うが、デュオにはそう言う辺りの常識は通用しないらしい。
勝手に入ってきて何かと煩くしていたかと思えば、いきなりそんな事を言い出す。
ヒイロにはデュオが何を考えているのかさっぱり判らない。
取り敢えず今は、トロワの事を考えているのだろうけれど。
「………………(ムカッ)」
自分のこめかみがピクリと引き攣ったのを、ヒイロははっきりと感じた。
「だったら、他人に突っ込まれるような事を言わなければ良いだろう」
苛立ちのままに言ってしまってから、その声が予想以上に冷たい物だった事を知る。しまったと思うがもう遅い。
「そうかよ、悪かったなっ!」
「おいっ…………」
デュオは恥ずかしげに染めていた頬を怒りに染め変えて、足音も荒くヒイロの部屋を出て行ってしまった。
シュンッという気の抜けた音と共にドアが閉まって、ヒイロは彼を引き止めようと上げた手を虚しく下ろした。
「………あんな奴の、何処が良いんだっ」
吐き捨てるように呟いた言葉は、誰も聞いてくれる人間がいないだけにヒイロを余計情けない気持ちにさせたのだった。
確かに、彼はほんのちょっと自分よりも背が高い。
無愛想で無表情な所は変わらないが、自分と違ってさり気ない優しさを持っている。
物腰は穏やかで、自分なんかよりはよっぽど取っ付き易いだろう。
思慮深い瞳は何故か信頼感を抱かせるし、事実相談にも何度か乗ってもらっている。
……………だが。
「それとこれとは、話が別だ」
主語も修飾語もないヒイロの宣言に、トロワは僅かに目を瞠る。
何と何が別なのか、これだけでは判らない。
「…………ヒイロ、もう少し判り易く言ってくれないか」
瞠目するトロワを拝める機会など後にも先にもこれ一度きりだったが、残念ながらヒイロはそんな事には気付かなかった。
「デュオに近付くな」
「………………………」
ますます訳が判らない。
デュオに近付くなとは、どう言う…………?……………………ああ、成る程。
抜群の解析力を誇る思考を今までにない程素早く巡らせて、トロワはヒイロの二つ目の言葉に込められた意味だけは、何となく理解した。
「デュオがお前の物になっていたとは、知らなかったな」
そんな事になっていないのを十分に判っていながら言えば、予想通りにヒイロが決まり悪げに目を逸らすから、彼を揶揄うのは止められない。
「……………そんな事は、どうだって良いだろう。兎に角、デュオにはもう構うな」
もうバレバレなんだがなあ、とぼんやり思いつつ、トロワは意地悪げに笑って見せる。
「そう言う訳にはいかないな。俺も、お前と同じ気持ちだと言ったら、どうする?」
「何だとっ!?」
こんな風に素直に反応できる所が、ヒイロを羨ましいと思う所以だ。自分は屈折し過ぎていてそうはいかない。
だからと言って、彼を揶揄うタネを手放すつもりもないが。
「何にせよ、デュオ本人がそう言ったのでなければ、お前の言葉に従う義務はないな」
「………………っ!」
怒りも過ぎると、元来無口なヒイロは何も言えなくなるらしい。
それだけで人をも殺せそうな視線をトロワに投げ付け、彼はそこを飛び出して行った。
ヒイロがこれから何処に向かったかは、考えるまでもないだろう。
「…………そんなに不安ならさっさと手に入れてしまえば良いものを」
あいつも無駄にプライドが高いからな。
苦笑交じりの呟きは、微かに不穏なものを孕んでいた。
****** ******
彼の様子が可笑しいと感じたのは、昨日デスサイズのメンテナンスをしている最中に、低重力の空間に於いて出来得る限りの速度で彼が駆け寄ってきた時だった。
あれ以来、彼は片時も自分の傍を離れようとしない。常に何かを警戒するように目を光らせ、周囲にプレッシャーを与え続けているのだ。
「なあ、ヒイロ?お前どうしたんだよ」
今日も朝食の時間から自分の隣りに席を占め、その癖黙々と食べるだけの相手にデュオはうんざりしたように言った。
見回すまでもなく、大して広くもないカフェはそれでもまだまだ空席がある。ちょっと向こうへずれば、彼の好きな『一匹狼』を味わう事も出来るというのに。
しかも今日は何時も一緒に食事を摂るカトルにトロワもくっ付いていて、デュオの回りの人口密度は否が応にも高くなっていた。
これで五飛が居ないだけまだましなのかな、とサラダをつつきながらデュオは思う。
五飛が嫌いな訳ではないが、男五人が雁首揃えて食事を摂るという、如何にもむさ苦しい状況は遠慮したい。同じ空間に居るだけなら良いが、こうも隣接されては居心地が悪いというものだ。
「別に、どうもしない」
律儀にも口の中の物を嚥下してから喋るヒイロに、デュオは肩を竦めて見せる。
さっきの問いは昨日から何度となく繰り返した物だし、この返答も同じ位聞いた物だ。
どうあっても話すつもりはないらしいと判じたデュオは、視線を斜め向かいの人物に向ける。
「トロワも珍しいよな。何時もは一人で食ってるのにさ」
「………………偶には、コミュニケーションを取るのも悪くはないと思ってな」
こちらはちゃんとした返事を返してくれて、デュオに笑みを浮かべさせる。会話が成り立つ相手との食事は、嫌いではない。
「コミュニケーションって?」
興味深げにカトルが尋ねる。
まあ、今までの彼から考えれば意外に思うのは当たり前だが。
「これからの戦況は厳しくなる一方だ。だから不測の事態が生じた時に迅速に対処出来るように、意志の疎通を図っておくのも大切な事だろう」
「そ、そうですよね!僕もずっとそう思っていたんですよ!」
嬉しそうに同意を示して、カトルは具体的にはどうするべきかと語りだした。
「…………………」
トロワがしっかりと相手の話を聴く態度で接しているのを見て、デュオはふっと溜息を洩らす。
ヒイロがトロワみたいなら、もっと良いのに。
寡黙である事が悪いとは言わない。けれどもう少し何とかならないだろうか、あの無反応さは。
トロワだってこれと言った相槌を返している訳ではないが、それでも相手の目や口元を見て聴いている。それだけで、相手は自分の話を聴いてくれているのだと思えるものだ。
それなのにヒイロときたら、これが俺なんだ、と言わんばかりに徹頭徹尾、無視で通す。
デュオにとっては、むかつく事この上ない。
「やっぱ良いよなあ…………」
ヒイロがもう少しトロワみたいなら。それだったら、自分達はもっと解り合えると思うのに。
「……………あれ?」
悔し紛れにフォークでサラダを苛めて、デュオはつい最近もこんな事を考えたような気がした。
あれは何時だったか…………そう、昨日の事だ。
ヒイロが可笑しかったのでもっと時間が経っているような錯覚を覚えたが、確かにあれは昨日ヒイロの部屋に居た時だった。
自分が話し掛けているというのに嫌味のように読書している彼に、今と同じような事を思った。それから、トロワ自身の事に思考が派生していったのだ。
無口で無表情で、だけれど何処かの誰かさんのように冷たい訳じゃない。穏やかで頼り甲斐があって……………
「っ……………」
昨日つい洩らしてしまった呟きまでを思い出して、デュオは頬を染めた。
その言葉を誰よりもヒイロに聞かれた事が、デュオの羞恥を煽る。
ああー、今思い出してもむかつく!
フォークにどっさりと突き刺さったサラダを一口で頬張り、苛立ちと共に噛み砕こうとする。
何がむかつくって、それまで無反応だった癖に、そんな独り言には突っ込んできたヒイロの性格の悪さだ。
しかもその後彼は何と言った?
『だったら、他人に突っ込まれるような事を言わなければ良いだろう』
一応正論であるが故に余計にむかつく。悪循環だ。
八つ当たりのように食事を咀嚼したデュオは、不機嫌丸出しでがたんっと立ち上がった。
「どうしたの、デュオ?」
「否、何でもないぜ」
カトルとトロワには罪はない為、笑顔で先に行く事を告げるとトレーを片付けてカフェを出る。
勿論、もう付いてくるなとヒイロに釘を刺すのは忘れずに。
ヒイロは嫉妬で胃が焼き切れそうな程の焦燥を覚えながら、デュオの後を追ってMSデッキに向かった。
デュオは暇な時間の約半分を、彼の相棒のもとで過ごす。だからきっと今朝もこちらに行った筈なのだ。
彼の態度を思い出すとどうしてもある疑念が湧いてくる。
「…………デュオは、あいつが……………」
好き、なんだろうか?
カトルの話を聴くトロワをじっと見つめて、切なげに吐息を吐いて、頬を上気させて。
あれではトロワに恋…………しているようではないか。
「そんな、馬鹿なっ」
恐ろしい考えを無理矢理振り払い、ヒイロはデッキに出た。
デスサイズの前ではデュオが、安全柵に凭れて彼の相棒を眺めている。
「ん……………?」
デュオは直ぐにヒイロの気配に気付いてこちらを振り返った。その眉が、嫌そうに顰められる。
「ヒイロ、付いてくんなって言ったろ」
「…………俺もここに用があっただけだ」
デュオの拒絶に内心傷付きながら、ヒイロは彼に近寄った。彼が逃げては行かない事に安堵して、その隣りに立つ。
けれどやれやれと溜息を吐いて柵から身を起こした彼は、ヒイロの脇を擦り抜けてさっき入ってきた出入り口へと歩き出した。
「デュオ!」
思わずその手を掴んで引き寄せるとデュオが苛立たしげにヒイロを振り返る。
「放せよ!お前はここに用があんだろ?!」
全身で解放を求めるデュオに、ヒイロも我を忘れた。
「何を怒っている!俺がお前の傍に居て何が悪い?!」
つい思ったままを叫ぶ。開き直りとも取れるヒイロの態度を、デュオが快く思う訳がない。
「何が悪いだってえ!?」
デュオの声が、低く険を孕んだ物になった。
「悪いに決まってんだろ、この馬鹿!四六時中まとわり付きやがって、挙げ句の果てはトイレにまで付いて来るってのはどういう了見だっ!しかも用を足す訳でもなく俺を観察して…………俺にもプライバシーはあるんだぞっ!」
「……………」
観察していた訳じゃない。お前のプライバシーは認めている。トイレ位、同性なんだから気にする事じゃないだろう。
言葉は喉元まで出掛かっているのに声が出なくて、ヒイロは一瞬狼狽えた。その隙をデュオは見逃さない。
「放、せ…………うわっ!」
ヒイロの手を振り払うつもりで思い切り引いた手は、ヒイロの力が緩んでいた所為で勢い余って大振りに回り、デュオの平衡感覚を一時的に奪った。
「デュオ!」
ざっと血の気がなくなるのを感じながら、よろけて後ろに倒れゆく躰を支えようと手を伸ばすが、その手は空を切った。
「おっと………」
突然現れたトロワが、彼を抱き留めたからだ。
「トロワ………………」
「大丈夫か?」
耳元で囁かれて、彼の腕の中にすっぽりと包み込まれていたデュオはボッと顔を赤くした。身長差の所為で見上げていた顔を伏せ、小さく頷く。
「う、うん。サンキュー」
そんな可愛げのあるデュオを見るのはヒイロも極稀で、再び頭に血が上る。
「デュオに触るなっ!!」
「ひえっ」
力任せにトロワからデュオを奪還し、その時に上がったような悲鳴は綺麗に無視する。腕の中にデュオがいる事を幸せに思いながら、目の前のにっくき恋敵を睨んだ。
トロワは面白そうに笑って、ヒイロを見返す。
「俺はデュオを受け止めただけだが」
彼が言いたい事は判っていた。
デュオが触るなと言ったのか、だ。
だがそんな言い訳が通用するのは、ヒイロにデュオの所有権がない間だけだ。だから…………
「んっ……………!」
その瞬間、デュオの瞳はこれまでにない程大きく見開かれた。押し返そうと上げた腕もヒイロに絡め取られて、抵抗する術を奪われてゆく。
「やっ、ヒイ………………………」
何事か喚こうとして開いた口の中に舌を滑り込ませる。腕の中の躰がびくりと竦んだのが判った。
「どうしたの?…………ちょっ……ヒイロ?!」
「貴様等っ!何をしている!!」
騒ぎを聞き付けたらしいカトルと五飛がやってきて、濃厚なキスシーンを披露している二人を認めた。カトルは恥ずかしげに頬を染めたが、五飛の方は額に青筋を立てて怒っている。
…………五飛は何を怒っている?…………まさか、こいつもデュオがっ?!
疑心暗鬼に陥っているヒイロの頭の中には最早『冷静』という二文字は存在していない。
じっくりとデュオとのファーストキスを堪能していたヒイロは、顔を上げると他の三人を睨み付けた。
「お前達、判ったな。デュオは俺の物だ。二度とこいつに触れるな!」
そのまま彼等の反応を待たずに、放心しているデュオを抱き上げてMSデッキを出て行く。
背後で何かしら五飛が怒鳴っていたが、そんな物に頓着するヒイロではなかった。
****** ******
「デュオ!」
MSデッキでデスサイズを眺めていたデュオに、カトルがにこやかに寄ってきた。
どうやら昨日のヒイロの脅しは余り効果を発揮していないらしい。
「よお、カトル」
デュオも昨日の事は忘れたつもりでカトルに返した。多分、これから突っ込まれるのだろうとは思いながら。
「ねえ、あれからどうなったの?」
そら来た、と内心溜息を吐いてデュオは肩を竦めて見せる。
「俺は、人前でキスする趣味はないんだよ。例え…………好きな奴とでもな」
カトルは、おや、と言うような顔をしたが、そこには突っ込んでこなかった。
「へえ、その結果があれ、ですか」
笑みを含んだ声で言いながらカトルが見遣った方向には、ウィングゼロをメンテナンスしているヒイロがいた。
その生真面目そうな横顔には、不似合いな程に紅い手形がある。
「俺自身の尊厳とプライドの代償がビンタ一発なら安いもんだろ」
尊大に言うとカトルがくすくすと笑う。
「………………でも、良かったね。ヒイロに告白して貰えて」
その口調は特別揶揄っているでもなかったから、自分の気持ちに気付かれていたのは何となく恥ずかしいと思ったが、デュオは素直に頷く。
「ああ。でも、二度とあんなのはご免だけどな」
「五飛、怒ってましたよ。場所をわきまえろ、って」
そう言われるとデュオの脳裏にも五飛の怒っている様が浮かんできて、思わず苦笑を洩らした。
「ヒイロに言えよ。あれは俺が望んだ事じゃないぜ」
「ホント、ヒイロって思いきった事をするよね……………っと」
カトルの声が聞こえたのか何なのか、ヒイロが振り返って彼を睨んだので、カトルはにっこりと微笑い返してやった。
「それじゃあ、怖い人が睨んでいるから僕はこの辺で」
そう言って去っていくカトルをデュオは、ちっとも怖くなんかない癖に、と思いながら見送る。
ある意味、最強なのはヒイロじゃなくてカトルだろう。
それから、ヒイロの鋭い視線がカトルから自分に移ったのに気付いて溜息を吐く。
メンテを終えたのかそれとも中断してきたのか、どちらにしろもう戻る気は無さそうな様子でヒイロがデュオの所に降りてきた。
「カトルと何を話していたんだ?」
不機嫌さを露わにした問いに、嫉妬深い男は嫌われるぜ、と言う言葉を呑み込んで、にっこりと笑ってやる。
「……………何だ?もう片っぽの頬にも飾りをくっ付けて欲しいのか?」
今度は平手なんかで済ましてやるつもりはない。
そう言う意思表示に拳を作れば、彼は慌ててデュオを抱き締めてきた。
「俺がどうなっても良いのか?」
「俺のパンチが堪えるようなタマかよ、お前が」
大げさな言い草に軽く頭を小突いてやる。けれどヒイロは真面目腐った顔で頷き、更に強くデュオを抱き締めた。
「…………………………お前のパンチはゼロシステムよりも効く」
ヒイロが見事な青痣を、無事だった筈の右頬に作ったかどうかはデュオの機嫌如何によるが、最後の言葉を聞かれていればその確率は格段に跳ね上がるだろう。
何にせよ、口は災いの元、と言う事だ。
END
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