Lovin’you
 
 












 雨の音が響く。ずっと降り続いている。いつになったらやむのだろう。

 机の上に並べた試験管の一つに、スポイト内の液体を落とす。

 一滴…、二滴…、三滴。

 日当りの悪いこの部屋はいつも薄暗い。天井から吊した裸電球が不気味に光る。

 試験管を片手に持ち、別の液が入った試験管を空いている手で取る。

 片手からもう一方へゆっくり流し入れ、混ざらせる。

 毎日同じことを繰り返して。

 時間だけが過ぎていく。











 建て付けの悪いドアは、開閉のたびに嫌な音を響かせる。

 そのドアの先、薄暗い地下室の中に、彼はいる。

 いつものように、壁にもたれて座り込んで、俯いていた。

 天井近くにある、小さな明かり取りの窓からの光だけが、部屋を照らす。

「ヒイロ」

 名前を呼んで手を伸ばす。

 その手が触れる寸前、突然ヒイロは襲いかかってきた。

 がしゃん。

 鎖が特有の音をたてる。

 壁から伸ばされた鎖は、彼の両手足の伽につながっている。それに阻まれ、思うように動けない彼は、獣のような形相をオレに向けた。

 やつれた顔と身体。

 怒りと憎しみの目。

 その目にオレは映っていない。

 濁ってしまった瞳は、何も映さなくなってしまった。

 何よりもその瞳が哀しくて、そっと部屋を後にした。















 並んだ試験管を見つめる。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 彼は優秀な研究生だった。大学で一緒に研究に打ち込んでいた。

 彼は優しかった。毎日が楽しかった。

 なのに。

 いつからかヒイロは、クスリをやるようになった。

 止めたけど、聞いてくれなくて。悪化するばかり。

 どんどん悪化して、狂っていって。

 ヒイロはもう、オレのこともわからない。



















 やがて、降りやまない雨は粉雪に変わった。

 いくら降ってももう音はしない。

 静かに積もり、溶けていく。

 いつものようにドアを開ける。

 ヒイロは倒れていた。

 うつむせになってぴくりとも動かない。

「…ヒイロ」

 髪に触れる。まだ温かい。

 オレの手に気付いたのか、ヒイロがゆっくりと顔を上げた。

 目を見開く。

 絡んだ視線。彼の瞳にオレの顔が映る。

 その、ヒイロの瞳は、濁ったものではなかった。

 以前の、真っ直ぐで優しい、蒼の瞳。

 以前の、彼。



「…ヒイロっ」

 思わず抱きついた。

 戻ってくれた。帰ってきてくれた。

 嬉しくて頬擦りをする。

 嬉しい。涙が出た。

 ポツンと床に涙が落ちた。

 視界が歪む。

 感触が、硬く冷たいものに変わる。



 オレが抱き締めているのは、しゃれこうべ。

 骨となった、ヒイロ。

 彼は、帰ってこなかった。

 オレを置いて、逝ってしまった。

 もう、何処にもいない。

 彼の抜けがらを抱き締める。

 外は雪。オレは、薄暗い部屋の中で、ひとり。



































 そっと、肩に手を置かれた。

「デュオ…」

 懐かしい声。

 ずっと聴きたかった気がする、優しい声。

 ゆっくり顔を上げて振り仰ぐ。

 そこには、優しく微笑む彼がいた。

「オレはここにいる。だから…、戻ってこい」

 戻る? 何処に?

 何処でもいい。ひとりにしないで。置いていかないで。

 差し出された手を取る。

 抱いていたしゃれこうべが落ち、音を立てて割れた。

 パキーンと。

 視界もはじけた。



























 ゆっくり目を開ける。こころなしか、まぶたが重い。

 目を開けたのに、目の前は霞がかかったように、ぼんやりしている。

 オレをじっと見つめている。

「………」

喉の奥がカラカラに渇いていて、声が出ない。

 何故だろう。身体中が重い。まるで自分の身体ではないみたいだ。

 ヒイロは視線を向けたまま。

 蒼い瞳は揺れている。

 静かに腕をもち上げて、彼の顔に触れた。

 驚いたような顔をした。



 ああ、ヒイロだ。

 オレが好きなヒイロだ。



 そう安堵して微笑むと、指の動きに合わせるかのように、ヒイロの目から溢れるものがあった。

「――――…デュオ…」

 ヒイロの涙が指を濡らしていく。

 どうしておまえが泣くの?

 重い体をゆっくりと起き上がらせて、彼の頬を片手で包む。

「デュオ!」

 強く抱き締められた。

「デュオ…よかった…」



 よかった? 何が?

 嬉しいのはオレの方。

 抱き締めてくれる腕。ずっと待っていた。



 オレも彼の背に手を回そうと思えば。

 じゃらり、と鎖の音がした。

 鎖。何処にある? 見えない。

 ヒイロの肩越しに床を見る。壁から鎖が伸びていた。

 そしてそれはオレの腕に。

 ………?

 まだ視界はおぼろげで、はっきり見えないけれど、オレの腕に手枷が付けられていた。



 何故?と思ったら、いきなりビジョンがうかんでいった。





 ああ、そうか。

 すべて思い出した。

 クスリを使っていたのはオレ。狂っていたのもオレ。

 これが現実。

 ヒイロが狂っていたあの世界は、オレの中の幻だった。

 実際に狂っていたのはオレで、それを見続けていたのはヒイロ。



「…ごめん、ヒイロ」

 絞り出した声は、しわがれていた。

 彼に届いただろうか。

 辛い想いをさせて、ごめん。

 ヒイロはただ泣きながらオレを抱き締める。オレの存在を確かめるかのように。

 そんなに悲しかった?

 今ならわかる。オレも寂しかったから。

「…もう、逃げない。オレはここにいるよ」

 現実から逃げたりしない。ひとりは嫌だから。ひとりにさせたくないから。



 傍にいるよ。



「ああ」

 やっとヒイロが顔を上げてオレを見た。まだ涙は流れている。

 そっと唇が降りる。触れるだけのキス。

 オレの唇は渇ききっていて、何の感覚も感じなかったけれど。

 抱き締めてくる腕と、ヒイロの涙と。



 オレのいる場所はこのぬくもりの中なのだと、そう思った。











end















《地上の星座》に掲載していた小説の一つです。本は既に完売され、再発行の予定はありません。
また依都くんに打ってもらってます(殴)。

タイトルは相川七瀬の同名曲から。しかしこれは曲のイメージで作ったものではありません。
レーザーカラオケでこの曲にすると、こういう背景画像になるんです。
そちらは女性が恋人男性のシャレコウベを抱いたところで終わるんですが、むっちゃ暗すぎるので、この話ではラストをハッピーエンドにしました。

うちのデュオはどうも壊れていることが多いな…(-_-;)



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