ひとみの永遠
   















 デュオは窓から外を眺めていた。
 擦りガラスなのでよく見えないだろうに、そんなことは気にしていないのか、どこかぼんやりとしている。
「よぉ。おまえもサボリか? 珍しいな」
 廊下のヒイロに気付き、振り返って笑う。
「…どうせ、今日は授業にならない」
ヒイロはゆっくり近づきながら呟いた。
 昨晩二人がこの学校近くのOZの海上要塞を襲ったため、校内中、騒ぎが起こっていた。確かにこれでは授業どころではあるまい。
 デュオは教室を抜け出し、空き部屋に入り込んでいた。それを同様に抜け出していたヒイロが見かけたのである。
「何を見ている」
 座っているデュオに覆い被さるように窓枠に手をつく。
「んー。空とか海とか色々。けっこう面白いぜ」
 再びデュオは視線を窓に戻す。
 何がいいのか、ヒイロにはさっぱりわからない。
 擦りガラスごしの風景はやけに不鮮明だ。
 白く濁っているような感じがする。こんなものを見てどこが面白いのだろう。
 物事は何でも真っ直ぐに見るべきだ。何かの障害越しや偏見を持った状態では、正しく判断することはできない。誤った認識はミスをもたらす。
 ヒイロは強くそう思っていた。特に、先日トレーズに踊らされてからは。
「こうゆうふうに曇った視点から一度見ておくとさ、次に普通に見た時は、すごくはっきりと見えるんだよ」
 不意に呟かれた言葉に、ヒイロは思わず息を呑んだ。
 下を覗き込むと、デュオは表情を変えぬまま外を眺め続けている。
「………」
 彼は慰めてくれているのだろうか。違うかもしれない。
 …そんなことはどうでもいい。
 自然に彼を抱き締めていた。
 驚いたのか大きく肩を揺らしたものの、デュオは抵抗しなかった。
 すぐに腕を解き、元の体制に戻る。
「そんじゃ改めて外を見に行ってみるか、ヒイロ」
 ヒイロを見上げてくるデュオに、うなづいて返事を返した。








 青い空、青い海。
 同じ青でも、くっきりと水平線を描く二つの色は、明らかに異なっていた。
 白い雲、眩しい太陽、響く波の音、頬を撫でる潮風。
 あまりに鮮やかすぎて、自分には似合わない気がする。
 目を細めて海から視線を外したデュオは、前を歩いているヒイロに目をやる。
 真っ直ぐ前を見据えて、一歩一歩踏み出す姿。
 …多分、これから彼を思い出す時は必ず後ろ姿を思い浮かべるだろう。
 そんな感想を持った。
 先が見えなくなっても、彼は着実に歩き出すのだろう。その強さと潔さで。
 その潔さが、どんなに傷付いても歩き続ける強さが、少し可哀そうに思えてもくるけど。
(ああ、けれど)
 思い出して目を伏せる。
 昨日、今朝と、ヒイロを訪ねてきた少女。初めて逢った時、ヒイロが撃とうとしていた相手。
 彼女もヒイロと同じ光の瞳だった。
 多分出逢うべきにして出逢った二人。あの二人ならば未来へ進んでいけると思う。互いの存在を互いの力に変えて。
 羨ましいように思いながらも、憎く思ってしまうのは何故だろう。
 自分には決して得られないものを持っている二人だからだろうか?
 デュオはそれ以上考えることを放棄する。
 自分が惨めになるだけのような気がしたのだ。
 顔を上げるとヒイロが見つめてきていて驚いた。
「どうした?」
怪訝そうにデュオを見やるヒイロ。
「ん? いい天気だなーと思ってさ」
 眩しげな顔をしてデュオが笑う。
 その笑顔の方が眩しいように思えて、ヒイロはわずかに目を細めた。
 彼に笑いかけられる度に、凍えた心が解けていく感じがするのは何故だろう。
 今、OZの策にはまって連合の平和論者を一掃してしまった罪悪感に苦しんでいたのに、彼といるとそれが救われる気がするのは何故だろう。
 青い空を映す瞳。彼にはこの風景こそ似合うように思う。
 太陽の陽射しを全身に浴びて、無邪気に笑って。
 もし…。もし彼が違った生き方をしていたならば、彼はそんな生活を一生送れていたのではないだろうか。
 戦争も知らずに、破壊工作員になどなることもない、幸福な生活を。
 『もしも』なんて歴史にありえないことだが、ふと考えてしまう。
 デュオが普通の生き方をできていれば、ここで自分といることもなく。
「…!」
そこでヒイロは悪寒を感じた。
(出逢うこともなく…?)
 彼がいなくなることを初めて怖いと思った。
 自分たちはガンダムのパイロットで、いつ死んでもおかしくないというのに。
「ヒイロ」
 近すぎる声に振り向くとデュオがすぐ隣にきていた。
 頭上に広がる空と同じ色の青い瞳。それが時折変化するのをヒイロは知っている。明るいとも暗いとも区別できない紫色に。
 漆黒よりも冷たいと感じる、死神の色。
 結局、無理な話なのだ。自分たちに普通の生活など。
「なあ。おまえ、次の任務来たか?」
「いや」
「そっか。んなら、もうしばらくは一緒に学園生活だな」
 嬉しそうに、だがどこか寂しげに笑う。
 次の任務がくれば、またお互い戦場に赴いていく。
(…生きてさえいれば会う手段はいくらでもある…)
 優しさと偽りの言葉を言えれば良いのかもしれない。
 しかし自分の中にはそんな言葉はなくて。
 会えない日々がまた始まる。次はいつ会えるのか。会うことはないかもしれない。もう、二度と。
 どうしようもなく不安になった。
 少しの間見つめ合い、ふと柔らかな頬をつねってみる。
「痛っ。何すんだよ」
 頬を撫でながら顔をしかめるデュオに、口元が緩んだ。
「………」
 思わぬヒイロの笑みに、デュオはあっけに取られる。
(こいつ、こんなふうに笑えるんだな…)
 以前、モニター越しに笑ったところを見たことはあったが、周囲をすべて見下したような嘲笑だった気がする。
 こんな、自然で柔らかく笑うなんて。
 本気で驚いた。
 あまりにデュオが目を瞬かせるため、ヒイロは不機嫌に海に視線を逸らす。
 その横顔はすでにいつもの無表情で、ゆっくり波打ち際に歩く姿に迷いはない。
 茫然としていたデュオはやっと正気を取り戻した。
 笑みを浮かべてヒイロに向かって走り出す。
「それっ」
 突然思いきり背を押され、体勢を崩してヒイロは前のめりに倒れた。
「………」
頭から海水を被るヒイロ。
「あはははは」
腹を抱えて笑うデュオ。
「………」
 ヒイロは腰まで海につかって座り込んだまま頭を上げない。
 さすがに気になってデュオが顔を覗き込もうと屈んだところで、いきなり腕を強く引っ張られた。
「うわぁっ」
「…お返しだ」
 手を付いて顔を上げると得意げな顔があった。
(だまされた)
「やったなー」
両手で水を掬ってヒイロにかける。
 片手で顔を庇いながら立ち上がって逃げるヒイロを追いかけようとする…が、頭が重い。
 髪が濡れたせいと気付き、荒く手で絞って、紐を解いた。
 水を吸っているため、長い髪はあまり広がらず、むしろデュオの身体に張り付く。
 その、ふくよかな顔や細い身体のラインが隠された姿が、一瞬別人のように見え、ヒイロは動きを止めた。
 すかさずデュオが蹴り上げた海水がモロにかかる。
「ざまぁ見ろ」
 笑って逃げるデュオを、今度はヒイロが追いかける。
 まるで、普通の子どものような、無邪気な戯れ。
 心の何処かから冷めた声が聴こえたが、無視した。
 こんな現実から切り取られたような空間の中では、すべてを忘れていたかった。
 過去より未来より、ただこの一瞬だけを感じられればいいと。
 どうせ現実に戻れば二人とも考えなくなる、ひととき。
 明日目を覚ませば忘れてしまう、その程度の。







 鬼ごっこを続けているうちに、どちらとも知れず足がもつれ、倒れ込んだ。
 今までで一番大きな水音が響く。一瞬波が消えて二人を中心に波紋が広がっていった。
 座り込んだヒイロにデュオがもたれている姿勢のまま、二人は動かなかった。
 肩で息をしながら濡れて張り付く前髪をかき上げる。
「…オレたち、何やってんだろうな…」
 デュオのひとりごちた呟きが胸に染みた。
 人を殺して、罪を背負って。それでも、こんなただの子どものような真似をして。
 自分たちは何をやっているのだろう。
 熱く降りかかる陽射しがじりじりと肌を焼く。
 二人ともすっかりずぶ濡れになっていて、髪や身体から水滴が落ちていく。
 水滴は波紋を生むこともなく、波の中に溶ける。
 波の中、二人だけが流されることもなく佇んでいる。
「………」
 デュオはヒイロの肩口に頭を預けたまま、それ以上何も言おうとしなかった。ヒイロは目だけを動かして彼を見やるが、髪しか見えない。
 ヒイロは静かに視線を上に向ける。
 濡れているためか二人の身体はぴたりとくっついていて、まるで互いの欠けた部分を互いで埋めたようだ。
 ちょうど心臓のところが重なり合っていて、相手の心音が伝わる。
 重なる、鼓動と体温。
 今なら、それぞれの深い罪も、秘めた心も、すべてを分かち合い感じ合えるような、そんな気がした。ひとつになれそうな、穏やかな錯覚。
 そっとデュオの背に手を回した。
 眼前に広がる空は青すぎて、眩しすぎる。
 それでも目を閉じることができなくて、流れる雲を見ていた。
 あの空の彼方にコロニーがあるはず。遠い、遠い故郷。
 ふとデュオの言葉を思い出す。
『これが終われば、コロニーへ帰れる』
 実際はそう旨くいかなかった。OZの策略にはまり混迷してしまった自分たちと世界。
 笑顔のままで泣いている彼が浮かんで、消えていった。
 自分でもわからない、複雑な感情が湧き上がってきて、ヒイロは目を伏せ、長いブラウンの髪に顔を寄せた。
「あーあ。すっかり時間食っちまったな」
 大きく伸び上がって歩くデュオを横目に入れる。
 日は沈みかけて、空も海も赤く染まっていた。
 渇いた砂を踏みしめて寮へと向かう。足跡が点々と付いていく。
 二人ともまだ体は渇ききっていないため、濡れた靴底に砂が付いていき、段々と足が重くなる。歩けば歩くほど、歩きにくくなっていく。
 だが、靴を脱ぐ気もなく、二人はゆっくり歩いていく。
 ちらりと視線を向けると、気付いたデュオがいつものふてぶてしい笑みを返した。
 ヒイロは目を細める。
 彼は真実の顔を見せない。ならば自分は…?
 錯覚でなく、喜びも悲しみも分かち合えるような日が本当に来ればいい。そう思う。
 赤く染まった砂浜を、重い足でゆっくり進む。
 二人何処に堕ちるだろうか。どんな罪を背負うだろうか。
 それでも、ふたりなら。
 約束を交わすこともなく別れていく自分たち。今までもこれからも約束などすることはないだろう。
 だから、これは祈りにも満たない小さな想い。
 今はまだ戦争中で、どうすることもできないけど。
 いつか戦いは終わる。
 その時、生きていて、また逢えたなら。
 二人で歩いていけるだろうか。
 どこまでも、同じ道を、ふたりで。





     自分では知らないのに、
     死を前にして、
     僕らは冷たく、優しくなる。
     夏の強い日差しと風の中で、
     白く雪降る夢を見る。




                                    end.









 これは元々《銀の記憶》にヒイロの回想として入れようと思っていた話です。
 …何つーか…むっちゃラブラブに見えますね…。海辺で戯れるなんて、今時そうそういねーよ! と、自分でも突っ込んでしまいましたが。と言うより砂糖吐きそうになりましたが、ヒイロ視点だと何故かこうなっていく…。
 恐るべし、ドリーマーヒイロ(笑)。
 《銀の記憶》に続くのは可哀相な気がしてきた…。ということで単独でもOKということにします(殴)。想像はご自由にv



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