カタカタと、キーボートを打つ音だけが響く部屋を、勢い良く開けて覗く顔があった。
「おーい、ヒイロ。ちょっとは休憩したらどうだ?」
いつもの笑顔でデュオはズカズカとヒイロに歩み寄る。
「仕事熱心なのはいいけどさ。たまには休まないと倒れるぜ」
大げさに肩をすくめるデュオにちらりと目を向け、再び作業に戻る。
「お前ってば、せっかく人が心配してやってんのにさー。聞いてんのか、オイ?」
「誰も心配してくれなどと頼んでいない。消えろ。邪魔だ」
「頼まれてしてんじゃねぇよ。放っとけないじゃん」
いくらなんでも、ここまで邪険にしなくていいじゃねーか、と溜め息混じりの呟く。
部屋から出ていきそうにないデュオを睨み、ヒイロは冷たく言い放った。
「…もう一度言う。消えろ」
「ヒイロ…」
自分が仕向けたのに、デュオのそんな怒ったような悲しそうな瞳を見たくなくて、ヒイロは目を逸らした。
「わかったよ。…ごめん。もう最後だから、さ。お前と話したかったんだ」
最後。その言葉が、胸に響く。
明日、自分たちは記憶を消される。それが新政府の出した決断。
身元がしっかりしているカトルや五飛と違い、他の3人は戦争の中で生きてきた。
そのためにすべての記憶を消され、別の記憶を植え付けられて、別人としてこれからは生きる。
普通の少年として、平和に生きることとなるのだ。
バラバラになり、もう二度と逢うこともなく、他人として。
戦争も、出逢ったことも、すべて忘れて。
「じゃあな。ヒイロ。元気で」
去っていくその背に、思わず手を伸ばしそうになって、止める。
願ったのは自分自身だ。
デュオは知らない。これからヒイロがどうなるかを。
それが、本当はデュオに課せられるはずだったことで、偶然知ったヒイロが、自分を代わりにと願い出たことを。
知らなくてかまわない。知ればきっと彼は怒る。傷付いて、泣くだろう。
悲しまなくていい。自分なんかのために。
そう願いながらも、彼が自分のために悲しんでくれることに喜びを感じるのも自分。
幸せに生きて欲しい。
手放したくない。
葛藤はまだあるけれど、彼の泣き顔だけは見たくないから、選んだ。
「デュオ…」
名前を呼べるのも、今日で最後だ。明日はもう、自分に口はない。
「デュオ…」
噛みしめた唇から、鉄の味が広がった。
あの頃の記憶も、今は朧気になった。
ヒイロは目の前にスクリーンを呼び出し、外の映像を映した。
楽しそうにはしゃぐ子ども。商売に精を出す店員。
平和を満喫している人々。
その中に、数人の新しい友人と共に歩くデュオがいた。
とても楽しそうだ、彼は。
ヒイロの顔がほころぶ。
いや、正確には違う。ヒイロにはもう肉体はないから。
今やヒイロは新政府の中枢を占めるマザーコンピューターそのもので、人格だけの存在であった。
目の前にデュオがいても、触れることもできず、名を呼ぶこともできない。
ただ、電脳世界を通じて見つめるだけしかできない。
それでも、彼が今の自分のようになってしまうことだけは耐えられなかった。
彼を、独りにはしたくなかった。
そのためになら、自分は苦しいとも思わないから。
笑っているデュオ。
辛い過去はすべて忘れて生きている彼を見て、これでよかったのだと思う。
彼が幸せならば。
これでいい。
(…さよなら)
もう存在しないはずの目から、涙がこぼれた。
『…さよなら。デュオ』
『 』
「え?」
「どうしたー? デュオ」
突然振り返ったデュオに、友人たちが訝しげな視線を向ける。
「いや、今誰かの声が聞こえたような…」
「誰もいねぇって。ぼけたか?」
「バカ言ってんじゃねーよ」
からかう声に、笑顔を返しながら再び歩き出した。
日が暮れはじめて、道行く人の数もまばらになってきた頃。
友人と別れてからデュオは考えていた。
確かに聞こえた。自分を呼ぶ声が。
何か忘れている気がする。とても大事なことを。
何だろう? 何を自分は忘れている?
忘れてはいけなかったことがあった。忘れたくないことがあった。
…大切なこと。
唐突に、ビジョンが浮かんでは消えていった。
教会の前に立ちつくす幼い自分。黒い大きなモビルスーツ。15歳くらいの少年たち。
驚く間もなく、次々に浮かんでは消える。
その中で、一際印象に残るものがあった。
誰だったろう?あの少年は。
強い瞳で見つめてきた彼は。
「あ…」
そうだ。確かこんな名前だったような気がする。
「ヒイロ?」
振り返っても、そこにはただ、静寂を守る街があるだけで。
木枯らしが淋しげに頬を撫でていった。
後書き
自分へのバースデープレゼントに書いた話です。そう、今日でまた一つ年をとりました。この年になると、
あまり嬉しくもないけど。しかも、12ファンとしてはすっごく嫌な数字だ〜。…あ、もしかして、年齢
ばらしたか?
まあ、それは置いといて。ちょっと大人なヒイロを書きたいなと思ったんですが、どうでしたか? ヒイ
ロって何よりもデュオを取るでしょ。デュオを手に入れるためなら何でもするってゆーか、近づくライバ
ルはぶっ飛ばすってゆーか、他人に渡すくらいなら心中するってゆーか…。少なくともうちのヒイロはそ
れでして、せっかくの誕生日記念だし、違った彼を書いてみたかった。最近3×2に少し影響受けている
からだろうか…?