真夜中の太陽

〜外伝〜



















 穏やかに月に照らされ、白い花弁が光る。
 人間がこの花を愛でる気持ちがわかるような気がする。ほんのりピンクに染まった小さな花が樹に咲き乱れ、はらはらと散っていく。儚く幻想的な光景。
 確か、《桜》と云ったか…。
 その美しすぎる雰囲気から、桜には古来より様々な伝承がある。
 例えば【桜は元々白い花だが、下に死体が埋まっているためその血を吸って薄紅色に染まっている】など。
 これほどまでに桜が美しいのは、精気を吸っているためだと思われたところかららしいが、なかなかの想像力だと思う。
 デュオは桜の並木道を歩きながら、小さく苦笑した。
 でも、わからなくはない。綺麗な光景をぼんやり見つめる。
 静かな気配は、何かの感情を沸き起こさせた。
 やがて、目の前に鉄筋の校舎が現れた。
「この学校か…」
 正面に立ち、見上げる。この高校がデュオの次の任務先だった。
 禁断とされる術をここで使用されている気配があるということだが…。
「なるほどねー」
 確かに妙な気配が漂っていた。まだ術は本格的に行使されてはいないようだが、その下準備が行われているか、もしくは環境が適しているのか。
 誰がどのような方法で術を使用しようとしているのかが判明しない現状では判断できない。
 ふと校庭の隅に目をやると、一本の桜があった。一際大きなそれは、かなりの長寿なのだろう。
 引かれるように近付く。長寿故に霊力を持った樹木。だが、それだけではない何かを感じる。
 桜は本来一本一本、色や形状が違う。種類も数百種存在する植物である。同じ桜があればそれは挿し木によって増やされたもので、元は同じ一本の桜であったのだ。
 その桜は、一際紅く、強い存在感を誇っていた。
 手を伸ばして触れようとした時、目の前に白い影が現れた。
 煙のように揺れながら、ゆっくりと少年の姿を形取っていく。
『こんばんは』
 真面目な優等生の見本のような少年が現れ、微笑みながらデュオに声をかけた。制服を身につけているところを見ると、この学校の生徒なのだろう。
「おまえ…」
 デュオは目を細める。彼は死霊ではなかった。生霊のようではあったが、その力はかなり弱々しい。
『…助けてほしい。頼めるかな?』
「助ける? あんたをか?」
 病気か寿命なのか、普通の人間よりも弱い生命力。見たところ霊感も持っていなさそうな少年が霊体として現れたことで、何かの事情がありそうだ。
 だが、デュオの問いに少年は首を振った。
『違う。オレの友達を…』
「おい!」
 思わず手を伸ばしたが、少年はかき消えてしまった。
 もうそこに少年の気配は残っていない。
 何だったのだろうか。
 普通の状態ではなかった。むしろ、今消えたのは何者かの妨害のようにも思えた。
 誰が? 何のために?
「これは面白くなりそうだぜ」
 不敵な笑みが浮かぶ。おそらくあの少年が今回の鍵となる人物だ。彼は何かを知っている。それを他に伝えさせまいと妨害する者がおそらく犯人。様子からして彼は犯人に捕らえられていると考えるのが妥当だ。
 なるべく急いだほうが良い。このままでは彼の生命はそう長くないはず。
 これからの行動を決め、デュオは踵を返した。










 昨夜の静けさが嘘のように、校庭は騒がしかった。
 期待と不安を胸に詰めた新入生と、後輩獲得に燃える在学生。生徒によって埋め尽くされた校庭で、入学式は行われた。
 はっきり言って、かったるい。
 デュオにとっては部活動など興味もないし、親しい者も作る気もないから、このような行事は退屈なものでしかない。
 あくびを噛みしめながらクラス割りを示した掲示板を見上げた。教室を確認してから、ふと昨夜の少年を思い出す。
 デュオに助けを求めたところを見ると、彼はデュオが人間ではなく魔族だとわかっていたのだろう。それでも躊躇も畏怖もなく、頼んできた。偏見や差別を持たない性格なのかもしれない。なかなか好印象である。
 単なる真面目きった良い子ちゃんタイプは好きではないが、彼はそれとは異なっているようである。
 制服を着ていたということは在学生。まず彼について調べる必要がある。
(放課後になったらデータでも探るか)
 教室の自分の席に着き、背伸びをする。その時、視線を感じた。
 目を向けずに視線の元を探ると、二人の少年がいた。黒髪を一つにまとめた少年と、前髪を片目にかけるように伸ばしている少年。
 見られることは別に珍しいことではない。デュオは自分の容姿が男女関係なく目を引くものであることは理解していた。注目を集めてしまうのは問題ではない。
 問題は、その少年二人共が高い霊力の持ち主であることだ。特に茶髪のほうはかなりのものである。
 そして、黒髪のほうの視線は明らかにデュオを敵視している。
(厄介だな)
 心中で舌打ちする。二人はデュオの正体を見破ったかもしれない。
 調査中はなるべく問題を起こしたくない。できれば穏便にすませたいものだが、正体に気付いた彼らをどうすべきか。
 犯人の一味ならば手がかりになるので歓迎するが、まったく関係ない一般人ならば関わりになりたくもない。面倒なことが増えるだけだ。
 チャイムが鳴り、担任の教師の自己紹介と今後の学校生活におけるオリエンテーションが始まった。
 終わるまでデュオはずっと窓の外を眺めるふりをしていたが、二人の視線はことあるごとに向けられていた。


 オリエンテーションも終わって、さっさと帰ろうとしたデュオに、黒髪の少年が近付いてきた。
 やばい。
「おい、貴様。ちょっと来い」
 結局こうなるわけか。世の中そうそう上手くいくわけではないらしい。
 溜め息を吐いて、しぶしぶ後についていく。もう一人の少年はデュオの後ろに付き、逃げられそうにもない。 どうしようかなとぼんやりと考えているうちに校舎裏に辿り着いた。
 人気が無いことを確認し、黒髪の少年はいきなりデュオに襲いかかる。
「何の用でこの学校にいるのかは知らんが、好きにはさせん! 覚悟しろ!」
「ありゃ」
 聞く耳持たず。最初からデュオを敵と決めつけているらしい。
 繰り出された拳をかわし、距離をとる。
 どうも目指す犯人とは関係なさそうだ。ならばこちらから手を出すような真似はしたくないのだが、こういう直情タイプは他人の話をあまり聞いてはくれないものである。
「えっと…。オレはあんたらに危害を加えるつもりは毛頭ないんだ。信用して…」
「信じられるか!」
「…くれなそうだな」
 予想通りの返答に溜め息を吐く。
 少年は拳法の使い手らしく、結構な腕前である。そこらの低級妖魔なら霊力を使わなくても勝てるかもしれない。あいにくデュオには通用しないが。
 蹴りや突きを楽々と避けながら、先程からまったく動こうとしない茶髪の少年に目をやると、彼は腕を組んで傍観していた。デュオの動きを探っているようだが、いざという時はすぐに加勢に入れるといった状態である。彼も腕には覚えがあるだろうことは容易に伺えた。
 跳び蹴りをかわすと同時に大きくジャンプし、横の塀の上に着地する。
「なあ。もうやめない?」
 無駄かもしれないと思いつつ、茶髪の少年ならわかってくれるのではないかと淡い期待を持って、言ってみる。
「貴様、逃げる気か!」
「待て。五飛」
 茶髪の少年が穏やかではあるがはっきりとした口調で制止した。五飛と呼ばれた少年が反応して動きを止めたことを確認すると、デュオを見上げる。
 前髪のせいで顔が良く見えなかったが、実は端正な顔立ちをしている。深い緑の瞳は不思議な雰囲気を醸し出していた。
「おまえ、魔族か?」
「正解〜。なかなか良い目をしてるね」
 この場合デュオが言った《良い目》とは《優秀な霊視能力》を指す。人間と霊と妖魔、これらの区別はある程度の霊能力を持っていればできるが、妖魔と魔族を見極めるのはかなりの能力が必要なのである。
「何?」
 五飛は案の定気付いていなかったらしく、目を見開いた。驚くのも無理はない。魔族がこの世界にやってくることなど滅多にないのだから。
「魔族は人間との関わりは好まないはず。何故ここにいる?」
「任務でね。それ以外に用はないからおまえらが心配するようなことはないぜ」
だから見逃してくんない?と可愛く懇願してみるが、効果はなさそうだった。
「任務?」
 訝しげに目を細める。これはもう全部話したほうが楽かもしれない、とデュオは心の中で観念した。
「ふん。そう言ってオレたちを騙すつもりか?」
「五飛。あちらの目的を聞いてからでもいいだろう」
「禁術を行おうとしている奴がこの学校に潜伏している。オレはその調査とそいつを止めるために来た」
 下手に隠していると後々厄介なことに発展しかねない。それに今回の任務はそう面倒なものではないから、話しても支障ないだろう。上手くいけば早々に解決するための要因になってくれるかもしれない。計算高く考えた上でキッパリと告白した。
「…なるほどな」
「トロワ! こいつの話を信用するのか」
「嘘ではないだろう。確かに不穏な気配は感じる。特にあの桜の周辺とかな」
「お。さっすがー」
 デュオは手を叩いて誉めた。あんな微妙な気配を感じられるとは、このトロワとかいう少年の力はかなり強力だ。人間にしてはかなりのレベルである。味方にして損はない。
「それに魔族がその気になればオレたちを屈服させることなど容易いはずだ。だがこいつはまったく攻撃しようともしなかった。敵意はないと見ていいだろう」
「トロワ…」
 まだ逡巡する五飛を制し、トロワはデュオに向き直る。
「おまえの話を信じよう。だが、もし嘘であったり、関係のない人間を巻き込むようなことをすれば、その時はこちらも考えさせてもらう」
「OK。大丈夫さ。信じてくれてサンキュ」
 どうやら上手く納得してくれたようである。話のわかる奴でよかったとデュオはホッと胸を撫で下ろした。
「五飛」
 トロワに促され、五飛はしぶりながら腕を下ろした
「…ふん、仕方ない。だが、オレはお前を信用したわけじゃないからな」
「充分充分」
 とりあえず邪魔さえしてくれなければOK。一時はどうなるかとも思ったが、これで大丈夫だろう。
 笑顔で礼を言うと、トロワは微笑み返してくれた。










 その夜。早速職員室に忍び込んだデュオは生徒名簿を漁り、あの少年を捜した。時間がかかるかと思ったが、案外あっさりと見つかった。
 相葉昴治。それが桜の少年の名だった。
 ついでに桜にも寄ってみるが、彼は現れなかった。










 それから数日。毎晩桜の下に訪れてみるが、相葉昴治が現れる気配はなかった。あの時逢ったことさえ幻だったような気もしてくるが、幻でないことはデュオが一番よく知っている。



「デュオ。ちょっと話を聞いてきた」
 昼休み。パンを食べているデュオに話しかけてきたのは、先日の二人の片割れであるトロワだった。デュオのことは警戒しない程度には信用してくれたようだ。
「おまえのその任務に興味がある。話が本当なら、術が実行された場合はオレたちも皆も被害を受けるしな」
 そう言って、何かと協力的である。確かに禁術が行使されれば他人事ではない。霊力の強い彼らは必然的に巻き込まれることになる。ならば自分から中に入ったほうが良いというのが結論だとか。
 五飛はまだデュオに気を許そうとはせず、近づきもしないが。
 トロワはクラス委員に就任していた。その立場を利用して、委員会で先輩方からそれとなく情報を得てきたのだ。
「二月に行方不明になったらしい。当時一年だから、今は二年生ということになる。性格はいたって温厚誠実。面倒見が良く、誰とでも親しくなれるタイプで、教師陣からのウケも良かった。成績は中の中であまり目立たないが、人望はあり、現生徒会の書記でもある」
 淡々と説明される人物は、相葉昴治である。外見は性格を裏切ってなかったらしい。
 突然行方不明になったということで、大きな騒ぎになり、捜索も行われたが、未だに手がかりさえも発見されていない。時間が経つにつれ周囲の感心も薄まってきたが、捜索は現在も続けられている。
 見つからないのは当然か。犯人が彼を捕らえているのなら、そう簡単に見つけられるような捉え方はしない。数日前に見た彼の状況からして、霊的な拘束をされているのは間違いない。
 早く見つけなければ。デュオはこの数日で、予測をたてていた。相葉は禁術の生贄にされる。
 それらの魔術が禁断とされているのは、術の行使に多大な犠牲を伴うことと、世の中の理を曲げる可能性のあるものだからである。
 相葉は巻き込まれたといったほうが正しい。
 だが、彼が最後に言いかけたことが気にかかる。彼は自分ではなく、友人を助けてほしいと言った。彼の友人も狙われているというのだろうか。
「相葉昴治と最も親しかったのが尾瀬イクミという男だ。学年成績トップで明朗快活。皆の人気者で、同じく生徒会の副会長をやっている」
 トロワの言葉に顔を上げる。相葉の親友。
「そいつに変わったところは?」
「特におかしな点は見当たらないな。相葉が行方不明になった時はトップをきって捜索に手を尽くしたし、今は普段と変わりない様子で生活を送っているようだ」
「他に彼と親しかった者はいるか?」
「先程も言ったが、相葉は誰とでも親しくなっていたからな。知人のレベルであげればキリがない。普段は尾瀬と二人で行動していた」
「そうか…」
 となれば、彼が言った《友達》は、尾瀬イクミと考えて間違いない。尾瀬は相葉から何かを聞いているのかもしれない。
(接触してみるか…)
 ふと気付けば、トロワがじっとデュオの顔を見つめていた。デュオの前の席に座り、頬杖までついている。
「…何?」
「いや。熱心だなと思ってな」
 首を傾げるデュオに、トロワは苦笑した。
「最初に逢った時、おまえには不真面目な軽い奴という印象があったんだが…、そんなわけではないのだな」
「そりゃ任務は完璧に遂行するぜ、オレは」
 そういう風に見られてたわけね。肩をすくめる。
 自分でいうのも何だが、面倒くさいことは苦手なので、気が進まないことに対してはとことん不真面目である。学校なんて任務以外に興味あることなんて無いから、トロワでなくともそういう印象なのだろう。
「そうだな。すまなかった」
 素直に謝られると逆に戸惑ってしまう。
 デュオもトロワに対する第一印象を改めていた。最初は、無口無表情で冷静沈着な点から、もっと冷たい奴と思っていたが、穏やかで優しく、しっかりしていて気が利く。クラス委員としては適しすぎる人物だ。何より、綺麗な瞳が気に入っていた。
 自然に瞳に見入ってしまいそうになり、慌てて思考を打ち消す。
「他にはもう無かった?」
「他に付け加えるとすれば、相葉昴治の弟が今年入学している」
「弟…」
 兄弟ならば学校以外での相葉の言動なども知っているだろう。こちらも接触の対象にあがる。
「隣のクラスだな。名前は祐希とかいったか」










 放課後。生徒会室に向かう。
 トロワも同行している。五飛は稽古があるとかでさっさと帰宅した。トロワと五飛は従兄弟で家も近いらしい。従兄弟が魔族と親しくしているというのは、危険だとは思うがトロワ自身のことは信用しているため、複雑な心境のようだ。《不審のものについては中に自ら潜入して探る》ことがトロワの信条らしく、今回のようなことも初めてではないらしかった。
 人間にも色々な奴がいるものだ…。
「オレに用って、君たち?」
 生徒会室の奥から現れたのは、アイドルでも通用しそうな顔立ちと屈託ない笑顔を持った少年だった。女性に人気があるというのも納得できる。
「あの、尾瀬先輩は相葉先輩と親しいって聞いたんですけど…」
 思い切って本題をいきなりぶつけてみる。隠されても後でデュオの術で直接精神に訊いてみればすむことだし、反応によって彼の関わり具合を探ることもできる。
「昴治? あぁ、あいつ一体何処に行っちまったんだか。何も言わずにいなくなるような奴じゃないんだけどな」
 対応はあっさりしたものだった。特に動揺もない。かなり事情聴取を体験したのだろう。慣れた様子だ。
「心当たりとかはありませんか?」
「あったら迷わず捜しているよ。一応あいつが行きそうな所は全部捜したんだ」
 いちいち大きなリアクション付きで返答する尾瀬は、心底困っているふうに頭をかく。
「誰かに狙われているとか、何かに巻き込まれているとか、そんな様子は?」
「無かったな。何かの事件に巻き込まれた可能性は、警察の見解でもあるけど…。はっきり言って、あいつは巻き込まれると言うより、巻き込まれそうになった奴を体を張って止めるタイプだぜ。《善い子ちゃん》の代名詞のような奴だからな」
 普段は善い子ぶっていても、いざという時は何もできないものである。特に優等生タイプは臆病な傾向が強く、自分に直接関わらない危険は避けようとする。その点でいえば彼は正義感や勇気もかなり持っている人物である。人望があったというのは嘘ではないわけだ。
「誰かに恨まれていたことは?」
「昴治がか?…あいつは顔が広いからなー。オレの知らない付き合いもあるからそこはわからないけど…。特にないと思うよ。あいつそこら辺の世渡りは上手いし」
「そうですか」
 本当に心当たりはないらしい。相葉昴治は唐突に巻き込まれてしまったのだろうか。
「あ」
 諦めかけたところで、ふいに尾瀬が声を出した。
「何です?」
 何か思いついたのか、少し考え込んでいる。
「いや…多分関係ないだろうけど…、あいつの弟がさ、仲悪いんだよね。何かと昴治につっかかってて…」
「弟って確か一年の…」
「そう祐希。けどこの件には関係ないと思うよ。一応昴治と仲が悪いというのがオレの場合、弟しか思いつかないだけだから」
 ネックは弟らしい。周囲に慕われている彼も、弟には別態度だったのか。
 礼を言って去ろうとして、呼び止められた。
「ところで君たち、あいつの何?」
 さて、どうごまかそうか。
「ちょっと世話になったことがあるんです。行方不明と聞いて心配になってしまって…」
 ナイスだトロワ!と心で誉める。咄嗟とはいえ上手い言い訳だ。
「なるほどねー。大丈夫だよ。そのうちひょっこり帰ってくるって」
「そうですね。ありがとうございます」
 頭を下げ、その場を後にする。
 昴治が危惧していたのは何だったのだろう。友達とは尾瀬のことではなかったのだろうか? 尾瀬に狙われている様子はなかった。学校以外で昴治と親しかった友人がいるのか。
 どちらにしろ弟、相葉祐希にも話を聞かなければならない。そのまま祐希の教室に行くが、既に帰宅した後だった。
 翌日に回すということで、デュオたちも帰宅することにした。










 翌日の休み時間。隣の教室に向かい、目的の人物を捜す。
「いたぞ。窓際に座っている奴だ」
 トロワに示された方向を見やると、髪を簡単に一つにくくり制服をだらしなく着た少年が、机に足を引っかけて椅子にもたれていた。
「何つーか…。兄貴とは正反対のタイプみたいだな」
 善い子な昴治の弟とは思えない。よく見れば顔が似ているから兄弟だとわかるが、雰囲気はまるで違っていた。
「同じ中学だった奴の話では、成績や運動能力は抜群に良いが、性格自体はいわゆる不良で、兄からよく注意されていたらしい」
「納得」
 思わず大きく頷く。兄弟でそれだけ性格が違えば仲も悪いだろう。
 どれほどまでに悪かったのか。禁術の生贄にしようとするほどまで憎んでいたのか?
 デュオたちは、昨日の尾瀬の話から、祐希が犯人である可能性も考えていた。弟ならば人知れず昴治を呼び出すことも可能であるからだ。
 ただ、彼が兄をどのように思っていたか。それは聞いてみなければわからない。魔族に家族に対する愛情はないのでデュオにはわからないが、人間にとって家族は切り離せない存在である。たった一人の兄をそこまで憎むことができるのだろうか? ましてや昴治は決して悪い人物ではない。
「よお。相葉祐希くん?」
 とりあえず教室に入り、笑顔で声をかけてみる。
「何だよ。何か用か」
 不機嫌きわまりない表情で睨まれた。大抵の奴ならばその迫力に後ずさるだろうが、デュオとトロワには関係ない。
「あのさ。お兄さん行方不明だって聞いたんだけど」
 途端、動揺が走る気配が見てとれた。
「知ったことかよ、あんなバカ兄貴なんて。いなくなってせいせいするぜ」
 顔を背けて言い放つ。わかりやすい反応は、兄の行方不明に対し、少なからず思うことがあるとばらしているようなもので、二人は小さく苦笑した。
「オレたちも捜しているんだ。何か心当たりはないか?」
「知らねーって言ってるだろ。あのお人好し、またどっかで面倒事に首突っ込んでんだろ。他人を助けるなんて力、持ってないくせによ」
 知らないの一点張りで通すつもりらしい。これ以上聞いても無理だなと二人は悟る。
 最後にトロワが口を開いた。
「もう一つ訊くが、何故この学校に入った?そこまで嫌いな兄と同じ学校に通う必要はないのではないか?」
「! …うっせーな。オレの勝手だろ!」
 大きな音を立てて立ち上がる祐希に、何事かと教室中の視線が集中する。
「そうか。時間をとらせたな」
 踵をかえすトロワに、慌ててデュオも付いていった。
 祐希がずっと二人の背を睨んでいることが気配でわかったが、あえて無視しする。訳がわからない生徒たちは茫然と祐希と二人を交互に見ていた。











 いつの間にかトロワと一緒に昼食をとるのが日常となっていることに今更ながらに気付き、デュオは苦笑した。五飛も同席しているのだが、彼は黙々と食事に没頭するのが常である。敵意は感じられないので、デュオとしては気にしないことにしている。
「弟のほうは、まったくの嘘だな」
「何?」
 唐突にデュオが口にした内容に、トロワが顔を上げる。食堂は込んでいたが、三人がいる箇所は隅であるため、他に会話を聞かれる心配はない。
「ちらっと心を読んでみたんだ。休み時間だから嘘か本心かくらいしかわからなかったけど。祐希は明らかに嘘をついていた」
 読心術は使えるが、時間の短さと場所的に簡単なものしか行使できなかったのだ。
「尾瀬は見えなかったけど、そういう人間は存在するから珍しくはない。気になるのは祐希の反応だ」
 あの動揺ぶりは単に嫌いなだけの相手に対するものではなかった。
「心当たりがあるということか…」
 五飛の声を久しぶりに聞いた気がする。一応彼も話は聞いているらしい。
「もう一度きちんと話をする必要があるな」
 トロワに頷き返す。今度は読心術をはっきり使える状況で祐希に逢わなければ。
 尾瀬も祐希も霊力はなく、普通の人間であった。しかし禁術の中には、霊力や魔力のない者でも方法さえ知っていれば行使できるものが存在する。祐希が犯人である可能性は薄くない。
 だが、やはりデュオは昴治の言葉が気になっていた。彼は弟を止めてほしいなどとは言わず、友達を助けてほしいと言った。
 弟を告発するのは抵抗があったのか、もしくはまったく関係がないのか。そう考えると、祐希はこの件の犯人か無関係かのどちらかになる。極端だ。
 はっきりさせなければどうにもならない。
「ええい! 要はその弟から聞き出せばいいだけだろう。さっさとはっきりさせろ!」
 ぐだぐだ考えるのが嫌になったのか五飛が怒鳴る。
「ああ。で、五飛も協力してくれな」
 デュオも現状に苛立っていたのだ。考え込むのは苦手なのである。
 放課後、帰ろうとする祐希を無理矢理捕まえ、校舎裏に連れ出した。さすがに三人でかかられては祐希も追い払うことはできない。
「何だよてめーら」
 自分を取り囲む三人に対する嫌悪を隠そうともせず、祐希は睨み付ける。
「昴治についてもう一度話したくてな」
「話してもらうぜ。本当のことを」
 言葉と同時にデュオの目が鈍く光りだした。瞳の色が蒼から紫に変化していく。
 祐希は動けなかった。デュオの瞳から目を離せない。
 一体何なのだろう、これは。
 直感的に理解した。これは普通じゃない。目の前の少年は人間ではない。
(まさか兄貴はこいつらに…)
 兄はこの力で囚われたのだろうか。化け物にさらわれたならば幾ら捜しても見つからないのも納得できる。
 いや、もしかしたらもう殺されて…。
「兄…貴…」
 咄嗟に浮かんだのは、優しく笑う兄。幼い頃からずっと見てきた、兄の後ろ姿。
「え?」
 デュオは思わず目を止めた。
 彼の中にある兄への感情。あれは…。
「おまえ、まさか昴治のことを…」
「ああ、そうだ。好きだよ、兄貴が!」
 気付けば叫んでいた。誰にも言ったことのない本心。決して表に出すまいと誓っていた想いを、祐希はさらけだしていた。
 自分で戸惑うが、一旦出た気持ちは止められない。デュオの術中に完全に陥っていた。
「ずっと一緒だったんだ…。なのに、誰にでも愛嬌を振りまいて仲良くして笑ってやがって…!いつでも、どうすれば皆で上手くやっていけるかと考えていた」
 兄弟が幼い頃に両親は離婚し、母に引き取られた二人はいつも一緒に遊んでいた。兄の昴治が時には父親のように弟の面倒をみていたのである。
 頼りになる兄を敬愛していた。だが、月日が経ち、年齢を増していくと、二人はだんだんと離れていった。何が悪いわけでもない。それが成長するということだ。
 だが、祐希は嫌だった。周囲に目を向け、友人たちと親しくなっていく昴治に、一人で取り残されるような思いがした。
 自分は兄と一緒にいたかった。けれど兄は前を向いてどんどん進んでいく。
 振り返ってほしかった。だが兄にとって自分はいつまでも手のかかる弟でしかなかった。
 遠くに行かないで。置いていかないで。
 望んだのは共に歩いていくこと。友人のような別個人としてではなく、兄弟としての義務感でもない。そんなものではなく、特別な存在になりたかった。
「好きなんだ…。他人の心配ばかりしやがって…だから、兄貴のことはオレが守るって…決めてたのに…」
 兄の突然の失踪。消息さえ掴めない。
 必死に捜した。けれど何処にも見つからなくて、諦めることもできなくて。
 焦りと苛立ちと不安だけが募って。
 祐希の目から涙が溢れ出した。堰を切った想いが溢れていく。
 デュオはそっと近づき、祐希の頭に手をやる。トロワと五飛は黙って見つめていた。
 祐希は素直になれなかっただけなのだ。兄が想いを返してくれないことがわかっているから、自分の気持ちを隠して、隠しすぎて止まらなくなっただけなのだ。
 なんて純粋な子どもなのだろう。大人になっていく昴治と対照的に、祐希の精神は子どものままだった。
 彼は犯人ではない。無関係だ。
 俯き唇を噛みしめる彼に、デュオはできるだけ穏やかな声を出した。
「協力してくれないか? このままでは相葉昴治は死ぬことになる」
「な…!?」
 弾かれるように顔を上げた祐希に微笑みかける。
 大切な人を守りたいという彼の気持ちは、不快ではなかった。
「おまえら…何者だ…?」
「気付いたとおり、オレは人間じゃない。この二人はれっきとした人間だけどな。敵じゃない。相葉昴治を助けたいんだ」
 茫然とデュオを見つめ、ゆっくりとトロワと五飛も見回す。微笑む三人に、やっと理解した祐希は小さく呟いた。
「生きているんだな…」
 二ヶ月も消息が掴めない昴治に、もう生きていないのではないかと半ば絶望しかけていたのだ。
 昴治は生きている。
 それだけで冷めた心が温かくなっていく。
「兄貴は無事なのかよ?」
 生きているといってもどういう状態なのか。真っ先に思いついたのはそれだった。
「今は囚われている状態だから怪我なんかはない。だけど徐々に生命力を奪われているから、長くは持たない」
「兄貴は何処にいるんだ!」
「お、落ち着けって…。話すから」
 掴みかかってくる勢いの祐希を必死でなだめる。先程まで泣いていたとは到底思えない。
 デュオは昴治が禁術の生贄にされかけていることを話した。
「ということで、オレたちは少しでも手がかりを捜してるんだ。おまえが知っていることや失踪前の昴治に対して何か気付いたことを話してくれないかな? 何でもいいんだ」
「知っていることったって…」
 四人は輪になって座り込んで話していた。考え込む祐希にトロワが質問を変える。
「昴治の友人が関わっているようなんだが、昴治と親しかったのは誰だがわかるか?」
「あいつの親しい友人というなら同じクラスの尾瀬だ」
 尾瀬イクミ。やはり彼のことなのか。
「他にはいないのか?」
「ああ。あいつは誰とでも仲良しだけど、表面上だけの付き合いが大半で、本当に親しいのはろくにいねーよ」
 知人は多いし人望もあるが、互いの内面まで踏み込む関係は苦手としていた。相葉昴治は他人を傷付けることを極端に嫌う性格だったらしい。
「尾瀬…。やっぱりあいつ…!」
 祐希が声を上げ、立ち上がった。
「あいつは何か知ってるはずなんだ。あいつが…!」
「おい。待て。どうした?」
 走り出そうとした祐希の腕を五飛が掴む。
「尾瀬は何かをしていたんだ。兄貴はそれを止めようとしていた」
「何だって?」
 デュオも立ち上がる。
 何かとは禁術のことなのか?
 尾瀬イクミが犯人だというのか?
 祐希の話によると、行方不明になる前夜、昴治は夜遅くまで考え事をしていたらしい。そっと部屋を覗いたところ、机に突っ伏し、頭を抱えて悩んでいた。
「ダメだ…。こんなこと、やっちゃいけない…やめるんだ…イクミ……」
(尾瀬…?)
 ここまで苦悩する昴治を見たのは祐希も初めてだったが、声をかけることもできなかった。
 翌日、普段どおりに一日を過ごした昴治は、夜になってコンビニに文具を買いに行くと出かけ、それっきり消息を絶った。
 コンビニに昴治が行った形跡はない。家から学校までは歩いて十五分くらいであることから、学校に向かった可能性も考えられ、捜索の範囲に加えられたが、まったく見つからなかった。
 祐希は尾瀬に詰め寄って昴治のことを問いただしたが、そんな覚えはないとかわされていた。
「尾瀬イクミが?」
 トロワたちも目を見開く。彼が関係者だとは予測していたが、それでは犯人そのものではないか。まさかそうとは考えてなかった。
「だが、尾瀬が禁術を行う理由は? 尾瀬が犯人に口止めされているという可能性もあるのではないか?」
 尾瀬も友人関係においては昴治と同じタイプで、親しいのは昴治一人だけだった。理由を知っているとすれば昴治だけだろう。しかし親友を犠牲にするとは考えにくい。親友を盾に取られて脅迫されているほうが容易な想像である。
「けど昴治が止めようとしたのは尾瀬だ」
 祐希と同様に、デュオも尾瀬が犯人である考えが沸き上がってきていた。禁術は犠牲はあるが、効果は確実にある。その魅力に取り憑かれた者にとって、友情などたいしたものではない。魔術や宗教の虜になってすべてを捨てた人間たちをデュオは今まで見てきているのだ。
「昴治と仲が悪いのはおまえくらいだと聞いたしな」
「るせー」
 真顔のトロワに祐希が不機嫌な顔を返す。
 そこでふと五飛が口を挟んだ。
「待て。それを言ったのは誰だ?」
「誰って、尾瀬だが…」
 名を聞いて祐希が身体を乗り出す。
「バカ言え。あの野郎はオレの気持ちを知ってるんだ。何かにつけ、それでからかってきやがるくらいなのに…」
 昴治と祐希が本当に仲が悪いわけではないことを知っていた唯一の人物が、嘘の証言をついた。
「じゃあ、オレたちの疑いの目を祐希に向けるために、わざとそんなことを言ったってことか」
 お互いに顔を見合わせる。これで尾瀬への疑惑は更に深まった。
「デュオ。奴と話した時はどうだったんだ」
 五飛が言うのは、尾瀬の心を読んだことである。
「わからなかった。考えを表面に出さない奴はいないわけじゃないし、精神力の強い相手には初歩の術は通用しないから、特に変とも思わなかったけど…。こうなると気になるな」
「術?さっきオレにやったアレか?」
 すかさず突っ込んでくる辺り、祐希は関心があるらしい。
「いや、あそこまでの術は使ってない。簡単に話が本当か嘘かがわかる程度の代物」
「あいつも何処かに呼び出すか?」
「だが犯人であるならば、わざわざ人気のない所への呼び出しに応じない可能性が高いぞ」
 彼は頭がよい。それくらいの用心はするはずだ。
「…呼び出すんじゃなくて、あちらに行動を起こしてもらうか」
 笑みを浮かべてデュオは三人に耳打ちしだした。










「あれ?君はこの間の…」
「こんにちは」
 下校のチャイムが鳴り響く廊下で、イクミは見覚えのある後輩を見かけ、足を止める。どうも自分を待っていたらしい。
「どうかした?」
 笑顔で問いかけると、後輩は少し逡巡し、振り切ったように顔を上げた。
「…実はオレ、入学式の前日に、相葉先輩と校庭で逢ったんです」
「何だと! 本当か?」
 思わず声を荒上げ、後輩の肩を掴んでいた。
「え…ええ」
 普段のイクミからは考えられない形相に、後輩は脅える。だが、それを気遣う余裕など消え去っていた。
 驚愕が全身を走り抜けていた。
「昴治…」
 バカな。あいつが誰かと逢うなんてことができるわけがない。だってあいつは確かに…。
「尾瀬先輩?」
 訝しげな後輩の視線に、我に返る。
「あ、いや。…昴治は元気だったか?」
 手を離し慌てて取り繕う。不審を買ってはいけない。
「はい。何だか疲れた様子でしたけど。けどおかしかったんです。気付いたら先輩の姿が消えていて…」
 後輩に嘘をついている様子はない。
 消えたというなら、それは昴治本人ではないのだろう。そうだ。彼はあの拘束から逃れることなどできないはず。
「それは幻覚とかじゃない?」
「違います。だってオレは先輩と話をしたんですよ」
「何だって?」
「何か、尾瀬先輩のことを言いかけてました」
 恐怖が襲う。冷たいものが背筋を駆け上がった。
「あ、オレ用があるのでこれで。失礼します」
 腕時計を見た後輩が走り去って行くが、イクミの目には映っていなかった。
「昴治…」
 幽霊となって化けて出たのか?イクミを糾弾するために。
 動くこともできず、イクミはそこに立ちつくしていた。





「おー、痛かった〜。跡残ってねーだろな?」
 離れた所から見ていた三人の元に着いた途端、デュオは肩をさすった。手加減無しで掴まれた両肩は、まだ痛みが残っている。
「凄い取り乱し様だったな」
 トロワが尾瀬の様子を分析する。デュオの証言はかなりの衝撃を与えたらしかった。
「これで本当にあいつは動くのか?」
「ああ。間違いなくな」
 まだ不安な祐希に、デュオは口端を上げる。
 昴治のことを聞いた途端の尾瀬は、顔色は真っ青になり、デュオの肩を掴んだ手は震えていた。
 動揺すると意識のガードも緩くなるものである。腕が接したこともあって、簡単に思考は読めた。
「奴が犯人だ」
 禁忌を破ろうとしたのは尾瀬であった。その理由も、昴治の行方も全部わかった。
「あの野郎…!」
 拳を握り締める祐希の肩にトロワがそっと手を置く。
「落ち着け。とにかく夜になってからだ」
 デュオ以外の三人は一旦帰宅し、夜になって再び学校に集まった。物陰から例の桜を見張っていたデュオと合流し、一緒に監視する。
 満月で天候も良いため、夜といっても明るい。
 デュオが昴治と逢った、あの日も満月だった。
 新月には陰の気が、満月には陽の気が高まる。昴治は桜の霊力を利用して霊体となって現れたのだ。彼にはそれが精一杯だったのだろう。今夜も現れるだろうか。
 今夜なら逆に尾瀬が使用している禁術の力も弱まる。ケリを付けるなら今夜しかない。
 息を潜めて四人が見つめている中、校庭に人影が現れた。
「…来たな」
 ゆっくりとした歩きで尾瀬がやって来た。学校でのあの笑顔が嘘のように、その表情には力がない。
 ふらりと近付き、桜を見上げる。周辺の桜はもう散っているものもあるのに、この樹だけは未だ満開だった。
 不意に拳を振り上げ、力任せに幹を殴りつけた。
「おまえが悪いんだ昴治! おまえみたいな奴がオレの前にいちゃいけないんだよ!」
 キレたのかと思われるような形相だった。尾瀬に殴られた樹は、その程度の衝撃には何ら反応することもなく佇んでいる。
「何で出てきた? オレを恨んでいるのか? 当然だよな。おまえをこんな目に合わせてんだから。けどおまえが悪い。オレの邪魔をするから…」
 そのまま樹にもたれかかり、腕で顔を隠す。
「…姉さん」
 彼が行おうとしている術は、《死者蘇生術》だった。死んだ人間を生き返らそうとしているのである。
 その対象は、彼の実の姉。
 彼は姉と愛し合っていたのだ。
 だが、それを苦に姉は自殺。ショックから抜け出せなかった彼は、ある日出逢った少女に教えられた魔術を使って姉を復活させようとした。
 それに気付いた昴治が説得を試みたが、彼は耳を傾けようともせず、あろうことか昴治を術の媒体にすることにしてしまったのだった。
『イクミ』
 静かな声が響いた。聞き覚えのある声。それは樹から聞こえてくる。
『やめるんだ。こんなことしてお姉さんが喜ぶと思うのか? 喜ぶわけないじゃないか』
「黙れ、昴治!!」
 怒鳴り声とは対照的に、身体はわなないてくる。
「死んでくれ昴治…。頼むよ…おまえがいるとダメなんだ…」
『…イクミ』
「昴治ぃ〜!!!」
 叫ぶと同時に懐からナイフを出し、樹に振り下ろす……直前、横から腕を掴まれた。
「!」
 祐希だった。
「…っ。させるかよ」
「離せ!」
「そこまでだ。もう、よせ」
 先日生徒会室にやってきた少年が背後に立っていた。
「おまえのもくろみはすべて露見した。観念しろ」
 その横には、黒髪の少年と、放課後の少年。
 気が逸れた瞬間、ナイフは祐希によって叩き落とされ転がっていった。
「くそっ」
 唇を噛む彼に、デュオはゆっくり歩み寄る。
「もうやめるんだ、尾瀬イクミ」
「やめる? 冗談言うな。今更やめられるか…!」
 絶対に魔術を成功させる。そうでなければ何のために今まで準備してきたというのか。…昴治を犠牲にしてまで。
「昴治はオレに『友達を助けてほしい』と頼んできたんだ。わかるか? こんなひどい目に合わされても、あんたを友達だと呼んでいて、心配しているんだぜ」
「!」
 昴治の顔が脳裏に浮かぶ。
 お人好しなくせに他人と距離をとる、あの性格が気に入っていた。
 誰も傷付けまいと頑張っている彼なら、受け容れられると…受け容れてくれると思った。
 自分を省みずに他人の心配ばかりする彼のそばにいるのは心地よかった。
 わかっている。昴治は、彼を裏切った自分のことも決して恨んだりしない。
 わかっていた。だからこそ、こんなにも苦しい。
 苦しくて、哀しくて。けれど…。
「言っておくが、死者を完璧に甦らすなんて不可能だ」
 デュオの言葉に、尾瀬の思考が止まる。
「あんたが使おうとしている魔術は、土と腐肉から仮初めの人間の身体を作るにすぎない。そこに宿る魂は、望んだ人のものなんかじゃなく、あの世の門前にいる下等な餓鬼どもだ」
「嘘だ!」
「本当だよ。ついでに言うとあんたのお姉さんの魂はとっくにあの世に行っている。呼び戻すことはできない」
 この世からあの世へは一方通行であり、引き返すことはできない。あの世にまだ魂が入る前なら何とかなるかもしれないが、一旦行ってしまえば戻ってはこれないのだ。それは世界の成り立ちであり、どんな者であろうと変えることはできない。
 蘇生術が禁断とされるのは、死者を甦らせようとする行為自体が、世界の理に反しているからなのである。
「そんな…」
 尾瀬は力無く後ずさり、樹に背を当てた。
 入れ物なんかではない。望んだのは姉自身だ。他の何者でもない。なのに、願いは叶わないというのか。
 信じたくない。だが、三つ編みの少年の言葉はまるで何かの力を持っているかのようだった。
「あんたは騙されていただけだ。あの女に」
 少年の声がどこか遠くに聞こえる。意識が遠くなっていく。
「女とは誰だ?」
 五飛が初めて聞く新たな関係者に反応した。
「こいつに禁術を教えた女。ファイナとか名乗っていたようだな。妖魔だけど結構厄介な奴でさー、これが」
 振り向いて苦笑するデュオの後ろで、ゆらりと空間が揺れた。
「デュオ!危ない!」
 咄嗟にトロワがデュオを抱えるように庇い、その場から離れる。祐希も声に反応して逃げていた。
『もう少しだったのに…。どうして邪魔をするの』
 揺らいだ空間から、デュオたちと同じくらいの外見年齢の少女が現れた。良家の息女にも見える美少女だが、その目は正気の色ではない。
「ファイナか」
 デュオを見やり、ファイナは高慢な笑みを浮かべる。
『私は尾瀬くんの願いを叶えるための方法を教えてあげたのよ。彼はずっと苦しんでいた。それを助けようとしただけよ? 何が悪いというの?』
 いっそ穏やかといえる声音は、彼女の禍々しさを際だたせるものでしかなかった。
「デュオ」
 トロワに促されて、宙に浮いているファイナの足元を見ると、意識を失った尾瀬が倒れている。
「このまま攻撃すれば、奴も無事ではないぞ」
「人質かよ…。まずいな」
 人質は一人ではない。この桜の樹に取り込まれた昴治もいるのだ。ファイナが樹を背にする以上、むやみに攻撃はできない。
「他人を犠牲にして叶う願いの何処が良いものか! 助けるばかりがそいつのためではない! 貴様は悪だ」
 この状況と、見るからに相手にしたくない狂女妖魔を前に、ひるむことなく《悪》と言い切れる五飛の怖い者知らずさには、少し敬服する。
「おいおい、煽ってどうすんだよ…」
「すまんな。あーゆー性格なんだ」
 顔をひきつらせるデュオと溜め息を吐くトロワだが、彼女は五飛の言葉など気にもしていなかった。
 ファイナの背後にある樹の中腹辺り、それが口を開くように割れていく。そこに現れたのは。
「兄貴!」
 相葉昴治が木の繊維に絡められていた。幾分かやつれており、生命力も更に弱まっている。
 ファイナは音もなく飛び、昴治の首に両腕を回した。
『この人は私のものよ。昴治は私と一緒に行くの』
「てめえ! 兄貴を返せ!」
 祐希が怒鳴るが、相手が空中にいては手も足も出ない。
「トロワ。オレが奴の注意を引くから、その間に尾瀬を助けてもらえるか?」
「わかった」
 素早く打ち合わせをした二人は行動を起こした。
 デュオも空中浮遊術を使い、ファイナに向かって飛び上がる。咄嗟にシールドを張ろうとした彼女の術を、別の術で防ぎ、中和させる。
『くっ』
 両手が塞がっていては不利と判断したファイナが、昴治から離れ、デュオと向かい立つ。
 ファイナの注意がデュオに完全に向いた隙を狙って、すかさずトロワが尾瀬を抱えて避難した。
『あ!』
「何でも自分の思い通りにいくと思うなよ」
『よくも…』
 ファイナの気配が更に毒を帯びていく。
『殺してあげるわ!』
 妖気で作られた黒い触手が五人に襲いかかった。
「冗談じゃねえ!」
「こんなもので…!」
 祐希・五飛・トロワの三人は即席のフォーメーションを組んで、尾瀬を庇いつつ触手の群を潰している。その様子に心配は要らないと判断したデュオは、自分に群がってくる触手をはじき飛ばし、ファイナの相手に集中することにした。
「覚悟はいいな」
『そう簡単にやられるわけにはいかないわ』
 デュオが放った紫光波を、左腕と引き替えにかわし、ファイナは踵を返した。
「しまった!」
『殺すなら殺すがいいわ。ただし昴治も一緒よ!』
 昴治の背後に回り、残った右腕を昴治の身体に絡める。完全に昴治を盾としていた。
「兄貴っ」
「片腕を簡単に犠牲にするとは、見事な執念だな」
 何とか触手を全部潰した祐希と五飛が苦々しく見上げる。
 デュオの力ならファイナを倒すことは造作もない。それがわかっているからこその彼女の抵抗だが、実はデュオはこのような状況でもファイナだけを倒せるのである。そこまで読めなかった彼女の負けだ。
「う…」
「気付いたか」
 覚醒した尾瀬にトロワが声をかける。まだ意識がはっきりしないのか、ぼんやり起き上がって周囲を見渡す。目に飛び込んできた光景に尾瀬は自分の目を疑った。
「昴治…」
 デュオの手から糸が伸び、昴治を避けて飛んだそれは、ファイナだけを拘束する。
「バイバイ」
 笑みと共に、糸を持つ手を握り締めた途端、ファイナは四散していた。
『ああああ〜!!!』
 断末魔の悲鳴を上げ、ファイナは跡形もなく消えた。
「ったく、手こずらせやがって」
 デュオが昴治を解放し、地上に降ろすと、祐希が駆け寄ってきた。
「兄貴!」
 揺すり起こされ、昴治がゆっくりと目を開けた。
「…祐希。ごめん、心配かけたな」
 微笑んで祐希の頭を撫でる。途端に祐希は昴治に抱きついた。
「バカ野郎…謝んじゃねーよ…」
「ああ」
 くぐもった声は泣いているようで、昴治は柔らかく撫で続ける。
 何気に顔を上げると、捨てられた子犬のように見つめてくる瞳と目があった。
「イクミ…」
「あ…」
 言うべきことを忘れたかのように尾瀬は俯いてしまう。昴治はふらつきながらも立ち上がり、尾瀬に歩み寄った。
「オレ…オレは…」
「イクミ。もう無理しなくていいんだ」
 顔を上げた尾瀬の目の前には、微笑む昴治がいた。
「いつまでも過去に囚われちゃいけない。オレたちは、過去を踏み台にして、前に進んでいくべきじゃないか?」
「オレは…」
「大丈夫だ。オレたちなりに頑張っていこう、イクミ」
「うわぁ〜!」
 崩れ落ち、号泣するイクミを、昴治はそっと抱き締める。デュオたちはそれを感慨深く見つめていた。
 光と闇。その狭間で揺れる人間。なんと曖昧で脆く、そして強い存在なのだろう。
 デュオは魔族の父と人間の母を持つ混血児であった。力がすべての魔界では今まで自分の血を振り返ったことはなかったが、このような人間の血が自分にも流れているのだと思うと、悪い気はしなかった。
 昴治がデュオに顔を向ける。
「ありがとう」
「礼を言われる覚えはないぜ。オレは自分の任務を果たしただけだ」
 笑顔のそれに、こちらも笑顔で返した。














「兄貴!病み上がりなんだから動き回るなよ!」
「大丈夫だよ。心配するなって」
 昴治が囚われていた間の皆の記憶は、デュオが操作したため、そう騒ぎも起こらなかった。昴治は病気のために長期入院していたことになっている。実際、二ヶ月も生命力を吸われていたため身体が衰弱しており、数日間入院するはめとなったので、案外操作は楽であった。
 校庭の一番大きな桜が突然枯れたことと相葉祐希の突然のブラコンぶりに戸惑う人がいるくらいだ。
 学年末テストは受けられなかった昴治だが、日頃の真面目さが考慮されて、追試に合格すれば進級できることになった。現在はその勉強に追われている最中である。
「無理するなよ、昴治。持ってやるよ」
「平気だって、これくらい」
 尾瀬もまだ躊躇はあるものの、立ち直ったらしく、普段どおりの生活を送っている。
 どうもあの事件以来、妙な三角関係が形成されているような気がするのだが…。
 まあ、デュオには関係ないので放っておくが。
 ともかく任務は無事終了。これだけすっきり良い結果に終えられた任務は久しぶりで、気分がいい。
「おい」
 声のほうに視線を向けると五飛とトロワがいた。
「魔族にも色々な奴がいるとわかった。おまえに対する今までの無礼をわびておく」
「え?」
 五飛は言うだけ言うとさっさと去っていった。訳がわからないデュオは呆然とそれを見送る。
「あれって…オレのこと認めてくれたってこと?」
 トロワに訊ねると、面白そうに頷かれた。
「ああ」
「そっかー。ちょっと嬉しいな」
 プライド高い五飛に認められるのは悪い気はしない。出逢いは色々あったけど、終わり良ければすべて良し。
 礼を言ってなかったことに気づき、トロワに向き直る。
「そうだ、トロワ。あの時は助けてくれてありがとな。おまえには色々と世話になっちゃって、感謝してるぜ本当」
「気にするな。オレが好きでやったことだ。それより、もうここでの任務は終わったんだろう? 何処かへ行くのか?」
「終わったけど…どうしようかなと思ってるとこ。まだ次の任務命令は来てないし、実はこの学校やおまえらのことも結構気に入ったしなー」
「じゃあ、まだしばらくはいるんだな」
 よかった…とトロワが呟いたような気がしたが、何でもない顔をされ、それ以上詮索するのはやめた。






そして、運命の夏がやってくる。
to be 後編
 


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