見えなくても 満月の道は いつもここにある
 
 
 
 
 
 
 
     広大な宇宙の中で、たったひとりしかいない相手と出会う。
     それは一つの奇跡かもしれない。
     ヒイロは人混みの中に見えた影に向かって走った。
     見間違えるはずはない。あれは彼だ。
     早く。早く捕まえなければ、また消えてしまう。せっかく会えたというのに。
     焦りのままに手を伸ばし叫んだ。
    「デュオ!」
     声に気付いたデュオが振り返る。
     一つ一つの動作が、まるでスローモーションのように目に焼き付く。
     ヒイロを見て笑うその顔は少し成長していて、しかし瞳だけは記憶のままだった。
     立ち止まって、追いかけてくるヒイロを見つめるその姿だけに、色が付く。
    「よぉ、ヒイロ」
     少し背が伸びた彼は、もう少し背が伸びたヒイロを見上げて笑った。
     人でいっぱいの大通りの中で、二人だけ、時間が止まったようだった。
 
 
 
 
 
     マリーメイアの事件後、人々は自分たちの足で平和へと進み出した。
     ガンダムが、兵士が必要ない世界になって、彼と会うことは二度とないかもしれない。そう思っていた。
    「ひっさしぶりだなー。こんな所であまえに会うとは思わなかったぜ」
     コーヒーを口に運びながらデュオが屈託なく笑う。
     近くの喫茶店に誘ったのは、ヒイロのほうだった。
     ここで引き留めなければ、また彼は姿を消してしまう。誰にも行方を知らせずに、一人で遠くに行きそうで。
    それは嫌だった。
    「オレは仕事でちょっと寄ったんだけどさ、おまえは? もしかしてこの辺に住んでんの?」
    「ああ」
    「へー。てっきり宇宙にいんのかと思ってたけど、地球で住んでたのか。あ、お嬢さんのボディガードやって
    んのか」
    「いや、大学に通っている」
    「そうなのか? ああ、おまえって学校好きだもんな」
     ヒイロに喋る暇を与えないかのように、デュオは話し続ける。
     実際、そうなのだろう。訊かれたくないから、わざとたわいない会話ばかりを持ち出す。
     色とりどりの商店街の中で、異色を放つ存在。
     動き出した世界の中で変わらない、彼。
    「おまえは?」
    「え? オレ?」
     デュオの言葉を遮るように問うと、彼は少し苦笑した。
    「オレは相変わらずだよ。宇宙でブラブラしてる。ジャンク屋やったり、運送屋やったり、まぁ色々とな」
    「…あの女とか」
    「ヒルデ? ああ、そうだよ。あいつには経理を担当してもらってんの。…って、おまえ何て顔してんだよ。
    あいつとは別にそんな関係じゃないって。ただの仕事仲間」
     目まぐるしく表情を変えながら、矢継ぎ早に喋る。そんなデュオは戦争中とまったく変わらない。
     変わらない、本心を隠した顔をする。
     そんなに信じられないのか?
    「…そうやって、おまえは誰も信じないのか」
     知らず、口に出ていた。
     デュオの眉が僅かに上がる。
    「は? 何言ってんだ? ちゃんと信用しているぜ、おまえらのこと」
     そうしてまた笑う。だが、瞳には不敵な光があった。
    「確かに『信用』はしている。…だが、『信頼』はしていないだろう?」
     一旦出した言葉は止まらない。ヒイロは無駄だと思いつつも、続けていた。
    「悪いか?」
     悪びれもせず、小さくデュオは笑う。
     『信用』と『信頼』は違う。信じることは容易い。しかし、その上に相手に頼り、自分を委ねるということは、
    そう簡単にできるものではない。
     一見人懐っこいような彼だが、人を信頼しているような素振りはまったく見なかった。
     誰にでも親しくする彼は、誰とも親しくはない。
     デュオは誰も受け容れない。他人はただ、少しの間彼に近づき、離れていくだけ。彼と他人の関係など、どち
    らかが維持することを止めてしまえば、そこで断ち切れて終わる。そして彼は、すぐさま忘れる。
     傲慢で卑怯で臆病な方法を取る、そんなデュオは。
     たくさん傷付けて、傷付けられて、生きてきたのではないかと、思う。
     自分が傷付くことを、喪失を味わうことを、放棄している。
     それは楽なようにも見えるが、寂しいことではないか? そう思う。
 
 
     ヒイロに責めるような瞳を向けられ、デュオは心の中で苦笑する。
    (そんなに怒られてもな…)
     強い瞳に耐えきれず、窓に視線を向けた。
     こういう時、何処かで大切なものを忘れてきたような気がする。
     けれど、それが何かということも、すでに忘れてしまった。
     そんな自分を哀しいと思う心さえ、もう、自分にはなかった。
    「今日は何処に泊まるんだ」
     不意に声をかけられ、デュオは顔を上げる。
    「適当にホテルでも見つけようと思ってるけど」
    「…なら、うちに来ればいい」
    「え?」
     驚いて目を見開くデュオに、何だと睨みつける。
    「いや…。そりゃ助かるけどさー。いいのか?」
    「かまわん」
     しばし目を瞬かせてデュオは嬉しそうに笑った。
    「んじゃお願いしよっかな」
 
 
 
 
 
     浴室から出ると、先にシャワーを浴びていたデュオは疲れていたのかベッドの上に横になってすやすやと寝息
    をたてていた。
     大きなシャツだけを身につけ、長い髪に包まれて、丸まって眠っている。
     こうして見れば、普通の子どもと変わらないのに、目を覚ませば『死神』となるのだ。
     どんなに明るく振る舞っても、瞳が証明している。自分は闇の者だと。
     どうせ気配に気付いているだろうが、なるべく起こさないように静かに歩み寄る。
     柔らかい髪をすきながら、あどけない寝顔に顔を寄せていく。
    「おまえ、変わったよなー」
     ゆっくり目を開けてデュオが笑った。まだ眠いのか、どこかぼんやりとしている。
    「すげぇ優しくなってんじゃん」
     デュオも片手を伸ばしてヒイロの髪に手をやった。
     硬い髪の感触を楽しむように指を動かす。
    「いいことだよ、それって。大丈夫だ。おまえなら」
     大丈夫? どういうことだ。
     彼は時折こんな言い回しをする。ヒイロを神聖視するような目で。
     言外に、自分は駄目だけれどヒイロは違うと言う。
     どこが違うというのか。平和に馴染めないのは二人同じはずなのに。
     同じガンダムパイロットでもカトルたちは明らかに違う。彼らは平和の中に居場所がある。だがヒイロとデュオ
    にはない。
     戦うために組織に引き入れられた孤児。死ぬと思っていた戦争の中で生き延びてしまって、喜びよりも戸惑い
    のほうが強い。
     行き場を失くした子ども。二人は同じ、はずなのに。
     まだぼんやりとしている彼の瞳にはヒイロが映っている。けれどきっと彼には、ヒイロははっきりと見えては
    いない。
     彼はいつも何かの膜越しにヒイロを見ている。そう思う。
     それに気付いてしまう度に彼を遠く感じる。
     ここにいるのに、ヒイロの瞳ははっきり彼を映しているのに、デュオの心だけが遠い。
    「ヒイロ?」
     悔しげな表情をするヒイロに驚く声ごと、唇で塞いだ。
     角度を変えては奥深く口付け、デュオの舌を絡め取る。
    「んっ…」
     唇を離すと熱い息が漏れる。だがヒイロを見返す瞳に熱さはまったくなかった。
     それに苛立って再び貪るよう口付ける。
     覆い被さるようにデュオに体重を預ける。
     デュオのむき出しの下肢へ触れると身震いしたのがわかり、ヒイロは密かに口端を上げた。
     素足を撫で上げる感覚に、デュオは素直に声を上げる。
    「あ…はっ…」
     首筋を辿り鎖骨を軽く噛む。同時にシャツの裾から手を滑らせ胸元に触れると、デュオは背を反らせた。
    「ん…」
     胸を弄ぶ手を止めることなくあいた方の手でシャツを脱がしていく。
     顕わになった細い身体は、相変わらず力を込めると折れてしまいそうな錯覚を与える。
     とても長い間見ていなかったようで、感慨深く白い肌に唇を寄せる。
     マリーメイアの事件から三ヶ月しか経っていないというのに、何故こんな気持ちになるのだろう。
     ヒイロは目を閉じて温かい胸に頬を押し当てた。腕を背に回し、抱き締める。
     デュオの鼓動。体温。今ここに彼が生きて、いるという証。
     彼の存在を感じ、心から安らぐ自分。
     もうヒイロは自分の心を認めた。彼が自分にとって必要不可欠な存在であることを知った。
     彼が傍にいない日々は、暗く長い道を延々と歩いているようだ。
     腕の中に彼がいる。それだけのことで何処までも強く、何処までも弱くなる。
     これが、自分に欠けていたものなのだと知る。
     だけどデュオは離れていく。あえて孤独を選び、ヒイロの手をはらう。
     何処へでも行けるから、何処へも行かず。
     誰でも愛せるから、誰も愛さない。
     自由なのに、そんなにも。
     走り出せばいいのに、走り出さない。
    「ヒイロ?」
     自分の胸に伏せたまま動かないヒイロを、眠ったと思ったのか、小さな声でデュオが名を呼ぶ。
     決して理解できない互いの本心。
     他人を信頼しないデュオ。自分は信頼して欲しいのに。誰よりもそう願うのに。
     どうすればいい?
     どうすれば信じられる?
     伸び上がって再び口付ける。指をデュオの最奥に潜らせてゆっくり掻き回す。
    「んっ…」
     唇を離すと甘い吐息が漏れる。
     だんだんとほぐれていった彼から指を抜き、代わりに自身をあてがう。
     反射的に身をすくめるデュオの腰を引き寄せ、身体を沈めていく。
    「っや…く…」
     背を反らし、すがるようにヒイロに手を伸ばすデュオ。ヒイロの背に腕を回し、力を込める。
     こんな時の彼は素直にヒイロを必要とする。
     必要とし必要とされること。それがすべて。他には何もない。
     そんな、言葉より早くわかりあえる瞬間は、確かに存在するのに。
     何度も何度も揺さぶりながら、互いに相手をしっかりと抱き締める。
    「ヒイ…ロ…」
    「デュオ…」
     熱い吐息を交わし、互いの名を呼び合って。
     ヒイロはデュオの左手を取り、自分の右手の指と指を絡ませる。
     祈りのような、自分たちには似つかわしくない、もしかすると誰よりも似つかわしい行為。
     どうか、独りで苦しまないで。
     強く握り締める手。
     戦争の中でしか生きられない自分たち。
     世界にたったふたりしかいない二人。
     失くしたもののすべて。
    「ああーっ」
     ヒイロのほとばしりを身奥に感じ、自身を放ってデュオはぐったりと力をなくした。
     何も愛さない彼は、嘘だけを愛し続ける。
 
 
 
 
 
    「デュオ。無視するとか我慢するとか諦めるとかでは、何も生まれない。恐れるな」
     シャツのボタンをとめていたデュオの手が止まる。意外なことを聴いたかのように、少し見開いた瞳が、ヒイロ
    を見つめ返した。
     ベッドで起き上がった状態のまま動かず、ヒイロはデュオから視線を逸らさない。
    「逃げるな。おまえならできるはずだ」
     はっきりと告げる。
     信じることを恐れないで。 
     できるはずだ、おまえなら。
     他人に選ばせた結末より、自分で選んだ結末のほうが、傷も喜びも深い。だからデュオは常に選択権を他人に
    委ねる。だが。
     少なくとも、ガンダムのパイロットになったのは、コロニーのために戦ったのは、自分で選んで進んだ道だった
    はず。だからこそ、コロニーに裏切られた時、あんなに傷付いた。
     あれでもう、懲りたというのだろうか。
    「………」
     デュオの顔から表情が消えた。
     こんな顔をしていたのか。ヒイロはぼんやりと思う。
     まったく感情を表さないその顔は、まるで人形のように静かで綺麗だった。
     これがデュオの本当の顔なのだろう。彼は元々感情の起伏があまりない。感情よりも理性のほうが大きな割合を
    占めていて、合理的に物事を判断する。それを最後にほんの少しの感情をちりばめて行動する。人好きのする明る
    い笑みや言動に騙されてしまいがちだが、デュオの本質は、軽い印象とは裏腹なものだ。ヒイロはそう感じ取って
    いた。
     やがてデュオは、瞳を細めて綺麗に微笑んだ。
    「…ヒイロ。おまえはそれでいい…。そのままでいい」
     ヒイロは強い。心からそう思う。その強さが眩しくて、羨ましくて、…怖い。
     真っ直ぐで、真摯で、いっそ壊したくなるほど純粋で。
     暴かれる気がする。自分がどんなに卑怯な人間かを。
     いや、自分のことなんて、嫌というほどわかっている。
     ヒイロの決して何事にも揺るがない瞳に見つめられると、何もかもさらけだしそうになる。声を上げて叫びたく
    なる。それが怖い。
     自分が自分でなくなりそうで。
     だから、そのままでいて。
     世界がどんなに変わっても、誰もが道を間違えても、おまえだけは。
     少し目を伏せてそのままドアに身体を向ける。
    「デュオ、忘れるな。オレがいる」
     ノブに掛けた手が動きを止めた。
    「オレを信じろ」
     ゆっくりと発せられた声が背に響く。
     自分を信頼してみろと、繰り返される言葉。
     嬉しく感じながらも、後ろめたさがつきまとう。
     他人を信じないくせに、優しくしてほしいと思う浅ましさが、全身を覆っていく。
     心の奥の悲鳴は呟きには出なかった。
    「…ありがとな、ヒイロ…」
     時折、信じてみたくなる。ヒイロを。
     彼は自分のすべてを理解してくれていて、それでも自分を受け容れようとしているのだと。
     こんな自分を愛してくれているのだと、夢をみたくなる。
     夢に身も心も任せれば、楽になれる。甘美な誘惑を感じる。
     けれど、彼は優しいから。
     優しすぎるヒイロは、ただ自分に同情しているだけではないかと、疑う自分が奥底にいる。
     信じたいけど信じきれなくて。
     また少し自分が嫌いになる。
    (変われるかな)
     戦争の中で変わっていったヒイロ。彼のように自分も変われるだろうか?
     彼を見ていれば、変わっていけるだろうか?
     小さくそっと苦笑してノブを回す。
 
     結局、振り返ることはしなかった。
 
 
 
     広がる街並みは、昇り出した朝日に照らされて、幻想的な景色をかもしだしている。
     陽の光と、ドア越しにも背に感じる視線。その温かさが何だか背筋を込み上げてきて。
 
 
        今なら、泣ける気がした。
 
 
 
思い出して きみが
どんな暮らしを どこでしていても
 
僕ときみの命をつなぐ絆は
生きていく 今をこえて
 
すべてを過去に変えて
時代はすぎていくけど
 
裸足のまま 歩いてる
きみを きみを 僕が知ってる
忘れないで この部屋のドアは
いつもあけてある
 
いろんな時がある
幸せな時 急ぎ足の時
 
深い亀裂の底で
見えない空を見上げてる そんな時も
 
やさしくなれなくても
自分を責めなくていい
 
裸足のまま 歩いてる
きみを きみを 僕が知ってる
きみがきみを見捨てても
僕がきみを 抱きしめる
 
言葉はむなしくなる
きみのこと 思い出せば
 
裸足のまま 歩いてる
きみを きみを 僕が知ってる
きみがきみを見捨てても
僕がきみを 抱きしめるから
 
裸足のまま 歩いてる
きみを きみを 僕が知ってる
忘れないで この部屋のドアは
いつもあけてある
 
 
 
 
 
     後書き
       1999年2月に発行した本《F》に掲載した話。これは友人2人と作った合同誌で、「シリアスでH有りで、映画後の
      2人」がノルマ。だったけど…他2人が甘甘派なので、暗黙に「ラブラブ」もノルマだった…(笑)。ラストの歌詞部
      分はマンガにしてました。単に、ドアを背に俯くデュオと、そのドアをじっと見つめるヒイロ。やがて雑踏の中に紛
      れていくデュオを描いただけでしたが。前後1カ月と置かずに本を出していた頃なのですごく雑になってしまい、後々
      みる度に泣きたくなった、という…。しかしトークのイラストはコピーして使い回しまくった(殴)。
       歌詞は谷山浩子さんの[裸足のきみを僕が知ってる]。うちのGW本のタイトルは全部この方の歌から引用。
       今見直しても、全然ノルマをこなせなかったように思えるなー。
 
 
 
 
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