「…はあ?」
すっとんきょうな声を上げて、デュオの思考は停止した。
「うむ。わしの友人から来た話なんじゃが、これ以上ないくらいの良い相手じゃぞ。上手くいけばそれこそお前は幸せになれるじゃろうし、わしも肩の荷が下りるわい」
デュオの驚きなどまったく気にせずに、プロフェッサーGは話を続ける。
平和になった現在、爆発にもまれたにも関わらず生きていた彼は、デュオの実質上の保護者として、戸籍上の祖父となり、一緒に暮らしていた。
そのジジイがいきなり言い出した一言。
見合いせんか?
これに驚かない人間はいないだろう。
やっと我に返ったデュオは、まず大きく息を吐いて、老人に向き直る。
「…ちょっと待てよ。オレが何歳かわかってるか?」
「バカにするな。もうすぐ19じゃろうが」
「そう。まだ10代。んでもって大学生なの。勉学に励むお年頃。それが何で…」
はっきり言ってデュオは自分の容姿に自信があった。生きるためにそれを利用したこともあったし、一般人として学生生活を送っている今も、BFには不自由していないつもりだ。確かに、恋愛関係になっている恋人はいないけれど、まだ若いのだから見合いなどは必要ないと思うのだが…。
「いや、わしももう長くはないからのう。死ぬ前に曾孫の顔を見たくてな」
「アホか、ジジイ! てめえみたいなタイプは嫌というほど生きるって決まってんだよ! ざけたことぬかしやがって、どうせ暇つぶしに面白がっているだけだろが!」
「わかっとるなら話は早い。ほれ、これが写真じゃ」
憤慨して殺意まで覚えるデュオであったが、マイペースな老人に脱力する。
どうせこのジーさんは、オレの意見なんて聞きゃあしない。
怒ったところで無駄な力を使うだけだと、長年の経験でデュオもよ〜くわかっていた。もはやそれは、諦めの境地に達しているかもしれない。
(成人したら、殺してやる)
戦争が終わって人を殺すことは止めたはずだが、この老人に関しては別だった。保護者を必要とせずに自立できる年齢になったら、何が何でもこのジーさんとは関わりたくないと、デュオは切実に思っていた。
今までどんな嫌な目にあったことか。思い出したくもない。
とりあえず溜め息を吐いて心を落ち着かせ、出された写真に目をやると。
「!!!!」
今回こそデュオの目が点になった。
「ヒ…、ヒイロじゃねーかー!」
そこに写っていたのは、かつて戦場を共にした仲間の一人であった。
過ぎた年月の分、成長して大人びた顔つきになっているが、見間違えることはない。
ヒイロ・ユイ。
英雄のコードネームを使用していた少年。そしてガンダムパイロットの中でただ一人、デュオが女であることを知っていた人物。
「その通り。まったく知らん相手というわけでもないから不安はなかろう?」
愉快そうに笑う老人に、顔がひきつる。
何が友人だ。ドクターJのことではないか。これは絶対老人二人が遊んでいるに決まっている。
「オレらをたちの悪い遊びに巻き込むんじゃねー!」
デュオの叫びもむなしく、数日後、デュオは無理矢理L1コロニーに連れて来られていた。
チーン。
頭の中で鐘の音が暗く響いている気がする。
なんで自分はここにいるのだろう。
考えても今更仕方がないが、デュオの気分は重かった。
朝起きたところでいきなりタクシーに連れ込まれ、それからシャトルに乗せられ、着いたホテルで数人の女性に拉致されたかと思うと、ドレスやアクセサリーを付けられ、化粧されて髪まで整えられてしまった。すべてが恐ろしいほどの早業で、茫然としている間に見合い会場の部屋にいる。
自分の正面に感じる気配はおそらくヒイロであろうが、顔を上げる気にもなれない。
隣の老人連中は、世間話に花を咲かせていた。
「そろそろわしらは席を外すとするかのう。ヒイロ、上手くやるんじゃぞ」
「………」
椅子から立ち上がった二人を、ヒイロが睨んでいることが気配でわかった。
「じゃあ、後でな。デュオ」
「…そのままこの世からもいなくなってくれ〜」
思わず本心が出たデュオだが、責めることはできないだろう。
面白そうに笑いながら出ていくジジイどもの背中にナイフを投げたい衝動を必死で抑える。
気配が完全に感じられないほど遠くまでドクターたちが離れた頃、ヒイロが安堵したように溜め息を吐いた。
(こいつも苦労してんだろうな…)
デュオは心の中で同情した。自分と同じように、ヒイロはドクターJの保護下にいるはず。疫病神と一緒に生活するなんて、心労は耐えることはあるまい。
「デュオ」
声変わりしたのか、記憶にある声よりも低い声が呼んだ。
デュオはゆっくり顔を上げる。
「…!」
写真にあったとおりの顔。それがデュオと向き合った途端、驚きを浮かべた。
「ヒイロ?」
訳がわからず首を傾げるデュオに、ヒイロは見覚えのある無表情に戻す。
不思議に思いつつも、デュオは久しぶりに逢うヒイロの顔をまじまじと見つめた。
あいかわらずキツイ目は、瞳が少々穏やかになったかもしれない。顔つきも精悍さを増し、少年は青年へと変貌していた。座っている今でさえ、デュオが見上げる位置に顔があるということは、身長も大分伸びたのだろう。デュオはほとんど伸びていないというのに。
これは街を歩けば女性の注目を浴びるのは間違いないだろうと思えるほどの美形だった。
やはり写真と実物は違うと考えていると、ヒイロがじっと自分を見つめ続けていることに気付いた。
「あ…。久しぶりだな、ヒイロ。プリベンターに5人全員が呼ばれた時以来か?」
「ああ」
何故か空気に居心地の悪さを感じ、デュオは焦るように口を動かす。
「お前のことだから、元気だったんだろうけど、今は何してんだ? お嬢さんのボディガード? そういやお前って学校好きだったよな。学生やってんのか?」
「いや。大学はとうに卒業して、研究所で働いている。…聞いてないのか?」
「全然。だっていきなり『見合いしろ』って言われて、驚いているうちに連行されたもん」
「………」
ヒイロが大きく溜め息を吐く。
「おまえも大変だよなー。わかるぜ、気持ちは。あのジジイども、人を振り回して楽しみやがって」
「…違う」
「え?何?」
ヒイロの呟きは小さかったのでよく聞こえなかった。聞き返してもヒイロは何も言わない。
じっと、ただデュオを見つめるだけで。
「? 何? あ、もしかしてオレの格好、どっか変?何か付いてる?」
穴が開きそうなほど見られるものだから、デュオは不審に思って自分の格好をチェックする。自分にこの格好をさせた女性たちはプロだったようだが、あれだけ急いで行われたのなら、少しは誤りもあるかもしれない。
「いや…。よく似合っている」
「そう?」
いまいち信じられず、ヒイロを見やると、やけに真剣な顔があった。
「ああ。…綺麗だ」
そして出たのは、聞いたこともないような言葉で。
「…お前も変わったんだなー。お世辞なんか言うようになってさ」
こいつ、実は別人じゃないのか、と心中でひきつった笑みを浮かべる。
ヒイロは目を細めて、それこそ見たことないような穏やかな表情をして言った。
「お世辞じゃない。綺麗になった…本当に…」
どきり、とした。
こんな笑顔見たことない。
(こいつ…むちゃくちゃかっこよくなってないか?)
デュオは早鐘を打つ、自分の心臓に叱咤をかける。
「あ…ありがと」
それ以上ヒイロの顔を見てられなくて、デュオは俯いた。
何気なく、視線を泳がしていると、外の様子が目に入る。
「あ。雪」
白い雪がゆっくりと降っていた。
「ああ。そう言えば今日は雪だと言っていたな」
ヒイロは端的に告げる。コロニーの天気はすべてコントロールされた人工のものであるので、予報が外れることはない。
デュオは立ち上がって、ホテルの庭に通じるドアを抜け、外に出た。
ヒイロもその後を追うと、庭の真ん中で彼女は静かに空を見上げている。
「風邪を引くぞ」
「平気。これくらい大丈夫だよ」
落ちてくる雪を手で受け止めるような仕草をして、デュオは見上げ続ける。
ヒイロはそれ以上は何も言わず、デュオの隣に立っていた。そのことがなんとなく嬉しくて、雪を見つめたまま訊ねてみた。
「なあ、ヒイロ。お前、雪は好き?」
「いや…」
雪は嫌いだ。嫌な記憶を思い出させるから。
雪の中を、冷たくなった子犬を抱いて歩いた。自分が奪ってしまった小さな命。それを丘の上に埋めた後、花の上に白い雪が積もっていくのを、ぼんやりと見ていた。
「…そうか。オレは結構好きだぜ?」
苦笑して、話を続ける。
「オレ、ガキの頃、短い間だったけど、教会に世話になってたんだ。そのコロニーは貧しくて、オレたちが住んでいる区画には水道も電気も満足に通じてなくてさー。飲料水を得るのがやっとで、たまに雨や雪が降ると、その水を集めて洗濯とかしていた。だから雨や雪は好きだった。特に雪はさ、屋根に上がって積もった雪を下ろすだろ?そこからコロニーを眺めたら、何処も真っ白に染まってんだ。その中で、オレのように屋根に上がって雪下ろしをしている人たちがちらほら見えて。みんなどこか楽しそうに作業してんだよ。連合の奴らも、コロニーの人間も、大人も子どもも、みーんな」
いつもの憎しみとか怒りとか、そんなものは何処かに消えていて、まるで汚いものは全部雪が消してくれたようだった。
「…なんか、さ。嬉しかった」
だから、雪はけっして嫌いじゃない。冷たくても、あの柔らかな感触はきっと、肌に感じたものだけじゃない。
もうあの教会は無くなって、あの景色を再び見ることは叶わないけれど、大切な時間だった。
「デュオ、来い」
「え?」
ヒイロがデュオの手を掴んで室内に向かった。そのまま廊下に出てエレベーターに乗って、最上階のボタンを押す。
ヒイロはいつも無言で何かをやりだす。こんなところは変わってないなと苦笑していると、ヒイロがデュオに向き直った。
「あ、サンキュ…」
デュオの髪や肩に積もっていた雪を、ヒイロがそっと取り払った。それが、まるで壊れ物を扱うような優しさで、デュオはまた戸惑ってしまう。
最上階に止まると、再びヒイロに手を引かれる。ある部屋の前で立ち止まったヒイロはポケットからカードキーを出し、ロックを開けてデュオを中に入れた。
「すげー!」
部屋に入った途端、デュオは感嘆の声を上げた。全面ガラスになっている窓からは、白銀の世界が一望できた。キラキラと白く輝く街並みは、まるで見たこともないような、あの日見たような、そんな光景。
「ありがとな、ヒイロ」
振り返って、満面の笑顔で感謝する。ヒイロは自分にこれを見せたくて連れてきてくれたのだ。
彼はいつもデュオに見たいものを見せてくれているように思う。
自分にはなれなかった、まっすぐで純粋な意志とか。綺麗な地球の海の色とか。平和な世界とか。
暗いだけではない、未来とか。
「デュオ。お前が好きだ」
「え」
唐突に告げられた言葉に、時が止まる。
気付いたときには、力強い腕に抱き締められていた。
「ヒイロ…」
「お前は、もう独りじゃない」
デュオは目を見開く。
ヒイロはわかってくれていた。
平和な世界に馴れない、孤独なデュオのことを。
かといって、裏の世界に戻ることもできなかった、居場所のないデュオのことを。
汚れない獣には戻れない世界でも、いびつなものしかこの手に生み出せないとしても。
それでも、前に進むしかないのだと、彼は言う。自分が一緒にいるから、恐れるな、と。
「ヒイロ…」
「幸せにしてやる」
だから、もう苦しむなと、囁く声が胸に染み渡る。
「…どうしよう…。オレ、今めちゃくちゃ嬉しい」
泣きそうになって、ヒイロの胸に顔を埋める。
思い出した。自分はヒイロが好きだったのだ。
けれど出逢ったのが戦争の中であったから。
平和な世界になった今、もう二度と逢うこともないだろうからと、自分で気持ちを心の奥深くに封印して、忘れようとしていた。
抑え込んでいた気持ちが、堰を切ってあふれ出してきて、収拾がつかない。
「デュオ」
促されて顔を上げると、温かい唇が下りてくる。
窓の外には、二人を祝福するように、天使の羽根が舞い降り続けていた。
END
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