疾風怒濤の五日間

岡山映画祭2000 日記


映画祭も終盤となった11/29から最終日の12/03への五日間は、それはそれは刺激的な日々で、家にも帰れずカプセルホテルで過ごすスタッフや、駐車場の車の中で仮眠をとっては再び参加するスタッフなど、尋常ではないハレの世界でありました。

そんな魅惑の日々を、睡魔と闘いつつデジタルカメラでとらえた貴重な記録をぜひ。


11/29

今日からの三日間は、商店街の中の貸しホールを使っての、連続上映。

本日の上映は「A」と「科学者として」の二本。

貸しホールといっても、ここは少し前まで映画館として、ちゃんと上映をしていたところで(涙)最初からスクリーンや座席の設営がしてあるところが○です。若手のスタッフが素っ気無い入り口付近に布を張り、なんとも味のある「岡山映画祭」の垂れ幕を垂らすと、見なれない映画館の出現に道行く人たちも「なんじゃこりゃ」と立ち止まり、注目度は抜群。

そもそも、この辺りは「千日前」といって、映画館がずらりと並んでいた場所なんだけど、劇場は20年前の半分に減った上、上映期間中に、この向かいにある老舗の映画館が閉館してしまったり(また涙)で、映画を取り巻く環境は相変わらずきびしいわけです。でも、今回は商店街のおっちゃんたちも「映画をやるんなら」と色々と協力してくれたわけで、「千日前」の心意気ここにあり。

中はこんな感じ。ねっ、しっかり映画館でしょ。

ところが、いかんせん閉館して時間が経ってるためか座席からうっすら漂うカビの匂いと、もともと「にっかつ」の映画を上映してたので、あの独特の匂いが入り交じって、最初、女性スタッフには不評。彼女達の買ってきた消臭スプレーの匂いとの三つどもえは暫く消えることは無く・・・。

そんな声をモノともせず、上映担当の小林さんはほくそえみ・・・。だって、今日は彼がどうしてもやりたかった「A」の上映日だもんね。彼はあの太っ腹企画「持ち込み映画祭」のチーフでもあり、映画に対する思い入れも半端じゃありません。

でも、この記念撮影はまずいでしょ。やっぱり・・。

「いいのいいの」(小林)

そんな、小林青年と「持ち込み映画祭」についてはここをclick

ロビーは、ちょっとしたギャラリー風に飾り付けられつつ、外は夕暮れと共にライトアップされ、時々垂れ幕の後ろの白い幕には映画祭のプロモーションやらが映されたりで、アイデア満載のHIPな感じ。こんな映画館があったらちょっと寄りたくなりません?

一方、上映会場は、いよいよラストの「A」を巡るディスカッションへと向かってやや過熱気味。夜も遅いと言うのに会場には熱心な観客多数。どうなる小林青年。

この続きは(「A」ディスカッション報告)ここをclick

そして、千日前の夜は更けていくのでありました・・・。


11/30

本日も「A」と「科学者として」の上映なんですが、ごめんなさい。私、この日にどうしても会場入りできませんでしたので、本田さんのトークもうかがえませんでした。

でも御心配なく、ちゃんと本田監督に「科学者として」についてインタビューをして参りましたので、当日聞けなかった方、また映画を御覧になっていなくても、十分に伝わる内容ですから、ぜひお読み下さい。

本田監督へのインタビューはここをclick

国立感染症研究所細菌部主任研究官 新井秀雄氏の処分撤回を求める抗議行動

「科学者として」の愛すべきオヤジ、新井さんに感染研が厳重注意書を出したと言う知らせが本田さんよりありました。詳細は上の青い部分をclick


12/01

本日は「科学者として」と「百年の絶唱」の上映日。本田さんには全日程に渡り足を運んでいただいて感謝感謝であります。アンケートも観客の殆どの人が熱心に書いてくださいまして、これまた感謝感謝なのです。

さて、夕方からは「百年の絶唱」の井土さんも到着。本田さんと井土さんは大学の先輩後輩なので、何やら二人で盛り上がり。その間も私は映写の準備のためあたふたあたふたで、とても写真をとる暇などありませぬ。なにせ「世界初公開」のニュープリント16ミリバージョンということで極度の緊張緊張緊張緊張緊張・・・・

そのうえ、フィルムが届いたのは直前とあって、ぶっつけ本番の上映。

ああっ音が聞き取りにくい・・・・・・・ごめんなさい井土さん。

その後のトークでは、にこやかな井土さんですが、やっぱり怒ってたんだろうな。でも、満員だったし、妙に高校生の女の子達が多かったりしたから、機嫌直ったのかな?えっ、そんな問題じゃない?そうですね。ほんとにごめんなさい。

「百年の絶唱」は前半部分がなんだか「にっかつロマンポルノ」の雰囲気が色濃くて、「そういえばこの劇場でこういう映画よく見たよな」と懐かしさにちょっとしんみり。井土さんもきっと「ロマンポルノ」好きだったんだろうな。今夜聞いてみよう。

ということで、上映後は皆で飲み会。あと二日。どうする映画祭。


12/02

本日の上映は「極私的エロス・恋歌1974」と「好きなんやこの町が2」オリエント美術館ホールにて。

「極私的エロス」も16ミリなので、写真そっちのけで映写室にこもりきり。

フィルムが年代物で結構ドキドキの上映をしている途中に、「好きなんや」の三好さんが遅れるとの連絡があり、ということはここでは上映できないということで、(美術館は時間にシビアです)スタッフは急遽他の会場捜しに走ります。不幸中の幸いは「好きなんや」が完成記念試写ということであまり告知をしてなかったこと。でも、それだって、前回の映画祭で「1」を上映した時に三好さんが「次回の映画祭には第2作を持ってきます」という約束を守ってくれて、数日前にできたばかりの映画を「この映画祭で・・」ということだったわけで、ここでも映画人の心意気。義理と人情の岡山映画祭なのであります。

でも、私は機材の撤収で独り寂しく・・・。写真なし。

さて、その後は「新しい神様」の土屋さんと雨宮さんをゲストにディスカッション。

でも、映画の上映は明日なので、ふたりとも何をどう話していいのかちょっと困惑気味。それでも、「映画との距離」とか「個と公論」「帰属するモノと拒絶するモノ」などのテーマが問いかけられるとしだいにヒートアップするふたりです。

ところで、上の写真には、この後のふたりの行動を暗示するものがあります。それは何でしょう?

それはともかく、このディスカッションで語られたことは、実はこれからの「映画」を撮るものにとって本質的な事柄、つまりは個人が(集団に属さないで)映画を撮ることの可能性と現地点での限界とをしっかりとあぶり出してくれて凄く刺激的なのでした。その内容は公開してもいいかな?監督OK下さい。

で、スタッフ皆とお食事会のあと、処凛さんが「カラオケ行きたい!!!」と言うので、元気のいいスタッフたちと総勢8名でくり出します。そういえば、さっきのディスカッションで使ったマイクはカラオケ用だったよなぁ・・・それがまずかったかなぁと思いきや、「岡山来たらカラオケ行こうと決めてた」という処凛さんと「今日がカラオケデビューなんです」という土屋さん・・・店の階段を上がった時が23.00過ぎ。うーん、明日も準備は早いのよ・・・。

処凛さんの歌声は、映画では怒鳴ってばかりだったけど、実際聞くと工藤静香風ちょっぴりハスキーのいい感じ。デビューの筈の土屋さんも妙に味のある声でチェッカーズをやってます。そして最後はふたりで「銀座の恋の物語」を歌うという、まさに「物語」にこだわる岡山映画祭にふさわしい選曲でめでたしめでたし。ところが既に深夜2.00。駅前のカプセルホテルに泊まる決心をしたスタッフ若干名。

どうする映画祭?


12/03

とうとう映画祭最終日。上映は「シアワセの記号」と「新しい神様」 県立美術館ホールにて。

殆ど寝ていない私は直前まで上映の準備にもうへろへろ。

一方、今日も元気な土屋さんと処凛さん。ううっおそるぺし。

会場も、二人が来るということで若い人中心にほぼ満席状態。美術館のホールという環境で音響は抜群だし、映画祭直前に発売されたプロジェクターは小型のくせしてやたらと明るくて、これならビデオで撮った映画も大スクリーンに負けることなく上映できます。「そのうち映画はメディアに依存しなくなるよ」と映画祭98で原将人さんが言ったことが現実になりつつありますね。

そして、岡山映画祭ゆかりのもう一人の原さん、原一男さんも到着。所謂「スーパーヒーローシリーズ」も一段落して、現在は初の劇映画「またの日の知華」を撮影中。今回はその経過報告ということで、パイロット版のビデオも上映。今までの原さんの映画を見てきた者としては、ちょっと異質な感じがあって完成がまたしても楽しみになりました。第一部の知華を演じる吉本多香美さんは必見です。

そして、いよいよクロージングのシンポジウムへと・・・。

会場が少し離れているので皆さん"徒歩より詣でける"であります。映画祭多しと言えども、「監督、すみません商店街を歩いて移動して下さい」と頼む太っ腹(とは言わない?)映画祭も岡山映画祭くらいでしょうか。

知らぬ間に街はクリスマスの飾り付けがされていてびっくり。始まった11/03から早や一か月とはいえ、いつこんな電飾が・・・と、良く考えたらここのところ昼間に会場に入り、深夜に会場を出るというパターンが続いていて、すっかり街の変化に取り残されていた私です。

一方会場では、じわじわと人も集まり始め、監督たちの登場を待っております。そもそも、この会場は岡山市が「感動産業を育てる」と銘打ち作った劇場のニ階部分で、この日も下では吉本興業のタレントさんたちが熱演中。でもどうして感動産業が映画じゃなくてお笑いなの?とはここで言ってはいけません。

さて、シンポジウムがはじまりました。テーマは「私たちの物語を求めて」。こういう抽象的なテーマでのシンポジウムって恐いんだけどなぁ。ほらだんだんと話が難しく・・・と思っていたら、さすが原さん年の功。ちゃんと具体的な話から起動修正して、現実に監督の直面している問題意識とか、自作に込められた思いとかが披露されると、他の監督からも次々に・・・

本田さんは、時代のキーワードに「つながるか、つながらないか」ということを挙げた上で、「個々を描くよりも様々な人々を描くことが物語へと通じる」と述べ、井土さんは、「HISTERIC」を例に、「自分の怒りや閉息感を向けるべき敵が見えない時代に、自分にとってイレギュラー感を引き起こすモノがあれば、それを作る戯作者でありたい」と語り、土屋さんは「僕からしか始まらないものを伝えるというか、一番言えるものが映画だから」と個人での映画に固執しながら作り続けるという立場を表明したりで、それぞれの物語としての映画への関わりを明確に述べて頂きました。

確かに、時代と格闘するのが映画だし、それに面と向かって対峙するのが表現するものの責任だとしたら、ここでの力強い決意表明は、おそらく2年後の映画祭で、状況がどう変化しても、また再び様々に表現された物語たちと出会うことができるという確信を与えてくれました。

同時にそれは、まさに「新しい物語」の始まりに違いないと思うのです。

さてさて、シンポジウムの後は、監督を囲んでのさよならパーティでございます。

思い思いの場所で「映画」をめぐる冒険がまた始まり、きっと私たちはいつかそれらに巡り会うことでしょう。デジタルの進歩は「映画」にとって更なる可能性を引き出し、そんな中から「新しい神様」や「科学者として」は生まれ、一方、フィルムにこだわり、フィクションにこだわることで「百年の絶唱」や「またの日の知華」は生まれてきたのです。形は変わっていくとしても、そこにあるスピリットはきっと変わることなく、新しい世紀の映画たちは私たちの前に新しい物語を投げかけてくる・・・

確かに、かつてのような「大きな物語」は終わったのかもしれない。そして今は、井土さんが言うように「底の見えない穴の上に、各自が吊るされているような時代」かもしれない。でも、映画という剣があればもうすこしだけ生きてみようと思えるんじゃないか・・・。そんな風な気がします。格好よすぎる?でもホントだよ。

夜10.00。全てのイベントを終えて、スタッフと監督さんたちとの記念写真。疾風怒濤の五日間はこうして終わりました。「ふぅ、やっとゆっくり寝られるわ」と私。

「それじゃこれから第一次打ち上げに突入します」と悪魔のささやき。

店を出たのは、今日も2.00。進歩はないのか映画祭!!

おしまい


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