第4章結局、近所の肥育牧場が一番参考になった ぶらぶらしながらも、借金の手続きや、田んぼに牛舎を建てるための行政上の手続きなどもしていました。平成5年2月に全部の書類を提出して、4月に許可がでました。5月に建築を始めて、7月には新スタートするといった超スピードでした。そして完成させた牛舎は、実は、全国各地を見て歩いて参考にしたものではなかったのです。どこか一部を取り入れたというものでもありません。 私は各地を見て回ったとき、ああしよう、こうしようという考えをまったく持っていませんでした。むしろ、ミルキングパーラーにしても、200〜300頭を搾乳するならばいざしらず、60〜70頭を搾乳するのにはたして大仕掛けなミルキングパーラーが必要かどうか、というような疑問を持ちながら見て歩きました。 フリーストールで管理する場合、一般的には、搾乳作業除糞作業給飼作業という三つの作業が一時に重なってしまいます。頭数がたくさんいて、それぞれの部署にそれぞれ担当者がつくのならば良いのですが、私の場合は一人ですべてをこなすことを考えていたので、それは無理なのです。 結局、一番参考になったのは、うちから1時間ほどのところにある肥育牧場でした。家族経営で2000頭くらい肥育している牧場です。そこの社長さんの話を聞いていると、「なるほど肥育屋さんは頭数を飼うこと、糞を処理することをよく知っている」と感心させられたのです。エサのやり方、エサの調達の仕方なども、肥育屋さんのほうが酪農家よりもずっと進んでいると思いました。 私自身もそうなのですが、酪農家というのはある部分ではプロ顔負けの“こだわり”を持っています。ところが全体的なバランスのなかでみると、非常にアンバランスになっていることが往々にしてあるのです。そのあたりを肥育屋さんに教わったような気がしました。そんなわけで、結局うちの牛舎は、肥育牧場がパーラーをつけたような設計になりました(図2)。全国各地を見て歩いたのですが、一番参考になったのは、実はうちから1時間ほどの肥育牧場だったという皮肉な話です。
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