1998年夏
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ヨーロッパ旅行記
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その1 大金をなげうって旅行に参加したわけ
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私が「川田龍平と人権アクティビストの会」主催のヨーロッパ人権の旅 に参加したのは、すべて娘の通う高校の校長先生のお陰である。 思い起こせば半年前の12月、娘の高校の体育館で講演会があった。講師は、薬害エイズ裁判で知られる川田悦子さんだった。とにかくかつてこれほど感動したことはないというくらい、すばらしい講演会だった。3拍子そろっていた。 その1、話の内容がすごい。事実は小説より奇なり。 その2、講師の話し方がうまい。発声、抑揚、データー暗記、魅力的。 その3、前後の学校側の話がへたすぎたのでひきたった。 校長先生のお礼の挨拶がまずかった。講演をよく聴いていたものにはわかっただろう、彼が講演をちっとも聴かずに居眠りでもしていたことが。彼の言ったことは、川田悦子さんが講演の中で特に力を入れて言っていたことと矛盾した。 「龍平君は不幸にも血友病にかかり、これまた不幸にもエイズという悪い病気にかかられました。お母さんは貴重な体験をされ・・・強い母です。君たちは健康なんだから、もっとがんばらなければ・・・・」 悦子さんは講演を終えてひっこんでいたのに、わざわざもう一度舞台に出てきて、自分は強い人間ではないし、病気が悪いのではなく、薬害は人為的で、なるべくして病気になったから問題なのです、と訴えた。私は「すみませんねえ。」と心でつぶやきながら小さくなって聞いた。 家に帰ると娘は、「私、校長をかえて欲しい!!!と思ったよ、今日ばかりは。」と言う。「そうだ、そうだ!!」と普段はあまり意見の一致をみない思春期と思秋期が、この夜ばかりは盛り上がった。そして私は講演会の資料の中にあった、「薬害エイズとたたかう龍平君を支える会」の住所に手紙を書いた。それには、私と娘の講演会の感想とおわびをしたため、カンパとその会の会費を同封し入会の手続きをとった。 それからまたたくまに数ヶ月たった。大学生の上の娘が夏休みにアメリカの叔母(私の妹)のところに行くためパスポートを作るというので、車に乗せて連れて行くついでに、私のパスポートも切れていたので更新することにした。 「お母さん、どこか海外へ行くあてあるの?」「今のところないわ。アメリカも2回行ったし、今度は歴史のあるヨーロッパに行きたいな。でもいつになるやら。」そんな話をしながら帰ってきた。家の郵便受けに何か来ていたのを、娘が取って見ていた。 「あんたー、これでも行ったら?」そのとき娘が差し出したのが、この「ヨーロッパ人権の旅」のご案内だったのである。一目見て、ただの観光でないところが気に入った。 ありがとう、校長先生、ありがとうパスポート、ありがとう娘のそのひとこと!!!!!!!!!!!!!!
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つづく
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8月下旬の9日間のヨーロッパ旅行、思いを共感できる同行者がほしい、と友人たちを誘ってみるが・・・・。費用もずばぬけて高いのだ。また全国から集まる参加者はどんなひとたちか。川田龍平君や悦子さんも行くのだろうか?次回をおたのしみに。 |
旅行記 その2 | スウェーデンから |