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「ウオ−」という怒濤にも似た喚声のなか、一対二本の宝木は境内を埋めつくした9000人の裸群のなかに投下され壮絶な宝木の争奪戦が今年も2月17日に展開された。
当日の西大寺は参加する裸達や見物人が岡山県はもとより、中国・四国地方をはじめ遠くは大阪や名古屋などからも多く詰めかけ大変な賑わいを見せます。
地元の私たちにとっても年間を通じての最大のイベントであることから、その日は朝から、準備に大忙しである。私たちのグループが毎年参加するOさんの自宅では、草野球チームのメンバ−や知人などを中心に毎年40名以上の仲間が参加する為に、奥さんは食事の準備にてんてこ舞いの状態で私の女房もその手伝いに追われています。
準備も一段落した夕方ごろからは、参加メンバ−が一人ふたりと集まってきます。「久しぶり」「1年振り」が大体のあいさつですが、そこは気心しれた仲、去年の「裸まつり」や世間話に話がはずみます。
その内、会陽花火が冬空に打ち上げられ祭気分を盛り上げてくれます。花火が終わるころともなると、40名以上の参加者が集まり、いよいよ「さらし」を巻き「ふんどし」姿になります。使用した「さらし」を、腹おびにすると丈夫な子供が授かると言われることから新婚さんや、奥さんが妊娠している若い旦那は、それを願いながら巻いて参加します。
しっかりと巻かれたさらしの感触は何とも表現できないもので、この時こそ自分が男であることの喜びを改めて認識させてくれます。
<この写真は、1986(S61)年に田中さんが所属するグループの岡本さん(写真中央)が宝木を取ったときのものだそうです。右から2番めが田中さん。(shimotsu)>いよいよ西大寺の境内へ向かいます。入り口となっている仁王門前の商店街は、至る所から集まってくる「裸の群れ」と観客、それに警備のための機動隊や消防団でごった返しています。どこからともなく沸き上がる「ワッショイ」「ワッショイ」の掛け声でいやおうなく興奮し、体が火照っていく自分を感じます。
ここ数年、「暴力のない健全な会陽の推進」という観点から入れ墨の禁止、足袋または裸足での参加が前提であることから、その為のチェックも入念に行われその上で境内へと進むことが出来ます。
仁王門をくぐり境内へはいっていくと、すでに本堂前の床上には、溢れんばかりの裸が、また下の境内では石段を囲む様に裸の群れがいます。「御福頂戴」の横幕を先頭に今年の祝い主であるJA岡山の裸群が水取り場から凍えながら出てきています。
我々も、それを横目にお清めの為に「水取り場」へ進みます。水取り場は吉井川と繋がっており、凍りつく様な冷たい水が満たされています。その中に入るとこれまでの火照っていた体が急冷され、まるで夢からさめて現実の世界へ戻った様な、錯覚を覚えるくらいの感覚を与えてくれます。この冷たさが、自分や家族が今年1年間無事で過ごすことが出来る為の試練であると考えており、毎年参加するのもこの為かもしれません。
いよいよ我々も宝木が投下される御福窓のある本堂の床の上に入って行きます。既に床の上には、都会の通勤ラッシュどころではない程の人で一杯です。爪先をたてるのが精一杯で、足のかがとを床につけるのもなかなか出来ません。その内、肌と肌の摩擦から皮膚が痛く感じる様になります。係の人がかけてくれる水が心地よく感じます。「ワッショイ」「ワッショイ」掛け声の大合唱とともに、床上を東西に南北に自分の意識に係わらず大きく揺れています。「痛い。痛い。」その揺れによって圧迫されて潰れそうにもなりますが、数秒間我慢すると圧迫感から開放されます。この様なやりとりが正に人生の修行に似ているのかも知れません。
係の人が後3分と指で合図をしてくれています。「もうすぐだ」と思いつつうねりに身をまかせていると、私の周りには、同じグループの顔が見えます。「大丈夫か」と尋ね、自分を励ましながら宝木投下を待ちます。
急にライトが消え真っ暗となりました。宝木投下です。宝木の削り屑を束ねたものといわれる「くしご」が蒔かれています。手の先にあたるのですがつかむことは出来ません。カメラのフラッシュがあちらこちらで光っています。その中を分解写真のように白い包みが飛んでいます。それこそ真に宝木です。宝木は私の上を越して南側に落ちました。その落ちたところに大きな人の渦ができています。何重にも重なってなかなか中心まで辿り着くことは出来ません。香の臭いがどこからともなくしてきます。「あるぞ!」渦の中心付近にいる人が叫んでいます。その間に渦は床上から境内に移動し、仁王門のあたりへ向かっています。境内にいた人も一緒になりその渦は大きなものとなっています。渦は止まることなく警備の人垣をこして外に出る勢いです。警備の消防団が必死で静止しようとしていますが、それでも外になだれ出てしまい,観客までも巻き添えにしてしまいました。「人が倒れているぞ。起こしてやれ。押すな。」などいたるところで叫んでいます。やっとその人を助け出したときは既に宝木は見当たりませんでした。
場内アナウンスで宝木は場外で出た模様です。との放送で今年の「裸まつり」の終わりを察知し、怒涛の喚声の余韻を残し、冷たい足をひきずりながら寒さに耐えつつ、今年一年の家内安全を信じつつ観音院を後にします。
<田中さんは、西大寺会陽(はだか祭り)の他、岡山近辺の会陽にも参加されています。写真は、1995(H7)年に金山寺の会陽で田中さんが所属するグループの岡崎さん(中段右から4番め)が宝木を取って、精進料理に招待されたときのものだそうです。最後列右から3番めが田中さん。(shimotsu)>出発したoさんの自宅では、メンバ−全員が集まり打ち上げ会が開催されます。昼間に作っていただいた手料理を肴に「裸まつり」のことなど思い思いに語ります。空がうっす らと明ける頃にまたの再開を誓い合って家路につきます。
この裸まつりは、1年間の厄払いと私は思っています。これから先いつまで参加できるかわかりませんが、可能な限り出たいと考えています。(2001/02 田中敏郎)