難治性疾患(難病)・希少疾患について
    一緒に考えて下さい

 

 

難治性疾患・希少疾患について考えるページです。
わが子が生まれたとき、想像もしていなかった今の状態…

元気にすくすくと育ってほしい… 平凡だけどわが子の幸せを願う…

そんな小さな願いに陰りを感じる出来事が次々に起こった

まさかわが子が…

まさかそんなことが…

何度も何度も聞き直した病名…

聞いたこともない 主治医さえも実態のつかめない疾患と向き合う事に 

なったときから 感じる疑問…

難病ってなんだろう… 

難病疾患にも認められない希少疾患患者とその家族として 多くの事

に対して感じた矛盾…

病気に対しての不安 制度の事 医療費負担のこと…

個々ではどうにも出来ない壁にぶつかり 孤独を感じる事も多かった

ただただ 涙するしかできない歯がゆさや悔しさ

それでも だまってそこにとどまっているわけにはいかないのです

親として…

たとえどんな病気があったとしても 幸せで安心して暮らせる未来への

道を開いてやりたいと思うのです

難治性疾患・希少疾患について 一緒に考えてくださいませんか…

多方面からの力をお貸し下さい…

我が家の次男まあちゃんは難病・希少疾患患者です

     2007年1月にLoeys Dietz症候群と診断をされました

   Loeys Dietz症候群についてのページです

   出生時からの記録です 

伝えたい思い

小児慢性特定疾患という制度がまあちゃんを支えてくれました
低身長の成長ホルモン治療の公的助成、
そして その後の思いもしなかった病気と共に生きる事になったときも
この制度がまあちゃんの病状を見守ってくれました

医療費の助成をして頂けることで安心して治療が受けられる…
それがどんなに心強い事か…

病気と共に生きる為には 適切な医療を受ける事が不可欠になります
命を繋ぐために必要な医療を受けるためには 医療費が発生します
その部分を支援してくれていたのが 小児慢性特定疾患という制度
でした

ただ この制度は20歳までに限られます
20歳のお誕生日の前日 この支援は消えてなくなってしまいます

その後 移行できる医療費支援がある場合が多く 大半の方は形を
変えた助成を受けることが出来ています

でも まあちゃんのように移行できる制度がない場合は お誕生日の
日から3割負担が発生します
20歳まで 国が認めてくれていた支援のおかげで守られていた命…
20歳の誕生日という1日を境にしてその制度は消えてなくなってしま
います

どうしてなのでしょうか…
小児…という制度の名前だからなのでしょうか…

人が生きていく中で 命の区切りはないと私は思っています
必要な支援は その子が生きている間は必要なのです
20歳になったから この制度は終わり…と言うのであれば そこから
先…成人してからの継続支援への切り替えを強く強く要望します

まあちゃんはこの思いを 議員の方を通じて厚生労働省の方へ届け
て頂くように要望書を提出しました
親の名前ではなく 自分の名前で…
自分の事だけではなく 同じ病気や同じ様な状況で心を痛める仲間
の事を思い 議員の方に一生懸命自分の言葉で思いを伝えました

壮大な世の中の渦の中に 最大限の勇気をふりしぼって 小さな一歩
を踏み出しました
まあちゃんの願いは ふけばとんでいってしまうような願いかもしれま
せん
相手にもされないほどの願いかもしれません

でも どんな病気があっても 障害があっても 自分らしく生きたい…
その思いは ごくごく平凡であり またかけがえのないものだと思います

希望を持って生きることで人生は変わります…

どうか この子達の20歳以後の支援のあり方を見直してやって下さい

 

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