A SAVIOUR











   君が、僕の唯一の救済者














 だるい…。
 心底からの感想だった。心身ともに疲労がたまっているのが自分でもよくわかる。

 世界の真実を知ってから、やがて来たる時に向けてのジークフリードシステムの訓練。
 いつ訪れるかわからない訪問者を迎える準備は、徹底すればするほど良い。
 少しの時間も無駄にできなかった。

 そんな焦りが毎日の過酷な訓練を生んでいて。

 本当なら学校へ来るのも面倒だった。そんな時間があるのなら訓練に費やしたほうがよっぽど有益だろう。
 それでも、他の何も知らない人々を不審がらせないためには、登校しなければならず。

 アルヴィスの主だった構成員はすべてこの学校の関係者である。
 彼らと打ち合わせを行うにも、確かに学校に来たほうが良い。
 そうやって理由をつけなければ学校に意味を見出せない時点で、自分はもう焦りすぎているのだろう。父からも「少し休め」と言われるわけだ。

  …大丈夫。まだ冷静さは失っていない。

 重い身体を、平気なように見せながら、階段を上る。
 教室に入って、皆に挨拶して。
 いつものようにふるまって。いつものように笑って。

 いつもとなんら変わらぬように振舞っていたつもりなのに。

「おはよう、一騎」
「…おはよう」

 視線が痛いのは気のせいだろうか。

 一騎の機嫌が悪いことは見て取れたが、それがどうして自分に向けられるのかがわからない。
 ぶっきらぼうな物言いはいつものことだ。だが今日の一騎のそれは、怒りを含んでいるように思う。

(…何か怒らせるようなことをした覚えはないんだけどな)

 そもそも一騎が僕に対して怒るということが珍しい。
 すねたりわざと怒ったふりをすることはあっても、基本的に一騎は僕に対して強く出ない。

 それは、幼い頃の傷が原因。
 その傷は一騎の中に大きく根付いていて、一騎を蝕んでいる。そのために彼は僕に強く出れないのだ。

 僕はそんなことを望んでいたわけではないのに。

 言葉は心を表現できず、不器用な言葉さえ出せず、心は通じ合わないまま。


 寂しくなるのは、こんな時だ。
 
 昔は一騎のことは何でもわかっていた。
 一騎も僕のことは何でもわかっていただろう。
 誰よりも親しくて、誰よりも近しい存在。
 一緒にいることが普通で、互いの家が何故別々なのか不思議にさえ思ったほどの。

 今は、誰よりも遠い。


 時折、ひどく孤独にさいなまされることがある。
 この島の子どもの中で、世界の真実を知るのはただ僕一人。
 知ってしまった重み。島を守るという責任。全てが重く圧し掛かっていて。
 手を引いてくれる者さえおらず、ただ一人で進むしかなくて。
 ふと後ろを振り返れば、そこに誰もいない不安が存在する。

 わかっている。そんなものに負けてはいられない。
 足を止めたら終わりだ。

 大切だからこそ、守りたい。

 そのためには、できる限りのことをしなくては。






「総士」
「何だ?」
背後の声に反応したところでいきなり腕を引っ張られた。
「な…!」
転ばないように足を踏ん張ろうとして。

 …あれ?

「皆城くん!」
女子の声が響く。
 僕は目の前が真っ暗になって、気付いたら膝をついていた。

「やっぱりな…。保健室に行くぞ。後は頼む」
 女子に何か言っている一騎の声が聞こえる。
 一騎は僕の腕を掴んだまま、空いた手で僕を支えて歩き出した。

「一騎…?」
「総士。おまえ、何やってんだよ」
 やはり怒っているようだった。






 座らせられた所が柔らかくて、その感触で保健室につれてこられたと知った。まだ目の前が暗い。
「一騎」
「おまえな。体調が悪いんなら悪いで休めよ。無理して倒れたら元も子もないだろが」
 思わず苦笑をもらした。
 一騎にはばれていたか。普通に見せていたつもりだったのに。

 僕の反応をどう取ったのか、一騎は僕をベッドに横たわらせた。

「無茶すんなよ。何があるのか知らないけど、おまえが体を壊したら、迷惑するのは周りの皆なんだから」

「…そうだな」

 僕が一騎の性格を理解しているように、一騎も僕の性格は理解している。
 だからこそ感情的ではなく、立場と義務による責任を告げる。これを出せば僕が話をかわせないことを知っているから。

「一人で溜め込むなよ。甲洋とかならちゃんと聞いてくれるだろ。あいつなら少なくとも人の悩みを笑い飛ばしたりしない」

 自分に言え、とは決して言わない一騎が寂しかった。
 きっと誰よりも一騎こそが親身に聞いてくれるだろうに。
 そして、誰よりも力になりたいと思ってくれるだろうに。
 どうして、そこまで彼は…。

「…一騎に言われたくない」
「何だよ、それは」

 自分の苦痛を決して表に出さないのは一騎とて同じだ。
 だが、彼は自分よりもはるかに素直な性格だから、それ以外の感情はあっさり表に出る。自覚は無いようだけど。

「いいから、休めよ」
「でも…!」
「ちゃんと見張っているからな。寝ろよ」

 そう言って一騎は僕の手を握ってきた。
 柔らかく。それでもしっかりと。

 幼い頃は、当たり前のように繋いだ手。久しく忘れていた温もり。

  誰よりも近かった人。
  誰よりも理解してくれた人。
   誰よりも、傍にいてほしい、人。

 傍にいてほしいけれど、それを口にすることはできなかった。
 誰よりも大切だから。
 たとえ彼が誰より優秀な剣であるとしても。死地に追いやるような真似はしたくない。

 けれど、この温もりを手放したくない。



「一騎、僕は…」
「何?」

 言葉は続かなかった。

 いつか…。
  いつか言える時がくるだろうか?

 だけど、今は…。


 この温もりだけで、すべてが報われる気がした。



end










【天国より野蛮】より。これは挿絵も付けました。重ねられた一騎の手を見ながらそっと涙する総士。
実はそのカットが描きたくて書いた話です。カットはペン入れしてからそのうち何処かに使うつもりです。結構気に入ってるので(笑)。

これを書いた頃は知らなかったんだけど、蔵前も事実を全部知ってたんだよね〜。傷の原因は総士の暴走だったんだよね〜。
…今だったら全然違う話になってたかもしれないな…。

タイトルの意味は『救い主』。冠詞がaでなくtheだとキリストとかの意味になるんですが。
総士にとっては一騎がそれだけ大きな存在ってことで。
一騎にとっては総士は『導き手』だと思う。総士がいないと一騎は何をしたらいいのかわからない。一騎がいないと総士は立っていられない。
けれど二人なら何も怖いものなんてない。きっと。




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