薄暗い部屋で、起きあがった気配にふと覚醒を促された。 「一騎?」 先程まで熱を分け合っていた隣の存在は、その温もりさえ残しておらず。 不安のままに視線を巡らすと、デスクの前にいる影が見えた。 「一騎、どうしたんだ?」 呼びかけに振り返った瞳は、深紅の色をしていた。 度重なる戦闘。ファフナー搭乗による後遺症は確実に一騎を蝕んでいた。止めようにも止められない。 己の無力さとどうしようもないもどかしさを噛みしめながら自分に出来ることは、彼のサポートと抱き締めてやることだけ。 むしろ誰よりも不安なのは自分かもしれないとどこかで気付きながら。 失いたくないよ。 たとえこの世界が意味のないものでも、苦痛しかない生だとしても。 君がいる。それだけが僕のすべてなのだから。 君がいなくなったら、僕はどうなってしまうのだろう? 僕は、君は、何処にいる? 「総士」 誰よりも近くにいるはずの恋人は見たこともない無表情で総士を見やり、手にしていた刃を走らせた。 「一騎! 何を!」 一騎は自らの手首を切っていた。 紅い、紅い瞳と同じ色の液体が見る見るうちに出現していく。 「総士。ほら」 驚きのあまり動けない総士に、一騎は腕を伸ばした。 「おれのすべてをおまえにやるよ」 そう言って、血が滴り落ちる手を差し出した君。 細い手首からはとめどなく紅が流れていて。 痛みも感じないのか、君は壮絶なまでに綺麗に微笑んでいた。 「おまえは、オレとひとつになりたいんだろう?」 じわりと、耳に染みこんでいく声音。 突き出される、過去の己の罪。 「いいよ。オレをおまえにやるよ」 それは、どこまでも甘い誘惑。 まるで真夏の感染病のように、ねっとりと精神と身体に浸食していく。 それを振り切るように絞り出した声は、どこか枯れていた。 「…確かに、昔おまえと同化してひとつに還りたいと思った」 自分のために生きることを許されないならば、生きることをやめたいと思った。 けれど、離れたくない存在がいて。 生きることは苦しいけれど、彼と離れるのはもっと嫌だから。 ならば、一緒になってしまえばいい。 決して離れることの無いように、一つに解け合って、同じ場所に堕ちればいい。 ねぇ、僕は君とひとつになりたいよ? いつもいつも傍にいて。何故僕らは別々の存在なんだろう? 一緒にいようよ? 僕は君が好きだよ。君は? …おまえも、僕が好きだろう? 好きな人とは一緒にいるのが当たり前。父さんと母さんのように。 だから、離れず傍にいて。 ひとつに、なろう。 「だが、それが間違いだと気付かせてくれたのは、他でもないおまえ自身だ」 胸を掻きむしって、見据える。 こんなものは傷ではない。絆なのだ、目の前の愛しい彼との。 必死に、自分に言い聞かせて。 怖がって拒絶した。 総士を傷つけて、逃げた。 去っていく背中が霞んで見えて。 焼けるような痛みに悲鳴を上げて、泣き叫んで。 気付いたら一人だった。 どうして一騎はここにいないの? どうして離れるの? ああ、僕たちは別個の存在だからなんだね。 どうしてこんなに痛いの? どうしてこんなに熱くて苦しいの? それは僕が【ここにいる】からだ。 ここにいないのならば、何も感じないはず。 流れる血も、眼よりも軋む心も、何も無いはず。 僕は、ここにいるんだ…。 「おまえとひとつになりたいと今でも思う。だがそれは【同化したい】という意味じゃない」 同化ではなく、もっと違う意味で。 別々の存在でありながら、想いだけがひとつに溶け合えるように。 君の笑顔が見たいから。君を守りたいから。 どうか。隣に並んで、同じものを見て。 君と一緒に歩いていきたい。 「だから、やめてくれ」 溢れる血を止めるように、細い手首を両手で包んだ。 何より失いたくない存在。 何よりも、大切だから。 祈るように顔を伏せる。何に祈ればいいのかさえもわからないままに。 どこかにいる神か。それとも愛しい存在になのか。 どれくらいの時間が経ったのか、一騎の空いた手が総士の手に重ねられた。 「同化じゃなくてひとつになるって…こういうこと?」 唇が重ねられる。 「…そうだ」 静かに肯定する。 たとえ種族維持本能による欲求でも、確かに彼を感じられるのなら。 別々でありながらひとつになれる行為。 その感覚を知ってしまった今は、もう手放せない。 「そうか…」 瞑目した一騎はそのまま総士に身体を預けてきた。 その意図も何もわからぬまま、ただ総士は抱き締めた。 二度と離れることの無いように、と。 その勢いに従って、二人の身体はベッドに崩れる。 再び抱き締めあって、熱を交換して。 一騎の血は、いつの間にか止まっていた。 「一騎、おまえはまだ【ここにいる】のか?」 呼吸器を付けて眠る彼はとても静かな表情をしていた。 同化現象の進行。遺伝子の結晶化。 思うように動かない肉体と苦痛。 もうすぐ彼は、級友たちと同じく、生命維持装置カプセルの中に入ることになるだろう。 かろうじて生きている。いつ目覚めるかわからない。 いずれこうなることはわかっていた。なのに、伝えられなかった。 一騎は【知って】いたのだろうか。だからあんなことを言ったのか? 【終わる】前に、違う未来を指し示したのか? 「一騎…」 声は小さく、室内に消える。 清浄なまでに白い空間に横たわる子ども。 その瞼の下の黄金色の瞳は何を見つめているのか。 音もなくこぼれ落ちた雫が、静かにその頬に染みていった。 もしオレが死んでしまったら、おまえは嘆き悲しむだろう。 自分のせいだと責めて泣くのだろう。 苦しまないでほしい。 オレの最後の我が儘をきいてくれるか? オレが死んだら、灰になったこの体を両手に抱いて風に乗せて あの海へと返してほしいんだ。 オレはずっとおまえを見守っているから。 この蒼穹と海になって、おまえを抱き締めるから。 おまえは幸せになって。 けれど。 オレのことを、忘れないでいて。 オレは、ここにいるから。 【星の生まれる日。】と同時で出したコピー本より。 最初は一騎が死ぬのかと思ってました。(幻の27話は一騎死亡話らしいが) けど、これは何が書きたかったかわからないSSですね…。 タイトルはCOCCOから。 |