砂の果実






「果林。これがファフナーだ」
 初めて《それ》を見た時、とても恐怖を感じた。
 まるで自分が押しつぶされそうな、そんな感覚を味わったから。
 幼い手を引いてくれていた養父の手の温もりさえ感じられなくなって、目の前の巨大な人型兵器に呑まれそうだった。
 逃げることも目を逸らすこともできず、ただ空いたほうの手で自分を抱き締めながら震えていたのを覚えている。









 あれから何年経っても、こうして何度もファフナーに搭乗しても、その感覚は消えることはない。
 ファフナーに乗る度に、ファフナーになる度に、自分が少しずつ消えていっているようで。
 自分が自分で無くなりそうで。
 どうしようもなく、怖い。

 けれど、乗らなければフェストゥムに勝てない。
 皆を、島を守れない。…私も死ぬ。
 だから乗らなくてはならない。
 私が私としてここにいるために。

 マークツヴァイ。
 それが私のファフナーの名前。
 ドイツ語で2を表す機体。
 島の、日本の、人類の希望の一つ。









「パイロットの状態、安定しています」
「システムにも異常ありません」
「よし、今日の試験運転はここまでだ。パイロットを下ろせ。分析官はデータ解析を」
 機械的に次々と報告されていくそれを、無感動に耳に入れながら、私は目を閉じた。
 山羊の目ではなく、人の目に戻る瞬間。
 ようやく、私は《私》に戻れる。

 《私》って、何?

 《私》は、蔵前果林。
 竜宮島の住人であり、ファフナーのテストパイロット。
 それが、私。

「パイロットは休息を取った後、帰宅しろ。明日も同時刻から再テストを行う」
「了解しました」
 ただ命令に従うだけの役目にも、大分慣れた。
 静かに格納庫から出て、更衣室へ向かう。
 背後では調整に走るエンジニアの声が響いていた。

 やがて来る《敵》の襲来の日に備えての準備はゆっくりと、しかし確実に進んでいる。
 生き残るために、守るために、大人は必死だ。
 その中で子どもはたった二人だけ。
 私と、籍上の家族である皆城総士の二人だけ。
 他の子どもは皆何も知らずに平和な日々を過ごしている。
 本当なら私もその中にいる。
 …いえ、《本当》はこっちなのよね。
 苦笑が漏れた。

 作られた平和と、隠された現実。
 《本当》は現実なのに、皆は必死で《偽の平和》に縋り付いて。
 守るために《犠牲》を必要とする。
 仕方がないことだとは思っても、心が納得できない。
 何も知らない人たちを犠牲にすることが正しいなんて、私には絶対認められない。
 けれど、私は無力で。
 犠牲が少しでも減るように、私自身を差し出すことしかできない。
 歯がゆくて、仕方がない。





「蔵前」
 更衣室を出た所で呼び止められた。
「皆城くん。そっちはもう終わったの?」
「ああ。さっきのテスト内容で話がある。いいか?」
「ダメって言っても聞かないんでしょ?」
 肩をすくめながら、共に外へと続く通路を歩き出した。
「あの武器を使うならもう少し低位置にしたほうが効果が…」
 真面目で堅物な皆城くんの話はいつも訓練内容や戦闘シミュレーションに関することだ。
 同い年の、私たちはまだちっぽけな《子ども》なのに、彼は子どもらしい会話をしようとしない。
 彼はそれを捨てて、無理矢理《大人》になろうとしている。
 どんな状況になろうと決して《私らしさ》を捨てたくない私とは正反対。
 大人たちにとっては彼のほうが好ましいのだろう。アルヴィスの一員として己の役割のきっちり果たす。
 でも、私は《私》を捨てられない。捨てない。
 だって、それが無くなったら、私は何なの?

 必要とされない?
 ここにいてはいけない?
 私はここにいるのに。

 必要とされることは嬉しい。
 けれど、そのために全部捨てたくはない。
 私は《私》を必要とされたいの。
 今は必要とされなくても、いつか。


 ねえ、皆城くん。
 あなたは、それで良いの?


「そんなもの、どうだって良いのよ」
 つい言ってしまった。
 《守る》ために《大切なもの》を捨てようとしている彼に怒りが込み上げてきて、同時に哀しくなって。
「何だと?」
 それまでの話をいきなり蹴られた皆城くんは、不愉快を隠そうともせず私を睨んだ。
 今まで抑え込んできたものが湧き上がってきて、もう止められない。
 いえ、止める気も無かった。
 戦闘の効率性と勝利への道しか考えない彼に、他の道を考えてほしいと、何処かで思ったのかもしれない。
「人間が神になれるわけがないじゃない。人は全能でも万能でも無いのよ。限界も不可能もあるわ」
「じゃあ、君は黙ってフェストゥムにやられろと言うのか!」
「そうは言ってないわ。ただ無理をして無駄に足掻いても何にもならないってことよ」
 一人で全部背負い込んで、自分一人で皆を守ろうと必死になって。
 そんなこと、できるわけないのに。
 自己犠牲が尊いものだなんて、決まってないのよ。
「誰だって、できることとできないことがあるわ。だから、その《できること》を集めて協力することが力になるのよ」
「言われずともわかっている」
「だったら、あなたの望みは何なのよ」
「この島とコアを守ることだ」
 間髪入れずに彼は答えた。
 誰もいない薄暗い通路で、向かい合った二人の顔だけがぼんやり照らされている。
 二人とも真剣で、互いを強く睨んで。
 こんなに近くにいても、きっと遠いのだ私たちは。
 きっと相容れない。
 それでも、独り遠くに離れていくのを引き留めようとする私は、無様なのかしら。

 だって、あなたの本当の望みは違うでしょう?

「犠牲を払ってでも…?」
「…最終的に竜宮島が生き残るためにはやむを得ない」
「その犠牲が一騎くんでも?」
「う…!」
 彼が初めて言葉に詰まった。
 一度だけ、皆城くんが左目に走る傷のことを話してくれたことがあった。あの時だけは、彼は年相応の《子ども》だったように思う。
 だからきっと私の言っていることは間違っていないはずよ。
「…あなたが本当に一緒に戦ってほしい人は一騎くんだものね。止めないわよね」
「…一騎の形成コードがずば抜けて高い。それだけだ」
 あくまでファフナーを統括する司令官であろうとするのね。
 でも、それは本当に皆城くん、あなただと言えるの?
「あなたはそこにいるの?皆城くん」
 意図が掴めない彼は眉を顰める。
 わからない?
 けれど、この言葉こそが、私があなたに投げかけたかったもの。
「私はここにいるわ。他の誰でも何者でもない、私自身が『私はここにいる』と認めている。それが唯一の絶対よ」
 私はここにいる。世界中の誰もが認めなくても、私はここにいる。
 神様さえ認めてくれなくても、私はここにいる。それだけは胸を張って言えるわ。
 たとえ誰にも必要とされなくても、私はここにいるの。
 ここに、皆と一緒にいたいのよ。
「僕もだ。僕はここにいる」
「違うわ。あなたはその左目の傷に縋っているだけ。その傷があるからあなたは在る。それだけよ」
「っ! …違う!」
「何が違うの?」
「僕はここにいる! 今、ここに!」
 左手を傷に当てて彼は必死に叫んでいた。
 先程からかなりの大声を出しているのに、誰も来ないどころか他人の気配さえしないのは、彼の《妹》も私に協力してくれているのかしら。
 何処か冷えた脳裏で、ふと思った。
「僕は…」
 だんだんと弱まっていく声と一緒に、彼自身も小さくなっていくようだった。
 その見開いた右目に、私は穏やかに問いかける。
「その傷がまだ無かった頃のあなたは何処にいたの?」
「…ここにいた…。この島にいたんだ…ずっと…。僕はわからなかったけど…この傷が気付かせてくれた」
「気付かせてくれたのは一騎くんでしょう?」
 その傷を付けたのは一騎くんで。付けさせるような真似をしたのはあなた。
 それを責めるつもりは微塵も無いけれど、忘れちゃいけない。
「…そう。だからこの傷は僕の戒めだ。二度と《自分》を見失わないための」
 私への答えのはずが、少しずつ自分へ言い聞かせているようなものに変わっていく。
 皆城君の瞳の色と焦点が戻っていくのがわかった。

「僕は、ここにいる」

「…やっと、認められるようになったみたいね」
 安堵の溜息が零れた。
 思い出して欲しかったのよ。自分がここにいることを。
 そして、何故いるのかを。
 あなたにとって一番大切なことだから。

「?」
 訝しげに見やる表情に、つい笑みが浮かんだ。それを見てますます彼は不機嫌になったが、どうにも込み上げてきて止まらない。
 本当に不器用な人だ。しかも本人にはまったく自覚がないことが更に面白い。

 些細なことで良いの。
 自分がここにいるってことを認識するためには、ちっぽけで簡単なものが在れば良いの。それを見つければ良いの。
 簡単なことなのよ。
 その存在が赦されることなのかどうかってことは、その後に考えることよ。
 自分がいて良いのか悪いのか、それは他者が決めること。自分じゃない。

 だから、その答えが見つかるまで、私はここにいるわ。










 外に出ると、家々が眼下に広がっていた。
 丘を撫でていく風が気持ちいい。
 顔にかかる髪を払いながら偏光メガネをかけた。
 この姿も、《私》。
 シナジェティック・スーツを身につけてファフナーに乗っている姿も《私》。
 どんなになってしまっても、私は私。
 絶対に見失わない。
 それが私の誇り。





 そろそろ丘を下ろうかと隣に目をやると、彼は何処かをじっと凝視している。
「皆城くん?」
 目線を追うと、見下ろした先にある小道を歩く人影があった。
 クラスメートの男の子たちだ。
 その中で、彼が見つめているのは一人だけ。
 その人以外は目に入ってないかのように、ただ一人の人物だけを見つめていた。
「…そんなに好きなら、離れなければ良いのに…」 
 たった一人を大事に想うあまりに他を犠牲にするなんて、自分勝手すぎるんじゃない?
 その綺麗な横顔に、ふと呟きが漏れた。
「何か言ったか?」
「一騎くんのことがそんなに大事なら、本人に伝えたら?って言ったの」
 振り返った彼に、髪を押さえながら声を上げると、案の定目を丸くしていた。
「バカなことを。言えるわけがないだろう」
 アルヴィスや世界のことは、まだ皆が知る時では無い。
 それはそうだけど、半分答えていないことに彼は気付いていないみたい。
 本当に不器用ね。

 けれど…。

 そんなふうに、たった一人だけを、自分のすべてを捨てても厭わないほど強く想えることが、羨ましくも思えた。
 私にも、いつかそんな相手が現れるのかしら?
 盲目なまでに、たった一人の誰かの存在を自分の支えにして。

「じゃ、一騎くんは私がもらおうかな」
「何?」
「一騎くんって優しいものね。女の子からの交際申込を無下に断ったりはしないでしょうね」
 両手を合わせて笑う私と対照的に、どんどん彼の顔が蒼白になってこわばっていく。
 普段、無表情なくせに、《真壁一騎》の名前をちらつかせただけで、彼は様々な表情を見せる。本人は気付いていないのか否定しているのかわからないけれど。
「よ、よせ! 好きでもないのに交際だなんて…!」
 どもった声で怒鳴っても、効果はないのよ、皆城くん。
 ますます相手を調子付かせるだけで。
「あら、一騎くんのことは好きよ。彼、優しいし可愛いし家事も上手いし。実は結構モテているのよ。知らなかった?」
 あらあら。固まっちゃったわ。
 ちょっと調子に乗りすぎたかしら。
 可哀相になってきたから少しフォローを入れてあげようか。
「やぁね。冗談よ冗談。《好き》だけど《恋愛》じゃないわよ」
「な…! ふざけるな!蔵前!」
 安堵と怒りが込み上がってきたような真っ赤な顔をして、身体を震わしている。手をあげる一歩手前ってとこかしら。
 あいにくと長い付き合いのせいでちっとも怖くない。
 だから更に彼を煽ってみることにした。
「だけど一騎くんがモテるのは本当よ? モタモタしてると私じゃなくても他の子に取られるかもね」
「…っ!」
 本当に面白いわね。
 これだけ顕著な反応していたら一目瞭然なのに。
 けれどそこが皆城くんの良い所の一つでもあるんでしょうね。
 家族であり同級生であり友達であり上司であり、仲間である人。
 大丈夫。私は独りじゃない。

「一騎くんは好きな人いるのかしらね? この際訊いてみようかな」
「まっ待て!蔵前!」
 私の後を追って、焦って駆け下りる気配を背中に感じながら、顔を上げた。

 何処までも広がる蒼い空。
 これが偽物の空でも、空は確かにそこにあるはず。

 大事なものは、見えなくてもすぐ傍にあるはず。

 私が守りたいものは、ここに、在る。
 








 ねえ、皆城くん。一騎くんは本当に優しかったわ。
 私のこと、いて良かったって言ってくれた。
 彼から欲しかった言葉じゃないけれど、彼は代弁するかのように言ってくれた。私の欲しかった言葉を。
 とても嬉しかったの。
 だから悔いはないわ。
 あなたも、言ってはくれなかったけれど、私に心を開いてくれていたことは知ってるのよ。
 だから、あなたも一騎くんも、悲しまないで。
 私は自分の役割をまっとうできたでしょう?
 とても満足しているの。
 だから、傷付かないで。自分を責めないでね。

    優しい人たち。
      ありがとう。

  私は、ここにいて良かった。心からそう思います。









「地上に延びる部分は一夏しか延びない。秋になれば萎えてしまう。束の間の出現に過ぎないのだ。
 それでも永遠の推移の底には何かがずっと生き続けているという感覚を、私は一度でも失ったことはない。
 私たちが目にするのは花である。花は枯れてしまう。
 だが、地下茎は残る」
C・G・ユング













コピー本より。果林が別人です。何処で電波受信してきたんだろうかオレ?(^_^;)
かなり強いこになってるな〜。TV1話で緊張してこわばっていた少女は何処へ行ったのだろう…。

果林は小説で結構クローズアップされていたけど、重要人物じゃんかよ彼女! しかもすっごく善い子。おかみさん!
生きていてほしかった…(T_T)。そうすりゃ多分、総士と一騎たちのすれ違いも軽減されてたんだろうな。

イベントでも「果林ちゃんだぁ〜v」と興味を持って下さる方が多くて嬉しかったです。
実は結構人気あるよね、蔵前果林。
年末が楽しみだ。
いつも以上に支離滅裂文章ですみません。m(_ _)m




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