空は相変わらず灰色で、輝く光は見えない。
          それでもヒイロは見ることができた青空の色に目を細めた。
          その色を瞳に宿す人物の表情は決して晴れたものではなかったけれど。
          ブリティス城の屋上で、あの時と同じように二人は向かい合っていた。ヒイロがデュオ
         を呼び出したのだ。鎧闘神の力を十分に制御できているのかを確認してもらうためという
         口実で。無論すでにリリーナが断言していたが、ヒイロ自身は納得できていなかった。
          彼に認めてもらわなければ意味がない。
         「ふーん…。どうやら本当にモノにしたみたいだな。バカは死ななきゃ治らないっていう
         ことわざがあるけど、そのとおりだったか」
          さも面白くなさそうに口にするデュオも、感心してはいるようだった。
          荒れ狂っていた空が落ち着いている。
          ヒイロも吹っ切れたせいか、精神状態は安定しており、穏やかな気分だった。
          まだまだ問題は解決しておらず、戦争は始まったばかりだというのに、闇雲に動いてい
         た頃と比べると自分のやることをはっきり見つけられた分、ぐちぐち悩む必要が無くなっ
         たからかもしれない。
         「今は自分でも力が満ちているのがわかる。スペリオルドラゴンが与えた力…。コントロー
         ルの仕方もわかる。確かに生まれ変わったような気分ではあるな」
         「調子に乗るんじゃねーぞ。おまえが得た力は容易に従える代物じゃない。油断するな」
          人間に比べれば天使のほうがはるかに身体能力が高いとはいえ、神の力を自在に制御で
         きるなんて話は別だ。神の力は神でなければ扱えない。だからこそ、《神》と呼ばれる存
         在は畏怖と敬愛と信仰を集めるのだ。強大な力を行使する者として。
         「わかった」
          頷くと、素直な反応がまた気にくわないのか、デュオは失笑した。そのままもう用はす
         んだとばかりに背を向ける。
          去っていく黒い小さな背中。ヒイロは無意識に呼び止めていた。
         「デュオ」
         「何だよ。気安く呼ぶなよ」
         「…感謝する。おかげで目が醒めた」
          デュオの大きな目が一層見開かれる。
          当然と言えば当然かもしれない。ヒイロは今まで誰にも礼など口にしたことはなかった。
          形式張った謝礼を述べたことくらいはさすがにあっても、心から誰かに感謝したことは
         ない。だが、彼には言うべきだと思った。鎧闘神の力は世界の運命を左右する。彼はそれ
         に貢献したのだから。
          それはヒイロにとって、兄以外の者を初めて認めるということでもあった。
 
 
 
 
 
          敵の動きは決して消えたわけではない。見えないだけで。
          傷付いたのは敵ばかりではない。戦況を考えれば、どう見てもユニオン軍のほうが不利
         だ。世界各地で異変が起こっているにも関わらず、動くこともできない。
          オズワルドに対抗できる力が少なすぎる。巫女姫は守れたとしても、他の大勢の生命を
         救いきることはあまりにも難しい。
          戦力も、情報も少ない。
          会議が行われ、各地に偵察を放つこととなった。
          しかし、戦争が行われている中、むやみに兵を外に出せば死の宣告も同然。かといって
         大がかりにはできない。出された結果として、優秀な人材を少人数のグループで派遣する
         ようになる。
         「ヒイロはデュオと同行して下さい」
         「は?」
          にこやかにカトルに告げられた言葉にデュオは目を点にした。
         「了解」
          対照的にヒイロは事務的に返答し、さっさと準備を始める。
         「待てよ、カトル。なんでオレがこいつと組まなきゃならねーんだよ」
         「確かにヒイロはもう鎧闘神の力を制御できるようになったようですが、あれほどの強大
         な力をそうそう表に出されては困りますし、二度と暴走しないとは限らないでしょう? 
         君は以前ヒイロを天使の姿に戻したことがありますから…」
          くってかかるも、笑顔でかわされる。確かに理に適っているが、何故自分が天使と行動
         しなければならないのか。二人一組というなら、自分のパートナーは決まっている。
         「オレはデスのパートナーで…」
         「デスサイズは城の警備を行ってもらいます。ガンダム騎士は存在だけで目立ちますから
         ね。隠密行動に向くとは言い難いし、敵への牽制も含め、動かないほうが無難なんですよ」
          つまりは天使族のヒイロ、人間族からはデュオ・トロワ・ウーフェイの計4人が任務に
         選ばれたのである。カトルはその立場と神官の技能から待機。最低限の人数に絞ったのな
         ら当然といえる選択ではある。他の二人よりは自分がヒイロと組むほうがバランスが良い
         のも確かではあるが。
          しかし。
          尚も文句を紡ごうとするデュオに、カトルは目を細めて言った。 
         「それにヒイロは地上は慣れてませんから、君がサポートしてあげて下さい」    
          有無を言わせぬとどめの一言と微笑みだった。
 
 
 
 
 
         「…ちくしょう。よりにもよってこんな暴走天使と一緒なんてなー」
          前を歩く背を睨むように目にしながらデュオは本日何度目かのぼやきを口にする。
          笑顔の奥に威圧を含ませた坊ちゃんの顔が頭に浮かんだが、彼を怒らせるとどんな恐ろ
         しいことになるかわかっている分、逆らえなかった。
          そして現状になっているわけだが、気にくわないものは仕方ない。
          ブリティス城は既に見えない。城を出てからかなりの時間が経っているが、二人は全然
         会話をしていなかった。正しくは無言のヒイロに対してデュオが一人愚痴ているだけだ。
          ヒイロにしてみれば、よくもそれだけ口を動かせるものだと思う。特に返事を期待して
         いるわけではなさそうだから放っておいているが、彼は更にそれが気にくわないらしい。
          礼儀を重んじ静寂を美としている天使としては、わからないことばかりだ。
          くだらないことで大騒ぎし、己の利益だけを求め、やがては争いまで起こす醜い人間。
          ブリティス城に滞在しだしてからは、少しは地上の種族への偏見を改めることもあった
         が、やはり理解は出来ないと思う。価値観も生態系も異なるのだから仕方がないが、なら
         ば現在こうして同じ目的を共有しているのは何故だろう?
          決まっている。共通の敵が現れたからだ。
          わかってはいる。だが不思議な感じだ。
          人間の中でも特に奇才を放つ彼は、性格的にはどうなのだろうか。かなり社交的な部類
         には入るのだろう。ブリティスでは天使族以外に対してはデュオは親しく接していた。く
         るくる変わる表情。大げさな仕草。豊かな話題とセンス。飽きさせないそれは確かに老若
         男女問わず好感を持たせている。
          しかし…。
          ちらりと視線だけを背後に向けると、それに気付いたデュオは途端に眉を寄せる。
          この瞳だ、とヒイロは思う。
          明るい表情とはまるで違う、冷徹な瞳。奥が見えない心。
          その中にあるのは怒りや憎しみのようでもあり、まったく違うもののようにも思える。
          何が彼をそこまで縛るのか。何故自分にそれが強く向けられるのか。
          そう考えると胸に風が通るような感覚になる。あるいは、何か息苦しい、締め付けられ
         るような感覚。
          それが《淋しい》というものだと知ったのは随分後の話だ。
         「何だよ。何か文句あるならちゃんと言え。口ってものを使えよ」
          不機嫌な声を向けられるばかりで、ヒイロは小さく溜め息を吐いた。
          別に文句があるわけではない。なのにその感情さえ上手く伝わらない。
         (…厄介だ)
          本当に厄介だ。
          ある意味、戦っているようがよほど楽だと思った時、微妙に空気が変わった。
         「おい、ボサッとしてんじゃねーぞ。…お客さんだ」
          振り返ると、デュオは左手にある茂みに視線を向けていた。
          二人は敵に気付かれぬように、なるべく目立たないルートを選んでいた。デュオの感知
         術に従ってこれまでまったく誰とも出くわさずにいたのだが、さすがに限度はある。人里
         離れた森の中で何とも遭遇しないというのは無理らしい。
          じりじりと近付く気配。おそらくこの森に住むモンスターか。
          一匹や二匹ではない。気配を消してゆっくり、しかし確実に相手を囲む体勢を作ろうと
         している。
          バロックガンの復活の影響で、魔物やモンスターの力も増している。通常なら対して害
         のないモンスターたちも今は油断できない。と言ってもこの二人にとっては大した敵でも
         ないのだが。
         「面倒くせー」
          前髪をかき上げながら、さもつまらなそうにデュオは息を吐く。
         「おい天使。体力専門はそちらに任せるぜ」
          完全に傍観を決め込んだらしい彼は、傍の手頃な石に腰を下ろしてしまった。ヒイロと
         しても、体力面に関しては法術士である彼と自分では差があるだろうことは十分理解でき
         ていたし、法力は万が一のために保存しておくのが懸命と判断していたので、目で了解の
         意を示し、腰の剣を抜いた。
          バスターソードは今ヒイロの手元にはない。神が作った剣は、その気配も形状も目立ち
         すぎるため、封印の意味も兼ねてデュオが所持していた。と云っても、デュオがあの大剣
         を抱えているわけではない。どのような原理なのかヒイロは知らないが、デュオのイヤリ
         ングは特殊なアイテムで、色々な物体を収納できるようになっているらしい。空間法術が
         施されており、イヤリングの内部が一つの空間となっているのだ。中の物体はデュオの法
         術によって取り出せる。中にはデュオの式神や薬物類なども入っているらしく、手荷物を
         最低限に抑えられることで、旅にはかなり重宝なアイテムと云える。
          ヒイロが今使用しているのは、ブリティスの騎士に支給されているごく普通の剣だ。ジョ
         ワンの手が加わっていることで、一般の剣より優れている。
          両手で剣を構え、攻撃態勢を取る。
          茂みから四匹ほどのモンスターが襲いかかってきた。咄嗟にかわし、剣を振る。
          叫声をあげて一匹が地に落ちた。それを見た他モンスターは警戒して距離をとる。
          モンスター、バウンドウルフ。狼のように見えるそれは、狼よりも大きな体と強力な牙
         と爪を持っている。モンスターの部類としてはなかなかの強さを誇る連中だ。並の戦士な
         ら数分とかからずに殺される。
          残る三匹はヒイロを囲み、輪になって回りだした。スピードがどんどん速くなり、つい
         には見えないレベルまで達する。この超スピードがバウンドウルフの最大の力だった。ど
         こから来るかわからない攻撃。ヒイロは息を詰める。
         「とっととやれよ」
          背後から脳天気な声がかけられた。彼にとってはこの状況は何でもないのだろうか。バ
         ウンドウルフもデュオをまったく警戒していないらしい。攻撃対象はヒイロ一人だった。
          少し苛つきを感じながらも、ヒイロは目を閉じて息を吐いた。どうせ見えないのであれ
         ば視力は必要ない。それより気配を探ることのほうが重要だ。敵が飛びかかってくる一瞬
         を待つ。
          一匹が輪から出てヒイロに襲いかかる。瞬間の殺気を感じ取り、剣を向けた。
          見事に剣はバウンドウルフの口内に刺さった。動きを止められたバウンドウルフをその
         まま切り裂く。残り二匹は同時に襲ってきたが、同様に薙ぎ払った。
          モンスターの咆哮が森に響き渡った。
         「へー、結構やるじゃないか」
          口端を曲げて面白そうに笑うデュオの前には、モンスターの返り血を浴びたヒイロの姿
         があった。正直、ヒイロの戦闘能力は鎧闘神になった時しか知らなかったのだ。神の剣を
         扱うからにはそれ相応の実力を持っているはずだが、自分の知る限り、少なくとも精神面
         においては不足すぎていた。天使が選ばれたのは身体能力の優秀さのせいだけかと思って
         いたのだが…、ヒイロは天使族の騎士の中でも優秀であると言ったリリーナの言葉はあな
         がち嘘ではないかもしれない。
          しかし、デュオの嘲笑を生んだのはそのせいではなかった。
         「血塗れの天使…ね…」
          本来、清楚な天使が返り血を浴びて死体に囲まれているという、退廃的な光景は実にデュ
         オを満足させた。
          殺生は大罪だと?では正義の名の下に殺戮を繰り返すおまえたちは何だと云うのだ?
          光を全身に浴びながら、血を纏う、白き騎士。こんな面白い物はそうそう見れるもんじゃ
         ない。
          ゆっくり振り返るヒイロ。その顔には何の感情も見えなかった。それがますますデュオ
         には心地いい。
         (こいつとの旅はそうつまらないものでもないかもな…)
          デュオは少しばかり考えを改めていた。途端、ヒイロに対する興味も沸いてくる。
         「行こう」
          顔に付いた血を拭いながら言い放つヒイロに、快く賛同した。
 
 
 
 
 
 
 
 
                                   第6話へ        戻る