「HARUコミ〜インテックス」
3月16日。夜。 HARUコミ前日の午後八時過ぎ頃のこと。 お風呂も入って、夕食も食べ終えた銀次は、蛮と一緒に部屋でテレビを見ていた。 今日は明日のイベントの為にマクベスが泊りに来ることになっている。 遠方からの参加の為、一度蛮と銀次の家に一泊してから明日の朝イチで一緒に新幹線に乗る予定だ。 銀次の部屋の電話が鳴り響く。 『もしもし、銀次さん、今、梅田に着きました』 「うん、じゃあ、迎えに行くよ! 降りる駅間違えないでね」 電話の相手はマクベスで、今、大阪に到着したとのこと。 それからは最寄りの駅まで銀次が迎えに行くことになっている。 「蛮ちゃん、マクベス、着いたみたいだから迎えに行ってくるね。それから、ファミレスに寄ってくる。マクベス、バスの中でおにぎり食べただけみたいだから。オレはデザート食べてくるよv」 「おう。ケーキセットでも食べてこい」 「うんv……って、何でケーキセットなの?」 「パフェなんか食べたら冷えるだろ」 季節はもう三月とは言え、今は夜である。 しかも銀次は風呂上がり。 確かに冷たいものはやめておいた方がよさそうだ。 「そうだね。じゃ、行ってくる!」 それだけ言うと、銀次は必要最低限のものだけバッグの中に詰め込んで、部屋を飛び出した。 銀次のマンションから駅まで、歩いて二十分くらいはかかる。 決して近い方ではない。 今、梅田にいるマクベスがこちらの最寄り駅までかかる時間が十五分〜二十分。 マクベスの梅田から連絡を入れてもらったのは、その時点で銀次がマンションを出ればちょうどマクベスが最寄り駅に着く頃に、銀次も到着できるからだ。 歩き慣れた道程を、銀次はてくてくと歩いた。 外はそんなに寒い、とは思わなかった。 待ち合わせの地下鉄の改札まで来て、銀次はキョロキョロと辺りを見回す。 やはり、マクベスはまだ来ていないようだ。 ……マクベス、大丈夫かなあ。反対っ側の改札の方に行ってないよねえ……。 改札の向こうにある線路を挟んで、反対側にあるホームの改札を行き来する人物を、銀次は注意深く観察していた。 マクベスが降りる電車は、この反対側のホームの着くのだ。 間違えてそのまま向こうに出てしまわれたら、探すのが面倒になる。 ……わああ、心配だよおっ……! ひっきりなしに、向こう側の改札をキョロキョロと見つめている銀次を、駅員は不審がっていたようだが、銀次本人はまったく気にしていない。 暫らくそういていると、マクベスがちゃんと銀次がいる改札から笑顔でやってきた。 「こんばんは、銀次さん」 「あ、マクベス! よかった、間違えなくて! 向こうの改札から出てたらどうしようかと思ったよーっ」 「大丈夫ですよv あれだけ念を推して言われれば間違えようにも間違えれません」 確かに、そうである。 頭のいいマクベスが、一度言った注意を忘れる筈はまずないだろう。 「アハハ、そうだよね。じゃ、行こっか」 「ええ、よろしくお願いします」 銀次はマクベスと話をしながら、元来た道を歩き、ファミレスへと向かった。 マクベスと会うのは、一月のインテ以来なので、二ヵ月ぶりである。 学生時代は毎日顔を合わせていたのが信じられないくらいに、学校を卒業してからは数か月に一度しか面と向かって話しをする機会もない。 ファミレスについて、マクベスがホットケーキを食べている前で、銀次は先程蛮にダメと言われたパフェを頬張っていた。 ……だって、食べたかったんだもんねー。外もあんまり寒くなかったし……。 最初っから、蛮の言うことなど、きく気はなかったらしい。 学生時代の思い出話や、互いの近状、それに明日の予定などを話している間に、時間はあっという間にすぎていった。 さすがにこれ以上、ここでゆっくりしていては明日に差し支えるだろうと、席を立ち、店の外に出て、銀次はやっとここで、後悔した。 「さむいよーっ」 「パフェなんか食べるからですよ」 隣でマクベスが冷ややかに言う。 ……蛮ちゃんの言うこときいとけばよかった。そう言えば、夕食後に薬飲んでラクになってたから忘れてたけど、オレって今、風邪ひいてたんだよー……! はっきり言って、アホである。 後悔先に立たずと言うことわざを、ひしひしと噛み締めた銀次だった。 早足でうちに戻ると、蛮は一人でゲームをしていた。 マクベスが見せて、と言っていたから進めておいてくれと、銀次が蛮に頼んでいたゲームである。 「あ、ソレ!」 マクベスがテレビ画面を覗き込む。 「おう、これだよ。なんか、今負けそうなんだけどよ」 ちょうど画面に移っているのはPS版GBのゲームのちょうどクライマックスのシーンだった。 確かに、負けそうである。 「オレ、このゲームクリアしたとこ見たことない。ていうか忘れてた」 銀次がぼそっと呟いた。 「オレもねえ。やりかけて途中でゲームの存在自体忘れてたもんな」 一応、今二人がハマっているジャンルのゲームではあるのだが、何故二人して存在自体忘れてしまえるのか。 同じジャンルのサークルさんが聞いたら、呆れ返るだろう。 ゲームの勝敗は、やはり負けた。 画面いっぱいのゲームオーバーの文字。 仕方ないので、途中のセーブからやり直し。 今度は順調に進み、ちゃんと勝てた。 「やったー!」 「勝ったぜ!」 ラスボスが倒れた瞬間、銀次と蛮は大喜び。 そして、ゲームからは最後の決めゼリフの声。 『ホットなユメは見れたかよ?』 二人の夢を打ち破ってくれた、このゲームの主人公キャラの声に、蛮と銀次は喜びも束の間、ハアーっと大きな溜め息をついてがっくりと肩を落とす。 その様子を見ていたマクベスは、一人で苦笑いしていた。 やはり、彼にとってもこのキャラのこの声は、ショックだったらしい。 その後、対戦モードで全部のキャラの声をマクベスに聞かせたのだが、彼は嘆き悲しみ、そのほろ苦い気持ちを引きずったまま彼らのうちの布団に納まったのだった。
3月17日。 この日は、朝イチの新幹線に乗るため、銀次とマクベスは午前四時に起床した。 蛮は留守番なのでまだゆっくり寝ている。 朝食のパンを食べる前に、銀次は寒気に効くと言われて薬局のおばちゃんから購入したドリンク剤を一気に飲み干した。 「う……マズ……」 薬なんだから、美味しいものではないだろうが、どうもこういう液体の薬は好きにはなれない。 マクベスと一緒に朝食をとり、次は食後の薬に手を伸ばす。 鼻づまりの薬と、乗り物酔いの薬。 朝っぱらから薬漬けな自分に、銀次は多少気が重かった。 ここで複数の薬を一度に飲んでも大丈夫なのか、という疑問が生まれてくるが、そのへんは医学の道に携わっている友人、笑師に事前に聞いておいたので心配はない。 できれば時間を空けてからの方がいいということだったが、銀次にその余裕はなかったので一気に胃に流し込んだ。 支度を終えて外に出ると、まだ辺りは暗かった。 これから駅に向かって、昨日マクベスと歩いた道程をてくてくと歩くことになる。 歩きながら、銀次は焦っていた。 「マクベス、時間、ヤバイかも……。始発の電車に乗るつもりだったのに間に合いそうにないよ……」 「急ぎましょう」 結局、彼らが駅に辿り着いたのは始発の電車が出た後だった。 次の電車は十分後。 たった十分とは言っても、時間に余裕のない時はとてもイライラするものである。 「新大阪まで三十分あれば着くよねえ。新幹線、間にあうよねえ」 「新大阪の地下鉄のホームから、新幹線のホームまでの時間はどれくらいかかります?」 「ちょっと歩くけど、そんなに遠くない。大丈夫だと思うよ」 彼らが乗る新幹線は朝六時ちょうど発の始発。 嫌なことに、これより一本でも遅れると、サークル入場時間に間に合う可能性がどんどんゼロに近くなる。 地下鉄で新大阪に向かう途中、電車の中で酔っ払いが暴れたりなんなりでイラつくことはあったが、一応、予定していた新幹線には間に合った。 しかも、そんなにドキドキしなくても大丈夫なくらいの余裕はあった。 彼らの席は、車両の一番前だった。 指定席なのであぶれることはなかったが、一番前の席というのも落ち着かないものがある。 席について、銀次は自分の異常に気がついた。 何だか妙に喉が乾いている。 新幹線が走りだしても、銀次はワゴンサービスで買ったお茶ばかりを飲んでいた。 そして、朝早いせいなのか、車両のドアを挟んで向こう側にあるトイレにはひっきりなしに列が続いている。 これが冬のイベントなら、いつだってトイレは最大手だ。 新大阪から東京まで、新幹線で約三時間。 決して短い時間ではない。 「今日ってパンフ、全員購入制なんですかねえ」 窓際の席に座っていたマクベスが、ぽつりと呟いた。 「うーん、たぶん。でもパンフ引換券ついてたじゃん。東京のイベントってこんなのあるんだね。大阪はないのに」 「え? そんなのありましたっけ?」 「参加証と一緒についてたよ」 言われて、マクベスは自分の荷物の中からサークル参加証の入った青色の封筒を取り出した。 「あ、ほんとだ、ついてる」 「でしょ?………って、マクベス?」 銀次は、その時信じられないものを目にした。 参加証と一緒にはさんであったのは、引換券と……宅急便での荷物の搬入の時に使うSPNOを記す用紙。 「マクベス、荷物宅急便で送ったんでしょ? なんでコレが此処にあるの? 荷物にはらなかったの?」 「え? コレって、自分のSPの机に貼るものじゃないんですか?」 「え………? 違うよーっ、これは荷物に貼るものだよーっ!」 「そうなんですか?! ボク、初めて知りました!!!」 マクベスの感嘆の声。 ……マクベス、キミだってもう何年かサークル参加してるんじゃないの……? 銀次よりはサークル歴は短いが、マクベスだってもうそこそこの期間、サークルとしてイベントに参加している。 銀次が、いつもしっかりしているマクベスの意外な面を目のあたりにした瞬間だった。 それから二人でいろいろな話をしていると、後の席の方で女の子の声が聞こえてきた。 「でさあ、今回フリーク使ったんだけど……」 ……同類か………。 ちゃんと聞こえたのは、それだけだったが、銀次はそれが自分達と同じ種類の人間であることがすぐに分かった。 フリークとは印刷会社の名前。 しかも、今回、銀次も使用した印刷会社だ。 「やっぱ、俺たちと同じ目的のコが乗ってるみたいだね……」 「そうですね……」 苦笑いとともに、なんとなく重いため息。 それからぷつっと二人の会話は途切れた。 銀次はぼーっと、トイレの前に並んでいる人たちを観察していた。 マクベスはそんな銀次を心配していたようだ。 「銀次さん、大丈夫ですか? 気分悪いんですか?」 マクベスは銀次が乗り物に弱いことを知っている。 ちなみにどれくらい弱いかと言うと、新幹線に酔うほど弱い。 子供の頃など、軽トラの助手席に乗って十分間直線の道を走っただけで酔っていたほど弱い。 一応これでも、昔に比べればマシになった方なのである。 「平気だよ。薬飲んできたし」 「それならいいんですけど」 三時間という決して短くはない時間をマクベスとしゃべりながら過ごし、もうそろそろ東京に着こうかという頃。 銀次の携帯にメールが入った。 友達の花月からだ。 ちなみに、花月と夏実とは、これから東京駅で待ち合わせて一緒にイベント会場まで向かうことになっている。 たまたま声優さんがらみのイベントで東京に来ていたそうなのだが、今日HARUコミに行くというので東京駅で待ち合わせることにしたのだ。 メールの内容は「待ち合わせの時間に少し遅れる」ということだった。 ……ヤバイな……。 銀次は心内で呟いた。 東京駅に着くのは8時56分。 イベントのサークル入場時間は9時半まで。 東京に着いてから、速効でバスかタクシーに乗れば間に合うかもしれないという期待は持っていたのだが、これでは完全にアウトの可能性の方が高い。 ……カヅっちゃん達に、9時半までだって伝えなかったもんなあ……。まあ、間に合えばラッキーってくらいにしか思ってなかったし、べつにいっか………。 元来能天気な銀次である。 少々の遅れは、気にしないことにした。 しかしそれでも、駅についてからお手洗いに行く時間はおしかったので、銀次はトイレに行く為に席を立った。 今まで、ただぼーっとトイレの方を観察していたわけではない。 これでも、人が少なくなった時を狙ったつもりである。 トイレの前で順番を待っていると、銀次の前に並んでいた若いお兄さんが順番を譲ってくれた。 ……オレ、そんなせっぱつまった顔してた……? 少し驚いたが、素直にその好意に甘えることにした。
東京駅に着いて、待ち合わせしていた改札口で彼らを待つこと十数分。 やっと現われた花月と夏実を見て、銀次はホっとした……のも束の間。 夏実の服を見て思わず目を大きく見開いた。 ビラビラのメイド服……。 はっきり言って、すごく可愛いし、銀次好みではあるのだが。 いくらなんでも、この場所では目立ちすぎだ。 「おはようございます」 「おはよ!」 花月と夏実の元気な声。 「僕達、ちょっとこの荷物をコインロッカーに入れてきます」 「あ、ああそうだね」 見れば、花月と夏実の手にはどでかいバックとキャリーカー。 さすがにこれをイベント会場まで持っていくわけにはいかないだろう。 だが、このサイズの荷物を入れるには、普通のロッカーでは入らない。 大きめのロッカーを探して、四人はあっちをうろうろ、こっちをうろうろ。 できるだけ、明るく、平静を保っておこうと思っていた銀次だが、さすがにここまでくると、イライラしてきた。 事前に、荷物はコインロッカーにでも入れておいてくれ、と連絡はしておいたのだ。 それなのに、まさか、合流してからロッカーを探して歩き回るハメになろうとは。 「バス、混んでるみたいですね……」 ロッカーを探して歩いている途中、バス乗り場の方を見ていたマクベスが銀次に呟く。 「そうだね……」 これではさすがにマクベスにも申し訳ない。 マクベスと、花月と夏実は直接の知り合いというわけではないのだ。 やっとのことでロッカーを捜し当てた時には、もう九時半になろうかという時刻。 絶対に間に合わない。 花月と夏実がロッカーに荷物を押し込んでいる間、銀次はチラっと腕時計を見て、マクベスに囁いた。 「もう、タクシーで行くしかないね」 「そうですね」 さっきチラっと見た限りではタクシー乗り場も列が出来ていたが、恐らくバスで行くよりかは早く着くだろう。 「お待たせしました」 花月と夏実が二人の方へやってくると、銀次は早口で言った。 「ゴメンけど、もう間に合わないからタクシーで行くよ。サークル入場時間、九時半までなんだ」 もしかしたら、ちょっと怒っているように聞こえてしまったかもしれない。(ゴメン!) 銀次の言葉に、自分の時計で時間を確認した花月と夏実がハっと息を飲む。 本当にもう、間に合うような時間ではないのだ。 銀次とマクベスがタクシー乗り場まで向かう間、花月と夏実はただ後をついてくるだけで、何も話し掛けてはこなかった。 ……ヤバ、オレもしかして、怒ってるって思われてる……? 実際イライラしていたのは本当なので、否定する気はないが、ここまで押し黙られるとかえってこっちがビクビクする。 タクシー乗り場の列に流れは意外に早く、思ってたより早くに四人はタクシー乗り込むことができた。 「ビッグサイトまでお願いします」 後部座席に銀次と夏実と花月の三人が、助手席にマクベスが座った。 「どういうルートで行く?」 運転手が聞いてきたが、東京なんてめったに来ない彼らに、どういうルートがあるかなんて分かるハズもない。 「早いルートでお願いします」 とりあえず銀次は、そう運転手に言った。 銀次の隣で、メイド服の夏実が「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝っていた。 やはり、怒っていると思われているのだろうか。 「いいよいいよ、はじめっから、間に合えばラッキーくらいにしか考えてなかったし」 実際、入場時間のことを事前に彼女らに伝えていなかったのは銀次のせいだ。 最大のミスを犯したのは銀次なのである。 「一般なの? それとも展示する方?」 タクシーの運転手の質問に、一同ビクっと体を震わせた。 どうやらこの運ちゃん、これからビックサイトで何が行なわれるのか、分かっているらしい。 「て……展示の方です……」 マクベスが、ビクビクしながら小声で質問に答えた。 「え?! それならもう時間間に合わないんじゃないの? 何時まで?!」 「九時半までなんですけど……、あと一分ですね……ハハハ……」 タクシーのデジタル時計を見ながら、マクベスが苦笑いしながら頭を掻く。 瞬間、タクシーの運ちゃんの顔つきが変わった。 「ちょっと料金高くなるけど、いいかな? 普通にバスが通ってるルートは今大渋滞みたいだから」 「早い方でお願いします!」 銀次は気合いを込めて、自分の前に座る運ちゃんにお願いした。 それから、そのタクシーはどんどん走っていった。 銀次自身、……速いなあ……と思いながらのんきに外を眺めていたが、どうやら本当に速かったらしい。 「このへん、カメラがあるからスピード落とすよ」 運ちゃんはそう言ってスピードを落とした。 銀次はこの時、なんで運ちゃんがそう断ったのか分からなかった。 そう、まさか、彼がスピード違反をしていたことなど、想像もしていなかったのである。 そろそろビッグサイトに着くかという頃。 「料金は四人でワリカンだよね? 四で割り切れるとこで止めといてあげるよ」 まったく親切な運ちゃんだ。 料金を払って会場におりると、まだ十時にもなっていなかった。 「早くついたねえ。こんな時間に着けるとは思わなかった」 呑気のそんなことを言っている銀次に、マクベスが青白い顔でポツっと呟いた。 「銀次さん……、さっきのタクシーの運転手さん、40キロの道路で80キロ出してましたよ………」 「………え……?」 どうやら銀次達は、幸運にも、とても親切で男気のある運転手にあたったらしい。 「今日、一般って何時からなんですかね?」 銀次が夏実にサークル参加証を手渡すと、夏実がボソっと呟いた。 「十時半からみたいだよ」 「え? 東京って早いんですね?!」 「うーん、たぶん大阪が遅いんだと思うよ」 実際のところ、どちらが普通の時間帯なのかは知らないが、大阪のイベントが東京のイベントより開始時刻が三十分ほど遅いのは本当のことだ。 もちろん、サークル入場時間も三十分ほどずれている。 だから、今回の夏実と花月のように大阪のイベントの感覚でくると、遅刻をしてしまいかねない。 とりあえず四人でテクテクとそれぞれのホールへと向かって歩きながら、キョロキョロと辺りを見回す。 マクベスとは、ここで別れることになっている。 「あ、マクベスは向こうだね。じゃ、また後で行くよ」 「ええ、それじゃ、また後で」 マクベスと別れた後、銀次はまたキョロキョロと辺りを見回した。 「えーと、俺たちは1ホールだっけ」 「向こうですよ」 花月と夏実が入り口の方を指差す。 どうやら、マクベスのホールばかりを気にしていた銀次は、自分の行くべき場所を何時の間にか通り過ぎていたみたいだ。 銀次のSPまでつくと、花月と夏実が手早く机の上を片付けてくれた。 二人は今日、銀次のSPで売り子をしてくれることになっている。 本当はいつもの専属の売り子ちゃんに来てもらえれば一番よかったのだが、彼女の都合がつかず、今日は銀次一人でSPを切り盛りするつもりだった。 しかし、運よく花月と夏実が今日こっちへ来るということで、急遽お手伝いをお願いしたのだ。 「よいしょっと、うー、重い……」 二人が机の上を片付けてくれている間に銀次は、宅急便の荷物を取ってきて、SPの下にドサっと置く。 その荷物は、ホンキで重かった。 なんせ、今日の分と21日のインテックスの分、二日分詰め込んできたのである。 とりあえずざっとSPに本を並べ、一般が始まる前に花月と夏実は知り合いのサークルさんに挨拶に行くということで、行ってしまった。 SPに残されたのは、銀次一人。 やっと、一息つけたような気がした。 とりあえず、パンフをペラペラとめくってみる。 行きたいとこをざっとチェックして、何気にめくったページに、銀次は視線を止めた。 そこは、銀次が前に居たジャンルだった。 ……ええ?! ウソ! 東京でもこんだけしか残ってないの?! てか、オレがやってたカップリングなんか一つもないし……。 やめてしまったジャンルとは言え、かつて自分が居た場所が衰退していく様は、どうも淋しく感じられた。 ついでに、その前にやっていたジャンルも何気に調べてみた。 サークルさんが一つだけ残っていた。 ……淋しすぎるよおっ……! 一人でうるうるしていると、一般開始の放送があった。 夏実と花月も戻ってきた。 「あ、オレ、一度出ていったら戻ってこないから、先に買い物行ってよ」 そう、今日はゆっくり買い物をする目的で来たのだ。 此処は、売り子の二人にはあとで存分に働いてもらうことにする。 「分かりました」 「じゃ、行ってくるね」 SPを離れかけた二人に、銀次は思い出したように声をかけた。 「あ、夏実ちゃん、その格好目立つんだから、気を付けなよ! ヘンなお兄さんについてっちゃダメだよ!」 「大丈夫ですよー」 ヒラヒラと手を振って笑いながら、二人は行ってしまった。 そこからは、適度に接客をして愛想笑いをしていればそれでよかった。 頭の回転のニブイ銀次は、多少お金の計算に戸惑うこともあったが、まあ、それもたいしたことではない。 本を買ってくれるお客さんがいれば、素直に嬉しいと思う。 それで、いいんではないだろうか。 それから、まだ一般が入って三十分くらいしか経っていない頃だったと思う。 早々と花月と夏実が戻ってきた。 「あれ、買い物もういいの?」 「ええ、あまり荷物を増やすと大変なので」 花月の言葉に、今朝東京駅のコインロッカーに詰め込んだ彼らの荷物のことを銀次は思い出した。 確かに、あまり荷物を増やすと大変そうだ。 「じゃあ、オレ、行ってくるね!」 銀次はSPを二人に任せて、とても元気に出ていった。 ……やったーっ! やったーっ! 本が買えるーっ!!…… 内心、とても大喜びで。 おつりやペーパーのことについて、彼らに説明しなかったが、まあ適当にやってくれるだろう。 二人ともよく知った友達なので、銀次はとくになにも気にしなかった。 とりあえず最近ハマっている小説系のSPを何度も何度もうろうろし、何冊か本を買った。 初めて買うジャンルなのでどこの本がいいのかとか、よく分からなかったが、ハイテンションの銀次はけっこう何でもよかった。 喉がカラカラに乾いていることも、忘れていた。 とりあえずそのジャンルの買い物をすませ、銀次は一度自分のSPに戻ることにした。 どっちにしろ、自分のSPの周りもまたうろうろするつもりだったからである。 ……えーと、オレのSPどこだったかなあ……。 ビッグサイトの配置は、銀次はどうも苦手だ。 東1〜3ホール、4〜6ホールがつながっている為、今自分がどこのホールに居るのかさえ、よく分からなくなるのだ。 キョロキョロと自分のSPを探していた銀次だったが、ソレはすぐに見つかった。 というより、彼女が目立っていたのですぐに分かった。 メイド服すがたの夏実が、銀次のSPで売り子中だったのである。 ……分かりやすくていいかも……。 とりあえず、夏実がSPに座っていてくれる限り、銀次が迷子になって自分のSPに帰ってこれないという、アホな事態はなさそうだ。 「ただいまー」 「あ、おかえんなさい」 「カヅっちゃんは?」 「買い物に行きました」 「そう、オレ、もう一回行ってくるね」 「はい」 銀次が戻ってきたのは、ただのついでである。 夏実もそれが分かっているのか、素直に売り子を続行してくれた。 グルっと自分のSPの周りを回ってもう一度SPに戻ってみると、花月が帰ってきていた。 「あ、カヅっちゃん、何買ったの?」 「ええ、ちょっとパーツを」 「パーツ……?」 見ると、花月の手にはシルバーのアクセが光っていた。 ……そう言えば、カヅっちゃんこういうの好きだよね……。 銀次もちょっとグッズ系を見てこようかなあ、と思ったが、あそこは大阪のイベントではいつ行ったって人でいっぱいなのだ。 東京だって同じことだろう。 そう考えて、銀次の頭の中でその考えはさっさと却下された。 「オレ、友達のとこに挨拶に行ってくる」 「ええ、いってらっしゃい」 銀次はSPを二人にまかせて、またもや行ってしまった。 本当に、一度出ていったら自分のSPには寄り付かない。 とりあえず、銀次はマクベスの居る東5ホールに向かった。 たしか、このホールに昔同じジャンルだった友達が居るハズなのだが。 彼女のSPはすぐに分かった。 ていうか、とても分かりやすい位置にあった。 彼女とジャンルが離れてから、もう随分経つが、どうやら彼女の方はそこそこ大きなサークルへと発展していたらしい。
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