「HARUコミ〜インテックス」


一頻り話をして、クッキーと、本をどっさりもらった。

 そう、そして、銀次は彼女と会う度に不思議に思うことがある。

 付き合いは長いのに、銀次は彼女の年を今だに知らない。

 会う度に「そう言えば、あなたは一体何才なんですかあ?!」と思うのだが、そんな失礼なこと聞けるわけもない。

 一度だけ「銀次クンよりかはお姉さんですよ」と教えてもらったことがあるので、自分より年上だということだけは分かるが。

 でもまあ、能天気な銀次のこと、彼女と別れて少しすれば、自分がそんな疑問を抱いていたことすら忘れてしまうのである。

 とりあえず、会いたかった友達とは会えたので、銀次はそれからマクベスのとこへ顔を出した。

 マクベスは今日、一人で自分のSPを切り盛りしている。

 花月か夏実に、マクベスの方も手伝ってもらおうと思っていたのだが、マクベスの方から売り子の件は丁重に断ってきたのだった。

 まあ、銀次は花月も夏実もよく知っているからいいだろうが、マクベスから見れば初対面も同然。

 お金のかかわることでもあるし、気はひけるだろう。

「マクベス、買い物まだなんじゃない? オレが代わるよ」

「あ、本当ですか? じゃあちょっとだけお願いします」

「いいよ、ゆっくり買い物してきなよ」

 自分のSPはほったらかしのクセに、銀次のしていることもよく分からない。

 マクベスと交替して暫らくして、銀次はあることに気がついた。

 なんと、SPの机の下……在庫を入れてきたのであろうダンボールの上に、しっかり

とパンフが置いてあったのである。

 銀次のパンフは、今自分の手にもってペラペラめくっている。

 ということは、もちろんそこにあるのは、マクベスのパンフ。

 ……ええ?! ホール館を行き来する時って、必ずパンフがいるんじゃ……?! うわあっ、どうしよう! このままだとマクベスが余計なお金を払うハメに……。しかも確か今日のパンフって1200円もしたハズだよね……?!

 銀次は一人、周りの人には悟られないように己れの中だけでパニックしていた。

 ……そうだ、携帯で連絡すれば……って、マクベスって確か携帯持ってなかったんだよーっ! 何でいまどき携帯持ってないのー?! あーっ、マクベスーっ……!!

 冷静に対処しようとしたつもりなのだが、結果的にますます混乱している。

 と、その時、お客さんが「これください」と本を差し出してきた。

 ……ああっ、そうだ、オレ今売り子中なんだから、ちゃんと笑顔で対応しないと! 

混乱してる場合じゃないよ……!

「はい、1200円になります。ありがとうございましたー」

 愛想笑いを浮かべたつもりだが、内心やはり心臓がバクバクしていた。

 ……1200円だって、パンフと同じ値段だよーっ……ああ、このお金をマクベスに渡しに行けたら……じゃなくって、このパンフをマクベスに渡しに行けたら………!

 なんて、だんだんわけのわからないことを考え始める。

 何度かそんなことを繰り返して、暫らくすると、マクベスが何事もなかったかのように満足気な表情で帰ってきた。

「銀次さん、有難うございました」

「あ、マクベス! キミ、パンフ持っていかなかったでしょ?! どうしたの?!」

「ああ、ボク、この東4〜6ホールにしか用がなかったもんで」

 言われて、銀次はこの会場の配置を思い出した。

 4〜6ホールは繋がっているので、いちいちパンフを持ち歩く必要はなかったのだ。

「なーんだ、オレ、すっごいドキドキしちゃったよ」

 後頭を掻きながら、アハハと笑う。

 どうやら銀次は、昨日からマクベスのことに関して心配しすぎのようだ。

 昨日の待ち合わせの改札口のことも然り。今回のことも然り。

 銀次の混乱と焦りと心配は、結局すべて意味のないものだったのである。

「じゃ、オレ、そろそろ自分のSPに戻るよ!」

「ええ」

 マクベスにザっとさっきまでの売り上げを説明すると、銀次はやっと自分のSPに落ち着く為に戻っていった。

 銀次がSPに戻ると、花月が一人で座っていた。

「ただいまー、ごめんね。あとはオレがやるよ」

「ええ」

 銀次は花月と席を代わった。

 花月はお手洗いに、と行ってしまった。

 もしかしたら、我慢していたのかもしれない。

 ……悪いことしたなあ……と思いながら、銀次は花月の後姿を見送った。

 少しすると、どこに行っていたのやら、夏実が戻ってきた。

 相変わらず、ビラビラの可愛らしい格好で、どこからやってきても目に付く。

「すみません、ちょっと向こうの知り合いのSPで売り子してて……」

「そっかー。みんな忙しいねえ」

 銀次が自分のSPにまともに座っていないから忙しいのだが、本人はまったく気にしていない。

 もうイベントも終盤な為、客足も途絶え、SPに居ても暇だったので、銀次は夏実と話をしていた。

 少しすると花月も戻ってきたので、三人でまた話をした。

「すみません、一冊ずつ全部ください」

「はーい、有難うございまーすv」

 本日ラストのお客さんは、総ざらい。

 嬉しい限りである。

「「「有難うございましたーvvv」」」

 三人でとびっりきりの笑顔で本を手渡して、本日の販売は終了した。

 終わりよければすべてよし。

 あとは、片付けをして帰るのみ。

 ダンボールに残りの本を詰めていると、すでに片付けを終えて宅急便で荷物を送ったマクベスがやってきた。

 銀次はダンボールの隙間を埋める為、必死で今朝机の上に配れていた印刷会社のマニュアルやらイベントのチラシやらを詰め込んだ。

 ついでに、今日のパンフも一緒に詰める。

 そしてさらについでに、なぜかSPに配られていた日清食品のUFOも、「こんなんいらないよー」と言いながら、詰め込んだ。

 ちなみにこの荷物は、銀次の家に送るのではない。

 21日のインテックス大阪の会場へと送るのだ。

 イベント会場でダンボールを開けたら、UFOが入っている……というのも、想像しただけでおかしな光景だが、とにかく隙間を埋める為なら何だって突っ込んだ。

 宅急便は、力持ちの花月と、なぜかマクベスが出しに行ってくれた。

 銀次はお金を払っただけだった。

 すべての作業を終え、ここからは、花月と夏実とは別行動ということになっている。

「それじゃ、今日は二人とも、売り子ありがとうございましたー。じゃ、また21日に」

「ええ、あ、銀次さん、インテの前日泊りにいくかもしれません」

「うん、分かった。事前に連絡して」

「はい」

 かくして、今日の一大イベントは無事終了したのである。

 

 花月と夏実と別れた後、銀次とマクベスは会場の上にあるカフェへと足を向けた。

「そう言えば、上の方になんか食べれるとこがあったような気がするー」という、銀次の数年前の不確かな記憶によっての行動である。

 なんせ、ビッグサイトに直参したのは本当にひさしぶりだったのだ。

 マクベスは初めてだったので、周辺の状況を知るはずもない。

 とりあえず、階段を上って少し歩くと、大阪にもある「動く歩道」が目に付いた。

 確かに、アレは大阪にもある。

 しかし、どう見ても今目の前に見えるソレは本来の役目を果たしているようには、銀次の目には映らなかった。

「ねえ、マクベス、なんで、皆あの歩道の上で止まってんの? しかもあの歩道、スピードメチャクチャ遅いよ! 大阪のはもっと早いし、皆歩道の上をさらに早足で歩いてるよ?!」

「…………」

 何やらわけの分からない疑問を投げ掛けられて、マクベスは一瞬言葉を失った。

「銀次さん、アレは加速して歩く為のものではなく、止まってても勝手に移動してくれるという便利なもので………。銀次さんみたいな考え方をするのは大阪の人だけですよ……きっと……」

 マクベスがため息混じりに呟く。

「ええ?! でも、オレ純粋な大阪人じゃないよ?!」

「もう何年大阪に住んでるんですか……? すっかり大阪に馴染んでしまって……」

 言われて、銀次は「べつにそんなに馴染んでないけどなあ」と思う。

 実際、まだよく分からない大阪弁だっていっぱいあるし、大阪の人間の気の速さと思い込みの激しさには呆れることもある。

 銀次的には、まだ芯から大阪人にはなっていないつもりなのだ。         

  そうこうしているうちに、とりあえず食事にありつけるカフェに到着した。

「あー、美味しそう……」

 カフェの入り口にあった生ビールの写真に、銀次は思わずゴクンと唾を飲んだ。

 そう言えば、すごく喉が乾いていたのに、すっかり忘れていた。

「飲んでもいいですよ……」

 隣でマクベスが呆れたように囁いている。

「うーん……」

 とってもとっても生ビールが飲みたかった。

 だが銀次は、涙を飲んでウーロン茶で我慢した。

 もしこれが大阪のイベント帰りなら、銀次は何も考えることなくゴクゴクとビールで喉を潤していたであろう。

 だが、ここは東京なのだ。

 これからまた三時間も新幹線に乗らなくてはならない。

「少しでも乗り物酔いを引き起こす可能性があるものはやめておこう……」銀次にしては、懸命な選択だった。

 軽めの食事をとり、またもや酔い止め薬を飲んで、銀次とマクベスは東京駅へ向かう為にタクシーに乗り込んだ。

 間違ってもバスに乗るのだけは避けたかった。

 帰りのタクシーは通常の、バスが通っている道路を走っている為、途中何台かビッグサイトから来たらしいバスを追い越したり追い越されたり。

 いずれも、ぎゅうぎゅういっぱいなのがタクシーの窓越しにでも分かる。

「バスに乗んなくてよかった……。あんなん乗ったら、オレ、薬飲んでても酔っちゃうよ……」

「そうですね……アレはちょっと、僕も乗りたくないです……」

 銀次とマクベスは窓越しに見えるバスの惨状を眺めながら、二人してげんなりと呟いた。

 東京駅に着いて、二人で家族やら友達やら会社の人間にやらのお土産を買って、新幹線のホームへと足を向けた。

 まだ指定席をとっておいた新幹線には時間があったので、二人してホームでジュースを飲んで話しをしながらすごした。

 銀次の喉はまだカラカラに乾いていた。

 その為、マクベスが買ってくれたジュースもすぐになくなった。

 新幹線に乗り込む前に、また新たにお茶の入ったペットボトルを一本買った。

 ここまで喉がカラカラなのはおかしいと、脳みその足りてない銀次でもさすがに分かる。

 ……何でだろ……空気が乾燥してるのかな……。

 だが、もう春先。

 真冬より乾燥しているということは、ないと思うのだが。

 いろいろ考えてはみたが、結局分からなくてすぐに考えるのを放棄した。

 新幹線に乗り、銀次はハアっとため息をついた。

 やっと帰れるーという気持ちからホッとしたわけではない。

 これからの長い三時間の道程を思っての重いため息である。

「銀次さん、大丈夫ですか?」

 銀次が遠い目をしていたからだろうか。

 マクベスが銀次に窓際の席を譲ってくれた。

「寝てていいですからね」

 どうやら、本格的に心配されてるらしい。

「うん、でも乗り物の中じゃ寝れないよ」

 新幹線が発車すると、二人はまた話しをしたりして時間を過ごした。

 数十分の間、意識が飛んでいたこともあるような気がするが、よくは覚えていない。

 寝てたわけではないので、たぶん、うとうとしていたのだろう。

 何度も何度も時計を見て、「あと何時間」と確認する。

 HARUコミは楽しかった。

 でも今は、早く大阪に戻りたかった。

 

 蛮と銀次が暮らすマンションまで戻ったのは、すでに夜中の十時頃だった。

 銀次もマクベスも疲れ切っていたが、とりあえず留守番していた蛮に今日のことを報告する力くらいは残っていたらしい。

「オメー、新幹線に乗った時から遠い目をしてたってさっきマクベスが言ってたぞ」

 マクベスがシャワーを使うというので、二人だけになった時、蛮が銀次に言った。

「うーん、だって、三時間は辛いよー」

「寝てりゃあいいだろ」

「だって、寝れないもん」

「そんなもんか? オレはいっつも寝てるけどなー」

 今回の長旅(?)で、きっと自分は海外旅行なんかで飛行機で何時間……というのは耐えられないんだろうなあ……と銀次は身に染みて思った。

「またすぐ、インテなんだよねー。しんどいよー」

「ホントだな……」

 次は3月21日。

 そう、彼らのイベント紀行はまだ終わってはいないのだった。

 

 3月18日。

 HARUコミ翌日。

 銀次はマクベスの声によって目が覚めた。

 時刻はまだ朝の七時。

 今日はこれから仕事だが、それでもまだいつもなら眠っている時間だ。

 ちなみに、蛮はすでに仕事に行っている時間でもある。

「銀次さん、僕、もう帰りますんで」

「あ、うん……」

 すっかり身仕度を整えているマクベスの隣に、銀次はパジャマ姿のままベッドサイドに腰を下ろす。

「マクベス……オレ、なんか声おかしい……」

 朝起きて、声を発して思ったことはそれだった。

 声が擦れて、ちゃんと喋れない。

「ホントですね……。ちゃんと水分をとって、喉飴かなんか舐めてた方がいいですよ」

「うん……」

 自分でもどうしていいか分からなかったので、とりえずマクベスのアドバイスに素直に頷く。

「それじゃ、長いことお邪魔しました」

「ううん、たったの二日じゃん。駅までの帰り道分かる?」

「ええ、大丈夫です」

 玄関先までマクベスを見送って、それで、彼とはとりあえずさよならだった。

 どうせまた、4月のイベントで会うのだ。

 そんなに淋しいとは思わなかった。

 

 その日の夜。

「蛮ちゃーん、オレ、喉おかしいよーっ」

 仕事から帰ってきた蛮に、銀次は泣きついた。

 一日中声が擦れたまんまで、まともに喋れないというのは、不快感がたまってしょうがなかったのである。

「確かに、声が擦れてるな。風邪か?」

「ううん、風邪はひいてるけどそのせいじゃないような気がする。昨日、何だかずっと喉がカラカラで水ばっかり飲んでたから……」

「乾燥にやられたか……。マスクでもしてろ」

 自分も乾燥にやられて喉を傷めたことがある蛮が、自分の経験段を語りだす。

「最近のマスクはいいぞ。なかなか高性能になっててな………」

 延々と続く蛮の最近のマスクに対する評価を、銀次はただ「うんうん」と聞いていた。

 そう、あくまで聞いていただけ。

 マスクをするのは面倒だし、仕事に支障が出るので、はじめから蛮の言うことをきく気はなかったようだ。

 だが、そこまでマスクに対して語れる蛮をある意味すごいとも思った。

 妙なことに凝る人間である。

 

 3月19日。

 その日は、普通に仕事に行って、戻ってきて夕食をとると、蛮とテレビを見たりして過ごした。

 銀次の喉は治らなかった。

 

 3月20日。

 インテックスでのイベント前日。

 今日は花月が泊りにくることになっている。

 よって、仕事から戻ってきた銀次はせっせと三人分の夕食を作っていた。

 平日の食事当番はいつも銀次である。

 ちなみに、イベント前日はこの家にはよく人が泊りにくる。

 身内の中では此処が一番、イベント会場に近いからだ。

 今日は平日で、インテとは言えど小規模なイベントなので、泊りに来るのは花月だけだが、これが夏ともなればまた話は別だ。

 大きなイベント前日は地方の友達も泊りにくる為、最高で七人くらいの大所帯になってことさえある。

 それでも、さすがにこのマンションに寝泊りできる定員はある為、何人か大阪近辺に住んでいる人は断って……だ。

 だから、今日は比較的淋しいイベント前日と言えよう。

 夕食の準備が終わって少し経つと、花月がお土産をもってやってきた。

 手に持っているのは、スパークリングワイン。

「わーいっ! カヅっちゃん有難うv」

 とても喜んではいるが、やはり銀次の声は擦れている。

「いえいえ、此処に来る時は必ず一本、が基本ですからねv」

 いつからそんな決まりが出来たのかは知らないが、銀次は今日はとってもお酒が飲みたい気分だったので、心底このお土産が嬉しかった。

「白ですからね、よーく冷やしてから飲みましょうね」

 今から早速飲む気でいる銀次の手から、ワインを奪い取って、花月が冷蔵庫にしまう。

 勝手知ったる人の家。

 おそらく、此処に住んでいる銀次より、花月の方が此処にある酒関連のことはよく分かっている。

 実際、このマンションにはすでにちょっとした居酒屋が経営できるのではなかろうかというほど、酒ビンが並んでいる。

 数か月に一度、ストレス発散の為に行なっている飲み会の時に、皆が持ち寄ったものではあるが、銀次はそこに何があるのかよくは分かっていない。

 分かっているのは、花月と笑師くらいのものではなかろうか。

 それから、蛮が帰ってくるのを待って、三人で夕食をとった。

 さすがにお腹いっぱいの時に酒を飲む気にはなれないので、少しお腹が落ち着くのを待ってからやっと、お待ちかねのワインの登場だ。

「あんまり冷えてませんでしたね」

「そうだねえ」

 つまみにこの前イベントでもらったクッキーを啄ばみながら、花月と銀次は嬉しそうにグラスに口をつける。

「蛮ちゃん飲まないの?」

「いらねえ」

「そう思って、グラスは二人分しか出しませんでしたv」

 花月の頭の中では、はじめっから蛮は除外だったらしい。

 ていうか、彼は基本的に飲めないのだ。

 それなので、他の人も無理に勧めたりはしないようにしている。

「それより、絃巻き、明日は頼むぜ」

「ええ、任せてください」

 明日のイベントは、蛮は遅刻参加ということになっている。

 用事があってどうしても、午後からしか来れないのだ。

 よって、蛮のSPは花月が面倒を見ることになっていた。

 本当は花月もサークル活動をしているし、いつもならちゃんと自分のSPを持っているのだが、今回に限って「気がついたら申し込み日の締切が過ぎていた」ということらしい。

 いつもしっかりしている花月なのに、最近はどこか抜けているのではないかと、蛮と銀次は密かに思っている。

「そう言えば、カヅっちゃん、明日は普通の格好なの?」

 ふと思い立って、銀次が尋ねた。

 HARUコミの時こそ、普通の格好をしていたが、花月もたまーにゴスロリのビラビラ服着用でイベント参加することがあるのだ。

 しかも、あの服は場所をとるから、ということで、イベントはイベントでも今回のような小規模なものでしかやらない。

「ええ、明日は迷彩ガラで決めてみようかと。パーツもいろいろ持ってきましたし」

 そう言って、ジャラジャラと持っていた鎖を鳴らした。

「これを、腰につけるんです」

「そっか。鎖ってイベント会場で身につけててもよかったっけ?」

 銀次の素朴な疑問には蛮が答えた。

「その長さなら、いーんじゃねえの」

 それから、一本しかないワインをチビチビと飲みながら三人で話をしてすごした。

 いつものイベント前日ほど盛り上がりはしなかったが、まあ、たまにはこんなにもいいんではないだろうか。

「ワインってさあ、二人で飲むと二杯と半しかないんだよねえ……」

 自分のグラスの大きさは棚に上げて、銀次がぽつりと愚痴を零す。

「足りないんだな……?」

 蛮が呆れたように呟いた。

「三人で飲むともっと少ないですよ」

 花月も銀次と同じく、物足りなげにグラスのワインを足しながら言う。

「オレ、この前HARUコミ終わった後、すっごくビール飲みたかったの我慢したんだよー!」

 いかにも誉めてくれと言わんばかりに、銀次が声を張り上げる。

 だが、誰も誉めてはくれなかった。

 ビール一杯我慢したからと言って、何だというのだ、というのは誰でも思うとこだろう。

「そうなんですか? 僕、新幹線の中で飲みましたけど?」

「いいね……。オレ、乗り物酔うから……」

「そうでしたね……。僕、行くときもワイン買って飲みましたよ。以前にそれをやってコルク抜きがなくて失敗したことがあるので、今回はちゃんとコルク抜き無しで開くのを選らんでですねえ……」

 花月のこういう話を聞いていると、コイツは本当に酒飲みだ、としみじみと思う。

 実際彼のサイトは酒の話が尽きない。

「ホントに、せっかく買ったワインが開かなかったらムカツキますよね。最近では、ホンキでソムリエナイフを持ち歩こうかと思ってるくらいですよ」

 流石にこの発言には銀次も蛮も驚いた。

「いや、ちょっとソレは……」

「さすがにそこまでは、ヤバくねえ……?」

 とりあえず、二人で窘めておく。

 ソムリエナイフを持ち歩く友人、というのも想像しただけで恐ろしいものがある。

「そうですよねえ。さすがにソコまではね……」

 花月は笑いながら納得してくれた。

 銀次は内心胸を撫で下ろした。

 

 3月21日。

 インテックス大阪、イベント当日。

 今日は蛮が午後からの参加な為、朝銀次と一緒にこのマンションを出たのは花月だけだった。

 花月は昨夜予告したとおり、ばっちり迷彩柄でキメており、なんだかとっても、「かっこいいお兄ちゃん」に見えた。

 銀次の家からは、とりあえず近くから出ているバスで住之江公園まで行く。

 なぜかわけのわからない場所をぐるぐる回って行くバスなので、目的地まで三十分もかかるが、べつに混むことはないのでのんびりと行ける。

 なんとなく、複数ジャンルで活動してた時期が長く、早めに行って準備をするクセがついている為、のんびりとバスに乗っていてもなんの問題もない。

 バスに乗って、銀次はあることに気がついた。

「ねえ、カヅっちゃん、オレ、喉治ってる?」

「ホントですね。昨日と比べたら大分よくなってますよ」

「やったー。やっぱ、お酒飲んだからかな?」

 何の根拠があってそう思うのかは知らないが、銀次はすべては酒のおかげだと思っていた。

「そうですね。適度なアルコールで消毒されて、喉が潤ったんですよ」

「お酒ってすごいね!」

「そうですねv」

 否定しない辺り、花月も何を考えているのかよく分からない。

 もし、これが本当にお酒のおかげで治ったのなら、銀次はおそらくこれから先ずっと喉を傷める度に酒を飲み続けるだろう。(笑師くん、どうなのでしょう?!)

 そうこうしているうちに、花月の携帯にメールが入った。

 士度からだった。

 どうやら彼は、寝坊して遅刻決定らしい。

 それから、バスが住之江公園までつくと、そこからニュートラムに乗り換えだ。

 普通なら、此処までの道程を地下鉄を利用してくる為、地下鉄に乗っている時点から混雑に巻き込まれるのだが、彼らはバスで此処まで到着したのでそんな心配もいらない。

 混雑も何も考えることなく、普通にニュートラムのホームまで上っていく。

 でも、べつに今日は駅で混雑が起きるほどのことはなさそうだ。

 地下鉄の方から上ってくる人もまばらである。

 電車の座席は、入り口付近の端っこの席に二人で陣取った。

 余裕で座れる辺り、今日は本当に人が少ない。

 少しすると、二人の前にまだ若い年令の女の子たちが団体で立った。

 恥ずかしいことに、結構な大きな声でオタク話に花を咲かせている。

「………」

「………」

 銀次と花月はその若者たちの様子に、何も言えなかった。

 ハアっと重いため息を思わずついてしまうくらいに。

 一応、一般の人も乗っている電車である。

 そういう話をするな、とは言わないが、せめてもう少しボリュームを下げろ、くらいは言いたい。

「最近、年齢層下がってるよね……」

 銀次がポツっと呟く。

「ええ、さっき子供料金で乗れるかどうかって話してるコ達も居ましたよ……。確か、中学生から大人料金なんですねよ?」

「うん」

「ということは、そのコ達はたぶん中学生……」

「ていうかさあ、ホントに子供料金のコがあんなトコに行ったらいけないと思うんだよねえ」

「確かに……中学生でもどうかと思いますよね……」

 銀次と花月が度々ため息をつきながらそんな話をしていると、彼らの前に立っていた若い団体は、奥の方の席が空いたのでそちらに移動していった。

 そして少しすると、一般の乗客と人目で分かる老夫婦が電車に乗り込んできた。

 銀次はすぐさま、席を変わった。

 花月も続いて席を立った。

 銀次と花月は、その老夫婦の前に立ち、この人たちが乗ってきたのが、さっきのオタクな集団が奥に引っ込んでくれた後でよかった……と心底思った。

 こんな善良そうな老夫婦に、キャキャっと、ろくでもない話を大声でしている団体を、同じ種類の人間として、あまり……というか、絶対に見せたくはなかった。

 さすがにその老夫婦が隣に座っていた同類の女のコに「今日何かあるの?」と尋ねていた声が聞こえた時には、ビクっとしたが、その女のコはうまくごまかしたようだった。

 

 目的の駅に着いて、インテックスの会場までは歩いてすぐ。

 会場に入るとまず、銀次と花月は荷物を取りに宅急便の受け付け場所まで。

 そして、銀次の荷物運びを終えると、花月は蛮のSPの準備をしに行ってしまった。

 ……えーと、まず本部に行って……。

 とりあえず先にダンボールの中から、配布を頼まれていたイベントのチラシだけを取出し、さっさと本部へ向かう。

 チラシの見本の提出を終えると、本部のお姉さんに「十時半までに配り終えてくださいね」と笑顔で言われた。

 時刻はまだ九時すぎ。

 頼まれたチラシの量も多くはない。

 ……余裕だね……。

 思いながら自分のSPまで戻り、ざっとチラシを配って回った。

 案の定、すぐに終わった。

 それから自分のSPの準備をする為、再びダンボールの中をあさる。

 日清食品のUFOが出てきた。

 この場に友人が誰か一人でも居たら、笑いのネタにするところだが、今は一人なので何も言わずにソレを再びダンボールの中に押し込む。

 不要なものは出していても邪魔なだけだ。

 SPの準備を終えると暇になった。

 じっとしていてもつまらないので、パンフを買いにいった。

 大阪のイベントは、一般が入るまでの間はサークル参加の者は自由購入制なのだ。

 だから、HARUコミについていた「パンフ引換券」になどお目にかかったことはない。

 自分と売り子ちゃんの分の二冊を買って、SPに戻り、銀次は暇つぶしがてらパンフを捲った。

 そこで。

「…………!!!」

 銀次は嬉しさのあまり驚愕した。

 此処に友人が誰か居れば、声をあげて喜んでいたことであろう。

 ……うわあっ!! 中表紙がGBだよ!! やったーっ!!!……。

 そう、その日のパンフの中表紙は、今銀次がやってるジャンルの主人公Sのイラストだったのである。

 ……こんなマイナーなジャンルが中表紙にくるなんて! やったー! やったよ、蛮ちゃーんっ!……って、蛮ちゃん居ないんじゃん……!

 一番に知らせたい人物は今この会場内にはなく、銀次は蛮に携帯のメールで喜びの声を伝えた。

 そして暫らくパンフを捲っていると、いつも売り子を手伝ってくれる朔羅がやってきた。

「おはようございます」

「あ、おはようv 今日もよろしくv」

 彼女は銀次が前のジャンルに居た時に一般募集してきてもらった売り子ちゃんだ。

 ジャンルが変わった今でも毎回手伝いに来てくれる、とても可愛くて気さくな、銀次にとっては自慢の売り子ちゃんだったりする。

「ねえ、見て見て、今日のパンフの中表紙GBなんだよv」

「あ、ホントですね」

「なんか今日、思ってたとおりサークルさんも少ないし暇そうだけど、このパンフを買えただけでも今日SPとったカイがあったかもv」

 銀次はとっても上機嫌だ。

 少しの間朔羅と話をして、銀次は一般が入る前に、と思ってお手洗いに立った。

 まだ一般が入る前だというのに、トイレは意外に混んでいて順番待ちしているとSPに戻るのが遅くなった。

「ごめん、トイレ混んでた」

「あ、さっき笑師サンが来ましたよ」

 笑師とは、しょっちゅう銀次達とつるんで遊んでいる……もとい、酒を飲んでいる友人である。

 ちなみに、銀次は今まで生きてきた中で、彼ほど天然ボケな人物を知らない。

「ホント? まあいいや。また来るよね」

 たいしたことではないというふうに言って、銀次もSPの自分の椅子に座る。

 一般が始まると、先に朔羅に買い物に出てもらった。

 そのへんは、いつものことである。

 その日のSPははっきり言って、暇だった。

 ペーパーもいっぱい刷ってきた筈なのに、HARUコミが終わって残りを見てみると、三枚しかなかった。

しかもそれに気づいたのはつい先程。

 ……さすがに三枚じゃヤバイよねえ……。

 

BACK    NEXT

BACK