DOLL HOUSE
「デュオ…」
優しい声で呼ばれて顔を上げると、唇に柔らかいものが触れた。
目を閉じて唇を薄く開けると、舌が侵入してくる。
初めは静かに、段々と激しく、口内を陵辱される。息が儘ならずにヒイロのシャツを握り締める手が震える頃、やっと解放された。
「つっ」
離れる瞬間、唇を思い切り噛まれた。顎をつたう紅と、口の中に広がる鉄分の味。
「デュオ」
優しげに、優しげにヒイロは目を細める。
けれど、その瞳には本当にオレを映しているの?
見たくなくて顔を伏せると抱き締められた。抵抗もせずにされるがまま、ヒイロの好きにさせてやる。
自分に触れることを彼は望んでいるから、できる限り応える。
本当は、他人に触れられるのは好きじゃない。
馴れていない、と言う方が正しい。
情報を得るために身を他人にさらけることはあったけど、どうしても嫌悪が拭いきれなかった。
今も竦みそうになる体を必死に抑える。
下手に抵抗しようものなら、また殴られることは間違いなかった。それに、ヒイロなら許せるから。ゆっくりと力を抜く。
元々細くて小さかった二人の体は、今はもっと痩せてしまっていて、抱くのは簡単だ。腕に力が入らなくて、抱き締めてあげられないことが少し哀しいけど。
ベッドに寝転んで抱き合う子ども二人。
それは無邪気でほのぼのしくも思える光景。
ただ異質なのは、二人の手は数えきれないほどの血に汚れているということ。
その重みは生涯耐えていくべきものであって、覚悟もしていたけれど。
「ヒイロ…」
こんな筈じゃなかった。
「…ヒイロ」
昔の彼を思って、名を呼ぶ。
英雄、救世主、そのコードネームは彼にとても似合っていた。
実際彼は世界を救った。平和の女神を支える、偉大な英雄。
ヒイロには、幸福になる権利が十分あった。
…なのに、下された罰がこんなものだなんて。
お前がそんなに苦しむことはなかったのに。
同情なんてしないけれど。
彼が哀しい。
自分は良かったのだ。平和な世界というものを見ることができて、それで良かった。
だから、お前が悲しむことはなかったんだ、ヒイロ。
「ヒイロ」
痛むのは、傷付いた唇ではなく、胸の奥。
「大好きだよ。ヒイロ…」
きっと、これは彼が一番欲しがっていた言葉。
謝っても彼は帰って来ないから、無駄なことはしない。
許して欲しいとは思わないから、ただこれ以上彼を悲しませないように、彼が望んだものを与えてあげる。
ヒイロはデュオを抱き締めたままじっとしている。
もしかしたら眠っているのかもしれない。
そう思っていたら、しばらくしてから規則正しい寝息が聞こえてきた。
顔を巡らせて見ると、子どものように清らかな寝顔のヒイロがいた。
どんな夢を見ているの? 今は遠い過去? それとも消してしまった未来?
できるなら、幸せな夢でありますように。
祈るような気持ちでヒイロの髪をそっと撫でた。
デュオの背に回された腕は解かれることはない。
もうどれくらいこのベッドの上から出ていないのだろう。
知っても意味がないので、考えるのをやめる。
決してヒイロはデュオを放そうとしない。
このベッドが二人の、二人だけの聖域だった。
白い壁に覆われた部屋。カーテンがひかれた窓。鍵を失くした扉。
見えるものはそれだけだった。
これが世界のすべてだった。
昔の彼の瞳が浮かぶ。
ヒイロは、デュオを支配しようとか思っていたのではないだろう。
ヒイロは多分、純粋にデュオのことが好きだっただけだ。
ただ不器用で、伝え方を知らなかった。
逃げなければ良かった。想われることを恐れなければ良かった。
そんなことを考えても、もう後悔すら遠く、ただ虚無感が流れるだけ。
《ヒイロ》はもう戻らない。
愛している…と囁いてくれた彼は、過ぎ去った過去と同じくらいに遠い。
デュオが自分の心をやっと自覚できた頃には、すべてが遅かった。
空回りな想いは何処へ向かえばよいのだろう。
すべては遅すぎた。
此処に二人で逃げてきて、世界を捨てて、それで終幕。
遅かったけれど、デュオと共にいることがヒイロの望みだったのなら、最期まで傍にいてあげよう。
俺が守ってあげよう。
デュオの声が届くことはなくても、願っているから。
ずっと、伝わらなくても。
腕の中で幸せそうに目を閉じているヒイロ。
切なさが込み上げてきて、目が霞む。
俺がいなくなってしまったら。
俺が死んでしまったら。
どうするの、ヒイロ。
俺が死んだら。
誰もお前を殺せない。
誰もお前を救えない。
誰も、できないんだよ。ヒイロ。
俺の方になんか振り返らないで、ずっと前を見ていてほしかった。
そうだったら、きっと彼は間違わなかった。
自分はそんな彼の後をずっと追いかけていっただろう。
真っ直ぐに遙か遠くを見る彼の後ろ姿を見つめて、それで満足な筈だったのに。
死神に堕落した天使はもう天使じゃない。
もう届かない空は見えない。
見えるのは、開かれることのない扉と窓。
白くも黒くもない、灰色の世界を、絶えた祈りだけが漂っていた。
「これが、お前の望みだったんだろう?」
横たわる彼を静かに見下ろす。
不思議な感覚だ。いつも見下ろすのはヒイロで、自分は見上げるばかりだったのに。
もう何も悲しむことはないよ、ヒイロ。
静かに眠るヒイロはとても神聖で、そう思ってデュオは泣いた。
苦しまなくていい。辛いことも何も考えなくていい。
俺が解放してあげる。
「ヒイロ…」
最後に名前を呼んで、強く力いっぱい抱き締めた。
冷たくなってしまったヒイロの体温。
舞い落ちた静寂は、周囲をゆっくりと白と赤に染めていっていた。
そして、色の無くなった世界には、何も無くなってしまった。
同じく【漂流楽団】に掲載した話。
これはヒイロが壊れた話として作ったんですが「どっちも壊れているのはデュオみたい」と友人からコメントされました。
…見直してみると、確かにそんな感じも…(-_-;)
タイトルは谷山浩子さんの歌から。イメージもそのままです。