足利尊氏年表


ちょっと(かなり?)見にくくなってしまいましたが、尊氏の一生を整理するために作りました。
注)年号は、南朝(北朝、西暦)と表記しています。主語のないものは基本的に尊氏の行動です。
○嘉元三年(1305年)  足利貞氏の長男として生まれる。幼名は又太郎。一歳。 ○文保元年(1317年)  四月、文保の和談(幕府が両統迭立を提案)。十三歳。 ○文保二年(1318年)  後醍醐天皇即位。   ○元応元年(1319年)  元服して、名を高氏と改める。十五歳。 ○元亨元年(1321年)  十二月、後醍醐天皇が院政を廃止し天皇親政とする。 ○正中元年(1324年)  九月、正中の変起こる。二十歳。 ○正中二年(1325年)  八月、日野資朝が佐渡へ配流される。 ○元弘元年(1331年)  八月、高氏は幕軍の将として笠置攻めに出陣する(元弘の変)。幕府が光厳天皇をたてる。二十七歳。 ○元弘二年(正慶元年、1332年)  三月、後醍醐天皇が隠岐に配流される。  十一月、護良親王が挙兵。 ○元弘三年(正慶二年、1333年)  二月、後醍醐天皇が隠岐を脱出する。  四月、高氏は幕府の命令で後醍醐天皇を討つため上洛する。  五月、高氏は幕府に反旗を翻し六波羅探題を滅ぼし京都を制圧。新田義貞が鎌倉を攻略する。北条高時が自害し     鎌倉幕府が滅亡する。  六月、後醍醐天皇入京し高氏に尊氏と改名させる。  十二月、足利直義が成良親王を奉じて鎌倉に下る。二十九歳。 ○建武元年(1334年)  建武の新政。  十一月、足利直義が護良親王を鎌倉に幽閉する。三十歳。 ○建武二年(1335年)  中先代の乱鎮圧のため出陣。後醍醐天皇に対し叛乱。  十二月、新田義貞を箱根で破り上洛。三十一歳。 ○延元元年(建武三年、1336年)  二月、新田・楠木・北畠軍に破れ九州へ。光厳上皇の院宣を受け、再挙。  五月、湊川の戦いで楠木正成を破り上洛(楠木正成戦死)。  十一月、建武式目を制定し、京都に幕府の基礎を築く。  十二月、後醍醐天皇が吉野に逃れ南北朝の対立が始まる。三十二歳。 ○延元三年(暦応元年、1338年)  五月、北畠顕家が戦死する。  閏七月、新田義貞が戦死する。  八月、北朝より征夷大将軍に任じられる。三十四歳。 ○延元四年(暦応二年、1339年)  暦応寺(天竜寺)建立発願。  六月、直義が安国寺・利生塔の建立を始める。  八月、後醍醐天皇崩御(五十二歳)し後村上天皇が践祚する。  北畠親房が『神皇正統記』を著す。三十五歳。 ○興国二年(暦応四年、1341年)  十二月、天竜寺船を元に派遣 ○興国三年(康永元年、1342年)  五山十刹の制 ○興国四年(康永二年、1343年)  十一月、北畠親房が吉野へ帰る ○正平三年(貞和四年、1348年)  一月、四条畷の戦 ○正平四年(貞和五年、1349年)  四月、足利直冬を長門探題に任じる。  九月に足利基氏を鎌倉公方に任じる。 ○正平五年(観応元年、1350年)  十月、足利直冬挙兵。足利直冬追討のため出京。  十一月、足利直義が京を脱出し観応の擾乱が始まる。 ○正平六年(観応二年、1351年)  二月、直義との戦いに敗れ、和解のため高師直兄弟を殺す。  八月、直義が再び京を出奔する。  十月、尊氏、南朝と組み直義追討出兵。四十七歳。 ○正平七年(文和元年、1352年)  一月、鎌倉で直義を毒殺する。  二月、南軍が入京し義詮は近江に逃れる。  七月、近江・美濃・尾張の将士に初の半済令。南軍の北畠顕信の多賀城が陥落する。四十八歳。 ○正平九年(文和三年、1354年)  四月、北畠親房没。  ○正平十年(文和四年、1355年)  南軍懐良親王が博多に進出する。 ○正平十三年(延文三年、1358年)  四月病死。五十四歳。  八月に足利義満が生まれる。
2000.2.1

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