歴代足利将軍
足利氏について簡単に説明してます
足利尊氏略年表
足利尊氏1 足利尊氏2 足利尊氏3 足利尊氏4 足利尊氏5 足利尊氏6
足利尊氏7 足利尊氏8 足利尊氏9 足利尊氏10 足利尊氏11
二代将軍、幕府の安定につくし、細川頼之に義満をたくして病死。
三代将軍、室町殿、北山殿、南北朝合一に成功し、幕府と将軍権力を確立し、さらに獅子身中の虫・天皇家を取り込もうとし、対外的に日本国王となる。足利天皇の実現あと一歩で急死。
四代将軍、有力守護大名の台頭を許す。後継ぎを決めずに病死。
五代、父から将軍職を譲り受けたが若死に。義持が再び将軍に復帰する。
六代、将軍権力の回復に奔走し、かなりの成果をあげるが、赤松邸で暗殺される。幕府と将軍の権威が失墜する。
七代、父の死後、幼少ながら即位する。即位後、間もなく落馬して死亡。
八代、兄の後を継ぐが成人後も重臣達が政治を行う。有力守護大名の統制に失敗し、応仁の乱を引き起こす。幕府の力が畿内に限られるようになる。東山文化を生み出す。
九代、父の隠居後、任官する。将軍親征により幕府権力の回復を狙って近江に出陣するが、そのまま陣没した。
今出川殿、義政の弟で義政の死後、息子である十代将軍・義稙の後見人として権力を手にするが、まもなく死亡。
十代、流れ公方、近江に出陣し、次いで河内へ出陣するが、細川政元のクーデターで追放される。後に再び京へ戻るが、細川高国と対立し阿波へ出奔する。
十一代、細川政元に擁立される。大内義興と細川高国が義稙を奉じて入京したため、近江へ逃れる。
堺公方、阿波に逃れた義稙の養子になり、三好家に保護され、堺に実質上幕府を開いていたが、将軍任官前に一向一揆を味方につけた細川晴元に破れ阿波へ逃れる。
十二代、細川家の内紛に巻き込まれ近江へしばしば逃れる。後に細川晴元と三好長慶との争いにも巻き込まれる。義維の異母兄(実は弟)。
十三代、父から将軍職を譲り受ける。塚原卜伝に師事し「一の太刀」を伝授される。松永久秀に御所を急襲され奮戦して死んだ。
十四代、義維の子で阿波三好党に擁立されるが、松永久秀と三好三人衆が対立し、京都に入れず、摂津にいた。信長の上洛直後に病死。
十五代、信長と対立して京都を追放されるが、その後も将軍として信長と敵対しつづける。
参考文献 |