暗い祭壇の前で、不気味な波動が広がっていた。
正面にひざまづいた男が静かに顔を上げる。
「我が声に応えし神よ。…この世界の救済を」
洞窟の中であるかのようなその場に、声が反響する。ひっそりとした室内に他に気配は
なく、無機質な蝋燭の灯が揺らめくばかり。
男は優雅な仕草で立ち上がり、祭壇の奥にひそむ、《神》を見上げた。
消されることのないその微笑に、強い信念を含ませて。
ブリティス城では、そろったカスタム4機兵のパイロットたちを加え、新たな局面に対
する対策が練られていた。シャッフル騎士団を失い、城は半壊され、負傷者も続出。満身
創痍な状態でありながらも、諦めることを考えられない。しかし、敵の正体はわかっても、
その戦力や構成、本拠地でさえわかっていないのだ。これからどうするべきか。課題は山
のようにあった。
「とにかく、彼らの最大の狙いはリリーナ姫です。彼女がバロックガンの封印の鍵を握っ
ている。彼女だけは守らなければ」
カトルが中心で考えを述べる。いつのまにか彼がまとめ役となっていた。
ブリティスとウィナーの連盟により、オズワルド軍に対抗するものとして、ユニオン軍
が結成され、スダ・ドアカの各国も、次々に賛同しはじめていた。
ウィナー国の王であり、カスタム機兵を率いるカトルが中心となっていくのは、ある意
味当然ともいえる。しかし彼はまだ少年でしかない。今はまだ大丈夫だが、そのうち妬み
や反感などの風当たりが強くなってくるだろう。
「剣が修復され次第、鎧闘神も加わるということで、現在は4機兵でこの城の守護を固め
るのが得策だと思われますが…」
「鎧闘神は本当に戦力になるのか?」
割って出たのはデスサイズだった。カトルたちと2言3言話したきり、ずっと寡黙であっ
た彼の発言に、会議が中断される。
「我らの神スペリオルドラゴンから授けられた剣で得たという力。それならば鎧闘神だけ
で姫は守れるのではないか?」
デスサイズの意見はもっともであった。だが、現状では。
「今のヒイロ…ウイングでは、鎧闘神の力を制御しきれません。あれは強大すぎるのです」
リリーナがためらいがちに口をはさむ。天使は人間より力を持った種族とされるが、神
の力を制御するなどとはさすがに無理がある。ましてヒイロはまだ感情を鎮めきれず、騎
士ウイングの姿のままであった。
「ならば、お前がそれだけの強さを身につければ良いだけのことであろう?」
睨んでくるデスサイズに、ウイングは何も返せない。
力が欲しいと願った。しかし自分がその力を使いこなせないのでは意味がない。先日の
戦闘でも、剣の修復が間に合わなかったため、何もできなかった。ドモンが石にされてい
くのをむざむざと見ているだけだったのだ。
「そんな弱い心の持ち主と共に戦う気はない。周囲に被害をもたらすだけだ。私は私で戦
わせてもらう」
「デスサイズ!」
カトルの制止も聞かず、デスサイズは身を翻して扉を出ていく。止めることもできず、
またその資格もなく、ヒイロは無力な自分に拳を震わせた。
「待って…!」
追いかけようとしたリリーナの前に少年が立ちふさがる。
長い髪を三つ編みにまとめ、大きな蒼い瞳をした少年は、少女と見間違っても不思議は
ない外見をしている。デスサイズのパートナー、法術士デュオである。
明るい笑顔の持ち主であるのに、法衣の色からか、黒のイメージがひどく似合う。
「悪く思わないでくれよ。デスはあんたら、天使が嫌いなんでな。…それから」
一旦区切り、人懐っこい笑みが酷薄なものに変わる。
「俺も、天使は大嫌い」
一瞬、その美しさに皆が魅入った。冷たいとも思える笑み、なのに、声を失うほどの。
皆の様子を気にすることもなく、デュオはそのままデスサイズの後を追っていった。
室内の空気を払うようにカトルが慌てて弁解する。
「すみません。彼は実直な性格なので…おそらく、民間人のことを気にしているのでしょ
う。一人でも多く助けたいと願っているのだと思います」
この城はカスタム機兵などにより守られる。しかしこの世界の多くの住民は守ってくれ
る手も持たず、オズワルドの侵攻に脅えている。デスサイズとデュオはそんな人々を助け
にいこうとしているのだと、カトルは言う。
彼らを止める権利はない。無力な民を守るのは当然のことであって、正しい。だが、今
は戦力を分散させないことも重要なのである。
目的は同じ。しかし意見の相違はどうしようもない。
「…『天使が嫌い』、とはどういうことなんですか? 彼らに一体何が…」
リリーナが気になっていた言葉を訊ねる。天使を嫌うには何か理由があるはず。天使族
が彼らに何か害を与えたのなら、自分は謝罪しなければならない。そんな気持ちからだ。
「いえ…、僕も初めて聞きました。差別心なんて持つような2人ではないのですが…。あ、
ウーフェイ、君なら何か知ってる? 君はデュオと仲が良かったよね」
黒髪を一つにまとめた剣士に視線が移る。
カスタム機兵の操手とサポーターである少年たちは全員が知り合いというわけではなかっ
た。ただ一人、カトルだけは全員と面識があったが、一度しか逢ったことのない者もいれ
ば、気心の知れた仲にまでなっている者もいる。
ウーフェイとデュオは、以前からの友人らしい。彼ならば知っているかもしれない。
「…デスサイズは、元《死神》らしい」
「死神! 彼が…!」
ぶっきらぼうに告げられたが、それだけで理由は知れた。
死神族は天使族と同じく、この世界の守護を任とする種族である。言うなれば、天使族
の《対》となる存在。生と祝福を司る天使とは対照的に、死神は死と眠りを司る。任務の
内容の違いから、古来から死神は忌み嫌われることが多い。特に、対であるはずの天使が
死神を侮蔑している傾向がある。リリーナは違うが、同胞にそのような者たちがいること
は知っていた。同じ《神の使い》であるにもかかわらず迫害されてきた死神が、天使を嫌
悪することは仕方がないかもしれない。
「どちらの種族もスペリオルドラゴンの使いであるのに、どうして…」
対の存在が互いにいがみ合ってどうなるというのか。リリーナはかねてから、自分たち
こそが選ばれた種族だという、天使族の選民意識を憂いていた。同じ神の下で力を合わせ
て生きていかなかればならないはずなのに、何故それができないのだろう。
『この愚かな精神こそが天使族を滅ぼすというのに…』
そう言ったのは、かつて勉学を共にした少女だった。そういえば彼女はどうしているの
だろう。無事だろうか。他の多くの同胞たちも、逃れることができたのだろうか。
無力なのは、ヒイロではない。自分だ。巫女姫として天使族を導く存在でありながら、
こうして守られているだけ。
何ができるだろう。何か、できることはないだろうか?
夜になっても、星はみえなかった。雲が空を覆っているのである。月だけはその存在を
誇示して、闇夜ではないことがまだ救いだった。
ブリティス城の屋上で、ヒイロは何をするわけでもなく、ただ夜空を見上げていた。
何を考えるべきなのか、何をするべきなのか、冷静に見つめてみようと思った。しかし、
《オズワルドを倒し、リリーナ姫を守る》ということ以外の目的は自分にはなかった。考
えることも行うこともそれしかないのである。そのためには力がいる。強大な力を制御す
るための更なる力が。
…もどかしい。
「おい、騎士ウイング。ヒイロとか言ったな」
唐突にかけられた声に驚いて、振り返る。
夜の闇に紛れるように、気配もなく影が立っていた。
確か、昼間に見た、元死神だというデスサイズの連れである法術士。名は、デュオ。
いつも笑みを浮かべている彼が優しい性格に思えないのは、一概にその瞳のせいだろう。
その瞳だけは笑っていない。何の感情も見せず、冷たく冴える瞳。
城を出ていったのではなかったのか、と瞳で問うヒイロを察したらしく、デュオは苦笑
して肩をすくめる。
「巫女姫さんにお前の変身を解いてくれって頼まれたんだよ。面倒だが、謝礼くれるらし
いし、やってやるよ」
「…できるのか?」
「さあね。お前みたいなのは前例がないからわかんねーよ。とりあえず挑戦はしてみるさ」
不審そうに訊ねるヒイロをさらりとかわし、歩み寄る。
「一応、天使族の巫女姫といえば、封印や呪いの解除に関してはスダドアカ1の力の持ち
主の筈なんだがな。その姫さんに解けないとなると、お前のはただの術じゃ無理ってこと」
解呪に対する巫女姫の力は公然となっており、バロックガンに狙われている理由もそこ
にある。神であるスペリオルドラゴンが施した封印を解くことができるのは、巫女姫の《祈
り》のみなのだ。
ウイングの額に、右手をかざす。
「ということは、お前自身の精神的な問題だということになる」
岩の割れ目に染み入るかのように、デュオの声が低く響く。静かな涼しい気配が流れる
ような気分をヒイロは感じていた。
「ゆっくり息を吐いて、目を閉じろ。…そう」
言われるままに目を閉じ、感覚に身を委ねる。こんな穏やかな気分になったのはかなり
久しぶりのことだ。忘れかけていた心地よさが沸き上がってくる。
「惑いし万里の道と千尋の海、もって声を聴きし身を起こし我が手に応えよ…」
水が身体を巡っていくような感覚。怒りも憎しみも浄化されていく気がする。
たゆたう流れが広がり、そして。
ウイングの周りに光が現れ、とりまいてゆく。ウイングを包み込むと同時に光は飛散し、
次に現れたのは。
「…へー、黒髪の天使とは珍しいな」
デュオの声に目を開けると、ヒイロは天使の姿に戻っていた。身につけている騎士団の
制服は所々破けていて、無惨なものと化している。ピースクラフトから逃れてから、あれ
だけ戦い続けてきたのだから当然といえば当然だが。
「オレの読みは正しかったってことだな。一丁上がり」
とにもかくも元に戻してくれた恩人に目を向ける。デュオは謝礼をどれくらい請求する
か考えているらしく、ヒイロには目もくれずに指を折っていた。
ヒイロはその様子に少々霹靂しながらも、彼がかなりの実力を持っていることを理解し
た。人間だからと侮ってはいけない。こちらにとって彼は重要な戦力になるだろう。そう
考えると、惜しい気がしてくる。
「…本当に出ていくのか?」
呟くように問うヒイロに、デュオは顔を上げる。
「ああ、デスはそう決めたからな。オレも付いていくさ」
笑ってデュオは軽く返す。まるでそれが当たり前であるとでもいうふうに。
「今の状況で戦力が減ることは好ましいことではない。単独で戦うのは自殺行為に等しい」
「お前がいるだろ」
「オレは…」
戦えない。戦えるとしても、今の自分では再び暴走してしまう。
口に出しそうになった言葉を押さえる。ヒイロ自身がそれを口にしてしまったら、惨め
になるだけだ。続きを言えぬまま、ヒイロは俯く。
「甘えるんじゃねぇよ。自分自身のことしか考えてないだろ、お前。周りがどんなだか、
考えたことあるのか?」
声の調子は変わらず、けれどどこか冷たいトーンを混ぜてデュオが言う。
「これだから天使は嫌いなんだ。普段はお高くとまって他の生物のことなんか見向きもし
ないくせに、自分たちが危なくなると協力してくれなんて言い出す。身勝手も程々にして
もらいたいぜ」
睨むような冷めた視線。初めて逢った時に見たものと同じそれを見て、ヒイロは言葉を
失う。
『天使は大嫌い』と言い切ったデュオが、天使によってどのような目に合わされたのかは
わからない。だが、彼が天使族を決して友好的に見ていないのは明らかであった。
確かに、オズワルドの侵略は天使の郷だけではなく、スダドアカ全土が危機にさらされ
ている。リリーナだけを守ればいいという話ではないのだ。その中で、誰よりもリリーナ
を守らなければいけない立場であるヒイロが、味方の足手まといになってしまってはどう
しようもない。
わかっている。デュオがいれば鎧闘神の力を制御できるのではないかという考えはヒイ
ロのわがままでしかない。デュオの行動を規制し、それこそ戦力の幅を狭める羽目になる。
「………」
何ができるのだろう、自分に。気持ちだけが先走って、他が追いつかない。
「依頼は果たしたことだしな、オレたちはオレたちで戦う。ここの空気は合わねえ」
踵を返し、デュオは城内へ歩き出す。振り向かない背中に向けてヒイロは思わず叫んだ。
「オレは…、オレは、どうすればいい?」
「知るかよ。そんなん自分で考えろ。ガキか、てめーは。言っとくが、オレはお前にわざ
わざ説明してやるほどお人好しじゃねぇんだ」
デュオは足を止めることはなく、ヒイロは彼が完全に城内に戻ってしまうまで、ただ憮
然と立ち尽くしていた。
自分の精神が未熟であるとヒイロは自覚していた。それ故、冷静な性格の兄にいつも頭
が上がらなかった。常にヒイロを導いてくれた、尊敬する偉大な兄はもういない。
「…兄上…」
教えて下さい。オレはどうすれば良いのですか…?
答えてくれる声も、返される意思もない。
デュオの言ったとおり自分は子どもだ。あがくだけで、打破する力もない。
強くなりたい。守りたいものを守れるように。自分が自分であると誇れるくらいに。
強くなりたい。
強くならなければ。
空を見上げる。この暗雲を取り除けばいつもの空がある。青空が広がっているはず。
一瞬、黒の先に見えた空色に、先程の蒼い瞳がだぶった。
翌朝、人目に付かないうちに、城から去っていく2つの影があった。
誰の見送りも必要としないそれを、黒い髪の天使1人だけが城壁から見ていた。